火の山の竜
第1章 第12話
〜魔族 呪いと結界〜
その日の朝、さっそくロウの破れかけた額の封印を強める儀式が始められた。
ロウの寝かされている寝台に皆が集まった。
「おい、オヤジ。それ、アヤシイ薬じゃないだろうな」
スカッシュが父親の持っている薬を指差して、信用ならないとでも言うように睨めつけた。
「……ボクは媚薬ばっかり作っているわけじゃないのですよ、スカッシュくん」
心外だ、とソウはきっぱりと言って準備を始めた。
魔法により強制的に深い眠りに落とされたロウは微動だにしない。その顔は色を失い、まるで人形のようだ。
ソウは小瓶を取り出すと少年の口に、中の一滴をそっと垂らした。ほのかにロウの身体が光に包まれる。
だが、それだけではまだ封印の強化は完成ではない。これだけではまだ不安定なのだ。
ソウはリラの知らない様々な魔法を知っていた。魔法だけでない、錬金術にも長けていた。古くは石ころを金に変えるといわれる、魔力を持った薬や道具を作り出すことのできる術だ。
リラは、ソウがてきぱきと作業をするさまを羨望の眼差しで見ていた。
少女の視線を感じてか、ソウは顔を上げる。
「ボクの顔に何かついていますか?」
冗談めかして言うソウに、リラは首を横に振った。
「ソウさんは、魔法をたくさん知っているのね」
ソウは苦笑した。
「おだてても、魔法は教えられませんよ。魔族でないと使えない代物ばかりですから」
手は休めないまま、穏やかな声で答えた。
すっかり準備を整えると、ソウは深呼吸をした。
彼が手で空を切ると緻密な線が淡い光を放ち、円を作り上げていく。魔法陣だ。使われている文字はリラの知らないものだった。魔族語だろう。
「あれは魔族の使うものだぜ。いい機会だからよく見とけ」
スカッシュが隣に立ち小声で言った。
言われずともリラはすでに見入っていた。呪文を唱えるソウは見惚れるほどに美しかった。けぶるような睫毛は伏せられ、金色の長い髪が光とともに揺れた。空の上に住むという天族よりも魔族のほうが美しいに違いないと思った。ほんの数十秒のできごとが、何十分ものことに思えた。それほどまでに心奪われる美しい光景だった。
ソウは続けて少年の額に指をあてる。その指先が光を帯び、文字を綴り始めた。古代語の一文字だ。淡く黄金色に輝く文字がソウの指の動きに合わせて書き出される。
「…………」
だが、ソウの顔色が変わる。
書き結ばれるはずの魔力を持った文字は、書かれる側から霧散していくのだ。風に吹かれるように文字は散り散りに消えていく。
「オヤジが苦戦してるわ」
スカッシュが、あごに手をあて、もの珍しげに呟いた。
確かに彼の父親には焦りが見えた。いつもの笑みが消えている。
何度か繰り返しただろうか、ソウはため息を一つ吐くと眉を歪め、顔を上げた。
「何かが障害になって結界が上手く張れません。あと一歩のところなのですが……」
心底申しわけなさそうにリラに謝ってきた。
ソウの顔色はすぐれない。もともと弱っているとは聞いていたが、今日は体調があまりよくないようだ。
「あの『赤目』が邪魔しているのかもしれないぜ」
スカッシュは、眠っている少年を指差す。それが示すのは、あの赤い目のもう一人のロウのことだ。ありえないことではなかった。
「ソウちゃん、いいわよ。ソウちゃんはよくしてくれてるわ。勝手に暴れ出して迷惑かけるロウが悪いのよ」
リラは笑顔で手をひらひらと振ってみせる。
「ボクがもう一度試してみますから」
ソウは、少女を後ろに下がらせると、呪文をもう一度唱えた。だが結果は同じだった。ソウの呪文を拒むように火花が散る。
「やはり、ダメみたいです。申し訳ないです……」
押さえる手には火傷のような跡ができていた。指先が赤くなっている。ソウはそれを隠すように傷ついた手にもう一方の手を重ねた。
リラはソウの手をじっと見つめたあと、むんずとロウの襟首を掴んだ。
「ロウ、起きなさいよ! あたしだけならまだしも、人様に迷惑かけてるんじゃないわよ」
ゆさゆさと少年の身体を揺する。
だが、魔族の魔法で眠らされている彼が外部からの物理的な干渉で目を覚ますわけがない。むろん目は閉じられたままだ。
「おいおい。むちゃするなって。小僧はそんなんじゃ目を覚まさないぜ」
スカッシュは、たしなめるように少女の頭をコツンと叩く。
言われてリラは、はたとスカッシュのほうに顔を向ける。その目はすわっている。
「おい……」
「ああ、そうね。こんなものじゃ」
呟いて、ロウの頬を叩こうと腕を振り上げた。
だが、その腕は宙で止まってしまう。
