第08話 | |||||||||||||||||||||||||||||||
作者:
Bogen
URL: http://fukurou.my.land.to/
2007年05月12日(土) 00時06分33秒公開
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「――――≪ヒャダルコ≫!!」 炎の中で、ダイの声が聞こえた。 魔法力を込めた氷系呪文が炎の柱を押しとどめ、同時に「投影開始(トレース・オン)」という士郎の叫びが響き渡る。 同期した呪文を合図にして、士郎は思いつく限りの武器を以ってしてダイを包み込もうとする炎に挑みかった。 ――干将・莫耶 ――偽・螺旋剣 ――刺し穿つ死棘の槍 「はははっ、無駄さ。いい事を教えてやるよ、衛宮。このトラップは、物理的な衝撃は全て跳ね返すようにできているんだ。このトラップを破るには……魔術やダイ達の世界の魔法力を以ってしなければならないんだよ」 「――慎二、この炎はお前が出したものか?」 「もっとも……魔法力といっても、ダイの魔法力程度じゃどうしようもないんだけどね」 「そんな事は聞いていない! この炎は――慎二、お前が出したものかと聞いているんだ!」 「……うん、そうだよ。ねえ、衛宮ぁ。僕は、このトラップは最後の瞬間が一番好きなんだ。最高度に高まった炎が中央部に集中し、闇に還っていく……花火みたいに最後が切ないのが素敵な、僕のお気に入りさ」 場違いなほど幼い調子の、高いようで低い、不思議な声。 その声は、今まで間桐慎二と名乗っていた人物が発した声だった。 他人事のような感覚でその声を聞きながら、ヒュンケルは眼前で繰り広げられる光景に軽い既視感を抱いていた。 「このトラップ。そして、その言葉。どこか違和感を感じていたが……貴様、本当に間桐慎二なのか?」 眦を決したヒュンケルが振り返る。 氷のような視線は、マスターに絶対忠実たるサーヴァントのものではなく、何か一言。 決定的な一言があれば、マスターにも牙を剥く野生の狼のものだった。 「おっと、令呪をもって命ずる。マスターの指示があるまで、その場から動くな」 だが、その視線に対する間桐慎二の答えは、令呪を使って自らのサーヴァントの行動を封じる事だった。 「――何故、こんな命令をする? 貴様が本当に間桐慎二なら、俺はそれに従うといったはずだ。ダイ達と戦う事に対しても、むしろ望むところだとも言ったはずだぞ」 不信感を露にして、ヒュンケルは己のマスターを問い詰める。 「……やれやれ。お前はもう、さっきの幸せそうな空気を忘れたのかい? それに、正々堂々とダイを倒すチャンスなら、さっきまでいくらでもあったじゃないか。何故、お前はその時にダイを倒さなかったんだい?」 「それは、ダイが全力を出していなかったからだ。俺は全力を出したダイと戦い、それを打ち破る事こそが目的だともいったはずだ」 「――――くだらない! はっはっはっ、実にくだらないよ、ヒュンケル!」 ヒュンケルの述懐は、慎二の嘲笑によって中断された。 その笑みは、先ほどまでのどこか愛嬌のあった笑みとは違い、ただただ相手を不快にさせるためだけのものだった。 「いいかい。昔の仲間が相手なら、ダイも全力では戦えない。そういった事も織り込んだ上で、■■は君を召還する事に決めたんだ。なんでわざわざ、相手が準備を整えて全力を出すのを待たなければならないのさ」 「――貴様!」 ヒュンケルが放つ殺気と威圧感は、先ほど慎二の見苦しい行動に警告を発した時のものとは比較にならない。 それほどの殺気に晒されたならば、足はガクガクと震え、情けないほど弱々しい抗議のうめき声を発するのが精一杯の抵抗。 それが、衛宮士郎が知る間桐慎二であり――先ほどまでの間桐慎二の取っていた行動だったが、 「……もういいよ、ヒュンケル。