第01話 | |||||||||||||||||||||||||||||||
作者:
ゆーえむ
URL: http://sakura-yuu-m.hp.infoseek.co.jp/
2005年08月11日(木) 23時41分07秒公開
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「やっぱり冬木は暖かいな……まあ、ロンドンが寒いだけか」 ホームに下り、呟いたのは長身の赤毛の青年――衛宮士郎である。 小さな手荷物が一つのその姿からは信じがたいが、日本を遠く離れたイギリスはロンドンから、故郷である冬木へとたった今戻ってきたところだった。 平日、しかも日中ゆえに電車から降りる人は少ない。混雑に巻き込まれることも無く、士郎は悠々とホームを後にし、駅前へと降り立つ。 「変わってないなぁ……ま、一月ちょっとしか経ってないもんな」 正月に一度帰国しているから、そんな感想は当然だ。それでも、去年までは毎日のように見ていた景色を久しぶりに眺めているのだから、それなりの感傷は湧く。 ――帰国。 そう、士郎が今住んでいるのは日本の冬木にある衛宮邸ではない。魔術師達の学舎、ロンドンの時計塔が今の士郎の住居。 高校三年の秋、士郎は進路に迷っていた。 何処の大学に行こう、などという話ではない。士郎が目指しているのは、"正義の味方"だ。夢物語にも等しい理想であることはわかっているが、目指すと決めた。そこに迷いなどあるはずもない。 だが、そこに至る為の道筋は士郎を悩ませるものだった。 正義の味方。 言葉にするのは簡単だが、物語のヒーローではないのだ。なろうと決めたからと言ってなれるものではない。 士郎の根本にあるのは父の姿。故に父と同じく、魔術と言う手段を以って理想へ続く道を進んでいるのだが、如何せん十分な環境も、まともな師もいない状態で修行していた士郎は魔術師としては考え方も実力も三流以下である。 それを見かねて口を挟んだのが、聖杯戦争を共に生き抜いた遠坂凛だった。 凛は士郎と違い、五大元素を属性として備える若き天才である。さらに遠坂家のネームバリュー、聖杯戦争を生き抜いた実績、それらを考えれば凛が魔術協会に特待生のような形で招かれるのは当然と言っても過言ではない。 その凛が、士郎をロンドンへ誘った。 曰く、聖杯戦争を生き残ったのは士郎と協力したからだから、士郎には借りがあるとも言える。 曰く、魔術を学び続けるのなら、少しでも充実した環境で学ぶべきだ。 曰く、アンタみたいなへっぽこ放り出してロンドンなんていけない。 迷いがあったが故に、士郎はその招きに乗った。 人を救うなら、道はいくらでもある。例えば医師、例えば警官。 だが士郎が目指すのは"正義の味方"だ。父がなりたかったと呟いた、夢。 その為には、確かに独学で滅茶苦茶な修練を積むよりも、ロンドンに渡った方がいいに決まっている。実際聖杯戦争後からは凛が教えてくれていたが、自分の知らないことが山のようにあって驚いたものだ。 一応の道は定めたものの、それからが大変だった。 姉がわりの虎は吼える、妹のような後輩は拗ねてしまう、小悪魔じみた少女にいたっては士郎を連れて行くなとあかいあくまと舌戦を繰り広げた。 大変なのは人間関係に限らない。時計塔があるのはロンドン、当然日常会話から何まで全て英語だ。英語に限らず大して成績のよくない士郎の努力と言ったら、それはもうまともに受験した方がよほど楽だったことだろう。なにしろ、並行して魔術に使うことが多いドイツ語まで叩き込まれたのだから。 そうして苦労を重ねて無事ロンドンに渡ったはいいが、そこでもまたトラブル続きだった。 偏屈な魔術師達。 まだあやふやな英語での会話。 そして、ようやく見つけたバイト先に君臨する2Pカラー(ゴールド)の遠坂凛ことルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。 厄介ごとは山ほどあり、苦労は絶えなかった。 けれど、 「少しずつだけど……近づけてるよな、俺」 見違えるほど変わったわけではない。 