火の山の竜
第1章 第2話
〜実戦 壊された門〜

 

「おじさん、この町に戦えるものはいないの?」
 門番の男にリラは尋ねた。その門番も逃げ出そうと算段を始めている。
「あいにくね。まともに戦える者は商人の護衛で他の町についていってる」
 リラは顔をしかめる。
 それは仕方がないことだった。別名『交差する町』と呼ばれるこのプロクス町は、商人のための交易の町だ。彼らを守るため、隣の町まで衛兵たちは金で買われ、護衛に当たることがたびたびあるのだ。そのため、町は普段から手薄になりやすい。プロクスの住人たちは、魔物に対して自衛する他ないのだ。
 門は、衛兵たちが取り囲んでいた。皆、めいめいに武器を持っているがどれも頼りない物ばかりだ。木の槍、木刀、はては鍋を持つ者までいる。
「僕たち子どもが、魔物を退治できるわけないよ。ギルドに戻って大人を呼んでこようよ」
 ロウは、リラの袖を引っ張った。
 だが、リラは聞いているようすではない。
「あたし、これでも魔法使いを目指しているの」
 リラはえっへんと胸を張る。
「そう、僕は、戦士を……」
「ええ!?」」
 ロウが言いかけたそばからリラはすっとんきょうな声を出した。
「な、何?」
 ロウは、いぶかしげにリラを見る。失礼だと言わんばかりだ。
「うん、だって……。ううん、何でもないわ」
 リラは言えなかった。
 リラは少年のことを、詩人か僧侶を目指していると思っていたからだ。
 まじまじとリラに見られ、少年は恥ずかしげに目を伏せる。
 リラは、ロウが美しいと思った。
 短く切り揃えられた艶やかな黒髪。白磁のような肌。ほっそりとした腕に、華奢な体つきな少年はとても戦士には見えなかったからだ。
 そうこうしている間にも門の辺りは騒がしくなっていく。木でできた簡素な門は、ギシギシと軋み音を立てていた。
「何が来るんだろうね、ロウ」
 リラは、口もとを押さえ隣にいるロウに話しかけた。
「……リラさん、どうしてこんなときにニヤニヤ笑ってるのさ」
 飽きれたような顔でロウは少女を見返す。
 そうなのだ、リラは明かにこの状況を楽しんでいた。魔物が今にも町へ押し寄せようというこの状況を。
「あたし、魔物を見るのって初めてよ!」
 感極まったとでもいうような表情でリラは両手を組み合わせる。
「あのね、リラさん。これはお祭りじゃないんだよ? 生きるか死ぬかのね……」
 ロウは、整った優しげな顔を崩した。フードの中の彼の顔は厳しい。
 激しくなってきた雨に、彼の黒い髪は濡れそぼり、水滴を滴らせている。
「僕は、軽薄な言動は好きじゃないよ」
 言いながら振り向くと、彼女はいなかった。
「リラさん!?」
 見ると、門の前に仁王立ちになっている。
 ロウはあっけに取られた。だが、そのわずかな間も今は命取りとなる。
「リラさん、だめだよ。危ないよ、戻ってきて!」
 建物の影からロウはリラを連れ戻すために飛び出した。
「あら、ロウ、遅いわよ」
 彼女は笑っていた。
 雨の中、ニッと笑った彼女はフードを取り、まっすぐに門を見据えていた。
 ロウは、見とれていた。この状況下でだ。彼女はまるで戦乙女のようだった。
 だが、それもほんの少しの間のことだった。
 遥か高みから家を落としたかのような大音声とともに、木でできた町の門が破られた。
 そこに現れたのはスライムだった。とてつもなく、大きな。
「スライムだわ。やったら大きいわね」
 リラのその歓喜の声はロウに向けられたものではなく、独り言だったのかもしれない。
 自分よりも大きな、人間の大人ほどもありそうなスライムを彼女は見上げていた。
「リ、リラさん、下がって!」
 ロウは、腰に下げていたショートソードを抜いた。
 だが、ロウは知っている。
 通常ではスライムなどのアメーバ系の魔物に剣は効かない。切ったところで、大したダメージにはならない。もしどうしても狙うならば、中心にある核を狙わねばならないのだ。
 手が震える。ロウは、自分の右手を押さえる。
 彼とて、魔物を目の当たりにしたのは初めてなのだ。実戦の経験はない。
「中心にある、核……」
