月姫/Six hundred Sixty Six. M:ネロ・カオス 傾:シリアス
作者: Sixth   2007年10月01日(月) 22時57分58秒公開

Six hundred Sixty Six.


「君の師にはなれぬ。他を探せ少年。」

相手の顔を見ることも無く無表情に男はそう言った。

使い古された、だがしかし物という役割をきっちりと果たす机に、

男の武骨な手に握られた羽ペンが音を刻む。

「何故です!貴方ほどの数学者はもうこの国にはいないって言ったっていい!

私は貴方のこの論文を読んで感銘を受けたんだ!

こんなにも堅い意思を伝えたって言うのにどうして私が貴方に師事する事を許してくれないんです!」

とてつもない剣幕で男の広い背に少年は言う。

その表情は鬼気迫るものがあった。

もう何日もこんなことを繰り返しているのだから、口元や顎には無精髭が無数に頭を覗かせている。

これでもうこの小さな村の更に辺鄙な場所にある古びれた家。

いまも大きな椅子に身を任せて、ただ数式を並べている学者。

彼の元に師事を煽ぎ通い始めてから2週間が過ぎようとしている。

彼はこの小さい村では「ネロ」という通称で通っている。

一区切りが着いたのか、ネロは手を止めて背中を向けたままじっとしている。

その動作にも、表情にも、感情という感情は一片も感じることはできない。

「君の情熱は解った。君が優秀な学生であることも解っている。

そして君が私の論文に感銘を受けたことも、私に師事したいことも解っている。」

そこまで言ってネロは再び沈黙する。

ランプの灯りのみで照らされる空間が、

幻惑されたかのように揺れた気がした。

「…だが、君の父上は許しはしないだろう。

エーデルリッヒ地方領主殿は私を快く思ってはいない。

加えて君はその彼のたった一人の息子であり、跡継ぎなんだろう。

その事を自覚したまえ。」

そう言ったネロの身体には動きは無い。

ただ眼を机の上の紙に向けて手を止めているだけ、ただそれだけである。

白の混じった黒髪や、学者というには恵まれすぎた体を動かすでもなく。

ただ生命活動を維持しているだけだ。

「それでも…別に領主になるための事もきっちりこなして、合間を縫って貴方と共に

探求をすることはいくらでもできるはずだ!

この俺、シュバイツェリオ=エーデルリッヒ。

俺の人生において貴方に師事しないということは、

今までの自分の人生を、これまで信じた世界全てを、ただの時間の経過だけでしかないとみなす事と同義であると考えているんです!」

「……君、人生というものは所詮…」

「シュバイツです!君ではありませんネロ先生!」

「……解った...シュバイツ。

……人生なんていうものはただの時の経過でしかない。

唯々流れ落ちていく水の中で、己がしたことを己でどう評価するかだけが全てだ。

混沌としたこの世界の中で、意味のあるものは唯それだけ。

そしてそれを成す為のそれ以外は、己の目的にとってはただの糧に過ぎぬ。

それと…私は先生等という物ではない。

私はなシュバイツ、君のような教育は受けたことはないし、それを施すことも無い。今は一介の村人に過ぎぬさ」

「そっ!そうです!貴方が一介の村人だなんて地位にいるのは今だけです!

貴方は、いえ、ネロ先生は必ずこの国を、世界を代表する数学者になれることを私は信じているのです!」

シュバイツはそれまでのネロの話などお構い無しに、容姿端麗なその身体全てを用いて、うれしげな感情を表現する。

これではまるで幼い子供であるかのようだ。

「…………」

対してネロは自分の言いたい事が伝わらなかったのか。

今まで一片も動かすことの無かった表情を、一瞬ではあるが歪める。

シュバイツはそんなことには気付かなかっただろう。



―――そして今はネロ本人ですら自分が死徒と呼ばれる存在になることも、
                 死徒という言葉すらも知りはしない。彼が今もその後にも共通することは―――



                       ――――――ただ『混沌』への執着のみ――――――

■後書き


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