マグ朗さんの番外旅行記〜チャイティーヨー・パヤーの奇跡〜(2008年11月)

またまた来てしまったミャンマー。
日本人ジャーナリストの銃撃事件、サイクロン「ナルギス」の襲来と、ネガティブな話題が日本では報じられたが、私が大好きなミャンマーはミャンマー。
3度目の渡緬となった今回の旅行や如何に…。

11/3、空港を間違えたかと思うほど立派に変身し、新装なったヤンゴン国際空港に降り立った私は、出迎えに来てもらったガイドとともに前回とは異なった市内観光に向かう。
ボウタタウン・パヤー、ナルギスの痕が残るヤンゴン湾、定番のボージョーアウンサウン市場、ヤンゴン環状線、サクラタワーからのヤンゴン市内一望と、午前午後のメニューをこなし、夕方からは心の拠所、シュエダゴン・パヤーで時を過ごす。それから、ミャンマー・ビールとミャンマー料理に舌鼓を打ち、ガイドさんは帰宅した。宿泊は3回目となる、「パークロイヤルホテル」(前回までの グランドプラザ ホテル)である。

スケジュール上は、翌日の朝にガイドさんと再度合流し、今回の目玉、「チャイティーヨー・パヤー」へと向かうことになっている。夜はフリーだ(なんのこっちゃ?)。

 
  
ボージョーアウンサウン市場

 
  
サクラタワーよりヤンゴン市内を展望

 
  
シュエダゴン・パヤー(工事中、フー付…笑)

  
  
関係ありませんが、マンダレー・ビールとミャンマー・ビールです。

<ミャンマー・コラム1  「ヤンゴン環状線」>

今回、初めて乗ったヤンゴン環状線。
列車は板張りの椅子で、壁には穴が(笑)!物売りの方々が到着する駅毎に乗り降りして賑やか。そして、なんと車内喫煙も可。
値段はいくら乗ってもミャンマー人は10チャツト(外国人は1ドル)にびっくり。そんでもって、駅のトイレ(環境に恐怖がある程…)の使用料は50チャット。
なんとも不思議な気分でした。

今宵は未訪問のディスコに決めていた。情報は2chが少し。正確な場所は不明だし、ヤンゴン市内も2年ぶりだけに少々の不安がある。

タクシーを止め、「JJ」という市街にあるディスコへと向かう旨告げる。何かの敷地内にあったディスコの看板には、漢字と英語でいろいろと書かれている。
建物の入口に居た、長身痩躯の日本語を話すウェイターにディスコ内へと案内される。この日本語案内は、前回、前々回と同様だ。
入口で3000チャットを支払い、ディスコ内に入る。 ウェイターが言うように、ヤンゴン市内で一番広いらしく、踊るスペースは広かったと思う。

2階の席に案内され、ビールを頼んでウェイターに話を聞く。PM10:00から、ファッション・ショーとダンス・ショーがあるとのことだった。でも、そんなことは二の次だ、ビルマ族の♀は居ないか?ダンスフロアには、かなりの数のオネイサンが動いている。2階は失敗だったか??オネイサンの顔が思うように確認できない。ウェイター曰く「モデル ハ $100、 オンナ ハ $80」とのこと。いきなりおぜぜの話。
とはいえ過去の経験から、そんな値段する筈はないと思い、なおかつ、オネイサンとの直接交渉で価格は決めるとものだと決め付けていたので受け流す。

席の前のスペースから、10人程のグループがVIPルーム(カラオケだろうか??)に出入りを繰り返していた。ウェイターのヒトコトでは、「モデル ハ ラスト マデ イナケレバナリマセン。1ジ 二 ディスコ ラスト デス」。なるへそ、モデル連れ出しは店の終了後なのねん!でも、そこまでネバるつもりないし。

それから、ウェイターがオネイサン連れて来た。1人目は18歳とのことだったが、太めで器量がイマイチのためパス。さて2人目、21歳のヤンゴンっ娘。英語が出来るとの前フリで、みてくれは、まあまあOK。それ程意気投合という訳ではないが、ウェイターが世話を焼いてくれ、ファッション・ショーとダンス・ショーを見てからOFF決め。ウエイターにその旨を告げると、嬢は一旦中座して嬢連のリーダー(?)のところへ。ウェイターも同行した。それから、見たことのない2人のウェイターと3人のウェイトレスを伴い、嬢と共にぞろぞろやってきて、今まで付いていたウェイターが、「ココデ チェック デス、オンナ $80デス」。
なんにぃぃぃぃぃぃ!!そんなにする訳ゃ、ねぇだろっっっ!! 「モデル ハ $100、 オンナ ハ $80 イイマシタ」

ハメたなっ!!!こいつら、この6人の面子で、ボリ代を分ける気だなっ!!!

