人殺しの末路 |
作者:
さけのきりみ
2024年04月01日(月) 01時05分01秒公開
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右頬が熱い 両耳がキンキンと残響する 両手に携えた生暖かい感触が 煮えきった血を急激に冷ます 皮膚を真っ赤に染め 口腔から泡ぶくを立てて崩れ落ちるそれは 最期の刹那に血走った目で私の目を見つめた 徐々に温度を失っていくそれを ベッドの上に横たえて深呼吸をする 目をつむり 5秒数える 少し落ち着きを取り戻した思考回路で この後のことを考える 時刻は夜の9時 夜闇に塗れるにはまだ少し 人の目が怖い 冷たくなっていく顔、髪を撫で 残滓を鼻孔で感じながら愛おしさを呼び起こす 気づいたら時計は11時を回っていた 雑念を振り払い 清廉潔白な人生のためを思って次の準備を始める ーーーーーー 迷い猫のようなものだった 仕事帰り 駅の改札を出て雨樋の下にポツリと それは居た 売店も締まり 雨に打たれることを許容せざるを得まいか 私はタクシーに乗ることにした 同じような客が数名 ターミナルに向かっていくのが見える その子はまだ動かずに居た 時計が0時を過ぎようとしていたので 訳ありかと声を掛ける 話を聞くと とにかく遠くから、宛もなく、 気づけば終点のこの駅にたどり着いていたという 帰りの便もなく 追い出されるように駅を降りた結果 路銀も尽き 途方に暮れていたとのことだ 事情を聞き同情してしまったこともあり 私はひとまず自宅に招くことにした。 相手も余裕はなかったのだろう 逡巡の後に小さく頷いた 家に着くとひとまず1式の寝具を取り出し 来客用だと言って自由に使わせることにした 普段から遅く返ってくることが多く 座椅子になだれ込むように寝入るため布団の一つくらい 人に貸すのも惜しくない 春先というのに寒く、雨に降られていたためだろう その子は少し震えていた 風邪を引かせてしまっては忍びないと ひとまずシャワーを浴びるように促す 何度かの交渉の末 相手方が先に折れ無事に良心を完璧に保つことに成功した さて、代わりの着替えは適当にスウェットでも出しておこう その子が体を温めている間 寝酒に用意してある缶ビールの封を切り 一日の疲れとともに流し込む 部屋には温く 水の音が充満していた 二本目に指をかけたとき 彼女がシャワーから上がってきた 部屋に漂う芳香はどうも自分の使っているボディーソープのものとは思えない 甘く、官能的な香りだった 好きにタオルでもドライヤーでも使うように伝えたあと 私もシャワーで体を清める 5分とないうちに浴室から出て水気を拭き取り 着替えてすぐに部屋に戻る いつもながら何も無い部屋だったが 今日限りはそこに 窓の外を眺める彼女がいた 何を考えているのだろうか 少なくとも愉快なことではないだろうとその眼差しが語る 戻ってきたこちらに気づき 目元を緩ませて微笑みかける 寝入る次第になり 私の分の布団はないのかと尋ねられる 気を使われ、使った結果 なし崩し的に同衾することとなった カーテンの隙間から夜空の光が差し込む シングルサイズの空間で 半身が触れ合う状態で布団にくるまっている 真横に感じる体温と呼吸音 触れ合う足、腕 私達は何も言わないままお互いを求めあった 夜が明け 朝になった 真隣にいる彼女に 私は今後どうするのか尋ねた 彼女は言った 行く宛もない 帰ったところで居場所はない どうすればいいのかわからない ふと私は どうしてだろうか 生きているのをやめたい? と聞いてしまった 時間に空白が生まれる 彼女の目は私を見ているようで何処か焦点が合わない なにか考えるような、思いもつかないような表情がこちらを見ている その子は言った そうかもしれない もしそうなら今日を最後にしてもいいかもしれない と 間違ったことを聞いた私は話題をそらし せっかくであれば今日はここをいくつか散策すると良いと言った なぜか、帰ったらどうかとは口から出てこなかった 日が沈む 進言通り 彼女はしばらく悩んだもののここらで時間を過ごしていた とりつく島のようなものだったのだろう 苦悶の表情を浮かべたあと諦めたような風にそうしますと答えた せっかくなので外出のまま夕食を済ませ 家に戻ってきた 昨日と同じようにやり取りをし 時計が8時を指す 枕元で彼女が囁いた 私を楽にしてほしい と 耳にするやいなや 彼女の方を見ると縋るように私に身を寄せてきた 私の手を取り 胸元に持ち上げ そのまま首元にかかる 神妙な雰囲気の中 沈黙だけがそこにあった 口を開く 私は人殺しにはなれない たとえそれがどんな大罪を背負い 死を希う老婆であれど 命を奪うことはできない それならばと 彼女は私に大義名分を与えた 右側から大きな衝撃が襲ってきた 右頬が熱い 両耳がキンキンと残響する 襲撃の正体を理解しないまま 原因である彼女を取り押さえる 馬乗りになるようにして自由を奪う 痛みに再起された怒りと憎しみの眼差しで彼女を見つめた 彼女は悲哀を帯びた目で私に希った 肩口を抑えていた両手が 首元に滑っていく ーーーー その一言を最期に 彼女は永い眠りについた 皮膚を真っ赤に染め 口腔から泡ぶくを立てて崩れ落ちるそれは 最期の刹那に血走った目で私の目を見つめた 彼女は私を赦したのだろうか 平静を装い 人通りのなくなった夜道を 彼女を背負って歩く 夜が明けないまま 行く宛もないままに |
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