お前の自我を残したままの方がダイと戦う時に有利に働くだろうと思って残しておいたけど、もうそれも必要ないよね」 そんな殺気や威圧感をものとのせずに、間桐慎二と名乗っている人物は、パチンと指を鳴らした。 瞬間、ヒュンケルの視界は真っ赤に染まる。 その双眸は燃え、髪は逆巻く。悲鳴は断続的に挙がり、徐々にそれは切羽詰ったものになっていった。 ヒュンケルの体は小刻みに震え、その自我は破裂音を立てて砕け散ろうとしている。 「さて、そろそろダイ君の魔法力も尽きる頃かな。……あれ、衛宮ぁ? お前は、さっきなら何をしているんだい?」 後僅かな時間で自我を無くすであろうヒュンケルに興味を無くした慎二は、嘲りの声をあげながら興味の対象を炎の渦に挑んでいる士郎に移した。 「……お前は誰だ? お前は、慎二じゃないな」 投影した宝具による攻撃をもってしての、炎の渦の破壊。 慎二の言葉通り、それが物理的な力では不可能な事を悟った士郎は、炎への攻撃を取りやめて慎二へと向き直った。 「何いってるんだい、衛宮ぁ? 僕は間桐慎二さ。中学時代からの親友の顔を忘れたのかい?」 「そんな事をいってるんじゃない! 慎二は、こんな高度なトラップは操る事ができない。そして、何より――慎二は、そこまで嫌な笑みを浮かべたりはしない!」 「……ああ、そうかい。まあ、いいや。ちょっと聞きたいんだけどさ、衛宮ぁ。お前がそれを知った所で、何になるんだい? 仮に僕が間桐慎二じゃなくて、高度なトラップを操れる別の誰かだったとしよう。だからといって、僕がお前にあのトラップの外し方を教えてやるとでも思うのかい?」 「ああ、それは無理だろうな。だが、お前が慎二じゃないとわかれば俺も全力を出せる。 ――力づくで聞き出してやる」 瞬間、士郎は干将・莫耶を投影して慎二に襲いかかる。 一撃、二撃、三撃。慎二は熟練した奇術師のような体さばきで士郎の撃ち込みをかわしていくが、その手には何の武器も携えてはいない。 心は熱く、頭脳は冷静に。わずか数撃のやり取りで、士郎は己の技量が相手を凌駕していることを洞察していた。 反撃が来ない事を確信しながら、士郎は相手の数手先を読んで追い詰めていく。 士郎には、そこから先のチェックメイトまでの道筋が見えていた。 慎二が大きくバックステップを踏んだ。2人の間合いが開く。 それはまさに、士郎が予測していた通りの展開であった。 投影――開始。そっと口の中で呟き、士郎は手に持っていた干将・莫耶を慎二に投げつけた。 一気に間合いを詰める。空のはずの手には、既に新たな双剣が投影されている。 士郎は、数秒後の光景―慎二が血にまみれて地面に這っている姿―を幻視したが―― 「……やれやれ、何か勘違いをしているみたいだね」 その幻視は、現実の光景にはならなかった。 士郎の手に残る感触。それは肉を切り裂く感触ではなく、金属同士の衝突だった。 激しい衝撃を残し、綺麗な放物線を描いて双剣は士郎の手から飛び去っていく。 間桐慎二と名乗っていた人物の手に握られていたのは、死神の鎌。 武器を携えていないと思われた男は、どこからか出してきた死神の鎌で士郎の投影した干将・莫耶を弾き飛ばしていた。 ――――≪マホトーン≫ その響きと同時に、士郎の腹に慎二の拳がめり込む。 肺腑の奥まで響き渡る予想外の衝撃に、士郎は地面に崩れ落ちた。 「いいかい、衛宮士郎。ボクが間桐慎二じゃないという事と、君が全力を出せばボクよりも強いというのは、イコールじゃないんだよ」 抑揚のない声、背筋が凍るような目つき。 たちこめる香は香水の匂いから、霧のような無臭のものへと変化していく。 空気を震わせるような気配と、その奥に潜ませた得体の知れないもの。 ――――大気が凍り付く。 放たれる殺気や威圧感は今までの比ではない。 間桐慎二と名乗っていた人物は、その本性を露わにした。 「――――――――」 士郎は、先程までの彼我の力量の認識が完全に誤っていた事を悟った。 ――――この相手には、自分では勝てない。 士郎の頭は痛みや恐怖ではなく、その一言で占められていた。 