第07話(後半) | |||||||||||||||||||||||||||||||
作者:
タイロ
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2007年04月15日(日) 22時13分57秒公開
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―――数分後――― 「キズは?」 「ウン、ふさがってきたよ」 何処をどう走ったのやら。 長年の習慣の悲しさか、士郎は学生時代によく一成と昼飯をともにした生徒会会議室でダイと息を殺していた。 「で、移動呪文≪ルーラ≫ってヤツなんだけど……」 「ウン、さっきから何度か試してみたけど、やっぱり使えないみたいなんだ。ある種のダンジョンの中みたいに、この建物の周囲全体に特殊な結界が張られてるみたいで……ゴメン」 「ダイが謝ることないよ。それに、マスターのくせにろくに援護も出来ない俺も悪いんだし」 そっと士郎は思わず頭を抱えた。 どうする? どうする? わからない事が多すぎる。 慎二が生きていた? 馬鹿な。 桜に知らせるべきだろうか? 士郎は、あることに気づいて「ああっ」と短く声を上げると机に頭突きをかました。 ――俺、墓参り行ってないよぉ。 よしんば、慎二が本当にあの世から帰還を果たしたのだとしても、これでは恨まれても仕方ない。 「――があるんだ」 「え? なに?」 ダイが、噛み締めるように静かに口を開いた。 「変身呪文≪モシャス≫って、呪文があるんだ。アレは他人の外貌を完全にコピーしてしまう。俺の友達も、一度この手でやられたことがあるって言ってた。あのシンジという奴は、もしかして……」 「けど、あれは変装とかそんなレベルじゃない。慎二そのものだ。あの時のままだ」 自分の言葉に、士郎は背骨に氷柱を差し込まれたように感じた。 そういえば前回の戦争から既にして数年経っていて、士郎は身長を10cm以上も増しているのにかかわらず、『あの』慎二の姿は記憶に居る姿から欠片も変わってはいない――? 「けど、あれは変装とかそんなレベルじゃない。慎二そのものだ。あの時のままだ」 自分の言葉に、士郎は背骨に氷柱を差し込まれたように感じた。 そういえば前回の戦争から既にして数年経っていて、士郎は身長を10cm以上も増しているのにかかわらず、『あの』慎二の姿は記憶に居る姿から欠片も変わってはいない? 「ねぇ、どんなヤツだったんだい? そのシンジってヤツ」 「どんな……どんなヤツだったとか聞かれても」 慎二と過ごした日々が脳裏に蘇ってくる。 決して楽しい思い出だけではない。 難しいヤツだったから、嫌な思いをしたり、その酷薄な気性に傷つけられた事もある。 「そんなのっ――わからないっ。死んだと思ってたら、突然現れて何がなんだか……」 だけど、慎二は友達だった。 高校から知り合った一成は別にして、中学の頃からの唯一の友人だ。 思うように伸びない背のことを嘆きあったり、ささいな口論から喧嘩したり、学校の帰りに一緒に買い食いしたり、自転車に二人乗りして夏草の道を走った。 そんな二度とは帰らない少年期の風景を共にすごした、まぎれもない士郎の友達だった。 士郎が思わず顔をおおうと、励ますように小さな手がその腕を力強く握った。 「その友達のこと、よく思い出すんだ。何処かにおかしい所はない?」 「おかしな所って?」 「変身呪文≪モシャス≫は完璧に外見はコピーできても、その人が本質的に持っている雰囲気や心まではできないんだ。偽者なら、おかしい所がどこかにあるはずさ」 「けど、一体誰がそんな事を――」 「……心当たりがあるんだ。俺が戦った敵の中には、信じられないような強さのヤツらが沢山いた。