小刻みに震える腕を上げたまま、リラは今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「この子、あたしになんにも話してくれないの。本当になんにも」
まばたきするリラの目から、涙がポロポロとこぼれた。
「あたし、ロウのことをたくさん知りたいと思うのに。なのに、なんにも話してくれないの」
それはリラが心の奥底に押し込めてきた本音だった。
自分一人ではどうすることもできない、もどかしい想いだ。
今になって、せき止めてきた心の鬱屈としたものが溢れるように、涙が止まらなかった。
スカッシュはただ黙って耳を傾けていた。
「拒絶されてるんだから放っておけばいいのかもしれなけど、できないの。どうしてか分からないけど、ロウのために何かしてあげたいと思うの」
強いようでいて脆く危ういロウの心を、救ってやりたいと思った。
涙を拭いもしないリラに、ソウは静かに声をかけた。
「リラくん。この少年の鉄壁を崩すのにはかなりの根気が必要でしょうね」
ソウは静かに続ける。
「だから、貴女はまだ根を上げたりしてはいけませんよ」
あやすように優しい声で、リラの頭を撫でてきた。
優しい手だった。
止まりかけていた涙がまた溢れてきて声を出すことができない。リラは、無言でこくんとうなずく。
父親というものを今まで持ったことはなかったが、いたとすればこんな感じなのだろうな、とリラは思った。
恐いものだといわれる魔族だけれど、ソウのことは好きだと思った。
「でも、このまま彼を起こすわけにはいきませんね。目を覚ましたときの彼がまた赤い目の彼だったら困りますものね」
「それでもいいの。この子が目を覚まして何かやりだすようなら、あたしが止めるから。これから少しずつでも知っていけたらいいの」
リラはもう泣くのを止めた。
表情を和らげ息を吐くと、ソウは、眠りの呪文を解いた。
ロウの色のない頬に赤みがさしていく。
ゆっくりと開かれていく瞳は夜の闇の色だ。あの禍禍しい血の色ではない。
彼が一番始めに目で探したのはリラの姿だった。状況が掴めないとぼうっとしていたのは始めの数秒のみで、目を見開いてはっとしたように起き上がる。
「ロウ、分かる? 私よ、リラよ。大丈夫?」
「僕なんかより、君は? 僕は、君を……リラさんを」
駆け寄ったリラに、ロウは手を伸ばすまいか悩んでいるようだった。
「本当によかった」
ロウがためらっているのは分かっていたが、リラはその手を取りぎゅっと握り締めた。
「リラさん……」
ロウは少女の反応に驚いたようだった。拒絶されるか怖がられると思っていたのだろう。
リラは、少年が目覚めたときどんな顔をすればよいかとずっと考えていた。しかし実際にそのときを迎えると心配は吹き飛んでしまった。ロウのことが本当に大切だと改めて思った。短いあいだで全てを知るわけでもない少年のことを、どうしてそこまで想えるのか。リラは自分でも不思議だった。だが、ただ一つ言えるのはロウが自分にとって、かげがえのない存在だということだけだ。
「君の封印とやらが解けかけていましたので、少し補強を行いました。ほんの少しですがね」
ソウが横から言葉をかけてきた。
「そろそろ話してくれてもよいのではないですか、ロウくん?」
ソウの問いかけにロウは眉を曇らせ少しのあいだ、黙り込む。
「はい……」
だがロウは意を決したように前を向き、口を開いた。
「僕の一族には呪いがかけられています。その呪いを封じるのが額の印です」
ロウはそこで自嘲するかのように顔を歪めた。
「王国全体に印を破らぬよう結界が張られ、王城にはさらに強い結界が張られています。封じの印はギステネア王国から出ると効力が薄れるんです」
スカッシュもソウも黙って聞いていた。
リラは、少年の言おうとしていることが今の時点では分からなかった。彼の額の印と、王城と何が関係あるというのだろうと、疑問ばかりが浮かぶ。
「言い伝えというか、本当の話なのですが……」
ロウは、苦笑いする。
「あるところにギステネアという王国がありました」
まるでお伽話をするように、話をぽつりぽつりと始めた。
「初代のギステネアの王は暴君でした。圧政を強いて貢租を取れるだけ取り、民を苦しめたんです。民がどんなに取り立てを軽くしてくれと頼んでも決して耳を傾けず、逆らう者は容赦なく首をはねました。
ある日、とうとう民は決起し叛乱を起こしました。その数、千以上。
だけど、叛乱軍の行動は内部に隠密者がいたので王側に行動が筒抜けでした。王は民を待ち構え叛逆の罪を着せ、女子どもの区別なく全員処刑しました。それだけでなく死体を串刺しにして城の前に晒して見世物にしたそうです。それからさらに王の圧政は酷いものになっていきました」
「酷い……」
リラは顔を歪め呟く。