とは思ったものの、男女6人とオネイサンを目の前にして、意気がっても仕方ない(ってか、ウェイターの2人が、ちと怖い顔…情け無い)。
オネイサンが気分を害して、Hに影響するのはマズいこともある(んんんっ、臆病者っ!!)。で、$80を払って退散。

→ [JJの常連の方々すみません。相場上昇に繋がったら御容赦願いたく…]

店の前でタクシーに乗り、ホテルへと戻る。
部屋でのオネイサンは、おとなしく、話す英語は「イエス」「ノー」「ゴーホーム」のみ。これは英語がデキルとは言わない。
それでも、シャワーを促し、姦ることはやる。なんてったって、相場の倍はする玉だ(セコイなぁぁぁ)、それなりにヤッてもらおう。
残念なことにマグロ系で、それ程リアクションは良くなく、生Fは自分で目隠しをして(目隠ししても変わらないと思うが…)、真っ暗にしてやっていた。
一応、朝まで居り、起きるとタクシー代を渡してサヨナラをした。
程なく、チャイティーヨーへの迎えのガイドとの待ち合わせ時間となった。

11/4、なんとしてでも見たかった「チャイティーヨー・パヤー」。そのためにミャンマー行きの季節(乾期)まで調整したのだ。

バゴー経由で、チャイトー、キンプン村へと向かう。
初めての管区外(モン州)であるが、途中は田園風景が流れ、とても穏やかだった。

キンプン村に着いてから、ヤテタウン行きのピックアップ・トラック出発まで1時間待った(荷台で1時間、これが苦痛)。人数(40数人)が集まらないと出発しないらしい。流石に1時間が過ぎ、客の主張により、規定人数に満たない人数で発車したが…。
それから、山道を小一時間。ロシア人のでっぷり太ったオバアさんが横にいて、キツい思いをしたピックアップ・トラックの荷台で過ごす。

ようやくヤテタウンに着いたのがPM4:00ぐらい。それから、徒歩でチャイティーヨー・パヤーを目指す。
坂道(と言っても、舗装されていて綺麗)を昇ること1時間。日も暮れようとする直前に頂上のホテルに着く。 そそくさと荷物を置いて夕暮れとなった「チャイティーヨー・パヤー」を拝観。
やはり見る価値はある。このパヤーは奇跡だ。実際近くで見るとそう感じる以外にない。
このパヤーは、夕方、夜間、朝焼けと3度拝観することとなった。

 

 

 
  
チャイティーヨー・パヤー3景

 
  
胡椒売りの少女(気になりました…笑)

<ミャンマー・コラム2  「喫煙天国」>

チャイティヨー・パヤーの境内では、当然裸足です。履物を手に持っているだけで、「ゴールデン・ロック」部分に入れません(履物を境内に置いて入ります)。
また、「ゴールデン・ロック」に女性は触れることができませんし、境内にも女性が立ち入れない場所もあります。
そんな厳粛な境内でも、「禁煙」の表示はありません。朝日に輝くパヤーを見ながら一服。なんという喫煙天国なのでしょう。
だから、ミャンマーは好き。

11/5、朝日が昇る「チャイティーヨー・パヤー」を拝んでからチャイティーヨー山を降り、パゴー観光をしてヤンゴンへと戻る。ガイドに感謝の意を述べサヨナラ。

今晩は全くの自由&&最終夜だ。夜のヤンゴン繁華街を歩き、1人だけしか英語ができる従業員が居ないレストランでミャンマー・ビールを飲みつつ食事をしてから、ディスコの新規開拓だ。
街の南にある、「
アジアン・プラザ・ホテル」のディスコへと足を伸ばす。ホテルの周りはそれ程賑やかではないが、ネオンで一発だ。

今度は日本語ではなく、英語でウェイターに案内された。店内にはオネイサンは少なく、数人のグループで固まっており、客が来たからといってアクションを起こす訳でもない。ダンスフロアの齧り付き席に案内されるが、逆に後方にいるオネイサンが見えない。席についても暫く何もなかった。

ようやくウェイターが来て、「何が望みですか?旦那」(脚色英語)と言うので、「レデイだ!!」と答える。
程なくしてビルマ族の娘(前回はシャン族とバングラディシュだったので、ビルマ族に拘った)が2人やってきた。意外に上手な英語で色々と話しかけてくる。
だがだが、器量が…。ダンスフロアでは、女性グループが踊り始めている。隣の女性にドリンクをおごって暫し、その内の1人は去っていった。。
このディスコにもファッション・ショーがあるらしく、数組に分かれて同一ユニフォーム(?)を着た女性がやってきた。そちらのほうが上玉なのは言うまでもない。
どうしても、この横に居る嬢に食指は動かない。かといって、露骨に「お前NG」とは切り出せない。すると嬢の方から「ユー ドーント ライク ミー?」と言ってきた。「ビンゴ!」丁寧にお引取り願った。
それからウェイターを呼び、室内を一眺めして、すぐ後ろに立っていたスレンダーな感じの嬢を横に座らせた。
この嬢の器量は合格、ろくすっぽ話もしないで連れ出すこととする。再度ウェイターを呼んでシメ。嬢は$40とのこと。それからタクシーでホテルへ。

