【ア・ガール・イン・トラブル】 サンプル2

「なんだ真、お前まだ父親と仲直りしてないのか」

 あちゃあ……やっぱり怒られた。
 一日の終わりに、今後のスケジュールについて打ち合わせをしている中で出た雑談。うっかり父さんのことを口に出してしまって、まだ関係がぎくしゃくしたままだということをプロデューサーに知られてしまった。

「お前、吹っ切れたって言ってなかったか?」
「えへへ……」
「可愛く笑ってごまかしてもダメだ」
「あ、今の可愛かったですか?」

 愛想笑い、というか可愛く笑う、っていうのボクの一つの目標だったんだけど、ひょんなことから役者としてもう十ヶ月以上が経過していたから、それなりに笑顔が上手くなっていたんだと思う。
 だからって、演技としての笑いじゃなくて、心からの笑顔だよ、もちろん。
 何より、プロデューサーに可愛いと言われたことが嬉しい。えへへ。

「まあ、可愛かったがな。だからって、それで話を逸らそうったってダメだからな」
「ちぇっ。騙されなかったかあ」

 口ではそう言いながらも、可愛いと言われたことが本当に嬉しくて、ニヤニヤを抑えるのに大変だった。これじゃ、顔の筋肉がつっちゃうよー。

「でだ、明日はオフ。ちょうどいい機会だから、父親と仲直りしてこいよ? 俺だって、もう運送屋のお兄さんじゃないんだから」
「はーい」

 プロデューサーの手前そう答えたものの、父さんは相変わらず遠征中。だから、やっぱり会う機会なんてないんだ。
 まあ、明日はせっかくの一日オフだし、学校も創立記念日で休みだし、家でゆっくりしてるのもいいかもなあ。
 ああ、そういえば春香が自転車がどうこうって言ってたっけ。春香は自転車通学してるから、割とサイクリングが好きだって言ってたなあ。それで、暖かくなったら一緒にどう? なんて誘われてたんだっけ。
 ボクは、自転車はまあ人並みに好きだと思う。カートなら、父さんに連れられて何度も行ってるから大好きなんだけどね。
 猛スピードで風を切って走るのって、気分爽快だもんね! もちろん、幅の広いサイクリングロードでだよ?
 なんだろう……こういうの。やっぱり父さんの血が混じってるって実感しちゃうなあ。
 まあいいや。そうだなあ、明日は春香とのサイクリングに備えて、少し遠くまで自転車で駆け出してみようかな。

 次の日、朝起きると居間に父さんが居た。
 え? なんで?

「父さん、今日は予選じゃなかったの? それなのになんで家にいるのさ」
「ん? 真か。おっと、そういえば今日は学校が休みだとか言ってたな。えっとだな、サーキットの一部に不具合があって、安全確認のために一日予定をずらすんだとよ。なので、今日はうちのチームも現地解散してきた。今回の場所は幸い家から近いし、こうして帰ってきたってわけだ。やっぱり我が家が一番落ち着くからな」

 タイミング悪いなあ……。母さんはとっくにパートに出かけてるし……こんな時に父さんと二人っきりなんて。

「真、今日は事務所には行かないのか」
「うん、仕事もオフだから」
「そうか」

 必要最低限の会話を交わした後に流れる気まずい沈黙。
 一、二、三。
 時計の秒針が時を刻む音だけが聞こえてきて、ボクはとにかくこの場から逃げ出したかった。
 口を開けば泥沼になりそうだったので、冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注ぎ、ぐいっと一杯飲んでから自分の部屋に戻った。
 その間、父さんからもボクに話しかけてくることはなかった。
 いままでの父さんなら、ボクを挑発してきたり、からかったり、つまらないギャグを言ってきたり、となんらかの反応はあるんだけど、あの日以来、今日みたいな微妙な空気が流れている。
 それでも、まだ母さんが居るときはいいんだ。空気が緩和されるから。
 でも、やっぱり二人きりの時はダメだ。
 父さんと仲直りしたい。いや、もう仲違いしているのかも分からない。けど、この状況をどうにかしなきゃ、っていう思いだけは強くって……。
 とにかく、ボクが父さんに見せても恥じない、立派な仕事をしているんだって証明してみせる。そうすれば、きっと父さんに認めてもらえるんだ。
 今のボクには、それがまだ見つかっていなかった。


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