第05話(前半) | |||||||||||||||||||||||||||||||
作者:
辰田
URL: http://ginka.jpn.org/
2005年11月13日(日) 21時38分14秒公開
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士郎たちはタクシーを使い、アインツベルンの森の中に来ていた。タクシーの中では、ダイがしきりに車という物を珍しがってあちこち触っていた。もっとも、ダイは霊体になっていたので運転手はまったく気にしてなかったが。 そうして、辿り着いたのは遭難者が出ているという噂もある深い森。ここで止まると言ったとき、運転手は危ないから止めておけと士郎達を気遣った。その心遣いは嬉しかったが、だからといって頷くわけにはいかない。士郎は大学の研修で、ちょっと少しだけ植物の採集をするだけだからと言って安心させた。実際に、ここで植物が取れるのかは知らないが。 「ここ?」 「そうだ。多分、ここにいると思う」 「へえ……気味が悪いな」 これから随分と歩くので、士郎は疲れを少しでも軽減させるためにダイを霊体化させている。だから、表情は確認できないが、大自然に囲まれたというデルムリン島で生まれ育ったダイにしても、この森は異様に映ったのだろう。表情は確認できないが、彼の困惑している様がラインを通して伝わってくる。 「そうだな。結界が張られているから、ちょっと普通の森と雰囲気が違うだろうけど」 「結界? これが?」 「ああ。俺もそんな詳しくはないけど、イリヤによれば索敵と防御の両方を兼ねてるんだとか。俺に対しては反応しないけど、通る場所によっては攻撃食らう事もあるらしいから気をつけないと」 「ふーん」 ダイは物珍しそうに辺りを見回したようだ。植生だけ見れば、ここは特に異様な場所はない。だが、アインツベルンの本拠地である城を守るために張られた強力な結界は、人を拒む。それが、異様な雰囲気を辺りに醸し出している。 「で、ここにイリヤって子がいるんだね」 「断言は出来ないけど、多分」 士郎はそう答えながらも、思わず駆け出しそうな足を何とか制御する。行ったことこそあるけど、随分と前のこと。しかも、イギリスに行っている間に多少木の位置も変わっているのか、見覚えのない景色が連続して現れる。注意深くゆっくりと歩きながら、当時のことを思い出しながら、必死で視覚を強化して道が間違っていないか確認する。、確実に城に向かって進まなければならないのだ。もし、道にでも迷ったら洒落にもならない。 もう戦争は始まっているが、だからといって焦っても意味がない。 「――」 おそらく、イリヤはサーヴァントを呼ぼうとしているのだろう。 遠坂は言っていた。ホムンクルスは人に比べて短命な存在であると。特にイリヤは前回においてあらゆる英雄を取り込まされた。その負荷は通常の肉体を持っていても耐えられる物ではない。 藤ねえから、イリヤがいなくなったと連絡が会ってから既に半日。サーヴァントを召喚していても不思議ではない時間が経過している。 多分、イリヤがサーヴァントを召喚するのは彼女にとって最も魔力が高まる時間帯になるだろう。それまでに、何としても間に合わなければ。そして、止めさせないと。 そうしなければ、多分イリヤの寿命は一気に縮むだろう。何より――彼女を再び戦いに巻き込むなど士郎に耐えられるはずもない。 「――」 だから、急がなければという心の声から耳をふさぐ。早く辿り着かなければならないのは当然だが、道に迷えば遭難しかねないのだ。そうなれば、最優先事項である、イリヤを止めるということは出来ない。 気を意識的に落ち着ける。焦っても何もならないと自分に言い聞かせる。それくらいの事は出来るはずだ。時計塔で何を学んできた。 