■DESTINY 〜皇帝二人〜■ 〜プロローグ〜 |
||
巨大な・・・それは、あまりにも巨大な宮殿であった。 何百もの建物が並び、何千もの部屋がある。もしも空を飛ぶことができるのなら、見渡す限りつづく何百枚もの瓦がつくりだすその光景は、まるで一面に広がる海のようにみえたことであろう。 夏、であった。 すでに太陽は沈みかけ、人々の影は長く伸びている。 涼しくはない。この宮殿のある土地は、夏の暑さが大陸でもとくに厳しいことで知られている。風もなく、昼間の暑い空気がそのままに地上にたまっているかのようであった。 帝国暦31年。 巨大な宮殿のいちばん奥の部屋で、一人の老人がベッドに横たわっていた。紫檀でつくられた、立派なベッドである。老人はやせ衰え、暑さと病気のために汗を流し、息づかいも弱弱しい。いつ死んでも不思議はなさそうなほどの状態ではあったが、しかし老人の両目は鋭い光を放っている。ベッドのすぐ近くには、可愛らしい顔をした少女が立っていて、その瞳に涙を浮かべながら老人を見守っていた。 後ろには、何十人もの男たちがいる。いずれも身分の高そうな朝服を着こんでいた。 老人がわずかに顔を動かし、少女の顔を見つめた。 「・・・朕は、そなたのことが心配でならぬ」 老人はあえいだ。 「朕」というのは「わたし」という意味だが、この言葉を使えるのは天下広しといえども、ただ一人、皇帝だけであった。 つまり、この老人は皇帝なのだ。 老人の姓は「紅(こう)」、名は「翔元(しょうげん)」 大陸を支配する「帝国」の初代皇帝である。 この年、帝国暦31年、紅翔元は71歳であった。 老人はやせおとろえた手を伸ばした。少女がその手を両手で握り締めると、老人は深いため息をついた。 「朕が死んだら、そなたはすぐに即位せよ。新しい皇帝となって、天下をおさめるのじゃ。・・・だがな、よいか、もしもそなたの身に危険がせまるようなことがあったら・・・」 そこまで言うと、老人は咳き込んだ。心配そうに駆け寄ろうとする少女を制すると、老人は言葉を続けた。 「あそこにある、紅い箱を開けるのじゃ」 老人が一方の手をあげて、部屋の隅を指差した。薄暗い中に、大きな紅い箱が置かれている。挺身たちの顔をちらりと見てから、少女はうなずいた。 「朕は、動乱の世に生まれた」 老人は低い声でつぶやいた。 「朕の父も、母も、兄弟姉妹も、疫病でつぎつぎと死んでいった。当時の朕には、葬式を出す金すらなかった。生き残ったすぐ上の兄と、朕とが、二人で遺体をかついで寺に運んでいった。寺から帰ってすぐ、その兄も疫病で死んで、朕は一人ぼっちになってしもうた・・・」 年老いた老人の瞳に涙が浮かんだ。 老人の昔話は続く。 一人ぼっちになった少年は、寺に入って僧になった。僧になれば、人々から寄進や布施をうけて、なんとか生きていくことができるからだ。少年は寺で働きながら勉強して、文字を覚えた。だが、世の中の乱れはさらに激しく、寺も盗賊に襲われるようになった。 「このまま坊主でいても、いいことはない。実力でのしあがっていくしかないんだ!」 少年は僧衣を脱ぎ捨てて寺を出た。流浪の旅を続けるうち、盗賊たちが役所を襲うのに出くわした。「紅眉の賊」といわれる者たちで、眉を紅く染めている。 少年は捕まってしまったが、剣を突きつけられてもおそれない。その様子を見て、首領らしい男が笑った。 「この小僧、なかなか見所がある。命を助けてやろう。こういう奴が、そのうち大物になるかもしれんからな」 こうして紅翔元は盗賊たちの仲間になった。若いが、勇気があって頭もよかったので、みるみるうちに地位をあげていった。 「紅眉の賊」は盗賊とはいっても、単なる泥棒ではない。 当時の大陸は、異民族に支配されていたのだ。