けど、その中でも一番後味の悪い戦い方をするヤツだった。アイツは、人の心の弱さを突くんだ」 ラインを伝って、ダイから嫌悪感と共に、あるイメージが流れ込んできた。 それは、昨日フレイザードを倒した後に現れた謎の存在。 一見道化(クラウン)のようだが、その不吉なシルエットは担いだ鎌とあいまって、どうしようもなくあるモノを連想させた。 ――――死神。 「たとえば、あのしゃべり方! アイツも、あんな嫌味ったらしい話し方をするんだ」 「……いや、慎二はもともとあんな子供っぽいしゃべり方だったぞ。自分のこと「僕」って言うし」 「俺にはわかるよ。あの嫌な瞳の光、絶対邪悪な存在だ」 「むぅ……あのやさぐれた野良犬みたいな瞳、慎二そのものだ」 「……そうだっ! あんな卑怯なまね、シロウの友達ならするはずがないだろう?」 「――言い難いんだけど……もともと凄く卑怯で卑劣なヤツだったんだ、慎二って。あれくらいやりそうではある」 「だいたいっ、どうして友達なら僕らを襲ってくるのさ!? 理由がないだろ? おかしいじゃないか!」 「うーん、そもそも前回の戦争で慎二は敵だったんだよ。俺も殺されかけたし、よく考えてみれば襲われても不思議じゃないな」 「…………」 「…………」 ダイが、深々とため息をついた。 「……ねぇ、なんでそもそも友達になったの?」 「……なんでだろう?」 士郎は、しばし真剣に考えた。 「シロウ、よく聞いて」 ダイは小柄な体に似合わぬ、ガッシリした手で士郎の肩を掴んた。 士郎の瞳を真っ直ぐ射抜く、黒目がちな瞳には強い力があった。 「逝った人は、二度とは還らない」 「あ……」 胸を突かれ、言葉を失う士郎にダイは続けた。 「シロウは自分の事をただの人間だと言ったけど、だからこそ分からないとは言わせないよ? 『人は、限られた生を力の限り生きるからこそ、人の生は美しく輝く』 ……俺の、大事な親友の言葉だ」 ダイの真っ黒な瞳の奥には、はかない人間の生を愛することに対しての激しい熱さがあり、それは士郎の中に染み入って胸を熱くさせた。 「そ……そうだよな。死んだと思ってたけど実は生きてて、その後ヒョッコリ現れるなんて都合のいい事、そうそうあるわけないよな?」 士郎は、この力強い少年にバカな考えを否定して欲しくて縋るように言った。 「……そ、それは……ごくたまには、あるかもしれないね」 しかし、ダイは何故か視線をサッと逸らして、あらぬ方向を向いてしまった。 その額には細かい汗がたくさん浮いている。 この少年にしては珍しい事に、煮え切らない態度で実に気まずそうに言った。 「ええええっ!? なんだよそれ」 「……実際にあったんだから、しかたないだろっ!」 知らず声を張り上げていることに気付いて、二人は同時に互いの口をふさいだ。 ――と、視界が急に青みを帯びてきた。 頭の芯に重いモノが刺し込まれたように感じて、自然にまぶたが下がって行く……ぶわっちん! 「痛っ!」 士郎の頬を強烈に張り飛ばしたダイが叫ぶ。 「≪ラリホー≫だ! レジストして!」 「何処だーい? 衛宮? そこか?」 かくれんぼの時のようなふざけた声を聞いて、二人はビクと背中を振るわせた。 「……このまま朝になれば生徒たちが登校してくる」 「やるしか……ないか」 覚悟を決め、廊下に出ると数メートル先にはヒュンケルを従えた慎二がいた。 やはり位置を掴まれていたらしい。 「思い出すじゃないか、衛宮。こうして互いにサーヴァントを従えて対峙してみると、あの時のことを」 「―――あの時は逃げられたけど、今度はそうはいかんぞ慎二。たとえお前が何者であっても、他の人たちを巻き込むわけにいかない」 サーヴァントたちは無言で前に進み出た。 ダイは重心を低くして剣を逆手に構え、ヒュンケルは半身の体勢で槍を深く下げている。 