何が出来るようになったわけでもない。 それでも、一歩一歩近づいているはずだ。僅かながらそんな実感がある。 「あ……ひょっとして、衛宮くん?」 「え?」 振り返った士郎の視界に入った、記憶より随分と小柄な――いや、小柄に見えるのは士郎の背が伸びたせいか――少女。 咄嗟に名前が浮かばなかったが、ちょこちょこと駆け寄ってくる彼女の姿を見ているうちに、すぐに思い出せた。 「三枝さん……こんにちは」 「うん、こんにちは。おひさしぶりですね」 ほにゃっと笑う少女は、三枝由紀香。士郎が去年まで通っていた穂群原学園で、三年の時に同級生だった少女だ。士郎自身との交流がさほどあったわけではないが、凛と親しかったことから士郎ともそれなりに交流がある。 向かい合ってみると、一年ほど前最後に話したときから随分と視線を下げなければ顔が見えない。 凛が、 『どんどん大きくなるわね、アンタ』 と、妙に不機嫌そうにもらしていたことをふと思い出した。 「学校、もうお休みなんですか?」 「あ、いや。仲のいい後輩が卒業だからさ。学校は休みもらって帰ってきたんだ」 「そうなんですか」 また、ふわりとした柔らかな笑顔。笑顔が苦手な士郎だが、思わずつられて僅かではあるが笑みを浮かべる。 「ええと、遠坂さんは一緒じゃないんですか?」 きょときょとと士郎の側を見回し、由紀香が疑問を口にした。 士郎と仲がよい、がイコール凛とも仲がいい、ということにはならないだろうが(事実士郎と由紀香はそれほど親しいわけではない)、士郎と親しければ凛とも親しい可能性は高いだろう。 「遠坂は、学校の用事が残ってて。2〜3日遅れで帰ってくる予定。よかったら、三枝さんのところに顔出すように言っておこうか?」 「え? そ、そんな、悪いですよぅ」 ぱたぱたと手を振り、頬を赤らめて断る由紀香だが、本心は透けて見える。 士郎は苦笑し、 「悪いことなんてないさ。遠坂だって久しぶりに友達と会いたいだろうし。どうせ卒業式の後もしばらくはこっちにいる予定なんだから」 「そうなんですか……? わたしは遠坂さんに会えたら嬉しいですけど……あれ?」 恥ずかしそうにごにょごにょと応える由紀香の彷徨っていた視線が、ふと止まった。 視線の先は、 「衛宮くん、袖のところ、どうしたんですか?」 「え?」 士郎の左手。 由紀香の視線を辿って、自分の左手に目をやった士郎の表情が、 「!?」 凍った。 表情の変化に応えるように、左手からぽたりと血の雫が落ちる。 勢いよく左手の袖を捲り上げてみれば、そこには―― 「こ、れ……」 掌を目指すかのように、服に隠された部分から伸びるミミズ腫れじみた痣。 二年前のほぼ同時期にも同じような痣が出来、その時には「ガラクタで切ったか」などと呑気な感想を抱いたものだ。 だが、今は違う。その痣の意味を知っている。 それは、見紛うことなく―― 「令呪の、兆し……!?」 「え?」 呻くような士郎の呟きを耳にし、由紀香が首を傾げる。 幸い恥ずかしがり屋の由紀香は士郎の顔を直視していなかったが、もしも由紀香が今の士郎の顔を直視していたら、きっとその浮かんだ表情に怯えてしまっただろう。それほどに、士郎は厳しい表情を浮かべていたのだ。 「ごめん、三枝さん。ちょっと用事思い出した。遠坂には必ず伝えておくから!」 言って、返事も待たずに士郎は駆け出した。 ぽかんとする由紀香は、士郎の突然の行動に首を傾げながらも帰宅の途につくのだが、それは士郎の知ることではない。 久しぶりの冬木。荷物もほとんど無いので散歩がてら帰ろうと思っていたが、そんな悠長に構えている暇は無くなった。通りがかったタクシーを捕まえ、深山町にある衛宮邸へと直行してもらう。 その間も、士郎の頭は混乱の二文字で占められていた。 忘れるはずも無い。 夜の学校に響いた剣戟。そこから始まった、あの超常の戦いの日々。 紅の魔槍を操る蒼い槍兵。 赤い外套を纏った弓兵。 長刀を振るう暗殺者。 天馬を従える騎兵。 巌の如き狂戦士。 古代の魔術師。 黄金の王。 