さらば、ドンムアン空港 〜愛欲の戦士達〜

マグ朗隊員よりの投稿

マグ朗特捜隊隊員よりのレポート
世界各国を旅行していた諸先輩方にとっては、旅の中継点に過ぎなかった空港であろうが、私にとっては旅の終着点であった。
新空港開港に伴い、これから先、直接ドンムアン空港に降り立つことはもうなくなるであろう。
皆様方もそうであろうが、何度となく利用した空港である。空港の中に目を移すと様々な思い出が走馬灯のように頭の中を巡る。
最後の訪問になるやもしれない今回、ドンムアン空港に思いを馳せた。
なお、これからは、あくまで私の独断でとらえたものであるから参考までに願いたい。

初めてドンムアン空港に降りたのは、まだUAの午後着便があった頃だ。
飛行機から降りた途端、「ムッ」っとした熱気と、なんとも言えない南国の香りを感じ、ひたすら長い回廊(とは言わないと思うが)を歩いて出国した記憶がある。


  
 
滑走路側から                  長〜い回廊

当時、第2ターミナルは無かったと思うが、とんでもなく広い空港だというのが第一印象だ。
それ以降、色々な航空会社の便に乗り、これ程の回数を利用することになろうとは、初回には想像だにしなかった。


  
 
出国手続き直後                 到着ロビー

 
 
到着ロビー 階段から

普段は、真っ先に出国手続きを済ませようとするため、空港内なんぞは、よく見もしなかったと思う。
こうして見てみると、「ああ、こんなとこだったのか」ということを改めて感じさせられる。

  
 
窓から見える景色@               窓から見える景色A

 
 
窓から見える景色B

今回は、昨年に引き続きミャンマーへと向かったため、第2ターミナルも覗く事ができた。


  
 
第2ターミナル その1                  第2ターミナル その2

  
 
第2ターミナル その3                  第2ターミナルより第1ターミナルを望む

 

 
いざ、ヤンゴン

楽しかった天使の都での滞在も過ぎると、必ず帰国の日がやってくる。


  
                  もう、これと同じ風景は見られない

  
                
帰国前、最後のひと時を過ごす場所

もう、これで最後かと思うと、柄ではないが、どことなく寂しい。
さようなら、ドンムアン空港君。
君のことは決して忘れないよ。ありがとう。


マグ郎



隊長よりのコメント
マグ朗隊員、ご苦労であった。
こちらの投稿はとても感謝するものである。

私が初めてドンムアン空港に出会ったのは、マグ朗隊員とほぼ同時期と聞き及んでいる。
15年〜20年前のことであろうか?
そのときのドンムアン空港は、まだ出来て間もない新しく綺麗な空港と情報を得ていた。確かに機外に出て空港内に降り立って見ると、とても綺麗に感じた。今でもそれほど遜色はないと思う。
全体的に古臭く感じてないわけでもない。それは成田空港の方が明るく綺麗だからであろうか?

当時のドンムアンは、今は改善されているがトイレが新しいくせに汚かったイメージがある。
蚊がブンブン飛んでるし、男子小用便器は流れが悪かったり詰まって臭い(今でもか?)。何か変な人が行ったり来たりで怖いなというムードが漂っていた。
今とはまるで違うのは、空港到着ロビーに「ポン引き」「インチキホテル斡旋業者」「白タク」「インチキツアー斡旋業者」など、ろくでもない輩がたむろしていたことだ。
今はまるでいない。
白タクはなぜか一度、勢いで乗ったことがある。特に問題なかったが、もっと金くれとは言っていた。今では考えられないくらい汚いボロい車だったのを記憶している。

当時と今での決定的な違いとして、空港内どこでもタバコが吸えたのである。これは喫煙家の私には好都合であった。「飛行機の待合室」「「イミグレ横」「歩きタバコ」基本的にはどこでもOK&そこらにタバコをポイ捨てしてる人もいた。勿論、飛行機の中でも十分にタバコが吸えた。

第二ターミナルは無かった。それもあってかイミグレーションを抜けるのにかなり時間がかかったように思う。今のように機械的に処理しないこともあり、チンタラチンタラ余計時間がかかった記憶がある。

当時は高速道路はなかった。当然、タクシーは深夜以外は渋滞に巻き込まれ、市内まで2時間以上はかかるのは当たり前だった。少なくとも今の倍の時間はかかっていた。土砂降りの雨の時に、5時間とか6時間とかかかったなんて話も聞いたことがあるが、別に驚きはしない話であった。
タクシー料金は一律200バーツ。当時は1バーツ=6円以上だったから、1200円以上くらいか。今の方が安い!
というか、当時から殆どメーターになった今でもタクシー料金だけは、最近は特に値上がりの激しいバンコクであるが、それほど変わってないように思う。

スカイトレインもなかったしエアポートバスなどあったかなかったような?
129番のオンボロバスも当時は利用価値があったのは言うまでもない。

市内まではタクシーだと渋滞でなかなか着かなかったので、良く対岸のドンムアン駅からホアランポーン駅までオンボロ列車で行ったものである。50分くらいかかったか?それでも日中はタクシーよりぜんぜん早かった。たいてい座れなかった記憶がある。ホアランポーンまで5バーツくらいであったか?

かなり改善されて当時では考えられない、先進国と変わらないまでに成長したバンコク、ドンムアン空港。思い出は沢山ある。書ききれないくらいである。そんなドンムアン空港とお別れするのは、マグ朗隊員ともに寂しいものである。新しく出来る空港も沢山の思い出が出来るのであろうか?

驚くほど改善されたドンムアン空港、もったいなく名残惜しいがさらばである。

発行日 2006年9月20日

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