新たな認識に従い、士郎は次の行動を模索すべく思考を巡らせる。 己の力では勝てないのなら、勝てる相手―ダイ―を呼べばいい。 あの炎の渦が打撃に対しては絶対的ともいえる特性を持つ以上、魔力の開放もしくは別の手段でもってダイを救出する必要がある。 魔力の開放、即ち宝具の真名開放が今の自分の力量では、出来ないのならば――令呪を使ってダイを救出すればいい。 そこまでの結論に達した士郎は、令呪を使うべく魔力を左手に集中させるが―― 「――――…………」 Anfang……令呪を発動させるための、予備呪文の発音はすっぽりと抜けていた。 横隔膜は確かに震えてはいるが、言葉としては現れてこない。 パクパクと口を開きながら、士郎は自分の身に起こった異変について理解しようと努めるが、状況を認識できなかった。 「残念だったね、衛宮。さっきお前に唱えた呪文は≪マホトーン≫といってね。術者の口の動きそのものを封じる呪文なんだ。普通は、ある程度以上のレベルの相手には通用しないものなんだけど……不意打ちとはいえ、ここまで効果があるなんて思ってなかったよ。ねえ、衛宮ぁ。お前って、よっぽど魔法抵抗力が弱いんだね」 間桐慎二と名乗っていた人物は、士郎を愚弄しながらも、喋り足りないのか言葉を続けていく。 「まあ、魔術的な回路そのものを封じ込めるわけじゃないから、もしかしたら令呪くらいは使えるかもしれないけど……令呪システムを作ったのは、僕たちマキリの家系だっていうのは知ってるよね。その上で……試してみるかい? 『来い、セイバー』って念じてみるかい?」 言われなくても――声には出せないその言葉を飲み込んで、士郎は再び魔力を左手に集中させた。 前回の聖杯戦争において、令呪を使用した時の事を思い出す。 学校でライダーに襲われた時、バーサーカーとの戦いで約束された勝利の剣の使用を止めた時――そして、聖杯の破壊を命じた最後の別れの時。 そのいずれもが魔力を込め強く念じるだけで、予備呪文など無くとも令呪への願いは叶った。 ――――来い、セイバー!! その想いによって、凝縮された魔力が士郎の左腕に集中する。 令呪の画数は一つ減り、三つから二つになっていた。 それは、士郎の令呪への命令が確実に受理された事を示す証。 令呪の効力が最も有効に機能するのは、瞬間的であり目標行動がはっきりしている場合。 故に、士郎の隣には呼び寄せられたダイがいる――――はずであった。 「……おい、ダイのマスター」 呆然としていた士郎の耳に、突然予期しない声が聞こえてきた。 苦痛に呻きながらも、まだ正気を保っているヒュンケルが、残されたわずかな力を振り絞り、士郎へと呼びかける。 「俺たちの師であったアバンの言葉だが……敗北とは、傷つき倒れることではない……そうした時に、自分を見失った時のことを言う……あせらずにもう一度、じっくりと自分の使命と力量を考えなおせ」 先ほどまでの厳しい表情とは違い、どこか懐かしむような、自戒を込めた表情でヒュンケルの呼びかけは続いていく。 戦士としてのヒュンケル。ダイの兄弟子としてのヒュンケル。そのどちらもが本当にヒュンケルであり、相反する想いを押し殺していた。 そんな、当たり前の事に今更ながら気が付いた士郎の脳裏に去来したものは誰の面影か。 ――――だからこそ、その言葉は士郎の心に突き刺さった。 「――うるさいよ、ヒュンケル。せっかく僕がいい気持ちに浸っているんだから、邪魔するなよ。見ろよ、こいつの顔を。目の前で仲間が燃え尽きていくのに、手も足も出ない事を悟った時の顔だ」 「……自分にできる事は、いくつもない……それでも、一人一人がもてる最善の力を尽くせば……」 「黙れっていってんだろ! アバンの教えだかなんだか知らないけど、そんなものは気休めにしかならないんだから、黙ってろよ!」 パチン、と。ほつれた最後の糸を切るように。 残されたヒュンケルの自我を根こそぎ刈り取る音が鳴り響いた。 