そして、士郎の剣となった彼女。 だが、それは最早終わったことだ。間違いなく、彼女の聖剣は黒い『孔』を断ち切った。 だから、 「起こるはずないのに……なんで……!」 強く噛み締めすぎて、奥歯が砕けそうだった。 衛宮邸の前に到着し、士郎は釣銭不要と数枚の札を運転手に渡して、転がるようにタクシーから飛び出す。 本来ならばある程度の感慨はあっただろう。町並み同様、いかに見慣れた場所とは言え一月近くぶりに帰ってくる我が家だ。 しかし、今の士郎にそんな感慨に浸っている余裕は無かった。 とにかく、まずは凛に知らせるべきだろう。彼女は優秀な魔術師であり、冬木の管理者でもある。だからこそ、士郎は急いで家まで戻ってきたのだ。 幸いにも大河が使っているのか、イギリスの国番号を書いたメモが電話の脇に置いてあった。無闇に世話をかけさせる姉モドキに、この時ばかりは感謝し、士郎は急ぎロンドンへとダイヤルする。 かなり長い呼び出しの後、 『Hello……?』 相当機嫌の悪そうな凛の声。 それも当然。時差がある為、こちらは昼過ぎでもロンドンは早朝……下手をすれば深夜と呼べる時間だ。 「遠坂、俺だ」 『え、士郎……? ……あのねぇ、アンタこっちが何時だと思ってるのよ。わざわざ帰国報告なんて』 「聖杯戦争が」 電話越しにこちらを呪わんばかり、恨みがましい凛の言葉を、士郎の硬い声が遮る。 『え?』 「……聖杯戦争が、起こる」 『……はあ?』 凛からの返事は、思ったよりも鈍いものだった。時差のせいで会話のテンポが悪い上に、寝起きと言うのが悪いのだろう。加えて、聖杯戦争が再び起こるなど、夢にも思っていなかったに違いない。士郎とて、こうして令呪の兆しが浮かばなければとても信じられないことだ。 だがそれでも聖杯戦争と言う単語は、見過ごすことの出来ないものだったらしい。寝起きにしては珍しく、すぐに凛の声から突然起こされた棘々しさが抜け、代わりに状況を確かめる硬質さが宿る。 『ちょっと士郎、それどういうこと?』 「そんなの、俺にだってわからない。ただ、手に浮かんだんだ……令呪の兆しが」 『それ、本当に令呪の兆しなの? 単に手を切っただけ、なんて言わないでしょうね』 「違う。……今ならわかる。この傷が、大気に満ちるマナに微弱だけど呼応してるのが。……間違いない。数日待たずして、令呪に成る」 『…………』 電話の向こう。遥か海と大地を隔てた先で、凛が顔をしかめているのが簡単に察せられた。 二度は関わらないと思っていた異常事態だ。凛としてもどう行動すべきか咄嗟には判断できないのは当たり前である。 『……街の様子はどうなの? 行方不明者とか、異常死者、いつもと変わったところは?』 「いや、俺も今戻ってきたばっかりで……」 『じゃあ、まずはそれを確認しなさい。なにか異常があれば連絡するよう、綺礼の後任の神父に伝えてあるの。その連絡がないってことは、聖杯戦争の兆しが生まれたのはつい何時間前かくらいよ。だから多分、まだ街には異常は無いと思うけど……』 「……そうか。じゃあ、まだ他のマスターは一人もいないんだな」 『…………』 「遠坂?」 しばしの沈黙。時差のせいかとも思ったが、そうではないようだ。 焦れた士郎が再度口を開きかけた途端、 『……そうね。わたしも言いつけを済ませたらすぐに帰るわ。だから、わたし達よりも早く冬木に辿りつくマスターはいないはずよ』 「……そうか」 凛が告げた予想に、士郎は大きく息を吐いた。 前回の聖杯戦争では、死にはしないまでも少なからず犠牲者が出ている。 魔術の修行こそしていたものの、ほとんど魔道に関わっていなかった以前とは違う。今回は少しでも犠牲者を減らすことが出来るだろう。さしあたっては夜の見回りを、そう考えた士郎の思考を、 『士郎』 硬質な――否、冷たい凛の言葉が遮った。 「どうした、遠坂」 『アンタまさか……いいえ、アンタにかぎってまさかなんてつける必要は無いわね。いい、士郎。わたしが帰るまで夜は家から出るんじゃないわよ』 「な……ど、どうしてだよ、遠坂。