「よし、それじゃ行こうか」 そのまま、士郎達は森の中へと一歩足を踏み出した。 * 幸いにも、士郎達は道にも迷わずに城へと辿り着く事が出来た。正直、かなり不安はあったのでほっとした。 「へえ……思ったより大きな城だ」 城を見上げているらしいダイは、多少驚いたらしい。 「ダイ、驚くのも良いけど、そろそろ実体化させるぞ。準備は良いか?」 「え? あ、うん。判った」 士郎はダイの霊体化を解除した。途端に、士郎の真横の空間が一瞬だけ歪み、それが収まったときにはダイが立っていた。 前回の聖杯戦争で召喚したセイバーは霊体化が出来なかったが、もし可能であったならかなり有利に事は運べたのではないだろうか。士郎はそんな事をふと思ったが、言っても詮無いことだ。 もう一度、城を見上げる。随分と久しぶりに見る城は、やはり圧倒的な存在感を持って客に対して立ちはだかっている。これは、あらゆる物を排除しようとする魔術師の住処だ。まるで、城自体が独自の意志さえ持っている錯覚に駆られる。 しかし、気後れしている場合ではない。士郎はさっさと気持ちを切り替える。 「さて、この中にイリヤがいると思う。速く行こう」 「あ、うん。そうだね」 士郎は扉に近づき、とにかく重い扉を強化した筋力でもって一気に開け放った。 扉が開いた先は、城の外観に見劣りしない豪華な広間だった。この広間だけで、普通の家ならすっぽり一軒入ってしまうだろう。しかも、その調度品たるや凄まじい。以前、アーチャーとバーサーカーが戦った際、あらかた破壊されたはずだが、その全てが修復されている。 まあ、士郎が聞いたところによると修復したのは殆ど凛であり、その返礼として結構な宝石をこの城の宝物庫からふんだくったらしいが。 だが、今はそんな事など関係ない。イリヤの事が最優先だ。ここにいないとなると、もう他の場所に心当たりは無い。 「イリヤ、いると良いけどな」 半ば祈る気持ちで士郎は呟く。 「どこにいるんだろ? シャシンってのに描いてあった白い髪の毛の人なんだよね」 「ああ。あと、目が赤くて小柄で……」 念のため、士郎はダイにイリヤの写真を持たせていた。あの特徴的なイリヤをまさか他人と見間違えるとは思えないが、念のためだ。どうやら、ダイは写真を絵画か何かと勘違いしているようなので、士郎は一段落したら写真の構造を簡単に説明してやろうかとも思った。 一通り、もう一度イリヤの事を簡単に説明した後、士郎は大声で場内に向かって呼びかけた。 「イリヤ! イリヤ、いないか!?」 これで、出てきてくれたらいいのだが……しかし、士郎の祈りも空しく、誰かが来る気配もない。 ……これは予想外だ。イリヤは兎も角、あの白いメイド服を着込んだ二人は出てきてくれると思っていたんだけど。 「……誰も来ないな」 「みたいだね。もしかして、ここにいないってことは?」 「いや、それは無いと思う」 士郎が推測したところ、イリヤの目的はサーヴァントの召喚以外にない。そして、失敗の許されないその儀式を行うのは、アインツベルンの領土とも言えるこの城こそが最適だ。だから、彼女が現在いる場所はここ以外には考えられない。 それに、逆にメイド達さえ来ないというのが、事態の異常さを物語っている。あの二人が、この城を空けるとも思えない。 「とにかく、探そう。俺は右の方の部屋を探してみるから、ダイは向こうに行ってくれ」 「判った」 士郎達は、取りあえず二手に分かれる事にした。本当なら一緒に行動した方が良いのかもしれないが、それだと時間がかかってしまう。時間短縮のためにも、二手に分かれた方が良い。もし危ない目に遭いそうになったら、令呪を使えばいい。イリヤが危険かもしれないのに、令呪の温存なんて考えられなかった。 士郎は右手に。ダイは左手に行くことにした。 * 「くそ、どこだ?」 士郎は豪奢な廊下をひた走る。