「さて、これで邪魔者はいなくなった訳だけど」 晴れやかな笑顔で、態度を豹変させながら。 こんな所ばかりは、間桐慎二の態度そのままで。 仮面を外した道化師は、士郎に向かってそう言い放った。 「そうだね……せっかくだから、特別サービスでいい事を教えてあげるよ。このトラップは僕を倒せば解除する事ができるトラップなんだ。それに、今すぐにヒュンケルが戦う事はできない――つまり、君は僕と1対1で戦って、このトラップを破るチャンスがあるという事なんだけど……どうする、衛宮?」 答えなんか、決まっている――言葉にはできないが、目線に意思を込めて。 ともあれば萎縮しそうになる心を奮い立たせて、士郎は再び立ち上がり、親友の姿をした敵を睨んだ。 「うん。そうこなくっちゃね。それじゃ、戦闘再開といこうか」 楽しげな笑みを浮かべて、外見だけは間桐慎二そのままで、仮面を外した道化師は士郎に襲い掛かる。 武器を持たない士郎に対し、道化師もまた無手であった。 だが、道化師の速度は、人間の限界というものを軽く超越したものだった。 「――――――――」 士郎の四肢に、胴体に、首へと打撃の嵐が次々と叩き込まれる。 防御の姿勢を固めて歯を食い縛り、後ろ足に重心を移して、かろうじて倒れる事だけは防いではいるが、士郎には反撃の手段がないのは明らかだった。 「……どうしたんだい、衛宮? 反撃してこないと、つまらないじゃないか。……ああ、そうか。どうやら、もうちょっとスリルが必要なようだね」 そういって、道化師はどこからか取り出した死神の鎌を構えた。 大きく鎌を振り上げ、これみよがしに隙を作って士郎を挑発する。 だが、その挑発に乗って、うかつに飛び込むのは躊躇われた。あれだけ巨大で重量のある鎌を扱いながら、彼はその重さをまったく感じさせていない。 それでも――衛宮士郎は、道化師の隙を突いて突進した。 あと10歩。 突進してくる士郎を見て、ことさら強調するように道化師は隙を広げる。 あと7歩。 士郎の頭の中には、先ほどのヒュンケルの言葉が残っていた。 ――――敗北とは、傷つき倒れることではない。そうした時に、自分を見失った時のことを言う あと5歩。 死神の鎌は道化師の余裕をそのまま反映して、俊敏とはいえない速度で振り下ろされ、それを目視した士郎は必要以上の動作をもって、かわしにかかる。 あと3歩。 死神の鎌の軌道は士郎の脇を掠める。 だが、その軌道は直線で振り切られるのではなく、逆方向へと変化した。 あと1歩。 逆方向へと変化した軌道に対応できずに横たわっているはずの衛宮士郎も、それを避けて道化師に拳を打ち込んだ衛宮士郎も、そこにはいなかった。 「猪突猛進なだけかと思ったけど……思ったよりも、冷静みたいだね」 詰まらなそうな様子で、道化師は干将・莫耶を手にした士郎に話しかける。 そう、士郎はあと3歩まで来た所で避ける動作と横転する動作を連動させ、先ほど弾き飛ばされた干将・莫耶の元へと向かったのだ。 「――――――――」 ――――あせらずにもう一度、じっくりと自分の使命と力量を考えなおせ 道化師の言葉を聞きながら、士郎は先ほどのヒュンケルの言葉を思い出していた。 そして、自分にできる事とすべき事を判断していく。 ダイを包み込む炎のトラップの打撃での打破――不可。 間桐慎二の姿を借りる道化師の打倒――不可。 令呪使用によるダイの救出――現時点では、不可。 その原因だと思われる≪マホトーン≫の打破―― 『普通は、ある程度以上のレベルの相手には通用しないものなんだけど』 ――可能性有。 道化師の言葉から導き出せる推論は、≪マホトーン≫は高い技量や抗魔力の持ち主なら、抵抗する事ができるものだということ。 それならば、打ち破る事も可能であると推測できる……そう、士郎は結論付けた。 「……さて、それじゃ続きといこうか」 停滞していた空気が再度揺れる。 今度は、目にも止まらぬ高速移動と、一撃一撃に力の篭った斬撃。 「――――」 2人の力がぶつかり、激しい光が生まれる。 