「ダイ……」 戦えるのか? ダイの話によれば、ヒュンケルはダイが師事したアバンの使徒達の先輩に当たり、最初は敵として現れたが、仲間に成った後は共に最後まで戦い抜いた絆を結んだと聞いた。 もちろん憎んではいまい、それはヒュンケルにしても同様だろう。 そんな相手と―― 窓から浴びせられる月光が、ダイとヒュンケルの影を長く伸ばしていく。 廊下の、ちょうど中心で二人の影が交わるのと同時に、吶喊の声は放たれた。 「ブラッディ――スクライド!」 「アバン・ストラッシュ!」 杞憂ではあった。 二騎のサーヴァントは互いの力量を良く知るからこそ、初手から自身の持つ最大級の技を持って応じた。 閃光と閃光の衝突で生じたエネルギーが校舎全体を揺らし、耳をつんざく爆音を残して破裂する。 ガラスの破片とコンクリートの屑が吹き上げられ、塞がれた視界の中にダイはリノリウムの床を蹴り飛ばしながら飛び込んでいった。 煙が晴れると、その先には同様に飛びこんで来ていたらしいヒュンケルがいる。 二合、三合、と干戈を交わしながらサーヴァントたちは横手にあった教室に戸を跳ね飛ばしながら飛び込んでいった。 一瞬の静寂。 教室の中で爆弾が破裂し続けているような、形容のしようのない凄まじい音が聞こえてきた。 ―――廊下には二人のマスター、慎二と士郎がとり残されている。 ガラスがいっせいに音を立てて砕けるのと同時に、慎二が口を開いた。 「屋上に出ようじゃないか、衛宮」 変わらぬ様子で声をかけてくる元親友に頭が沸騰する。 士郎は駆け寄り、慎二の首を掴むと同時に締め上げる。 「慎二、突然あらわれたと思ったら――」 「おいおい、愛校精神のないヤツだね。此処は、化け物どもが戦うには狭すぎるよ。今回はどんな大量破壊も強引にガス事故で片付けてくれた管理者は居ないんだぜ? ほーら、壁面が吹っ飛んだ。明日は休校だな。まあ、後輩たちには喜ばれるかもね」 ドーンという太鼓をいっせいに打ち鳴らされるような凄まじい音と共に、重いモノがグラウンドに落下していく。 士郎は知らずダラダラと脂汗を流していた。 ―――不味い。たしかにこれは不味い。 「お前を止めれば話はすむっ!」 ある種の決意を秘めながら士郎が腕を振り上げると、既に士郎の手の中から慎二は消えていた。 「じゃあな、屋上で待ってるから。―――ちゃんと来いよ?」 どんな方法を使ったのか、数メートル先にたたずむ慎二は誘うような微笑を残すと闇に溶け込むように消えた。 気がつけば教室から騒音は消えており、咳き込みながら身体を埃だらけにしたダイが出てきた。 こんな時でも無事なほうの戸を蹴り破らず、普通の生徒のように律儀にガラッと開けて後ろ手にピシャッと閉めるダイに士郎は苦笑した。 「ヒュンケルは屋上に出るって言ってた」 一歩、二歩、重い足を引きづりながら階段を上がる。 「ヒュンケルは……」 「うん?」 「ヒュンケルは……さ。一緒に習ったことはなかったんだけど、俺たちアバンの使徒たちの中でも長兄的な存在で、強情で、頑固で、難しいヤツだったけど。ここぞって時は凄く頼りになるヤツだったんだ」 「そっか、やっぱり同門の先輩ってのは特別な存在だしな。それだけの力を得るには、長く厳しい修行が必要だったんだろうし」 脳裏に浮かぶのは、なつかしき養父の笑顔。 『魔術に一日の道なし、繰り返される長年の反復こそ上達の早道と心得よ』 今なら、ずっと疑問に思っていた普通の魔術師が忌避すべき特殊な訓練法を伝えていた切嗣の気持ちもわかる気がする。 最低限の素質、一本の魔術回路しか備えていなかった自分を、おそらく切嗣は限界まで負荷をかけ続ける地道な訓練によって少しづつ増やすように導いていってくれていたのだ。 「……いや、俺は一週間しか習ってないんだけどね」 ……ああっやさぐれないでくれ親父。 