「紅眉の賊」は、その異民族の支配に逆らう反乱軍でもあった。 だから、役所を襲う。役所の倉庫には、民衆からとりたてた税金が収めてある。銀貨や銅銭。それに米とか絹とかが山のように積んであった。「紅眉の賊」はそれらを奪い、火をつけ、異民族の兵士たちと切りあうのだ。 紅翔元は常に先頭にたって戦った。襲撃計画をたてれば必ず成功したし、奪ったものは全て部下たちに公平に分けてやった。気がついていみると、紅翔元は何万人もの兵士を率いる反乱軍の首領になっていた。 そうなると、昔の知り合いたちが彼のもとへと駆けつけてきたのである。 「あんたはいつかきっと大物になると思っていたよ。あんたについていけば、俺も歴史に名前を残すことができるかもしれない。俺をあんたの部下にしてくれ」 こういったのは、紅翔元の一番年上の姉の産んだ子、「李忠文(り・ちゅうぶん)」という青年であった。李忠文は優れた武将で、軍隊を率いて何度も敵を打ち破った。 何十回も、何百回も、何千回も戦って、紅翔元はついに天下をとった。紅翔元は異民族を追い払い、「帝国」を打ち立てたのだ。 偉大なる時代の幕開けであった。 ところが、紅翔元が65歳の時、長男である皇太子が病死してしまった。紅翔元は悲しんだが、皇帝という立場のものは、悲しんでいるだけではいけない。はやく次の後継者を決めなくてはならないのだ。 皇太子には子供がいた。紅翔元にとっては孫にあたる。これがまだ6歳の少女で、なんともたよりがない。 そこで、紅翔元は自分の四番目の子を後継者にしようと思った。北王の位についている「紅燕(こうえん)」で、この時20歳である。 だが、廷臣のひとり、が紅翔元をとめた。 「おそれながら陛下、それはなりませぬ」 「なぜじゃ」 紅翔元の額に皺がよる。彼は唯一無二の皇帝であり、彼の意見に異を唱える者などほとんどいなかったのだ。 「北王はもう成人しておるし、才能も功績もある。たしかに・・・北王は男ではなく女ではあるが、それを補って余りある才能を秘めておるではないか。まさに次の皇帝として相応しい人物ではないか」 だが、その廷臣はひるむことなく、とつとつと皇帝に向かって意見をのべた。 「北王にはまだお二人、兄君がおられます。南王と西王でございます。もしも北王が皇帝となられましたら、兄君がたをどのように扱えばよろしいのでしょう?」 紅翔元は黙り込んだ。 確かに。もはや戦乱の時代ではない。安定の時代なのだ。とするなら、能力で全てを決めるより、生まれた順を重視したほうが、皇帝の座をめぐる争いもなくなり、国が安定するであろう。 結局、6歳の孫を皇帝の後継者にするしかなかった。皇帝の子なら皇太子だが、孫だから皇太孫とよばれる。 自分で決めたことではあるのだが、紅翔元は心配であった。 「本当にこれでよかったのだろうか?幼すぎる。それに、この子はどうやら優しすぎるようだ。優しさだけでは、皇帝としてやっていくことは出来ないのではなかろうか?」 紅翔元が心配するのも無理はなかった。帝国が誕生し、天下が統一されてから、まだ30年ほどたっただけでしかないのだ。北の草原には、まだまだ強大な異民族がいて、ふたたび帝国に進入する機会をうかがっている。 異民族をふせぐために、帝国は北方国境に城を築き、大軍を配置しているのだが・・・それでも、結局のところは皇帝がしっかりしてなくては、強大な敵に勝つことはできない。 「それに、敵は外にばかりいるとは限らぬからな」 実は、紅翔元の本当の心配はそちらにあったのだ。 「だいたい、朕自身、身分の低い貧しい家に生まれた。それが苦労を重ね、才能と運をいかして、ついに皇帝となりおおせたのだ。もしも朕のような者が今ほかにいたとしたらどうする?優しいだけで勇気も力もない皇太孫は、皇帝の座を奪われてしまうのではないか?」 