だが、それもわずか一瞬。 人間には視認出来ない速度で、道化師の腕が上下する。 気が付くと、士郎の右腕と左足からは血が吹き出ていた。 何が起こったのかすらわからない、神速の斬撃。 士郎には、防ぐどころか視認する事さえできなかった。 不利を悟った士郎は、短く呼気を吐いて、後ろに飛び退く。 そのまま距離を取ろうとして、走った。ただ、ひたすらに走った。 士郎には、今の状況を打開するために投影するものが既に見えていた。 だが士郎は、今投影を行っても不完全な贋作にしかならない事を悟ってしまっている。 贋物でも使用に耐え得るならば。そう考えて行った投影では、士郎は投影そのものを成り立たせる事ができなかった。 だから、走った。何か別の方法はないかと。そう考えながら、ひたすらに走った。 だが、一瞬のようにも、永遠のようにも思えた時間は唐突に終わる。 「――――逃がしはしないよ」 その言葉と同時に、鋭利な刃が士郎の前方を遮断した。 1本、2本、3本。ファントムレイザーと呼ばれる不可視の刃が、士郎の目の前に姿を現す。 「あんまり遠くまでいくようだと、僕もこれを使わせてもらおうかとも思ったけど……衛宮は、そんな事はしないよね?」 悪友同士が下手な芝居をうつような笑顔で、道化師はそんな事を士郎に宣言する。 もう既に正体を現しているというのに……こんな所ばかりは、道化師はどうしようもなく間桐慎二だった。 「……うん。それでこそ、衛宮だね。それじゃご褒美に、ボクも少し手加減をしてあげるよ」 そういって、道化師は、人間の肉体を限界まで使いこなした速度で飛び掛る。 鋼を打ち合わせる事、数号。 今度は士郎も、道化師の攻撃の速度を視認する事ができている。 打ち合わせる干将・莫耶も、弾かれる事なく衝突音を放っている。 ――――だが、それだけ。 士郎が一撃を与える間に、道化師は次々と攻撃の嵐を放ってくる。 一撃目は、相殺。だが、二撃目、三撃目は士郎の体だけを傷つける。 士郎の攻撃は一度も道化師の体に当たらず、手加減した道化師の攻撃は士郎の体を切り裂き続けた。 人間は、サーヴァントには敵わない。 士郎がしている事は、そんなわかりきった事の証明だけだった。 気持ちだけでは、どうにもならない壁。 目の前に厳然としてあるその壁に向かって、士郎はあがき続けていた。 その成果は、しかし、穴の開いたひしゃくで水を掬うようなものでしかなかった。 傷口を押さえつける程度であり、開いた穴は塞がらない。 結末は、士郎が死力を尽くしたところで止められるものではなかった。 「……普通に戦うのもそろそろ飽きてきたね。そうだ、せっかくだからクイズをしようか。……さて、問題です。何故ボクは、わざわざ君に隠したままでいた正体を教えてあげたのかな?」 これで何度目になるのだろうか? 干将を突き出した刃の先には、何もなかった。 今現在の士郎に出来る、最善の攻撃。 手加減など一切ない、攻防一体の動き。 だが、道化師は一瞬でその攻撃の死角へと飛び込んできた。 同時、流れるような身のこなしで左拳を士郎のみぞおちに叩き込む。 それをまともに食らい、士郎の意識は刈り取られていった。 ――――いいか。おまえは戦う者ではなく、生み出す者にすぎん 朦朧とする意識の中で響き渡るのは、誰の言葉だったか。 アバンという名の、ダイやヒュンケルの師だったのだろうか? それとも、遠くて近い、遥か彼方にいる別の誰かだったのだろうか? 「……残念、時間切れ。正解はね、僕が好きだからなんだ……」 呪文が使えない? ――――それがどうした。 セイバーを呼べない? ――――それが何だ。 雁作者としてのプライド? ――――そんなものは捨ててしまえ。 「……目の前で仲間が燃え尽きていくのに何もできない、人間の苦悩と絶望。そんな表情を浮かべた人間を見るのが、ボクは大好きなんだよ」 濁流。そう呼べるほどの記憶が、士郎の脳裏へと注ぎ込まれる。 敗北のイメージを棄却せよ。