しょうがないじゃないかぁ、ダイの世界とは成り立ち自体が違うんだし。 士郎は防火扉を開けようとして――ふと、何かに気付いたようにダイを振り返った。 屋上に突き出た階段は、扉が開けられると同時に爆砕した。 上に取り付けられていた浄化槽が真上に吹っ飛び、グラウンドに落下していく。 ポッカリ穴が開いた格好になった破壊跡から、ダイと士郎が飛び出してきた。 「やっぱり、予測していたか」 微笑を残す慎二に、士郎は怒鳴り返した。 「お前のやりそうな事はお見通しだ! まったく、基本的に気が弱いくせに細かく細かく悪事を重ねてからに。お前ってやつは、学生時代からまったく変わってないじゃないかっ」 「ま、これで舞台は整ったよねー」 もはや迷いはないのか、ダイとヒュンケルは飛び出した勢いのまま激突した。 数キロ先でも視認できるのではないかと思われるほどの光が閃くが、やはり結界が張られているのだろう。光は校門あたりまで届くと、嘘のように消滅していく。 見たところ、打撃力は互角。 だが、小柄で短剣を武器とするダイが思い切り踏み込まなければ致命打を与えられないのに対して、長身に加えて槍を武器とするヒュンケルは懐が深く、打ち合いはやがて後者が圧倒して行った。 やはり、短剣では不利。 ふたたびあの『剣』を投影するか? いや―― 士郎はかぶりをふった。 昨日投影できたのは、あくまでもダイの一撃に耐える事のできない不完全な幻。 あのヒュンケルがフレイザード程度のはずはない。 八節では足りない概念が宿っていたあの剣を使えば、一撃が外されてしまった後のダイは無防備になってしまう。 ――それよりも、今は他に狙うべき標的がある。 「慎二ィィッ!!」 俺だって、昔のままでいるわけじゃないんだ。 今、わかる事は、死んだはずである間桐慎二が、サーヴァントを従え、敵として攻撃を仕掛けてきている。 戦う理由は、それだけで十分だ。 「シロウ!?」 突進を開始したマスターにダイは驚愕したが、一度士郎と視線を絡ませるだけで意図を理解して行動を開始した。 この主従は、それほど濃厚な関係を作り上げつつあった。 「ぬっ!?」 士郎の行動に気づいたヒュンケルが振り返るが、ダイが首に飛び掛り、地面に押し倒して激しく組み打ち始める。 そうだ、これでいい。 士郎は思う。意思の疎通は取れている、あとはマスターを倒すだけだ。 あと10歩。 猛烈な勢いで自らに突進する士郎を見ても慎二は動かない。あくまでもニヤニヤと笑っている。 あと8歩。 何故死んだはずの慎二がとか、余計な思考がどんどん削ぎ落とされていく。 士郎は、周囲の光景がやけに鮮やかに見えるのを自覚した。精神が実にシャープに働いている。 「殺すのか? あのビルの屋上で僕を見捨てたときのように、また僕を殺すのか、衛宮ぁ?」 そんな言葉にも、今の士郎の心は動かされない。 近づくにつれ、慎二の姿が鮮明に見えてくる。 ―――あの時と、まったく変わらぬ姿。 士郎が刃を裏返したのは甘さではない、頭を叩き潰すよう必殺の意思が込められている。 迷いは無かった。 あと5歩。 「そうかい、それなら……」 あと3歩。 衛宮士郎は、確かに人ならぬ何者かに完成されつつあった。 ――それはまさしく、一振りの剣のように。 「これならどうかな?」 あと2歩―― 得物を振り上げる。 剣先が一条の光となって慎二に叩きつけられ――る寸前。 空中に縫いとめられた。 「な……な!」 あえぎながら、士郎は思考と共に時が止まったように感じられた。 剣をとめたのは士郎自身の意思であり、とめさせたのは慎二にグッタリと抱えられた女性――三枝由紀香の姿であった。 「なあ、衛宮ぁ。しばらく会わないうちに、コイツ随分女らしくなったと思わないか? 陸上部のマネやってた時はガキっぽくて全然興味なかったけどさ」 慎二の手が、三枝由紀香の胸や腰を嫌らしく動き回る。 