猫耳部長 番外編:Sweet home
2005.05.28
今年で三十歳を向かえる乾啓介は都心から少し離れた住宅街を足早に歩いていた。
こうして日がある内に帰ってくるのは久しぶりだ。
去年この街に家を買ったのは正解だった。通勤には多少不便だが一瞬でも都会の喧騒が忘れられる。
夕食の支度をしている家庭から漂う匂いに胃が刺激され、一週間分の疲れも癒されていく。
あれから五年、猫田と結婚してすぐに啓介は人事部へと異動になった。
毎日忙しく過ごしている内に仕事は増え、最近では毎日遅くまで残業する日々が続いている。

新入社員だったあの頃とは比べ物にならないくらいに責任が増えた。
毎日、必死で働いて主任という役職も手に入れた。
だが、これで良かったのかとふと思う時もある。

結婚してすぐに子供が生まれ、猫田はあっさりと会社を辞めた。
会社からは産休制度を進められたが両立は出来そうに無いと家庭に入り、啓介や子供の為に毎日を過ごしている。

猫耳部長と呼ばれていた男はもういない……。

纏わりつく想いを振りきるように啓介は駆け出した。
あの頃の自分を追い越すように。あれだけ仕事が好きだった猫田に追いつけるように……。



少し走っただけで上がる息を整えてから、もうだいぶ見なれた我が家を見上げた。
そうだ、俺には守るべき家族がいる。
振り返ってばかりはいられないと目を閉じて大きく息を吸い込む。
いつまでたっても大人になりきれていない自分に苦笑しながら啓介は玄関の鍵を開けた。

ドアを開けると玄関先で小さな子供が膝を抱えて座っている。
「どうした勇介?」
声をかけると随分と泣いたのだろう彼は真っ赤な目で啓介を見上げ、小さな声で唸りながら泣き始めた。
「父ちゃんに怒られた……」
乾勇介。今年で五歳になる彼は啓介をパパと呼び猫田の事を父ちゃんと呼ぶ。
誰が教えた訳でも無いのだが、実の父親が二人いる状況を彼なりに理解しようとしているようだった。
「また悪い事したんだろ?」
膝を抱えたまま首を横に振って否定しているが、悪戯盛りの勇介は毎日のように悪さをしては猫田に叱られて泣いている。

「ほら、泣くなよ。パパが一緒に謝ってやるから」
頭を撫でると勇介は両手を上げて「抱っこ」と鼻を啜りながら甘えた声でせがむ。
溜息を一つついて啓介が抱き上げると、勇介はぎゅっと腕を掴んで顔を埋めた。
「うわ……鼻水くっつけるなよぉ……」
猫田にはいつもお前は甘いと嫌味を言われるが、こうして全身で甘えてくる勇介を目の前にすると、どうしても表情が緩んでしまう。
少し高い子供の体温。彼を抱いていると言葉にならない想いで満たされていく。
緊張でピクピクと動く勇介の耳が鼻先をくすぐる。猫田と同じく勇介にも猫のような耳に長い尻尾が付いている。毛色は違うが彼も立派な猫耳だ。

猫耳が出産する子供は例外無く猫耳だという事から、長い間個体で繁栄していく種族だと信じられていた。
しかし、近年の研究では性交渉をした相手の遺伝子も含まれている事が判明しているようだ。
そのお陰で婚姻も認められるようになったのだから、現代に生まれて来た事を感謝しなくてはならない。


「こりゃまた派手にやったな……」
勇介を抱えたままリビングのドアを開けると壁一面に色とりどりのクレヨンが這った痕が残っていた。
鮮やかなクレヨンの色が、まだ新築で真新しい白い壁紙によく映えている。
猫田が怒るのも仕方が無い。
啓介が帰って来た事に気付いたようだが、猫田は顔も上げずに壁の汚れを落とすのに夢中になっている。

「ほら、謝っちゃえよ」
黒くて長い尻尾を撫でると勇介はくすぐったそうに「にゃぁ」と声を上げるのは条件反射なのだろう。
やっと泣き止んだと思ったのに、猫田の機嫌を察知してか大きな瞳にみるみる涙が溢れてしゃくり上げる。
「ご、ごめんにゃしゃいっ……」
啓介はこの舌足らずな話し方だけでフニャフニャと溶ろけてしまうが猫田は厳しい。
強張った表情のままゴツンと額をぶつけて「もうするなよ」と低い声で勇介を睨む。
涙声を詰まらせながら勇介が返事をすると、猫田はキスをして泣きじゃくる勇介を宥めた。