とにかく柔らかな絨毯は、思いっきり床を蹴りつけているはずの音さえも吸収してくれるが、今はその頼りない感触も苛つく原因となっている。 ――見つからない。 探し始めても、白い少女は見つからない。部屋という部屋を素早く確認してみたが、そのどこにも人の気配はない。呼びかけても、彼女は勿論、彼女の従者達も姿を見せようとはしない。 「ち……意味もなくデカいんだから」 士郎は思わず毒づく。 一つ一つの部屋さえもかなりの広さを持つため、手際よく探してもそれなりに時間を食う。見渡して何もなければ取りあえず次の部屋を探すという方法を採っているが、それでも時間がかかりすぎる。 ダイと別れて結構経ったような気がするが、それでもまだ半分も見回れていないだろう。気ばかりが焦る。だが、一向に見つからないのだからこうして探し回るほか無い。 彼女をあのような戦いに巻き込むわけにはいかない。 黒い太陽。そこに貼り付けにされた聖女のような彼女。それを思い出す度に頭痛がする。 「くそ、ここも違うか……ああ、もう。部屋数多すぎるぞ、この城! アインツベルンは何を考えてるんだ?」 士郎は何度目かの悪態を付く。そうでもしないとやっていられないとばかりに。それにしても、ここまで気配もないと、本当にイリヤはここにいないんじゃないかという気さえしてくる。確かに、ここ以外の場所にいる可能性もなくはない。しかし、もしそうだとするなら、その場所を推測する手がかりは全くない。 携帯でも持たせておけば良かったと士郎は思った。この辺りは恐らく電波は入らないだろう。だが逆に、もし、かけてみて繋がらなかったらこの森のどこかにいる可能性は高まるという事にもなる。確証になるわけではないが、多少なりとも士郎達は安心できただろう。 「……とにかく、探し回るしかないか」 しかし、今は無い物ねだりをしても始まらない。実際、今の状態だとそれくらいしかない。まだ探していない部屋は幾らでもある。見つからなかった場合の事なんて、それらを虱潰しに探した後でも遅くはない。 そうと決めれば話は早い。とっとと空っぽの部屋からは退出しようと思い、士郎は踵を返す。その先に―― 「何だ、お前は?」 さっき、士郎自身が入ってきた部屋の入り口――に、一人の男が立っていた。 「――え?」 士郎は思わず目を見開いた。 全く予想外の展開ではない。俺たちだって襲われたのだし、ひょっとしたらこの城にも侵入者がいるかもしれないとは思っていた。 だが、まさかこんな暢気とも言えるくらい拍子抜けした声で話しかけられることを想定してはいなかった。だいたい、気配にさえ気付かなかった。そのせいで、一瞬だけ反応が遅れてしまう。それも、おそらく目の前の男は―― 「――サーヴァント!?」 古い絵画に出てくるような時代がかった服装。そして、その体から感じ取れる膨大な魔力が目の前の長身の男をサーヴァントだと示していた。 「――くっ!?」 士郎は一気に意識を戦闘状態に切り替え、回路にスイッチを入れ、そしてそのまま床を蹴って後方に逃れる。部屋の中、つまりは袋小路に追いつめられるも同然だが、少しでも距離を置かないと、自分の脳が認識する前に首を刎ねられかねない。 飛び退りながらも、士郎は一瞬だけ自分の視界に入った光景から考察する。男は剣を佩いている。鞘に収まっているが、見るからに斬れ味の良さそうな名剣だと判断できた。この危機的な状況も忘れて、見惚れそうになるくらいだ。倫敦でも、幾つか名剣と呼ばれる代物を見る機会に恵まれたが、これほどの物が果たしてあっただろうか。鞘に隠れて姿を見せない刀身は、多分とても綺麗で――こちらの首くらい難なく刎ねてくれるだろう。 それが判るからこそ、絶望的な状況。士郎は、その剣の間合いの内にいる。この剣が抜かれた瞬間、士郎は問答無用で殺されるだろう。得意の投影魔術を使っても、それだけでは心許ないことは彼自身が一番よく知っている。