崩れ落ちる己を否定せよ。 士郎の脳裏に浮かぶのは、単身でバーサーカーへと立ち向かったあの姿。 あの時は眺めるだけだったあの背中。だが、いつまでも眺めているだけではいられない。 あの日、あの時、再び誓ったのだ。 衛宮切嗣のように、彼女のように生きようと。 彼女達は――自分を信じてくれた彼等は、正しいと。 騎士王は、正義の味方は、間違えてなどいないと証明するために。 世界から嫌われ、一人ぼっちになったとしても。 何一つ、報われる事がなかったとしても。 不完全な雁作を作り続ける偽者、そう言われたとしても。 それでも、誰かの為に戦い続けようと。 ただひたすらに、誰かの為の剣で有り続けようと。 なぜなら―――― I am the bone of my sword. ――――この身体は、剣で出来ているのだから。 士郎の手にあるものは、新たに投影された宝具。 かつて聖杯戦争において、裏切りの魔女が使用していた宝具。 その名を、"破戒すべき全ての符"という。 歪な短剣が、真名の開放と共に士郎の胸に伸びる。 短剣から発せられる魔力は微弱なもの。 神経そのものが魔術回路と化している異端の魔術師である士郎だからこそ成しえた投影。 それは、士郎が雁作者としてのプライドを捨てて成り立たせた不完全な投影。 ――――それでも、不完全な呪文≪マホトーン≫を破るきっかけには、十分なものだった。 「……へえ、≪マホトーン≫を破ったんだ。……一気に破るまではいかないけれども、そのきっかけにはなったという所かな?」 苦虫を噛み潰したような表情で、道化師が呟く。 言葉自体は感情が篭っていないようにどこか虚ろだが、その言は正鵠を得ていた。 士郎がかけられていた≪マホトーン≫の効果はまだ残ってはいたが、徐々にその効果が薄れてきている。 「……どうやら、これ以上君と遊ぶのは危険なようだね。残念だけど、呪文の効果が切れる前に決着をつけさせてもらうよ」 楽しみにしていた玩具を取り上げられた子供。 この場には似つかわしくない、そんな表情で、死神の鎌が振り下ろされる。 人間には避けられない速さ。 衛宮士郎には避けられない死。 それを、士郎は躊躇いもなく手にした干将で迎え撃った。 ――――自分にできる事は、いくつもない。それでも、一人一人がもてる最善の力を尽くせば その剣戟は、果たしてどのようなものだったか。 士郎はいつの間にか、無意識のうちに干将・莫耶における理想の動きというものを体現していた。 鶴翼欠落不 心技泰山至 心技――― 干将・莫耶の真意に触れる。 2つの曲線。引かれあう陰と陽。連続投影。 剣術自体は、基本を守る。 ただ純粋に、物事を突き詰める。 その干将・莫耶の表れこそが、 ────鶴翼、欠落ヲ不ラズ(心技、無欠にして磐石) 斬撃の勢いが弱まった瞬間、わずかに発せられた言葉に魔力を込めて士郎は干将・莫耶を放った。 左右同時に投擲された双剣の狙いは、道化師の首。 弧を描く二つの刃は、敵上で交差するように飛翔する。 ────心技、泰山ニ至り(力、山を抜き) 美しい弧を描きながら、交差しながら、鶴翼は道化師を襲う。 それと同時に、士郎は一気に間合いを詰めた。 道化師はかろうじて投擲された双剣を弾くが、空のはずの士郎の手には、既に新たな双剣が投影されている。 そして、手に携えている干将・莫耶で交差するかのように、士郎は道化師を切り裂く。 ────心技、黄河ヲ渡ル(剣、水を分かつ) 続く剣に呼応して弾かれた双剣が、道化師を背後から襲う。 弾かれる度に、何度でも、左右の剣に呼応して呼び寄せられる干将・莫耶の群れに、道化師は対応できなかった。 両肩を狙い、左の干将を弾かれた士郎の攻撃は、右手に握る獏耶によって成し遂げられる。 士郎の放った一閃により、道化師の体は右肩から胸の辺りまでざっくりと切り裂かれていた。 「……気にいらない。気に入らないよ──衛宮士郎」 道化師の呟きは、士郎の耳には入らない。 