急な買い物とかあったら困るだろ? なんでまた夜に」 『士郎』 軽い口調で誤魔化そうとしても無駄なことだった。 『アンタの気持ちはわからないでもない。でもね、ことは聖杯戦争なの。確かにアンタは前回の聖杯戦争でセイバーと一緒だったとは言え、バーサーカーを倒した。ギルガメッシュも退けた。使わせたくないけど投影って切り札もある……でもね、それでも士郎は人間なのよ。"鞘"を還し、あのセイバーが側にいないアンタには、以前の不死性はない。大怪我したら終わりよ』 「でも遠坂。遠坂より早く冬木に来るマスターはいないんだろ? だったら、夜回りもそんなに危険はないんじゃないか?」 『だったら、なんで夜回りするのよ』 「いや、それは一応の用心と言うか……万が一近場にいて、聖杯戦争の始まりを知った魔術師が入ってきたら大変だろ」 『そうね。それで、衛宮くんはマスターとサーヴァントを一人で相手にして血祭りにあげられる、と』 「っ。そういう言い方はないだろ」 『どういう言い方をしても同じよ。いいわね、士郎。急いで帰るから先走るんじゃないわよ!』 これ以上の議論は不要とばかり、無情にもがちゃりと受話器の置かれる音。 「…………」 確かに、凛の言うことも一理ある。 綺礼の代わりにやってきた神父は信頼できる人物だし、その彼が報告をしていないということは、事実聖杯戦争の兆しが見えてから一日も経っていないのだろう。それだけの間に聖杯戦争の始まりを察知し、しかも街の人々を害せる魔術師はいないと言っても過言ではない。 だが、 「…………」 ふと、士郎の脳裏に先ほど会った由紀香の笑顔がよぎった。 万が一、万が一にでも近辺に魔術師がいて、聖杯戦争の兆しを覚られたら。 ――あの笑顔が、踏み躙られる。 「……ごめん、遠坂。俺は、止まってなんていられない……!」 呟き、受話器を置いた。 一度目を閉じ、開いた時には既に迷いはない。 とは言え、夜まではまだまだ時間がある。ひとまず長時間のフライトで鈍った身体の感覚を整えて、 「っと、現状確認しろって言ってたな……」 現状確認と言っても、昼過ぎのこの時間ではゴシップ色の強いワイドショーしか放送していないだろうから、テレビは無意味だ。ワイドショーで取り上げられるほどの大事件が起こっているのなら、売店で見かけた一面にも躍っているはず。 そうなると、軽く身体を動かしてから買い物に行くのがよいだろう。長期不在の為流石に新聞は止めてある。 まずは荷物を自室に運んで置こうと、玄関へ足を向けた士郎だが、目の前で玄関の鍵ががちゃりと音を立てた。 「……空き巣?」 藤村組が管理している為犯罪の少ない深山町だが、それでもまったく起こらないわけではない。 自分が帰ってきた時にちょうどやって来るなんて運のない空き巣だ、と思いながら士郎は即座に飛び掛れるように身構えるが、 「……あ、あれ?」 玄関を通して聞こえる戸惑いの声に、すぐに構えを解いた。 「……桜?」 「え? せ、先輩!?」 がらりと、勢いよく玄関が開かれる。 いつの間にか外は暗くなっていた。曇り空の下、驚きの表情で士郎を見るのは、間桐桜。士郎が出席する卒業式に出る当人だ。 「どうして……」 「どうしてって……もうすぐ桜卒業だろ? 帰ってくるって伝えてなかったっけ」 「あ、いえ、それは聞いてますけど……」 「それより桜、うちの掃除してくれてたんだろ? 藤ねえが自分がやったみたいに自慢げに言ってた。……ありがとな」 「そ、そんなお礼を言われるほどのことじゃないです」 「いや、この無闇に広い家を掃除するの大変だろ。桜のことだから、俺が普段掃除しないような離れとかも掃除してたんじゃないか?」 士郎の言葉に、桜は頬を赤らめてうつむいてしまう。どうやら図星だったらしい。 「ほんとに、ありがとな」 「……はい」 照れながら、だが微笑む桜に、士郎も不器用な笑顔を返す。 「今日も掃除に来てくれたのか?」 「えっと……そういうわけじゃなくて、ええと……」 「?」 「あ、その、ほら、私ずっと先輩の家でご飯食べてたじゃないですか。だから……その、兄さんもいませんし、ここに来れば藤村先生とか、イリヤちゃんとか来ることが多いから……」 「……そっか。