蛇のように粘着質な視線を外さぬまま、見せ付けるように慎二は抱えた由紀香の耳朶をなめ上げた。 眼を閉じ、意識はないようだが由紀香は嫌悪にかすかに息を漏らす。 士郎は知らず獣のようなうめき声を放っていた。 「慎二ぃぃぃぃっ!!」 「だいたい、なんだい? さっきからシンジシンジってさ。気持ち悪い。久しぶりに会ったってのに、いきなり突っ込んで来るお前が悪いんじゃないか。話があるなら聞いてやるよ。ン? なんだい?」 やれやれと言った風に頭を振る慎二に、バッと距離を空けた士郎は思わず咽を掻き毟った。 だいたいお前らが先に仕掛けてきたんじゃないかだいたいどうして生きてたのなら連絡をよこさなかったんだ桜がどんなに悲しんだとおもってるんだヒュンケルとはどんな関係なんだお前に貸した三千円返してもらってないぞそれよりまず三枝を放せ貴様恥ずかしくないのかああっ。 千もの言葉を飲み込んで、士郎はやっと一言だけ、搾り出すようにして万感の想いをこめて言った。 「――っっっ。変わらないな、慎二」 「ウン、実に久しぶりだねぇ。衛宮」 それは正に、有り得ざる親友同士の再会だった。 「とりあえず、返せ」 「……返せ? ……ああ、借りた三千円? 悪いんだが、今持ち合わせがないんだ」 「そうじゃなくて、三枝を帰せって言ってんだ!」 「なんだ、返すよ」 その言葉と同時に、慎二は実にあっさりと三枝を手放して、士郎へと押しやった。 「へ……?」 虚を突かれ、士郎は無防備に抱きとめようとする。 背中に氷を入れられたような感覚。 景色が急にゆったりと流れ出したような気がした。 微かに、後ろからダイの叫び声が聞こえる。 三枝の目がカッと開かれる、瞳の中には炎が燃えている。 士郎の優れた動体視力は全てを克明に捕らえていた。 ――比喩でなく、本当に『燃えていた』。 三枝の柔らかそうなおちょぼ口が叫びの形に歪められる。 可動領域限界を超えてメリメリと耳近くまでめくれ上がっていく。 皮膚に刺すような痛み。熱だ。 目の前の事実を脳が理解するまで数瞬のタイムラグがあった。 凄まじい熱と光を発しながら三枝由紀香が目の前で爆砕した瞬間。 衛宮士郎は自らの絶叫を他人事のように聞いた。 「空破斬!」 防ぎようのないタイミングと距離で士郎を襲おうとした爆発は、その直前で綺麗に両断されていた。 左右に分かたれた熱と煙の間で士郎が呆然と振り返ると、ダイが粗い息をつきながら剣を横薙ぎにしていた。 「ハハハハハハハ!! なんて顔してるんだよ、衛宮ぁ。落ち着いてよく見てみろよ。人形だよ、人形」 士郎の足元に転がってきた三枝の顔の残骸は、やがて顔の起伏を消していってのっぺりとした人形となった。 「「貴様ぁああああああああああ!!」」 「ハハハハハハハ!―――ハ」 これ以上ない程の怒気を孕ませて立ち上がる二人に浴びせられる嘲笑。 「いい加減にする事だな、お前の行為は見苦しい。俺のクラスは、よしんばマスターを失ったとしてもしばらくは単独行動が可能だぞ?」 その慎二の嘲笑は、彼の味方であるはずのヒュンケルの声によって中断された。 「フン、お前がグズグズしているから、ちょっと手助けしてやったんじゃないか」 言葉ではそう強気に反論しながらも、慎二の膝は細かくガクガクと震えている。 その慎二を見て興味を無くしたように、ヒュンケルは針のような視線でダイを絡めとりながら宣言した。 「さぁ、ダイ。竜の紋章を出せ。お前の全力はこんなものではあるまい、本気ならばあたり一面が更地になっているはずだ」 その言葉に、短い悲鳴を残して慎二は避難していく。 「ヒュンケル――止める事は、出来ないのか?」 槍のサーヴァントはもはや言葉を返すことも無く、滑らかな動作で切っ先を繰り出す。 