つまり、士郎は今のままでは勝ち目は一切無いということだ。 しかし、士郎はそんな事など関係ないと己に言い聞かせた。イリヤを捜さないといけないのに、ここで立ち止まっているわけにはいかない。 一つだけ方法があった。令呪。手に宿った、ダイに対する絶対命令権。士郎は瞬時にそれを発動させようと意識を掌に集中する。 ――ダイ! 躊躇いなど一切無い。ただただ姉ぶった少女の身のみを案じて―― 「あ、シロウ!」 「……へ?」 ひょっこりと男の後ろから現れた白い影によって、その集中はあっさり霧散させられた。 * 「お帰りなさい!」 そう言った直後、イリヤはいきなり士郎に抱きついた。元来、イリヤはスキンシップを好む少女だ。嫌いな人間には指一本触れさせないが、心を許しているのなら逆に自分から抱きつく。 むしゃぶりつく、というのはこういうのを言うのだろうか。首に巻き付けられた細い腕に息苦しくなりながらも、士郎はイリヤを受け止めた腕を緩めなかった。 「……うん、ただいま」 ぽん、と士郎は少女の頭に手を置いてやる。そこから伝わってくるのは、若干ヒンヤリした少女の体温。それを感じるのはどれくらいぶりだろうか。そのまま、まるで銀細工のように綺麗な髪の毛を梳く。その動きに、イリヤはくすぐったそうに顔を歪める。 「ちょ、シロウ。くすぐったい」 「あ、悪い」 そのまま手を離すと、イリヤも同時にシロウの首に回していた腕を解いた。そのまま、軽やかに絨毯に降り立つ。 「さて……」 士郎はイリヤに向き直り、真剣な表情を浮かべた。問いつめることは山ほどある。 何故、突然にいなくなったのか。連絡手段を持たなかったのは何故か。帰ってこなかったのは何故か。そして――サーヴァントと思しきこの男は何者なのか。 その顔を見て、イリヤも表情を変えた。少女のそれから、聖杯を得るためだけに調整された機械の顔に。 「士郎の言いたいことは判ってるわ。何から話せばいいかしらね……」 そう言いながらも、話すことは決めているようだ。その口調に、一切の淀みはなかった。 「まずは紹介するわ。私のサーヴァントよ」 イリヤは優雅に腕を振る。イリヤが指し示した方向に、先程の男が立っている。 男は特に士郎達に関心はないようだ。この部屋のものだろう椅子に腰掛け、目を瞑っている。イリヤが平然としていると言うことは、特に危害を加えられる恐れはないと言うことだろうか。 士郎は、警戒は解かないままその男に話しかけた。 「つまり、貴方がイリヤのサーヴァントって事……でいいんだろうか?」 「まあ、そうだな」 存外にあっさりと応えられ、士郎は拍子抜けした。 声を聞いたためだろう。これまで、どことなく浮世離れた雰囲気だったのが、急速に現実感を帯びてきたように感じた。厭世的とでも言おうか。士郎から見たイリヤのサーヴァントの印象はそんなモノだった。しかし、今は彼の印象など、はっきりいってどうでも良い事項だった。 取りあえず、敵意はないらしい。マスターであるイリヤが全く警戒していないからだろうか。いや、敵意と言うよりも単にこちらに興味がないだけにも見える。 再度、イリヤに向き直る。正直な話、士郎はイリヤに今回の聖杯戦争に関わって欲しくはない。 「……イリ」 「言いたいことは判るけど。でも、止めても無駄だから。今回、彼とは共闘関係になるけど良いわね」 何とか聖杯戦争を降りるよう説得しようとする士郎に対し、イリヤは先手を打って不服従の意志を突きつけた。さらに、ロン・ベルクに共闘関係を構築する確認を取る。実質命令口調だったが。その言葉に、彼は特に表情を変えず頷いた。 矢継ぎ早に外堀を埋めようとするイリヤに思わずたじろぎながらも、士郎は言い募る。 「いや、だからだな……」 しかし、イリヤも黙ってはいない。 「だいたい、士郎が戦うのに、何だって私が引き籠もってなきゃならないのよ。