 
  
アジアン・プラザ・ホテル

部屋に入ると20歳の嬢は即シャワーに行き、ほんの1、2分で出てきた。スタイルは良かった(ちちなし)が、見るからに仕事をセカそうとする。なぁぁに、姦るこたぁ一緒だと思い、嬢の“セカし”に乗ってやった。
それがなんと、3度目のミャンマーで初の生F無し(怒)、&& H最中に「否だ否だ(要らない要らない?)」を連発する。この小娘っ、仕事人だったら仕事はちゃんとやれよっ!!
態度の割りにあっちの具合はよく、H自体に問題はなかった。それで終わると、すぐに着替え部屋を後にした「タニヤ嬢の35分」に勝るとも劣らない(笑)。

なんとなく、充実度が低い。最後の夜だってぇのに…。

ええぇい、気を取り直そう。切り札がある。そのためにこのホテルに宿泊しているのだ。
3回連続となる、地下のディスコ「
Music Club」で、リベンジしてやらぁぁ!!

ホテル内から地下1階のディスコへと向かう。
程よい夜遊び時間のせいか、ディスコ内は人が溢れんばかりの状態であった。

以前のように入場してすぐには女性に囲まれず、カウンターに座りミャンマービールを頼む。
それから、どこからともなく嬢が3人現れ、その嬢連と共に後ろの方の席へと場所を変えた。よく見ると嬢連は、ちぃとが立っており、タニヤのチーママのようだ。これには辟易した。。
場内を見回すと、極上玉(若くてスタイル群抜のインド系?)は既に白人グループの手に落ちていた…、無念。

このディスコの傾向と言う訳ではないだろうが、嬢は複数でやってきて、その中の誰が良いというような話をする。とはいえ、今は先程の不満の解消に来ているのだ。おいそれと妥協をする訳にはいかない。隣のテーブルでは違う嬢連が同様に客にアプローチしている。両目を凝らすと、ディスコ内は比較的嬢連の数が少ないようにも感じた。意気地無しの私は、ここで嬢を追い返したり、無理に席を替えたりできない。何度来てもそうだ。ひたすら他嬢を目で追う。無作為な時間が過ぎていく…。

どのぐらい時間が経ったろうか、3人居た嬢が1人去り、1人加わり(器量が良くない)、また1人去りして残った嬢も「帰る」と言う。
ディスコがお開きの時間なのだろうか?当該嬢に聞くも要領を得ない。隣に誰も居なくなった。これで終いなのかぁぁぁ??(自分のせいだって!!)

また少しして1人の嬢がやってきた。ケバいが若そうだ。
物凄い積極性で、いきなり「
生F OK」だと言う。別店の嬢とは話さなくて失敗したこともあり、話はよくしたと思う。この嬢で行こう。なんてったって、生Fは確約済だ。
 
フロントを通り、部屋に戻る。エキストラチャージは2度目だ(「さっき、払ったからいいでしょ?」とは言わなかった…笑)。

部屋に入ってからも、その嬢とはいろいろと話し、ほどよいタイミングでシャワー。先程の嬢が短時間過ぎて、シャワーキャップも使っていなかったのは確認済だ。シャワー後は、ごくフツーにH。仰せのとおり、生Fはキャサリン姫並(意味不明)。終わってシャワーを浴びると、着替えた嬢は帰ると言う。まぁ、それもありかと思い、言い値の$50とタクシー代(チャット)渡す。すると、嬢は「チップ」と言う。まぁ悪くはなかったので$5追加。すると「$10欲しい」と言う。それでもいいかと思って渡したが、$10分の追加サービスをと思い(セコい私)、バスタオルの前をはだけて、洋服を着た嬢に追加生Fをしてもらった(ハイハイ、充分です)。それから嬢が帰り、フロントから「Do you release a lady?」の本日2度目のコールがあり、ヤンゴンの最終日が終わった。

<ミャンマー・コラム3  「みどりなす黒髪」>
ミャンマー女性の黒髪には、うっとりとさせられるものがあります。本当に漆黒なのです。美しい髪です。
戦前の日本女性がこんな感じだったのかと創造していまいます。
日本やタイで茶髪を見慣れた私にとって、ミャンマー女性の黒髪は強烈なインパクトがありました。
これから、『黒髪フェチ』になっちゃおうかしらん??

<ふりかえり>
まぁ、こんなもんでしょう。
前回が当たり過ぎたという印象です。タイでハズシまくっている人間が、他の国に来て も、そうそう上手くいく筈はありません。
あとは言葉の問題。ミャンマー語の発音と声調は、タイ語より難しいと感じます。
ほんのちょっとでも、ミャンマー語ができていれば…、と後悔しきりです。


マグ郎

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