ただ悄然と立ち尽くし、無防備に槍を食らうかに見えたダイ。 その瞬間―― 「シロウ、避けてぇっ!!」 士郎はダイの前に立ちふさがり、ダイを庇って槍をその身に受けようとしていた。 ダイの悲鳴のような声を遠くに聞きながら、士郎は自らを殺そうとする武具に視線を吸い寄せられていた。 なんて美しい槍なんだろう。 峻烈に向かってくるソレは、まさに月の光が具現化したようだ。 陶器のような滑らかな光を放つ材質は、人ならぬ術によって鍛えられた未知のマテリアルだ。 飾り気の無い、実にシンプルなデザインは、逆に剛性の高さを表している。 使用者の利便性を考えない、グリップすら見当たらないのは、逆にソレくらいで不便で使えなくては俺を使いこなすなという、その槍の気高さにすら思えた。 士郎は状況も忘れ、その美しい武具にまったく耽溺していた。 ああ、この角度からだとわき腹から入って、背中に抜けるだろう。 槍の担い手の技量からして、突き刺したまま間をおいて反撃を許すことなどあるはずは無い。 槍は瞬時に引き抜かれ、槍の穂は内臓をメチャクチャに引きちぎりつつ、助かりようの無い量の血液を地面に撒き散らすだろう。 ――だけど、知っていた。 衛宮士郎は知っていた。 この白き槍に比する業物(わざもの)を知っていた。 士郎の耳の奥から、ごぉぉっという音が聞こえる。 魔術回路が激しく回転を始め、悲鳴をあげる。 知っていた。 そう、文字通り『体で知っていた』。 それは一度、衛宮士郎を貫いたのだ。 「投影開始(トレース・オン)」 槍のサーヴァントが放った一撃は、激しい火花と熱を飛ばしていた。 白き月光は、紅き電光によって受け止められていた。 「な……にっ」 ヒュンケルという、今戦争において現界したサーヴァントの秀麗な眉がひそめられた。 「貴様……これは、何だ?」 「見ての通り、槍さ。――ゲイ・ボルクという」 「――ダイ、これを使え!!」 剣と槍という違いはあれど、ゲイ・ボルクは八節で以って投影に必要な概念は網羅されている。 ダイ程の使い手になれば、自らの一撃に耐える事のできない不完全な剣を使うよりは――そう思い、士郎はダイにゲイ・ボルクを渡した。 「……あ、ああ。ありがとう、シロウ」 ダイの返事を聞き、士郎はダイの邪魔にならないように即座に2人から距離を取った。 「おお――お!」 士郎が離れたのを確認すると、ダイの目がカッと開かれ、膨れ上がる闘気が周囲の空気を帯電させ、空間をビリビリと重振動させた。 ダイの額に、非常にカリカチュアされた、万物を支配する超越種の紋章が浮き上がり始める。 この世界においても最強の幻想種である――竜(ドラゴン)。 「う――」 士郎は、ダイからほとばしるように流れ込んでくる悲しみの衝動に、血を流しながらも顔を上げる。 何故かダイの額に浮かぶ火傷跡のような紋章が、少年の身に刻まれた聖痕であるように思われた。 「そうだ、それでいいっ! 征くぞ大勇者ァッ!!」 世界そのものが音を立てて砕け散るような激突は、一瞬で決着がついていた。 槍が、少年の肩を刺し貫いていた。 最後まで振りぬかれる事の無かった短剣が、小さな手からすべり落ちて乾いた音を残す。 どんな強大なる存在にも最後まで膝を屈する事の無かった大勇者は、槍が引き抜かれると同時に支えをなくしたように、どうと前に倒れこんだ。 「何故だ……」 むしろ静かに、ヒュンケルは問いかける。 「何故本気を出さん、大勇者? 出すまでもないということか。お前にとって、俺の存在はその程度のものだったのか……」 「なんだよ、すぐ殺っちゃえよ!」 慎二の野次は、ヒャダルコのような視線一つで沈黙させられた。 乱雑に小さな身体が蹴り返され、仰向けになった喉元にヒタと穂先が据えられる。 「大勇者だとかなんだとか、そんなの知らない。