もともと紅翔元は他人を疑う心が強かった。そうでなければ、戦乱の中を生き延び、強敵を倒して天下統一をすることができなかったのだ。 「あぁ。皇太孫がもう少ししっかりしていてくれたら・・・朕が生きている間はよいのだが、朕の死後はどうなるのだろうか?」 悩みがつきることはなかった。 その悩みが、さらに深まる出来事がおこった。南王と東王が、あっけなく、それぞれ病気になって死んでしまったのだ。 流行病であった。 紅翔元は、自分がまだ生きている間に、長男、次男、三男を失ってしまったのだ。 つまり、北王にしてみると、兄たちが全て死んでしまったことになる。年の離れた兄たちではあったが、このことは彼女を心から悲しませることになった。 だが、北王の心中はともかくとして、彼女の立場は急変したことになる。なぜなら、皇族のなかでは北王が最年長となり、もう遠慮する相手がいなくなってしまったのであるから。 「やはり、北王を後継者にしておくべきだったかもしれぬ」 ことここにいたり、紅翔元は後悔をした。しかし、もう遅い。いったん定めた皇太孫をその地位から引き摺り下ろすわけにはいかない。もしもそんな事をすれば、天下に示しがつかなくなるであろう。 大陸をすべる皇帝であるからこそ、自らが範となって、法や規則を守らなければならないのだ。 紅翔元は悩んだ。自分は年をとり、長くは生きられない。皇太孫は若すぎるし、まだまだ頼りない。今後、光帝国が末永く続いていくためにはどうすればよいのか・・・悩みぬいた末、紅翔元の出した結論は、恐るべきものであった。 「・・・こうなれば、心配の種はことごとく排除しておかなければならぬだろう・・・皇太孫から帝位を奪う可能性がある者は、一人残らず排除するのじゃ」 ここには、すでに異民族を打ち払い帝国を打ち立てた英雄の姿はなかった。ただ、権力という魔物に取り付かれた、一人の老人がいるだけであった。 やがて、有能な廷臣たちが次々と捕らえられ始めた。 牢獄に入れられるのは、本人だけではなく、家族も一緒であった。投獄の理由は・・・「謀反」 異民族と手を結び、帝国への謀反をくわだてた、というのである。 「とんでもない!私たちが謀反をおこすはずがないではありませんか!無実でございます!」 彼らは必死に主張したが、聞き入られることはなかった。 なぜなら、本当の意味での彼らの罪は、「謀反」ではなく「才能」であったから。紅翔元は、少しでも帝位に影響がある可能性がある「才能」を全て刈り取る暴挙に出たのである。 その数、5万人。 歴史上、天下をとった英雄が、その功臣たちを粛清した例はいとまがないが・・・この紅翔元はそのスケールが違った。ありとあらゆる才能が摘み取られていった。 「全ての権力を皇帝に!」 紅翔元には自信と覚悟があった。 誰もいなくても、自分ひとりの力で天下を治めてみせる。天下を治めるのに必要なのは「才能ある者」ではなく、「皇帝の意を忠実に実行できる者」なのである。廷臣たちは、自分の命令どおり、おとなしくはたらいていればよいのだ。 5万人の流した血に浸りながら、紅翔元は笑った。それは乾いた笑いであった。 おそるべき虐殺であったが、しかし一方、虐殺の対象となったのは「才能ある」者たちであり、その他大勢の、ごく一般の民衆たちにその手が伸びることはなかった。 最下層から身をおこしただけあり、紅翔元は最下層の者たちの気持ちをよく分かっていた。皇居の中では恐るべき暴君であったかもしれないが、天下の人民にとっては異民族を打ち払い、自分たちの生活のことをよく分かってくれる名君であったのだ。 紅翔元は朝から晩まで皇帝としての仕事にはげんだ。さまざまな法律や制度をつくり、こまかい問題でも自分で調べて判断をくだし、命令を出した。 