じゃ、久しぶりに一緒に作るか。また腕を上げたんだろ、桜」 沈んだ声を出す桜の、俯いた顔を士郎は窺ったりしない。兄を亡くしたショックは大分緩和されたようだが、それでも完全に消えたわけではないのだろうと察する。 だから、士郎は気づかない――俯いた桜の表情に。 「……そろそろか」 あと一時間ほどで一日が終わろうとしている。 呟き、電気を消して士郎は居間をあとにした。星明りの下を抜け、土蔵の扉を開く。 ここもやはり桜が掃除してくれていたのか、空気が淀んだような様子も無い。魔術鍛錬の後に眠ってしまったこともある、士郎が自室以上に慣れ親しんだ以前と同じままだ。 床にはうっすらと魔法陣らしきものが見える。それなりの手順を踏めば、あるいはここでサーヴァントを召喚することも可能なのかもしれない。事実、彼女を呼んだのはここだった。 「と言っても、あの時は必死だったしな……遠坂ならともかく、俺にはサーヴァントを召喚する術なんて組み立てられないし」 凛としても出来ることならば伝えたかったのだろうが、過去の大英雄を召喚する術式だ。電話などで伝えられるものではない。 出来ないことをいつまでも考えていても無意味だと割り切り、士郎は無造作に壁に立てかけてあった木刀を手に取る。サーヴァント相手では心もとないことこの上ないが、これもまた仕方のないこと。一応投影で彼女の聖剣を複製することも可能だが、ロンドンでの修練を経ても未だ三十秒近い集中が必要の上、投影は凛から固く禁じられている。 それに比べ、強化に関しては随分と安定し、今では100%成功すると言っても過言ではない。 「まあ、遠坂の言うとおりマスターは来てないんだろうけど……」 士郎とて、凛の言うことが理に適っているということは理解していた。おそらく、聖杯戦争の兆しが出てから一日も経つまい。その間にマスターとなる魔術師が揃い、サーヴァントが呼ばれているのなら、前回の聖杯戦争で士郎が参加する余地はなかったはず。 だが、万が一、いやそれ以下の確率であっても犠牲者が出る可能性があるのだから、黙っていることなどできるはずもない。 「……って、ちょっと待て」 マスターはいない。 そう考えた士郎の思考に無意識の領域から制止がかかる。 何かを忘れている。 それは、 「……イリヤ」 そう。美しい銀髪を持つ、妖精めいた少女のことだった。 夕食中予想通り訪ねたきた大河が、 『イリヤちゃんね、今朝いきなり用事があるーって言っておうちに戻っちゃったのよぅ』 などとぼやいていたのを思い出す。 大河のいつも通りの態度についつい流してしまったが、この状況で考えられる用事なんて決まっている。 「イリヤ……サーヴァントを呼ぶつもりなのか?」 二年前の聖杯戦争で、強大な敵として士郎達の前にイリヤは立ち塞がった。結局イリヤのサーヴァントは士郎とセイバーによって打倒され、その後にあれやこれやあってすっかり家族同然の関係なのだが。 「…………」 確かにイリヤはマスターとしては規格外だ。あの凛が桁違いだと認めるほどなのだから。 だが、勿論士郎はイリヤには戦ってなど欲しくなかった。イリヤのような子供が戦うなんて、そんなことは間違っている。 「くそ、なにを惚けてるんだ、俺……」 流石に時差ぼけで思考が無意識の内に鈍っているのだろう。 とは言え士郎にとってそんなことが免罪符になるはずもなく、拳で強く自分の額を打ちつける。 「これからは……流石に無謀か。明日一番にでもイリヤには会わないとな……」 イリヤの家、と言えばここ冬木では郊外の森にある古城に他ならない。行ったことがないわけではないが、いずれも昼にイリヤの案内があってのこと。この時間に一人で辿り着く自信はなかった。 木刀を竹刀袋に入れて土蔵をあとに、重厚な門をくぐって公道へ。 昇りかけの月に雲がかかっている。 二年前も同じように、夜回りに出たことを思い出し、士郎はふっと表情をゆるめた。あの時は傍らに彼女が居た。 「っと、気をゆるめてる場合じゃないぞ」 軽く頭を振り、感傷を追い出す。 