戦力的に見ても、私の方が魔力は上でしょう」 「……ぐっ!」 士郎は痛いところをつかれた。確かに、倫敦での生活の中でも、士郎の魔力は大きく成長はしなかった。反面、イリヤの魔力も成長はしていないが、減ってもいない。遠坂凛をして桁違いと言わしめた魔力量は健在だ。 「だいたい、もう召喚しちゃったわ。私はマスターに選ばれたの。士郎も知っているでしょう。マスターは聖杯戦争が終わるまでマスターなの。例えサーヴァントを失っても、他のサーヴァントと契約することで再度マスターとなりうる。だから、マスターはマスターであったモノは絶対に逃がしはしない。例えサーヴァントを連れていなくても、聖杯に到達する確率を高めるために、確実に殺そうとするわ」 イリヤは淡々と語る。ただ、真実だけを。 その言葉に、士郎は聞き覚えがあった。確か以前にも誰かに聞かされた台詞だ。あれは、あの神父だったか。これらの言葉は全て事実だろう。聖杯という餌を手に入れるためなら、魔術師という狂犬はあらゆる障害を排除しようとする。他人のことなど考えないのは、前回のライダーやキャスターの行動を見れば明白だ。僅かでも可能性が残されている以上、サーヴァントを失ったマスターとて倒しにかかるはず。 令呪の破棄をしたところで、一度マスターに選ばれた以上、この戦いの舞台から逃れることは出来ない。それは真実。 だから――士郎はイリヤに反論することが出来ない。 「折角、戦力になるだろうモノをこの場で消滅させるのは好ましくないわ。それに、私には彼を召喚した責任だってある」 その真剣な眼差しを前にして、どうして口を挟めようか。 「シロウ、私は間違ったことをしてる?」 ――してはいない。士郎の理性はそう己に訴えかける。戦力は多いに越したことはないし、イリヤ自身のマスターとしての能力は一級品だ。 しかし、やはり士郎自身はイリヤに危険な事をして欲しくない。かつての聖杯戦争では、凛も、イリヤも、そして士郎自身も何度か死にかけた。そのような危険な戦場に、自分だけなら兎も角イリヤのような子供まで巻き込むなど出来るわけがない。 覚えている。バーサーカーを倒されたときの、彼女の顔を。 「間違ってはいないかもしれない。でも、駄目だ」 あんな顔は、もう見たくない。これだけは容認できない。確かにイリヤはその外見から見れば想像も出来ないほど強い。そして、その事を彼女自身が自覚している。だが、だからといって弱いと断言できるわけではないのだから。 「――」 そんな思いが籠められた士郎の言葉に、イリヤは――薄く微笑んだ。 反発されるか。それとも怒られるか。そう思っていた士郎はその反応に思わず口を噤んだ。その表情は、微笑んでいるはずなのに、何故かバーサーカーを失ったあの顔が重なった。泣き出しそうなその顔を見て、何も言えなくなってしまった。 そんな時、 「ロン・ベルクさん!?」 と慌てた風な声がした。 * 既に自分の担当箇所を探し終えたダイは、ようやく士郎を捜し当てた。ダイが担当した区域は部屋の数が少なかったため、より早く終わったのだ。 ようやく士郎が最後に入った部屋の前まで来た時、ドアは半開きになっていた。その隙間から、一応用心のために中の様子をうかがったダイは、すぐにその光景を理解することは出来なかった。 士郎の隣にいる少女の事は見当が付いた。その姿は写真でも見せて貰ったのとほぼ同じだったからだ。実際の彼女は、確かに見事なまでに白髪だった。性別も受ける印象も違ったが、何故かヒュンケルを連想させた。 どうやら、士郎は怪我もないらしい。少女と何かを話している。再会を喜んでいる風でもなく、二人とも妙に真剣な顔をしていたのが気にはなったが、ともあれ見つかったのだから一安心だ。 そして、部屋に入ろうとドアを押し開けた段階で、影になっていて気付かなかった別の人影が見えた。