火の山の竜
第1章 第11話
〜秘密 狂い出す歯車〜
リラは人の気配を感じ、目を覚ました。部屋は闇に包まれている。まだ真夜中なのだ。
ふと、隣の寝台に目をやった。ロウの寝台だ。だが、少年はそこにはいない。
不思議に思い、部屋を見回す。
風が少女の長い髪を撫でた。窓が開いている。そこに、ロウはいた。窓枠によりかかり、リラをじっと見ていた。
少年の瞳は赤い。月夜に照らされ、目は血よりも濃く輝く。
夜風が吹き込み、少年の黒い髪を撫でた。
唇を少し引き上げて、少年は笑う。その額には、あの黒いあざが浮かび上がっている。それは欠け崩れかかっている。
「ロ、ロウ……」
リラはおののき、かぶりを振る。
それは、あの日、洞窟で見た自分の知らない少年の目だった。
「あなたは、ロウなの……?」
リラは呆然と口を開いた。
返事はなく、闇の中、少年はただ静かに笑みを返してくるばかりだ。
「――人を」
少年が口を開いた。
「人を勝手に綽名で呼ぶとは」
少年が足を一歩前に出す。
リラは動くことができない。
「君は誰だい?」
少し小首を傾げて訊ね返してきた。
伸ばされた少年の手が、リラの首すじにかかる。ひんやりと冷たい手。その手は確かにロウのものだった。髪も声も、全てがロウのものだ。
だが、姿は同じでもそれがロウではないということは分かっていた。
赤い瞳がリラを見ていた。
逃げなければいけない、危険だ、と本能が叫ぶ。だが身体が痺れたように抗うことができない。ゆっくりと首に力が加えられていく。そのまま首を持ち上げられ身体が浮いた。手をのけようと少年の腕に手をやるが、力が入らない。少年は、首のどこに力をかければ人が傷つくか知っているようだ。
「ロ、ロ……ウ」
少年は面白いとでもいうように、笑みを浮かべた顔でリラを見ていた。
さらに力をかけられ、ギリギリと首を絞め上げられる。
息をすることはおろか、声をだすこともできなくなり、リラは錯乱した。何が起こっているのか分からなかった。
視界が明滅し、気を失いかけたその時。
「何やってるんだよ!」
ドアが勢いよく跳ね開けられ、スカッシュが部屋に入ってきた。
「夜中に騒がしいと思ったら……」
その後ろには青年の父親、ソウが立っている。
ソウは薄く笑みを浮かべ、すいと目の前に手をかざす。その口からリラの耳では聞きとることのできない言葉が紡ぎだされた。魔族語だ。呪文を唱えているのだ。
とたん、ロウの身体が石のように硬直し、リラの首を絞めていた手の力が緩まる。
少年の手から解放されたリラは、そのまましりもちをついた。
「……っく。けほ、ごほっ」
むせこみながらロウを見上げると、少年は苦しげに自分の首を押さえていた。
魔族得意の幻術か、ロウの首筋に人の手で絞められたような赤い跡がついていく。五層の冥府の住人たちは人間を操る術に長けているのだ。ロウは身体を折り、苦しげにもがく。
「ソ、ソウさん。止めて、ロウが苦しがってる」
リラは慌ててソウの袖を掴む。
それでもソウの呪文詠唱は止まらない。
「教育的指導です。目には目を、歯には歯を、って言うでしょう?」
詠唱の合間に言って、ソウは金の目をすっと細める。ぞくりとする笑みだった。優しい笑みに隠れて気がつかずにいたが、彼はまがいなりにも魔族なのだ。そのことをリラは思い知らされた。
自分が守らねばロウは殺されてしまう、リラはそんな気がした。
「ソウさん! あ、あたし、もう平気だから、ロウに酷いことするの、止めて!」
半泣きになりながら、声を上ずらせてすがりついた。
自分のことはどうでもよいと、少年を傷つけないでくれと、懇願した。
「お願い、ソウさん。止めて、止めて……っ!
初めは聞く耳を持たなかったソウはちらりとリラを見るとため息をつき、かかげた腕を下ろした。
「ボクは女性に手を上げる者は、子どもでも容赦しません。ですが、女性の泣き顔はもっと苦手です」
呪文が止んだ。
ロウはその場に倒れていた。ぴくりとも動かない。
リラは慌てて少年のところまで駆け寄ると、覆い被さるようにしてぎゅっと抱きしめた。自分が守るのだと、小さな身体で少年の盾になるかのように。
スカッシュが駆け寄りロウの首筋やら手首やらをひとしきり触り、リラに向かって笑みを作る。
「大丈夫だよ、嬢ちゃん。気を失ってるだけだから」
リラはそれを聞いて、わっと泣き出した。気が緩んだのだろう。死の恐怖と、不安、そして助かったという安堵がないまぜになって襲ってきたのだ。
目の前に出された湯気の立つ暖かいお茶に、リラは口をつける。
リラは鼻をすすり、目の端に溜まる涙を拭った。
居間の卓を囲み、リラとスカッシュ、そしてソウが座っていた。
ロウは、眠りの魔法をかけられ寝かされていた。起こすと面倒だからと、ソウがかけたのだ。
「ロウが……、ロウは……」
話そうとして、リラはむせるように咳をする。未だのどが痛むのだ。
「ギステネアに関わると、よいことはありませんよ」
ソウが碗を手に取り、さらりと言った。
「それでも!」
リラは立ち上がり声を荒らげた。
「それでもあたしはロウと一緒にいたいの。いつも二人がいいの!」
挑むような目でソウを睨みつける。なぜだか分からなかったがロウの故郷を悪く言われることが、自分のことを言われるよりも嫌だったのだ。
ソウは黙ったまま、それを聞いていた。
リラは続ける。言葉がせきをきって止まらなかった。
「ソウさんには分からないわよ! ソウさんにロウの何が分かるの!?」