あらためて木刀が入った竹刀袋を掴み、 「まずは……やっぱり、人の多い新都かな」 人を襲うようなマスターが何を考えているのかは想像したくもないが、サーヴァントの糧となるのは人の魂や精神である。それらを生贄に捧げようと企むのなら、やはり人の多いところに何か仕掛けるに違いない。 前回ライダーの例もある、士郎が通っていた穂群原学園も調べておきたいところだが、如何せん新都とは逆方向だ。あまり遅くまで行動し続けて疲弊しては元も子もない。 大通りでことを起こす馬鹿もいないだろう、なるべく人通りの少ない道を選ぶ。そもそもこの夜中に竹刀袋を担いでうろうろしているのだから、下手をすると士郎の方が不審者扱いされて補導されかねない。 住宅街を抜けて、かつて黄金王と死闘を繰り広げた海浜公園を通り、冬木大橋を渡る。 目立った異常はない。だが空気そのものが、肌を刺すようにちりついていた。 大橋を渡れば、新都である。繁華街を避け、昼間大勢の人が働いているオフィス街へと足を運ぶ。かつての聖杯戦争では、新都で昏睡事件が幾度も起こっていた。高層ビルは夜こそほぼ無人であるが、昼ともなれば面積あたりの人口比は冬木で最大になるだろう。効率よく一般人から精気を略奪しようと考えるのなら、絶好の場所である。 とは言え、今はまだ何かが仕掛けられているということもないようだった。詳しい術の判別など士郎にはつかないが、何か異常がある、と言った違和感に関しては妙に鼻が利く。 一通りオフィス街を巡回し、 「まだ異常はないか……まあ、一安心ってとこかな」 呟く。 勿論油断は禁物だが、こうして地道に異常をチェックしていれば凛が帰国した時にすぐに動くことが出来る。それより前にサーヴァントに襲われてはひとたまりも無いが、それはイリヤと合流することでなんとかなるだろう。今のイリヤなら士郎に協力してくれるに違いないのだから。 一応帰り道も巡回を兼ねて、行きとは別ルートで帰る。 異常が生じたのは、衛宮邸の門をくぐる寸前だった。 「……?」 何か、聞きなれない音が耳に届く。 鋼が擦れ合う音。 「……なん、だ?」 状況は不明だが、なにか剣呑な予感がする。後手に回っては遅いのだ。 竹刀袋から木刀を抜き、 「――同調開始(トレース・オン)」 木刀の構造を思い浮かべ、僅かな隙間に魔力を流し込む。 一瞬後には、木刀は鉄をも越える硬度を得ていた。 それを構え、油断無く周囲を見回した士郎は、 「……っ。嘘、だろ」 絶句した。 衛宮邸に続く坂の下から、がしゃりがしゃり、ぎしりぎしりと軋んだ音を響かせて、 「き、騎士……!?」 士郎が口にしたとおり、現れたのは汚れた鎧を纏った人影だった。 風が雲を運び、月明かりが騎士達を照らし、士郎は更なる驚愕に見舞われた。 「中身が……ない……!?」 月光が照らした騎士の眉庇(まびさし)の奥には、本来あるはずの顔が存在しない。ぼうとした闇がわだかたまっているだけだ。 ふらふらとまるで彷徨うように歩く鎧達が、足を速める。手には錆びつき、ぼろぼろになった剣と盾。それが自分に向けられていることに気づかないほど、士郎は愚鈍ではない。 「っ!」 振り下ろされる剣をかわし、衛宮邸の敷地内に転がり込む。 「こいつら……!」 あまりにも突然の登場に唖然としてしまったが、まったく想像もつかない相手というわけではない。おそらくはゴーレムの一種だろうとあたりをつける。この手の魔像は操っている術式を解呪してしまうのが手っ取り早いが、そんな器用な術を士郎が使えるはずもない。 「ぶっ壊すしかないってことか」 木刀を構えなおす。 ぞろぞろと敷地内に侵入してくる鎧達。その数十五。 先程の動きを見た限りではさほど強力な相手ではない。前回の聖杯戦争でキャスターが骨の兵士を操ったことがあるが、太刀筋はアレの方が鋭かったほどだ。 だが、見た目どおり鉄の強度を備えているのであれば壊すのは容易でないだろう。 「……!」 言い知れぬ悪寒が士郎の背筋を走り抜けた。その感覚に突き動かされ、士郎は咄嗟に大きく飛び退いた。 瞬間、士郎が居た空間を猛烈な吹雪が襲う。 