彼の姿が目に入った瞬間、ダイは驚きのあまり一瞬からだが硬直したほどだった。 思わず、ドアを乱暴に開けながら、その人物に呼びかけた。 「ロン・ベルクさん!?」 人影が振り向いた。 その顔は、確かにあの刀匠のものだった。どことなく雰囲気こそ変わっていたが、見間違えるはずもない。あの剣の生みの親。彼がいなければあの剣もなく、そして大魔王に勝つことすら出来なかっただろう。 その彼が、ここにいる。驚きや嬉しさ、懐かしさが怒濤のごとく押し寄せてきて、どういう態度を取って良いのか判らなくなる。 一方のロン・ベルクも、瞑想しているかのように壁に背を預けていたのが思わず目を見開いてダイの方を凝視している。 「ど、どうしてここに……」 ダイの言葉は、自分でも判るほど震えていた。いや、こうなる事は理解できていたかもしれない。何故なら、あのフレイザードやさまよう鎧もこの世界に存在していたのなら、他の者も呼ばれていて不思議はない。 そう考えると、あとはただ懐かしさだけが残る。ダイとロン・ベルクは、さほど長い時間付き合いがあったわけでもない。しかし、ダイはロン・ベルクの鍛えた剣を使い、苦闘を制してきた。その繋がりは、アバンや仲間達とはまた違った種類ではあるものの、同じくらい深い物だった。 「……久しぶり。元気でしたか?」 「……ああ」 答えるロン・ベルクにもさほど驚きはない。普段から感情の起伏が少ないのもあるが、それ以上に彼にはダイと再び会えるという確信めいた物があったからだ。あの剣は輝きを失わず、常にあの場所に突き立っていたのだから。 「知り合いなのか、ダイ?」 「あ、うん」 言いたいことは山ほどあった。剣を作ってくれたことへの感謝。彼の作った剣が大魔王をも凌駕したこと。そして、それを自分の言葉で伝えられなかったこと。 しかし、今は後回しだ。何故なら、思いがけない再会で胸が一杯だったから。 「シロウには少し話したことがあったよね。大魔王との戦いの時、俺に剣を作ってくれた人で――」 イリヤのサーヴァントが、ダイの剣を作った人だったのか。そうなれば、あの腰に佩いている剣の素晴らしさも納得できる。そして、イリヤが希望したため、また彼らの話を聞くこととなった。 優雅に椅子に腰掛けたイリヤに紡がれる未知の神話。士郎にとっては一度聞いた話ではあったが、ダイの話にロン・ベルクが補足を加えることによって、随分と判りやすくなった。 そして、ようやく――とは言っても、密度はともかく彼らの冒険の期間は時間に直して三ヶ月足らずなので、説明だけだとそれほど長くもなかったが――話し終わった。 心臓が十回ほど鼓動するだけの時間が過ぎて――それまで微動だにせず話に聞き入っていたイリヤが、軽く頭を振った。 「とんでもないわね。貴方達の出自のこともだけど、まさか知り合い、それも縁浅からぬ者どうしとはね――」 偶然とは思えない。イリヤの言葉は、士郎も思ったことだ。あのフレイザードという化け物だけではなく、新たに召喚されたサーヴァントさえもダイと縁があるとは。前回の聖杯戦争では、それぞれ国も時代も異なる神話を原点とした英雄達だった。未だ正体が明らかではない英雄もいることはいるが、互いに一目見て正体が判るほど縁の深い者はいなかった。 「……ちょっと気になるわね。だいたい、前回から殆ど間をおかずにまた聖杯戦争が始まるなんて例がないし。私もだけど、この地を管理しているリンでさえ気付いてなかったって話だし」 全て聞き終えたイリヤは、こんな事を呟いた。 「何か、今回のコレはおかしいのかもしれない」 「……そうだな」 確かに、奇妙なことがある。ダイの出自を聞いてみたが、どの国の歴史にもまったく心当たりがない。イリヤも同様らしい。しばらく、イリヤは無言で情報を整理していたみたいだが、唐突に士郎に向き直った。 「……まあ、今考えていても仕方ないわ。