少年は黙ってうなずき、言葉を続けた。
「だけど、家族を殺された者たちは黙っていませんでした。五層の冥府より高位の魔族を呼び出し、自分たちの命と引き換えに王族に呪いをかけてくれと交渉したんです。かくして契約と代償と引き換えに、何百人という民が再び死にました。
王族は破滅の呪いをかけられました。じわじわと死にいたる同士打ちの呪いです。
周期的に王族の血を引く者の中に血の色の瞳を持つ者が生まれ、その者は王族の血を引きながらも同族を殺し回ったそうです。その者は捕らえられ内密のうちに処分されました。でも血の色の瞳を持つ者は王の一族の中に何度も生まれました。その度に王城は震え上がったそうです。
それから、それから何人もの城のお抱え占い師が原因を突き止めるようと躍起になった末に、呪いだと解明したのはそれから間もなくのことです。
始めは遠い親類のみに現われていた血の色の瞳を持つ者が、とうとう自分の末息子の番になったとき、王は初めて自分がやってきたことを悔いました。
このまま息子に殺されて死ぬのも構わないが、民のために生きてこそ罪が購えると王は考えました。生き恥を晒していると思われようと構わないと思ったのでしょうね。
王は、城中の魔法使いをかき集めると血の色の瞳を持つ者と国全体に封じの結界を張りました。国の中にさえいれば、血の色の瞳を持つ者は狂気にかられることなく普通に生きることができるようになったんです。
それが今から四百年前のできごとです。
西の辺境にあるギステネア王国は、こうして長い年月のあいだ、災いのもとを常に内に胚胎させてきました」
ロウは、深く息を吸い、
「……これが、僕の額の封印についてです。この額の封印が解けたとき、僕も消え、『赤目』が現れます」
と、言葉を結んだ。
話し終えると、ロウはあきらめたように薄く微笑む。
知られたくないことを、知られてしまったという表情だ。
「やっぱりな。ギステネアの逸話は知る人ぞ知る話だけどさ。もしかしてとは思ってたんだよ」
スカッシュは、腕組みをして壁に寄りかかった。
「で、今の話とロウとどう関係があるの?」
リラは、難しい顔をして問うた。ロウの故郷が遥か昔に酷いことをしていたということは理解できたのだが、王族とロウの関係が分からなかった。
「だから、ロウはギステネア王の子どもだってことだよ。王子様ってわけ」
スカッシュが呆れた顔をして、ロウの代わりに答えた。
「ふぅん、ロウはオウサマって人の子どもなのね。あたしが村に住んでたころは、村長の子どもと友だちだったけど……、まあそれと同じようなものでしょ」
こともなげに言って、リラは続けた。
「ロウがオウサマの子どもだからって、ロウはロウでしょ? つまり、これからもあたしの弟ってわけよ」
言って、リラはくったくなく笑った。
「でも、リラさん。それじゃ君に迷惑がかかる。僕と、……僕たちは一緒に旅をするのは止めたほうがいい気がする」
思い詰めたようにリラを見る。
「何を言ってるのよ。あなたはあたしの弟になったんだから、そんなことを気にすることはないのよ」
リラは、腰をかがめて視線を合わせると、子どもを叱る口調で言った。
「あなたに何かあったら、あたしが止めてあげるから」
その言葉に、少しためらうような表情を見せたあと、ロウははにかんだ微笑み返した。それはいつも見せる遠慮がちな笑みだったが、ほんの少し明るみを帯びていた。
「ロウくん。君が王国からいなくなっても大丈夫なのですか?」
おだやかな口調で、ソウが問いかけた。王子がいなくなって騒ぎにはならないのか、疑問に思ったのだろう。
「影武者が立てられていますので。でも、いつばれてしまうか分かりませんから、あまり長くは留守にはできません」
ソウは、そうですかとうなずいた。
「そこまでしてお前が火の山の竜に向かう理由とやらは?」
壁にもたれかかったままの姿勢でスカッシュが視線を向けずに問うた。
ロウは今度の質問には答えようとしない。押し黙ってしまった。
「話したくないならそれいい。用が済んだら早く王国に帰るんだな。ギステネアの封印持ちがいつまでも『外』に出ていてよいわけがない」
スカッシュの言葉は厳しかったが、口調はあくまで優しかった。彼なりに心配しているのだろう。
「……はい。すみません、迷惑ばかりかけて」
ロウは頭を下げる。
(そういえば、ロウが火の山の竜を目指す理由をあたしは知らない)
胸がちくりとうずいた。
大事なことは、本当に何一つ知らないのだ、自分は。
リラは、火の山が目と鼻の先という場所にきて、改めて気づいた。
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