泣きすぎて興奮している勇介を猫田が寝かしつけている間、啓介は夕食を済ませて風呂に入った。
テレビを見ながら一人で食べる夕食に多少の虚しさを感じる事もあるが寂しくは無い。
すぐ傍に感じる猫田と勇介の体温や笑い声。それが今の啓介を支えている。

「まったく誰に似たんだか……」
啓介が風呂から出ると壁の汚れを落とす手を止めて猫田は冷蔵庫からビールを取り出す。
ここからは大人の時間だ。二人きりでゆっくり過ごす夜は久しぶりで昼間は育児に追われている猫田が日頃溜め込んでいたストレスを吐き出そうと缶ビールをグラスに注いだ。

「元気があっていいじゃないか」
勇介が悪戯をする度に猫田は誰に似たんだと怒りの矛先を啓介に向ける。
猫耳と言っても勇介の毛色は真っ黒なのに対して猫田のそれは濃い茶系だし、顔立ちや仕草も両親や親戚からは啓介の幼い頃と瓜二つだと言われているから自分が責められているような気分だ。
度が過ぎれば啓介だって叱る事もあるが、元来のんびりと育ってきた啓介には多少の悪戯でさえ可愛く思えてしまう。

「お前は毎日一緒にいないからそんな事が言えるんだよ。この間だって俺が幼稚園に迎えに行ったら男の子を押倒して服を脱がせてたんだぞ? こら啓介、笑い事じゃ無いって。気まずかったんだから。先生にも言われたんだぞ毎日その男の子泣かせてるって……」
猫田の愚痴に声を上げて笑いながら啓介は自分の幼い頃を思い出を語った。
自分にも覚えがある。
好きな子がいてもどうやって接していいのか分らず、意地悪をしたり攻撃的に触れ合う事で未熟で幼い衝動を満たしていたんだと。
だが受身の猫田には啓介や勇介の雄としての衝動がどうしても理解出来ないようで、もう少し協調性を持ってくれないとなどと文句を言いながら啓介のビールを取り上げて一気に飲み干した。

「まあ勇介は一人っ子だからな……兄弟でもいれば協調性も身に付くんだろうけど……」
意味ありげな視線を向け、酒の所為で赤く染まった猫田の頬を撫でると彼は何かを察したように身を引いた。
兄弟が居なくてもしっかりした子はしっかりしているんだと不貞腐れたように正論を吐きながら啓介の手を避け、そろそろ寝ようかと猫田はグラスを片付けようと立ち上がる。
子供が出来て以来、猫田は啓介の誘いに消極的になってしまった。
決して嫌だという訳では無いそうなのだが、抱かれている時に無防備に甘えてしまう事が恥かしいらしい。

だが、猫田が逃げれば逃げる程に啓介の欲望は膨らんでいく。
これも抱かれる側の猫田には決して理解出来ない衝動なのだろう。
グラスを洗う猫田を後ろから抱き締めて身体を密着させると、膨らんだ欲望を押し付けながら腰を動かす。

「ちょっ、啓介……止めろよ……勇介が起きたらどうすんだ……」
首筋に這わせた舌に戸惑いながらも猫田は啓介が与える刺激に敏感に反応している。
このまま押倒してしまいたい衝動を抑えながら、啓介は猫田を抱き上げて買ったばかりのソファーまで運んで放り投げた。
「じゃあ、ここでしようか?」
啓介が覆い被さると猫田は赤くなった顔を見られないように啓介の胸元に潜り込んだ。
それを合図に啓介は下で小さくなっている猫田を押さえつけ、唇で印をつけながら服を脱がせていく。
愛撫に反応して赤く染まってく肌は五年前よりも輝きを取り戻していた。
あくまで憶測だが、性交渉の時に相手の遺伝子を分解・融合出来る機能を持った猫耳という種族は他の遺伝子を受け入れる事で自らの細胞も活性化させるのではないだろうか。
一般的に猫耳は若い期間がとても長いと言われているのもその所為なのだろう。
猫田も四十代後半を迎えているが、この間の健康診断では三十代前半の体力だと診断されている。

「あっ……」
若い時と違って啓介も何かに急かされるような抱き方はしなくなった。
探るように猫田の肌に指を這わせ、反応する場所を焦らすように刺激すると、猫田は溶けるような表情を見せてくれる。
啓介の手の中で猫田が何度か果てた時、自分の興奮がようやく最高潮まで達して一つに重なる。

「んっ……勇……そんなに焦るなよ……」
焦らされて熱くなった猫田の中は啓介を受け入れると、思わず零れそうになる程に柔らかく動いて締めつける。
猫田自身が意識している訳でも無いが、猫耳は昂ぶっていると相手に与える刺激も大きい。
「にゃあっ……啓介っ……駄目だっ……早く終わって………」
入れただけでも人間の何倍も感じてしまう猫田は、どうしようも無く押し寄せる快楽に喘ぎながら啓介にしがみ付いて腰を動かす。
仕方無いなと言いながら啓介は唇を塞いで舌を絡ませると、重なった唇から漏れる猫田の叫び声を聞きながら激しく腰をぶつけた。