皮肉なことに、宮廷内はおそるべき粛清の渦に巻き込まれておりながら、天下は確実に、平穏へと向かっていっていたのである・・・紅翔元には、その才能も能力も十分に備わっていたのだ。 ある日。 紅翔元の四番目の子供である北王が宮廷をおとずれた。北王は北の砂漠で異民族の軍と戦って大勝利をおさめ、それを報告するために都に帰ってきていたのだ。 宮廷にはいった北王は、あちこち歩き回るうちに皇太孫の書斎に入り込んでいた。必死な顔つきで難しい本を読もうとしている小さな少女に向かって、北王は気軽に声をかけた。 「ふふ。あなたも立派になったものね。ついこの前まで、オムツをあてた赤ん坊だったのにね」 そういって北王は皇太孫の背中をなでた。親愛の情を表すとき、帝国では相手の頭ではなく背中をなでるのだ。 と、その時。 「北王!無礼であろう!」 するどい声がとんだ。 驚いて北王が声のする方角を見ると、そこには紅翔元が立っていた。北王をにらみつけながら、紅翔元は激しくしかりつけた。 「背中をなでるとは、目下に対して親愛の情を表す仕草じゃ!皇太孫は王より身分が高いのじゃぞ!たとえそなたであっても、皇太孫にたいしてはひざまずいて拝礼せねばならんのじゃ!それを・・・それをなれなれしくふるまうとは何ごとぞ!つつしめ!身分をこころえよ!」 北王は青ざめながら床にひざまずいた。 紅翔元が北王に歩み寄ろうとするのを見て、まだ幼い皇太孫はあわてた。自分もすぐさま走りより、紅翔元にひざまずいた。 「北王を責めないでくださいませ。わたくしを可愛がってくれるからこそ、親しみをこめて声をかけてくださったのです。無礼だとは思いませぬ。どうぞお気をしずめてくださいませ」 すると紅翔元は、皇太孫にも厳しい目を向けた。 「北王だけではない。そなたにも自覚がかけておる。皇帝の位は、この世でもっとも尊いものじゃ。軽く見られてはならぬ。親しまれてどうするぞ。おそれられ、尊敬されなければならんのじゃ!」 「はい・・・」 「返事はよいが、本当に分かっておるのか?」 「はい。分かっております」 「そなたは賢い子じゃ。確かに頭では分かっているじゃろう・・・しかし、心の底から思い知っているとは思えん!」 紅翔元は興奮し、声と手を震わせた。 皇太孫はうなだれた。この心優しい少女は、自分が祖父を失望させたのに気づいて、これ以上なにも言えなくなってしまったのだ。 その様子を見て、紅翔元はさらに怒りをつのらせた。 「自分の言いたいこともきちんと言えないでどうするのじゃ!黙って下を向いていても、何も解決はせんのじゃぞ!全ては自分からことをなさねば始まらんのじゃ!」 怒り続ける老人と、悲しそうにうなだれる少女。 その二人を、北王は黙ってじっと見つめていた。 ・・・それが6年前のことだ。それ以来、皇太孫は北王にあってはいない。 6年間、皇太孫は紅翔元のもとで、次の皇帝としての修行を続けていた。北王のほうは軍隊を率いて北の砂漠や草原で異民族と戦い続け、何度も勝利をおさめた。北王は女性でありながら帝国最高の名将といわれ、兵士たちの人望を集めている・・・ 少女、つまり皇太孫は、はっとした。 病床の老人、紅翔元が、目を開けたまま、うめき声をあげたのだ。みるみる顔色が黒ずみ、のどの奥で奇妙な音がした。 そしてそれきり、紅翔元はまったく動かなくなった。 「崩御あそばしました」 うやうやしく太医が告げると、皇太孫の目にたまっていた涙があふれだした。廷臣たちの間からも、すすり泣きの声がもれる。 厚い夏の日、まさに太陽が沈み終わろうとする時刻に、一代の英雄が息を引き取ったのだ。 その翌日、皇太孫が即位して新しい皇帝となった。 まだ12歳の少女。 これが、帝国の文帝である。 ![]() |
||
第一章「即位」に続く |