だが、その言葉には、確実に苛立ちが篭っていた。 「──行け、ヒュンケル!」 その言葉で、時が停止する。 そこには、相手を罠にはめてその事を楽しむような余裕も、高みから相手をもてあそぶような視線もなかった。 ただ効率的に相手を抹殺する。死神と呼ばれた本来の姿が、そこにはあった。 それを受けて、士郎も意識を明確にして我に帰る。 マホトーンの効力はずいぶんと薄れ、今なら令呪を使う事も可能かもしれない。 その想いによって、凝縮された魔力が士郎の左腕に集中する。 だが──士郎は、ここで躊躇した。 令呪の残り回数から見て、完全にマホトーンの効力が切れるまで時間を稼いで、確実に使用できるようにしてから方がいいのではないか? それとも、相手が余裕も遊びも捨てて本気になっている今は、自分一人で時間稼ぎなんて事をするのは余りにも危険ではないのか? そんな二律背反する思いで、士郎が決断を下せずにいると――ヒュンという風を仰ぐ音が聞こえた。 「―――――」 わずかに弾いて軌道を逸らせたが、ヒュンケルの槍は、士郎の心臓部を寸分の狂いもなく狙ってきた。 絶対零度の旋律が、士郎の背筋を駆け抜ける。 やむを得ず、士郎は令呪を使おうと魔力を左手に集中させるが、 「いいから、そいつは取っときな」 突如として、どこからか静止の声がかけられた。 「──お前は!」 突然かけられた言葉に驚きながらも、未だ言葉が戻りきらぬ士郎の思いを、道化師が代弁した。 そこにいたのは、新緑の服を着てマントを翻した一人の青年だった。 渦巻く膨大な魔力はこの世界のものとは根本的に違っていたが、桁違いという以外の形容の仕様がない。それでいて感じられる波動は優しく、この青年がダイの味方であるという事を容易に想像させた。 この場所に、ダイの味方であろう青年がいる事は奇跡なのだろうか? それとも、持てる最善の力を尽くしたからこそ現れた勝利への光明なのだろうか? ──否。この世に偶然は存在しない、あるのはただ必然のみ。 「なるほど。嬢ちゃんが俺を急がせたのは、こんな事を想定してたんだな」 独り言を呟くその青年は、手にしていたマジックロッドを悠々と構えた。 物事は、何かしらの原因があって初めて結果として現れるものである。 そんな当たり前の事は、青年の独り言を聞けばすぐに理解できる。 ──だがそれでも、士郎はこの必然を奇跡だと信じてしまっていた。 いつの間にか、ヒュンケルの足元には五芳星が広がっていた。 その五芳星に向かって、青年は何事かを命じる。 「呆けているところ悪いが、ダイのマスター。ちょっとだけ、そいつらを見ていてくれないか? 長くはもたないが、ちょっとの間なら大丈夫なはずだからよ」 そういって青年は、マントを翻してダイを包み込む炎の渦の前に移動する。 あまりにもあっけらかんとしていたためだろうか? それとも、別の理由があるのか? 道化師ですら、青年のその行動を阻もうとはしなかった。 「俺、お前のこと結構長く待ってたんだぜ」 青年はそう言って、左右の腕に魔力を集中させながらも炎につつまれているダイへと話しかけた。 「どの位待ったと思う? 結構、長かったんだぜ。師匠もそうだが、大魔道士なんてものは、長生きするもんだと相場が決まってるからな。まあ……そんなこんなで、色々と積もる話もあるんだけどよ」 そう話す青年の横顔に浮かぶ笑いは、優しくそれでいて威厳を感じさせた。 重ねた両手の平では、純粋で高密度なエネルギーがバチバチと爆ぜている。 ばさりと新緑のマントをなびかせて、青年は引き絞るように左腕を引いた。 青年の両手の楔を外れ、自由になった全てを消し去る魔力が炎の渦を消し去る。 後に残ったものは、幾千の夜、幾万の時間を越えて、再開した2人の友人達。 「……待たせたな。親友」 万感の想いを込めて。告げたかった言葉を、大魔道士と名乗る男はそっと呟いた。 |
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