凛が戻ってくるまで、シロウの家に待機しましょう」 言うなり、イリヤは立ち上がった。その目の輝きは、すでに衛宮の家に行く気であることを示していた。士郎は慌てて肩を掴んで引き留める。 「ちょっと待て、イリヤ」 「何よ、急がないと日が暮れるわよ。アインツベルンの森とはいえ、夜になったら私でさえ移動するのは結構大変なんだから」 「そんな事じゃない」 掴んだ肩は、とても細くて頼りなかった。こんな肩の持ち主が、戦おうというのか。 「さっきの話はまだ終わってないぞ」 「――さっきの話?」 「だから、戦うなって話だ」 苛立ちすら混じる士郎の言葉に、少女は反論しなかった。代わりに、白い髪が流れ、少女の顔があらわになる。その顔は、先程のバーサーカーを倒されたときの泣き顔と錯覚した、あの顔だった。 士郎は、その目に思わず屈してしまいそうになる自分を叱咤する。 「……駄目だ、イリヤ」 もし、彼女が死ねば自分はどうするのか。いつ死ぬかも判らないそんな戦争に、彼女を巻き込むことに対して、どうしても拒絶してしまう。 しかし、それは感情的なものであり、理性ではイリヤが説明したとおり彼女をマスターにしておく方が合理的であると理解している。サーヴァントの意志にもよるが、基本的に敵が一人減り、味方が一人増えるのだから、誰でもイリヤの案を受け入れるだろう。 でも、士郎は嫌だった。彼女が死ぬのも嫌だし、バーサーカーを滅ぼしたときに浮かんだ顔もして欲しくない。でも、今は士郎自身が彼女にそんな顔をさせているのだ。 そんな事実に対して、士郎は有効な反撃の材料を何一つ持っていなかった。 「――」 言うべき事があるのに言えない、不快な感覚が士郎を襲う。そうやって、幾ばくかの時間が過ぎ去る。もっとも、蚊帳の外であるダイやロン・ベルクにとってはそれほどでも無かったが。 いつの間にか、少女の肩に掛けられた手に、彼女自身の手が優しく重ねられた。 「シロウは優しいね。そういうところは好きよ。でも、大嫌い。シロウのそういう、何でもかんでも、他人が背負うべきモノまでも乱暴に奪っていこうとする優しさは大嫌い」 そんな顔をしたまま、イリヤは妙なことを呟いた。 「……イリヤ?」 「シロウ、私にはサーヴァントを召喚した責任がある。私が望んだから、彼はこちらに来てくれた」 そのまま、体も士郎の方に向け、手も両手で包み込んだ。 「私には、答えた彼に報いる責任があるわ。そして、それは私自身が行うべきもの。シロウじゃない」 そして、宣言した。 「バーサーカーは勝たせられなかった。でも、彼は勝たせてみせる」 それは、庇護すべき者でもなければ普段笑い合っていた少女でもない。一人の戦士の宣言だった。 * 「――判った」 渋々、という表現が相応しいくらい苦虫を噛みしめたような顔をしていた士郎だが、最後には折れた。いや、折らざるを得なかったと言うべきか。 彼女の言葉を認めてしまったと思いたくはないが――それでも、反論する気も失せてしまったのだから。 「そうと決まれば、さっさと帰りましょうか」 イリヤは満足げに微笑むと、そのまま荷物を持ってくると言って部屋を出て行った。その姿が消えると同時に、ロン・ベルクが呟いた。 「……さて、話も終わったようだな」 「あ、ごめん。二人とも。何かこっちのことでゴタゴタしちまって」 士郎は慌てて頭を下げる。それに、ダイとロン・ベルクは苦笑した。 「別に気にするような事でもない。なかなか面白い見せ物だった」 「何となく、シロウの気持ちは判るし……」 どう切り返したらいいのか判らない答えだ。 「はあ、それはどうも。それから、えっと……」 取りあえず、イリヤが戻ってくるまでは何も出来ないので、士郎はまだまともに話していない彼女のサーヴァントと向き合った。ロン・ベルクという男に対して、士郎はどことなく親しみやすそうだが、それ以上に近寄りがたいという矛盾した印象を抱いていた。 