「ん……もう出る……」
まだ若いつもりでいても三十代に入ってからは、一度果ててからすぐに二回目に入るのが難しくなっていた。
疲れてそのまま眠ってしまう事も多く、肉体的には満足していても精神的には不完全燃焼で終わってしまう事もある。
久しぶりだから時間をかけてという思いも虚しく、啓介は中心に絡みつく熱に堪えきれずに震える猫田の中に向かって欲望を吐き出した。


翌朝、目が覚めるとまだ六時半だというのに、勇介がガタガタと大きな音を立ててバケツを運んで壁の汚れを睨んでいた。
まだ眠気が覚めずに啓介がそのまま眺めていると、上手く絞れずにビショビショに濡れたままの雑巾で壁を擦り始めた。
昨日の出来事を反省しているようで、必死になっている姿が愛とおしい。

「おはよ……」
半身を起こしタバコに火を点けながら声をかけると、勇介は叱られてもいないのにビクリと身体を硬直させて振り返る。
目が合うとバツが悪そうに床を睨んでモゾモゾと足をくねらせながら雫が落ちている雑巾を後ろに隠した。

「パパ達ズルイよ……僕、昨日ちゃんと謝ったのに仲間外れにしてさ……」
昨日は空が明るくなるまで何度も猫田と抱き合っていた。
いつもなら行為の後はシャワーを浴びて服を着てから勇介の眠るベッドに戻っているのだが、久しぶりに燃えた所為なのか二人ともそのまま眠ってしまっていたのだ。
朝起きたらベッドに一人きりで、両親が別の部屋で寝ていた事がどうやら幼い勇介にはショックだったようだ。

「手伝ってやるよ」
自分が悪戯ばかりしているから仲間外れにされたんだと勘違いをして、朝早くから掃除を始めるなんて意地らしい所もあるじゃないか。
吸いかけのタバコを揉み消して起き上がると勇介の持った雑巾取り上げて硬く絞った。、
「あれ? 何で裸んぼなの?」
不思議そうな顔をしながらもブラブラと揺れる啓介の股間にじゃれつく。
猫耳の習性なのか、生まれながらの男好きなのか、啓介が裸でいるといつも飛びついてくるから油断が出来ない。
風呂に入っている時に飛びつかれた時には見事にヒットして痛みに唸った事が何度もあった。

「ん?……あれ?……あ、暑かったから……ああ父ちゃんは起こすなよ、疲れてるんだから。二人でキレイにして父ちゃんをビックリさせてやろうなっ」
子供の好奇心を甘くみてはいけない。
パパと父ちゃんは暑いからって裸で寝てたなんて外で無邪気に言われてはいい笑い者だ。
啓介は苦しい言訳をしながら目をギラギラさせて向かってくる勇介の頭を押さえつけて下着を履いた。

こうして家族に囲まれてドタバタと過ぎていく毎日も悪くは無い。
子供の頃に描いていた未来の姿は宇宙飛行士だったり野球選手だったり。
大人になれば自分もヒーローになれるんだと思っていた。

「パパすげぇ……お掃除名人だね」
テキパキと壁の汚れを落としていく啓介の手際の良さに勇介は目を輝かせて喜んでいる。
「まあな……」
本当に凄いのは啓介では無く、猫田が通販で買った洗剤の力なのだが勇介には黙っている事にした。
随分と情けないヒーローだが、勇介にとって自分がいつまでもヒーローでいられるのか。
いつか彼がその正体に気付かれた時、情けない親父だけど少しでも誇りに思ってくれたら……。
そしてソファーで口を開けて眠っている猫田にもいつか……。

啓介は自分の想いをぶつけるように壁を擦る手に力を込めた。



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BLでの結婚、出産ネタは好みじゃないって方も多いかと思いますが、こんなのもあるよって事でどうか一つ勘弁してやって下さい。
このサイトでは主に普通の男の子同士のエロや恋愛を扱っている(自分で思ってるだけですが)のでこの手のネタはどうかなと思ってたんですが、これもまた良しと言って下さる方から感想など頂けてとても嬉しかったです。
猫耳部長は完結ですが、またいつか彼らの事を書きたいなと思うくらい自分でも楽しめた連載でした。
ここまでお付き合い下さった方、暖かいご感想を下さった方には感謝の気持で一杯です。
以後、他のテキストも完結に向けて更新していきますので、また遊びに来て下されば幸いです。