俺の……力は、大事な、大切な仲間に向けるために身に着けたものじゃないから……」 悲しげに顔を伏せるダイの顔に光るものを見た士郎の視界は、怒りで真っ赤に染まった。 「――テメェッ!」 怒号を残すと、士郎は拳を振り上げ、ヒュンケルにただ『殴りかかっていった』。 「……ん?」 訝しげな表情を見せるヒュンケル。 体重が乗った、なかなか見事なパンチであった。 だが、岩をも砕く拳闘の絶技を見慣れている歴戦の戦士にそんなものが通用するはずもない。 反撃するにしても、槍はダイに突きつけている。 意図も読めない上、頬当てもしている。 なんだか妙に痛そうに思えたので、ヒュンケルは少し考えた末、あっさり首をひねって回避することにした。 「うぉあっ!」 ブゥンと盛大に空振りした士郎は、そのまま反動でゴロゴロと転がっていって屋上から落ちそうになった。 昔の士郎ならそのまま落下してしまう史上最大のジョークになっただろうが、なんとか長い手足がきわどい所で縁に引っ掛かり、ぜぇぜぇと荒い息をつきながら戻って来た。 「……ダイよ、お前のマスターは何を考えている?」 「ええっと……」 「馬鹿だ、国宝級の馬鹿がいるよぉ! 魔法の光が脳にキて神の声でも聞いたか?」 ゲラゲラと腹を抱えて笑う慎二を後で絶対ぶん殴ると固い決意を秘めながら立ち上がり、士郎はビッとヒュンケルを指差した。 「ヒュンケル、ダイがどれほどの戦いを潜り抜けて凄い勇者になったのかは知らん。互いにどんなに心に期すものがあったのかは知らん。お前が幾つまで生きたかも知らん。だけど、大人にはなったんだろ? だったらなぁ……」 すぅ、と一旦大きく息を吸い込むと、あたりをビリビリと振るわせる大音声で叫んだ。 「子供(ガキ)を泣かせてどうするっ!!!」 シン……と落ちる沈黙。 戦いが始まってより、ほとんど冷徹な表情を変えなかったヒュンケルの目が驚いたように大きく開かれ、やがて耐え切れなくなって口の端から「プッ」と空気を漏らした。 「クッ……フッハッハッハッハ!」 ヒュンケルは笑った。 嘲うのではなく、笑った。 顔を抑えて、朗らかに、てらいの無い少年のように。 ずっとかかっていた薄曇が消え去ったような、晴れ晴れとした表情をダイに向ける。 「ダイ、これが今世のお前のマスターか。いや、仲間か。馬鹿だな!」 「……ああ、なかなか凄い馬鹿だろ? 実は正義の味方とか目指してるんだぜ」 「ほぅ、なかなか抉りこむような見事な馬鹿だな!」 「馬鹿馬鹿言うなっ!」 士郎が真っ赤になって怒鳴り返すと同時に。 「いい加減にしろ……」 ゾッとするような冷たい声の後、対照的な膨大な熱量が辺り一面を覆った。 紅蓮の業火が巻き起こり、ひとしきり炎の舌が屋上全体を舐めまわす。 視界が開けると、サーヴァントたちは二方向に散っていた。 ダイは士郎をかばって右半身を焦がしながらも剣を横なぎにして炎を払っている。 「くうっ」 ヒュンケルが秀麗な眉をひそめた。 身体全体を鎧っているものの、その髪は焦げており、体の半分ほどが黒ずんでいる。 慎二は、ダイごとヒュンケルをも焼いたのだ。 「気に食わない。気に食わない。なにこの分かり合えたみたいな空気、反吐が出そうだよ! 衛宮、やっぱり僕はお前が嫌いだよ。肺腑が腐り落ちるほど嫌いだよ!」 一瞬、何事かが生まれそうだった空気は、異様な様子を見せる慎二に綺麗に払拭されていた。 「僕はそんなお前が――大嫌いだったよ。クハハハ、その位置だ!」 直後、屋上の四方から炎の柱が天をも焦がす勢いで吹き上げられ、ダイに覆いかかろうとする。 炎自体は青く、ゆらめく先端が白さを伴っている事が通常の炎では持ち得ない高温であることを示していた。 |
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