取りあえず 「ロン・ベルク……で良いのか?」 「ああ。さっきのダイの話にも出てきたが、鍛冶屋だ」 「そうなのか、俺は衛宮士郎って名前だ。発音しづらいかもしれないけど」 「む? 衛宮士郎……随分と妙な名前だな」 妙な名前という割には、一発でかなり正確にこちらの名前を発音できた。ダイは出来なかったのにと士郎が驚くと、ロン・ベルクは事も無げに言い放った。 「まあ、俺は何百年も生きているからな。この程度の方言くらいは真似できる」 「え? 何百年?」 士郎はきょとんとした。聞き違いかと思ったのだ。しかし、ダイが言った。 「そんなに生きてるんだから、俺と比べられても不公平だよ」 「いや、ちょっと待て。何百年って……本当か?」 多少奇妙なところもあるが、ロン・ベルクはどうみても若い。若作りにも程があると言うものだろう。それに、百年単位の時間など士郎には実感がわかない。 そんな士郎に構わず、ロン・ベルクはダイに向き直った。 「さて、話の腰を折るまいとさっきは口に出すのを控えていたが」 ――その表情は真剣で――先程までの、彼の周囲に漂っていたどこか退廃的な空気が消えていた。 「ダイ、一つ気になってることがある」 「ああ、うん。そうだね」 ダイは、ロン・ベルクの言葉を最後まで聞かずとも、その内容を理解したらしい。 「剣のことだよね。実は、ここに呼ばれたときにはもう無かったんだ……」 「……そうか。あの剣は、やはり未だあの場所にあるのか」 「剣?」 士郎は思わず尋ねていた。 「ああ、俺がこいつに作ってやった剣だ。ダイしか使えない、地上最強の剣だ」 ロン・ベルクは誇らしげに頷く。士郎は、彼の腰に佩かれている剣に一瞬だけ目をやった。これほどの剣を造れる人が最強と呼ぶ剣とは、一体どのようなモノなのか。そのわき上がる好奇心を抑えることは出来ない。地上最強の剣――それは、自分のとってのカリバーンのようなモノだろうか。士郎はダイを見た。 「うん……凄い剣だった。出来れば、もう一度出会いたい」 その目は、まるであの鞘を得たときのセイバーの目に酷似していた。 「でも、無いんだよな」 しかし、それは酷似であって同一ではなかった。ダイの目には、まず手に入らないであろう事を理解してしまっている諦めが混じっていたから。 彼の脳裏には、今、その剣と共に戦った日々が思い出されているのだろうか。 何となく、気まずい思いがして、士郎は話題を変えた。 「そういえば、ロン・ベルク。あんたのクラスは? ダイはセイバーだけど」 「うん?」 「え?」 士郎の言葉に、ロン・ベルクは何やら奇妙な顔をする。士郎は、その反応が予想外で少し驚いた。そんな質問をしただろうか? 「いや、クラスだけど……」 「ああ、クラスな。……判らん、というか興味がない」 「へ? いや、判らんって……」 「俺は鍛冶屋だ。それで十分だろう」 そういうと、ロン・ベルクは話はこれまでとばかりに、ダイとまた話し出した。やれ、パプニカのナイフはあるのかとか、こっちにきて美味い酒はあるのかとか。 ……士郎は釈然としなかったが、何となくロン・ベルクが話したくないと思っていることは判った。本当に興味がないのだろうか。ロン・ベルクの纏う退廃的な空気からして、それは有り得そうだった。興味がないことはとことん無視する職人気質といった風情だ。だが、こうまで露骨な態度を取られると、無理矢理詮索するのも気が引ける。 ――取りあえず、家に帰ることが先決か。 士郎は決めた。イリヤも疲れているだろうし、ここが安全とは言い切れない。 ――と、 「待たせたわね。さあ、早く帰りましょうか」 随分と明るい声が、場の空気を全て吹き飛ばしてくれた。 |
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