火の山の竜
第1章 第5話
〜世界 竜のいる場所〜 

 

 次の日、リラはロウに肩を揺すられ起こされた。
「リラさん、起きて。早く出発しなくちゃ」
 名を呼ばれて、目をこすりながらリラは起き上がる。だが、空はまだ薄暗く、夜明け前だ。
「早く出発って……、まだ夜明け前じゃない」
 ロウに文句を言う。リラは朝早く起きるのが苦手だった。機嫌が悪い。
 その上、気温が夜のあいだにだいぶ下がり冷え込み、リラはこの暖かいマントを取り元気よく出発という気にはなれない。まだぬくぬくとマントにくるまっていたかった。
「早くこの草原を抜け出さなくちゃいけないんだよ」
 ロウは低く厳しい声で言った。
 その言葉でリラは昨夜のできごとを思い出した。マンティコアと遭遇した恐ろしい一夜を。
「そ、そうだったわね……」
 リラの身体が震える。それは寒さのせいだけではない。昨夜のことを思い出すと、心臓まで凍りつく思いだった。急いで立ち上がると、リラは服の埃を払った。ごそごそと荷物をまとめるとカバンの中にしまう。
 ロウはそのあいだ、険しい顔つきで辺り見回していた。またマンティコアに遭遇したら、たまったものではない。一度目は見逃してもらっても二度目はない。それがロウには分かっていたのだろう。
「ロウ、準備でできたよ、お待たせ。行こう」
 リラはすっかり用意を整えると、ロウに声をかけた。