一瞬の間をおいてソウは無表情にリラを見やったあと、静かに頭を下げた。
「すみません」
そのまま立ち上がると、ソウは居間から出ていってしまった。
あとには、うつむいてしまったリラとスカッシュが残される。
「あんなふうだけど、本当は心配してるんだと思うぜ。あのオヤジが人間を助けるんだから」
「……お礼、言い忘れちゃった」
リラは顔を上げると、それだけ言って席を立ちソウのあとを追った。
八つ当たりだとリラは自覚している。リラ自身でさえロウのことをあまりよく知らないというのに、ソウに八つ当たりをしたのだ。混乱した気持ちをどこに向けてよいか分からなかったのだ。だから謝り、助けて貰った礼を言わねばならない。
スカッシュに教えられたソウの部屋を目指した。二階の、突き当たりの部屋だという。
深呼吸をして、リラは心持ち緊張したようすで扉をノックした。
返事はなく、少し開いた扉の隙間から見た部屋の中は薄暗い。明りを灯していないようだった。
「ソウさん、入るわね?」
小さく声をかけて中に一歩足を踏み入れと、香木を焚いたような香りが鼻をかすめた。部屋の中は暗くてよくは見えないが、所狭しと瓶や薬品が並べられている。
リラは、薬師の家のようだと思った。
ソウは、床に膝をついて倒れるように寝台に突っ伏していた。
「ソ、ソウさん、どうしたの、大丈夫!?」
リラは慌ててソウに駆け寄る。
ソウは頭を少しだけ動かして、リラをぼうっとした目で見た。肩で息をしている。
「……少し、力が抜けただけです。貴女を助けるときに少し、力を使いすぎて。でも、少し休めばもとに戻ります……から」
そう説明したソウはいかにも苦しげだ。だが少し微笑って息をつくと、言葉を続ける。
「貴女が、ボクの娘に似ていたので……」
「娘?」
「ええ、ちょうど、貴女と同じくらいの年で、……もういないのですが」
彼は悲しげな表情で、
「それでなんだか貴女が放っておけなかったのです」
「ソウさん……」
「ボクは五層の冥府から地上に出てきてずいぶんたち、情けないのですが、すっかり身体が弱ってしまいました。ボクたち魔族は日の光に弱くて」
それから、弱々しく彼はリラに微笑みかけた。
「それと、先ほどはあの少年にも酷いことをしましたね。すみません」
ソウはずいぶんと弱っているのだ。リラはそのことを知らなかった。自分を助けるために力を使い苦しんでいるソウに、何かしてあげなければとリラは思った。
「ソウさん、辛そうね。あたしにしてあげられることは何かない?」
リラは心配そうにソウの顔を覗き込む。
金糸の長い髪に隠れた顔は、心なしか青ざめている。
「……いただけるのなら、貴女の大切なものをいただくことになりますが」
リラは考えを巡らせる。自分の大切なもの、それはどれのことだろうかと。
少しのあいだ考えあぐねたあと、リラは意を決したように上着を弛めた。暗がりの中、白く細い肩口があらわになる。
ソウは、暗がりの中、それを黙って見ていた。
「あたしがソウさんにあげられるもの、考えてみたけどこれくらいしかないわ」
リラは、ためらうように言って、ソウへ手を伸ばした。
「スカッシュくんには、内緒にしておきましょう。彼は怒りん坊ですから」
悪戯っぽくちろりと舌を出して、ソウはリラの手を優しく引いた。
ふと、ソウはリラの手に金色の鎖が握られていることに気づく。
「これをあげるの」
本気で悩んだのだろう、リラは真剣な顔をしていた。
ソウは小さくため息をついた。
「ボクが言った大切なものとは、……純潔のことだったのですが」
と続けて呟いた。
リラは、言っている意味が分からないと首を傾げ、手を開いた。
それはリラが肌身離さず持ち歩いている竜が羽を広げた姿をかたどった小さな金の飾りのついた、首飾りだった。竜は前足で深い紅色の珠を抱えていた。
ソウは身体を起こして、首飾りを見ると目を見開いた。
「おや、これは……」
「なあに?」
「それを……そのまま高くかかげてもらえますか?」
リラは言われるままに鎖を持って腕を上げた。
ソウは首飾りをじっと見ていたが、うつむいて何やら考えこみ始めてしまった。
「どうしたの?」
訊ねたリラに、ソウは慌てたようすで首を振ってみせた。
「いや、何でもありません。さあ、もうよいですから下にお戻りなさい。それから、何かあったらボクに言ってください。ボクの身体のことは気になさらず。先ほど申しましたように少し休めば治りますから」
やんわりと質問をかわされてしまったリラは、部屋を出るしかなかった。
次の日の朝、ソウな何やら液体の入った小瓶を持って降りてきた。
「起きて平気なのかよ、身体、弱ってるんだろ。 ……それは?」
とっくに起きて朝食も先に済ませてしまったスカッシュが、父親を呼び止めた。
「錬金術が得意なボクとしましては、彼を制御するものを作ることは義務だと思いまして。あの少年の身体の中に直接結界を張ります。解けかけた封印を少しは強固にできるはずです。もっとも、その場しのぎかもしれませんがね」
徹夜で作っていたのだろう、眠そうに目をこすりロウの寝かされている部屋へと向かった。
リラは、ロウとは別に与えられた部屋にいた。
東側の窓辺に座り、竜の飾りのついた首飾りを朝日にかざした。竜の持つ紅い珠は朝日を受けてきらきらと輝いた。
「ソウさん、これを見たとき驚いてた。何が言いたかったのかしら……?」
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