「な……!」 慌てて空を見上げれば、月明かりを隠す怪しい影。 「なんだよ、こいつ……?」 ソレは、比喩ではなかった。 文字通りの怪しい影。本来立体として存在するはずが無い影が、空中に浮かんでいるのだ。 「クク……我らが主の命令だ。貴様にはここで倒れてもらうぞ……!」 影の口から甲高い声が漏れる。 自分を害する意思がはっきりしたことよりも、既にサーヴァントが召喚されていたであろうことに士郎は衝撃を受ける。 「主……くそ、じゃあ、既にサーヴァントは呼ばれちまってるってことかよ!」 ふわふわと浮かぶ影ばかりに気を取られるわけにはいかない。地上には動く鎧達が蠢いている。 「やるしか……ないっ!」 叫び、士郎は木刀を振り上げた。 影はひとまず無視し、確実に打撃を与えられるであろう鎧へ向かう。 「ぐ――っ」 走る士郎を、上空の影が吐き出す吹雪が襲った。 冷気は体力を奪い、動きを鈍らせるが、士郎の猛烈な勢いを完全に殺しきるほど苛烈なものでもない。 「はあっ!」 一閃。 強化された木刀は、劣化した鎧を易々と砕いた。 やったと思うのは一瞬、鎧の手が伸び、士郎を拘束しようとする。 「く……こ、このっ!」 身を捻ってかわすが、その先にも鎧の無骨な手甲が待っている。それだけではなく、上空の影は鎧を巻き込みながら士郎へ冷気を吹きかけ続けている。 「あぐっ……ぅ、こ、いつら……」 単調ながら数が多い鎧達と、手の届かぬ空中にいる影。 奮闘するも、戦闘していると言うよりは、むしろ抵抗していると言ったほうが相応しい状況だった。 (このままじゃ……嬲り殺しにされる……っ。こうなったら、投影しか……ない!) 彼女の剣ならば、この程度の鎧は紙の如く切り裂く。上空の影とて、あの輝きの前には消え去る他ないだろう。 だが、問題は投影にかかる時間だ。 イメージトレーニングの結果、大分像を掴むのが早くなったとは言え、士郎の投影は基本的に八節を踏む為時間がかかる。 最低でも三十秒。それだけの時間をどう稼ぐか。 「うおおおおっ!」 咆哮。 押さえつけようと殺到する鎧達を押しのけ、士郎は走る。 目指すは土蔵。あの狭い空間なら、影はともかく鎧達が入ってくるにはそれなりの時間がかかるはず。 「ぐ……」 背中に灼熱感がはしる。切られた、と思った瞬間には身体がバランスを崩していた。 だが、かろうじて間に合った。土蔵に転がりこみ、 「投影……開始(トレース・オン)」 集中する。 剣を、剣を作るのだ。 この手に力を。 創造の理念を鑑定し、 基本となる骨子を想定し、 構成された材質を複製し、 制作に及ぶ技術を模倣し、 成長に至る経験に共感し、 蓄積された年月を再現し、 あらゆる工程を凌駕し尽くし、 ここに、幻想を結び剣と成す。 士郎の右手の中に、光が溢れた。それは瞬時に爆裂し、確かな形を作る。 剣。 それは、彼女の為に用意された剣。 士郎の足元に横たわる、彼女を召喚した魔法陣。そして、彼女の為に用意された剣。 ――――故に、 ここに必要なものは揃い、術式が走り始める。 刹那を待たずして光が弾けた。 「な……!?」 眩い光が乱舞する中、士郎は見る。 勝利すべき黄金の剣(カリバーン)の柄を掴む、小さな手。 剣閃が疾り、土蔵に雪崩れ込まんとする鎧達が、怪しい影が寸断される様を。 「ま、さか……」 胸が高鳴る。 彼女のことは、既に尊い思い出になっている。未練なんて無い、その言葉に偽りはない。 けれど、逢いたいと想わないはずがないではないか――! 「セイ、バー……?」 恐る恐るその名を呟く。 小柄な人影は振り向き、 「君が……おれのマスター?」 少年らしい爽やかな声。 かすかな失望と、新たな驚き。 闇に慣れた士郎の瞳に映った目の前の人物。 それは、頬に小さな十字傷のある黒いクセッ毛の小柄な少年だった。 「お前、は……」 ――勇者、 「おれはダイ。君の想いに、呼ばれた」 降臨―― 【修正履歴】 08/07 時系列の記述ミスを修正 |
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