 ロウは独りごち、どうしてこんな状況に自分が巻き込まれているのか考えた。
 一人旅を決めていた、なるべく他人にかかわらず目的の場所まで行かねばならない、そして目的を果たさねばならない、なのに。
 このリラという少女が自分に嵐を起こしたというのか。
 ロウは感慨深く、不思議な気持ちでリラを見つめた。そして、剣の柄をぎゅっと握ると、空いた片手で顔にかかる雨の雫を拭う。
 油脂を塗り雨避けをしてあるマントも今や使い物にならない。中の服までぐっしょりと濡れて冷たかった。
「リラさん、僕の援護をして!」
 口火を切ったのはロウだった。
 飛び出していった先は、リラの前だ。
 数えればスライムは三体いる。
 ロウは剣を構える。
 不定形のスライムは熊がニ本足で立ち上がるかのごとく、天に向かって大きく身体を広げた。
「来る! リラさん、いいね!?」
 振り返ると、なんと彼女は、肩から下げた鞄の中をゴソゴソとやっている最中だった。
「リ、リラさん! スライムが来るよ! 何やっているんだい」
 ロウの頬に雨ともつかぬ冷や汗が流れる。
「え、ええとねぇ、呪文書!」
 彼女は巻き物を取り出すと、たどたどしく読み上げ始めた。
「リラさん、きみってば、もしかして……」
 ロウは激しくなってきた雨と風をしのぐべく額に手をやる。
「うん、そう」
 こくりとうなずくリラを見て、ロウは固まった。
 彼女は、魔法の初心者。
 彼女のうなずきの意味を知る。
「でも、何とかなるって。あたし、素質あるって、おばあちゃんから言われてたもの」
 雨の中、顔面に水滴を受けつつも彼女はニッコリと笑った。
 ロウの顔から血の気が引く。
「こ、このままじゃ……」
 アメーバ系の魔物と戦うのには魔法使いの魔法が必須だというのに、リラは実戦経験がない。魔法さえ唱えたことがないというのだ。
「レト……リスト、マトリ、リクト……」
 リラは地面に呪文書を置いて、飛ばされぬよう小石を四隅に置いている。たどたどしい、吹きすさぶ風に消えそうな彼女の詠唱が始まった。
 ロウはそれをちらと見たあと、目の前のスライムに目をやる。
「う、うわ!」
 だが、遅かった。ロウはスライムに足をすくわれ、その体内に取りこまれていく。思ったより堅く自由のきかないスライムの体内で、ロウはあがく。
 スライムは、獲物を捕らえ、溶かし養分として吸収するのだ。
「リラ、さん。逃げて。ギルドから人を呼んで、来て」
 締め上げられながらロウは力いっぱい叫ぶ。
 回りを見回しても冒険者や町の護衛団はいそうにない、いるのは、商人と町民のみだ。
「早く……リ……ラさ……」
「火線!」
 きゅん、と暑い塊が高速で駆け抜けていった。続けて、二つ。火の閃光だった。
 見ると、自分を捕らえていたスライムはどろどろに溶けている。その核が焼けて潰れていた。
 少年の顔から血が引く。
 それは火の魔法である火線のあとだ。
「こ、これ……。もしかして、リラさん……が?」
 あっけに取られる少年をそのままに、少女の詠唱は続く。
「リクブリト、……レイトカ……サリナリクトリ」
 呪文書を地に置き読み上げる彼女は、両手を頭上に上げる。そこに雨の中まばゆい光と熱、そして炎が集まっていく。
「リラさん、それちょっとおっきいよ!」
 ロウが止める間もなく、彼女の魔法は完成していた。先ほどの火線よりもやや威力のある火の魔法、火球だ。
「こ、こんなの出ました―!!」
 それは、とても巨大な火球だった。どうやら大きさの制御ができなかったようだ。
 当の本人も顔を引きつらせ、無理やりに笑みを作っている。
 家ほどの大きさのそれは、ロウを目がけて飛んでいく。
「うっわ……」
 間一髪、ロウがよけた先には、またもやロウをとらえようと待ち構えていたスライムがいた。リラはそのスライムを狙っていたのだ。ロウが避けるかどうかまで考えていたかは別だが。
 だが、距離が長い。それまでに威力は多少弱まる。横殴りの雨の中、やはり火力は弱まり人の頭ほどの大きさになった火球はスライムに当たりジュウッと焼け焦げる音を上げる。スライムは跡形もなく蒸発した。