 大草原は行けどもいけども続き、彼らは薄暗い夜明け前の草原を、ただひたすら無言で歩いた。このレザリア大草原を抜けるには最短でも2日かかるといわれている。また夜が来る前に、何としてでもここを抜け出さなくてはならない。
 しだいに空は明るくなり、東の地平線から太陽が顔を出した。曙光が真東から射し二人を照らす。
 その朝日に照らされ、リラとロウはしばし歩を止める。
「綺麗。地平線から太陽が出てくるところなんて、あたし、初めて見た」
 リラは眩しげに手をかざす。
 山や丘、森などの地形の起伏の多い村で育ったリラは、地平線さえ見るのが初めてだった。
「リラさんは、早起きが苦手みたいだから、今まで見られなかったんじゃないの?」
 ロウはくすくすと笑いながら軽口を叩いた。
「そ、そんなことないわよ。失礼しちゃうわね」
 リラは頬を膨らませて反論してみせた。だが、内心は喜んでいた。その日初めてロウの笑顔を見たからだ。ロウは笑っている方が似合うと、リラは思った。
「そういえば……」
 リラは、思い出したように口を開いた。
「ロウはどこの出身なの? どこから来たの?」
 その問いに、ロウは身を固くしたようだった。それからゆっくりと西を指差した。
「雨の森の向こう? ライトスの町?」
「ううん」
 ロウは横に首を振る。
「もっと西なの? 分かったわ、それじゃコカの町?」
 ロウは再び首を横に振った。
 リラは降参といったように肩をすくめた。
「分からないわ、そんなに遠いんじゃ。あたし、あまり遠くまで知らないもの」
 そしてため息を吐いた。
 ロウは、リラのそのようすを見て、くすりと笑った。それから少し迷うような表情をした後に言った。
「僕はね、西の王国から来たんだ。一番西にある、この大陸唯一の『王国』からね」
 リラにははロウの言葉が理解できなかった。
「おうこく?」
 リラにとって、それは聞いたことのない単語だった。
 西の大陸と呼ばれるリラたちのいる世界には、国という概念がなかった。村や町、市などが各地に点在するのみだった。それでも充分に成り立っているのだ。
 だが、唯一『国』の形態を取るところがあった。
「僕がいた国は、ギルモス王の統治するギステネア王国」
 それが、ロウのいたというギステネア王国だ。
 リラの知らない土地の名前だった。
「ふぅん。それじゃ、ずいぶん遠くから来たのね、ロウは」
 リラは改めて少年を見た。西の大陸には多数の種族が入り混じって暮らしている。大概の種族は淡い色の髪をしているというのに、目の前の少年の髪色は闇夜のようだ。今まで気にせずにいたが、黒髪はこの辺りでは見かけるものではなかった。
「うん……」
 ロウは視線を外した。あまり話したくない話題のようだった。
 だが、リラはそうとは気づかず再びロウを質問攻めにした。
「どうしてロウは火の山の竜に会いに行くの?」
 その言葉にロウは黙り込んでしまい、困ったように曖昧に笑った。
(言いたくない? あたしには言えないことなの?)
 ロウは固く口を閉ざし、喋ろうとはしない。ただ、なぜか悲しげな笑みを見せるだけだ。
「……そうね、ものを訊ねる時はまずは自分からよね」
 リラは小さく一人ごちて
「あたしは雨の森の近くの村、ゼハナの村から来たの。その前は、小さな島に住んでたんだけど」
 リラは続ける。
「あたしがどうして火の山の竜を目指してるかっていうと、これよ」
 胸もとから金の鎖を取り出す。それには竜をかたどった飾りがついていた。竜は前足で深い紅色の珠を抱えている。
「それは?」
「これ? これね、おばあちゃんから貰ったんだけど、お母さんとお父さんの形見だって」
 少年に笑顔を向ける。
 ロウは、一瞬気まずそうに複雑な表情をした後、そう、と一言いった。
「ああ、気にしなくていいのよ。両親のことはぜんぜん覚えてないから」
 リラは手をひらひらと振る。
 物心ついたとき、すでに両親はおらず祖母に育てられた。そのことをたいして気にしたことはなかった。両親がいないことで寂しくないと言えば嘘になる。だが、リラにとって祖母の存在はとても大きなものだった。祖母はたいへん可愛がり慈しみ育ててくれた。リラは大きくなるまで祖母と二人で暮らすことに何ら不都合も不便なこともはなかった。
 リラが魔力を有することに気がつき、魔法使いになれると言ったのも祖母だったのだ。
「これ、竜よね。あたし、これを見て火の山の竜に会いに行こうと思ったのよ」
 そして、手のひらに乗せていた竜の飾りをロウに見せた。
 日の光を受けてきらきらと輝くそれは確かに竜を模したものだ。羽を広げた小さな竜の飾りだった。
「竜って、火の山だけにいるのよね? 世界中探しても東の大陸の火の山にしかいないのよね?」
「うん。あの山の竜しかいないよ」
 ロウは言って、太陽の出てきた方角を眩しげに見た。それは火の山の方角だ。その顔はどこか物思いにふけるかのようだ。
 そのときだ、二人の頭上が急に暗くなった。太陽は出ており、空が曇ったわけでもない。
 二人の表情が固まる。
「まさか……、マンティ……コア?」
 リラは身をすくませた。あまりの恐怖に見上げることすらできない。ぎゅっと目を閉じたまま、隣のロウにしがみつく。
 ロウは表情固く、息を飲み空を仰ぎ見た。
「……あ、なんだ」
 固かったロウの声と表情が、拍子抜けしたように和らぐ。
 その影は旋回しながら降りてきた。翼をはばたかせる音がしたと思うとそれはロウの肩に止まる。
「リラさん、大丈夫だよ。目を開けてごらんよ」
 リラがそっと目を開けると、そこにはマンティコアはおらず、変わりに違うものがいた。
「何、それ?」
 ロウの肩に止まるものを指差した。
「あ、これね。僕が飼ってるんだ、リラさん」
 それは、尖ったくちばしとかぎ爪を持った大きな鳥だった。ロウはその鳥を肩に止まらせてはいるものの、何とも重たげだ。
「ククルゥっていう名前なんだ」
 ロウはにこにこと微笑んでその鳥の頬を撫でてやった。ククルゥは気持ちよさげに目を細めている。
「だって、今までいなかったじゃないの、それ!」
 リラはいきなり現れた大型の鳥を前に、声を荒らげる。
「お使いに出してたんだ。戻ってくるのに時間かかったね、さすがに遠かったかな」
 ロウは問いに答えるが、後半はククルゥに話しかけていたようだ。
 リラはいきなり現れた鳥に驚きを隠せない。一緒に旅を始めたのがニ、三日前のこととはいえ、動物を飼っているとは聞かされていなかったのだから無理もない。それも大型の鳥を。
 茶褐色の羽をばたつかせ、ククルゥは鋭い黄色の目を、リラに向ける。
 リラは小さく呻いて一歩、後退る。
「そ、それ、噛みつかないわよねぇ?」
 その言葉にロウはにっと笑って言った。
「さぁ、どうかな」
 少年らしい悪戯っぽい笑みだ。初めてロウの見せる子どもっぽさに、リラはククルゥを怖がっていたことを一瞬忘れた。
(そういう顔、できるんじゃないの。普通の男の子みたいに)
 目の前の少年は変に大人びて、絶対的な拒絶を持っていた。意外だったのだ、その少年が年相応に笑うことが。
 心の中で呟いて、リラは怖がるのを止めて後ろ手に手を組み、すいと先を歩き始めた。そして、くるりと振り返ると笑顔でククルゥに向かって言った。
「よろしくね、あんたのご主人様とあたしは仲間だから」
 リラの言葉に、ククルゥは一声鳴いた。

 だが、リラは気づいていなかった。ククルゥの足に結ばれた手紙に。それをロウが隠したことに。
 潮の香りがした。
 空を見れば海鳥が飛んでいる。
 次の町まであともう少しというところまで来ていた。
 
(いつか、何でも話せる、そんな仲になりたいな……)
 少しだけ先を歩きながら、リラは心の中でそう呟いた。

 

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