「す、すごいけど、それは認めるけど……」
 ロウは自分も死にかけたのだということを思い出した。冷たい汗が身体を伝う。
 少年は、少女のもとへ走った。
「魔法、初めて使ったのよねぇ……」
 かけよるとリラは青白い顔に放心しきったようすでニヤリと笑い呟いている。
「え……、そんな……」
 ロウの顔も青くなった。
「それにしても、雨でびしょびしょになっちゃったわね」
 リラは苦笑した。彼女の身体は今やびしょ濡れとなっていた。
「水の中にいるみたいだわ、これじゃ」
 横殴りの大雨の中では、雨具――革製のフード付きマントに、水を弾かせるため油脂を塗ったもの――も用をなさなかったのだ。
 リラはもう全て終ったと、笑顔を作った。
 だが、ロウはすさまじい形相で剣を上げた。くしくもそれはリラの首の高さだ。
 しかし、柄を持つ右手は震えている。
 リラは意味が分からない。だた、呆けたようにロウを見ていた。
 そのロウの目が横をちらりと見た。
 リラがその視線の先に見たものは。
「……!」
 ロウの腕に、ズンッと深い手ごたえのある感触。確実に核を貫いたのだ。
 彼女の身体にいつの間にやらまとわりついた最後の一匹のスライムは、ヌチャリと音を立てて地面に落ちた。
 リラの顔が蒼白になる。
「あたし、詠唱に夢中で気がつかなかった」
 言って、口もとを押さえた。今度は笑っていなかった。
 ガタガタと恐怖からか、寒さからか震えていた。
「それに、ロウがあんな怖い顔するなんて、……びっくりした」
 リラの自慢の蜂蜜色の髪も今や、濡れねずみ同然となっている
 ロウは、リラの言葉を聞き、ふっと優しく微笑んだ。最初にあった時と同じように。
「そう、それ。ロウは笑ってるのが一番よ!」
 そのときだ。
 周りがいっせいにどっと湧いた。
 今までどこにいたのやら、商人やら町人やらが二人を取り囲み、笑顔で胴上げを始めたのだ。
「う、うわっ」
「し、下着、見えちゃうわよぅ」
 二人はわけも分からず胴上げをされ続けた。

 ここは冒険者ギルドの中。リラとロウの二人はギルドに戻ってきていた。
「今じゃ、リラとロウはこのプロクスの町の英雄だよ」
 ギルド長は、煙草に火を付けながら言った。
「そ、そんなぁ」
 まんざらでもなさそうにリラはにへらと笑う。
「坊主、凄いじゃないか、ちっちゃいのに。あれはここいらにくるスライムの親玉だったんだろう」
 町の人間らしき中年の男に、ロウは濡れた頭をクシャクシャと撫でられる。
 だが、ロウは複雑な表情をしていた。ちっちゃいと言われたことが心外だったらしい。
 スライムは、親玉であるビックスライムからしか分裂しない。リラたちはその親玉を潰したことになる。雨の町といえど、もうこの町にスライムの脅威はないだろう。
「本当だな、冒険者ってすごいな」
 その隣にいた商人も、リラをある種の尊敬を込めた眼差しで見ている。
 だが、リラもロウもあまりに誉められたので萎縮してうつむいてしまった。そして小さな声でぼそっと言った。
「実戦って今日が初めてだったんだけど」
 二人の声がハモった。
 だが、その言葉は二人以外には聞こえることはなかった。二人が顔を見合せただけだった。
 そのとき、ギルドに賑やかな音を立てて、冒険者風の少年たちが入ってきた。リラの仲間たちだ。
「オレたち見てたぜ、リラの活躍!」
「やっぱすごいよな、さすが俺たちの仲間だよ」
 少年たちは唾を飛ばさん勢いで捲くし立てた。彼らにとってそれほどリラは偉大に見えたのだろう。目を輝かせている
 しばしの沈黙のあと、リラは口を開いた。
「あのね……」
 それだけ言って、リラはふるふると首を横に振る。
「あたし、あんたたちとはもう行かないの。だってね」
 そして、ゆっくりとロウのほうを向いた。
「あたしは、もう冒険のパートナーを見つけたから」
 言って、ロウの腕を取る。
 驚いたようすでロウは少女を見返した。
 だが、リラはただただ微笑むばかりだった。


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