火の山の竜
第1章 第7話
〜封印 あらわれた変化〜
「……はぁ、はぁ。こんなっ」
ロウは額を流れる汗を、ぐいと拭う。
ショートソードを片手に、目の前に横たわる人の形をしたものを見下ろしていた。
「それが、戦闘だろう。命の取引やってるんだぜ」
背後に立つスカッシュが、ナイフを手に低い声で言う。
洞窟の中には三体の死体。オークのものだ。そして、今にも息絶えようとしている最後の一匹がロウの前に横たわり苦しげに声を上げている。
「小僧、とどめさせよ」
血だまりがオークの身体のわき腹あたりにでき、しだいに円を大きくしていく。その血は鮮やかな赤色だ。
「だって、僕たちと同じ人のカタチをしているじゃないか。血だって、赤い」
ロウはうつむいたまま、スカッシュに言葉を返す。
少年の持つショートソードは、べっとりと赤い血に濡れている。手はかすかに震えていた。
洞窟の中は、血の匂いで充満している。その湿りよどんだ空気は身体にまとわりつくようだ。
「人の敵なんだよ、ソレは。『冒険者』っていうのは、こういう誰もやりたくない、やっかいな仕事をして金貰うもんなんだぜ」
スカッシュは言ってロウに歩み寄る。厳しく、諭す声だ。
ロウは、それでも動けずにいた。ただ、自分が殺さねばならないオークを見下ろすばかりだ。
「ロウ、あたしが……」
杖を手にしたリラを、スカッシュが制した。
「嬢ちゃん、魔法はこの洞窟の中じゃ使えないのよ。雷の呪文は空の見える場所でないと使えない。炎の呪文を使えば洞窟の中で全員蒸し焼きだ」
リラは、下唇を噛む。それでは自分は手も足も出ない。
「僕にはできな……」
ロウがそう呟きかけたそのときだ。瀕死のオークが、最後の力を振りしぼるかのように立ち上がり、ロウを目がけて襲いかかってきた。とっさのことでリラとスカッシュは反応することができず、援護に回ることができなかった。
オークは斧を振り上げ、口角から血ともつかぬ唾液をたらし雄叫びを上げた。
だが、ロウは動かなかった。ただ、うつむいていた。
「ロウ! 危ない、避けて!!」
リラの声が届いていないのか、少年は微動だにしない。
オークが少年の頭へ斧を振り下ろした、はずだった。その斧は腕ごと宙を舞い、横の岩壁に当たって落ちた。オークの腕が切り落とされたのだ。
ゆらりとロウが顔を上げる。その手に持ったショートソードは再び鮮血に染まった。
腕を切り落とされ、瀕死のオークは悲鳴を上げ、のた打ち回っている。
「……ぬんだよ」
ロウは低い声でぽつりと言った。
そのまま、ショートソードをオークの腹に突き刺し、横薙ぎに切り裂いた。腹の中からは、腸やらその内容物やらが引きずり出され、オークは悶えくぐもった声を上げる。
「死ぬんだよ!」
今度ははっきりと、リラの耳にも少年の声が聞こえた。横からちらりと見えた少年の横顔は、笑っていた。
リラの背筋を悪寒がぞくりと這い登る。
少年は、もう動かなくなったオークに何度もショートソードを突き刺し、返り血を浴び、声を上げて笑っていた。
「虫けらは、死ぬんだよ!」
少年の変わりように、リラは驚き動くこともできない。ただ、恐怖だけがリラを支配していた。
「おい、小僧、どうしたんだよ」
ようすがおかしいことに気づいたスカッシュは声をかける。だが返事はない。肩に手をかけられても、剣を止めようとしなかった。
「嬢ちゃん、小僧がおかしい。止めるぞ!」
スカッシュは舌打ちをし、ロウを後から羽交い締めする。
声にならぬ声を上げ抵抗する少年を、スカッシュは必死で止めようとする。相手は剣を持っている。思うようには押さえきれない。
逃れようと頭を振るロウの額には、今まで見たこともないあざが現れていた。黒く鈍い光を発する、文字のようなものだった。
そしてロウのその目は、今までの旅の中では見たこともない残虐な色を帯びている。
「嬢ちゃん、眠りの魔法使えるか!?」
リラは声を出すこともできずに、首を横に振る。目の前で起っていることが理解できない。
「ちっ、仕方ないな」
スカッシュは苛立たしげに舌打ちすると、素早くロウの首の後に手刀を入れた。あくまで軽く叩いたように見えたその一打で、ロウの身体ががくりと崩れ落ちる。
その身体を受けとめると、スカッシュはそのまま肩に背負う。
「嬢ちゃん、帰るぞ。オレの泊まってる宿屋につれていく」
服を真っ赤に染めた少年を担いで帰ってきたスカッシュに、宿屋の主人はひどく驚いたようすを見せていたが、わけは聞いてこなかった。血だらけ服は脱がせ、捨てた。替わりにスカッシュが手持ちの服を貸してくれた。
スカッシュの滞在している宿屋は、何日滞在しても懐に響かない程度だという。狭く簡素だが、掃除のいきとどいた清潔な部屋だった。
リラたちがこの町一番の宿屋に泊まったと知ったスカッシュは、どこの金持ちの子どもなんだと呆れた顔を見せた。
静かに寝息を立てているロウのかたわらに座り、リラはその寝顔を見ていた。
「あのアザ、一体……」
ロウの額を見る。今は消えてしまったあの不思議なあざを思い出す。あのようなものは今までなかったはずだ。
『あれはたぶん封印だ。気をつけろ』
調べものがあると言い残して、部屋を出ていったスカッシュの言葉を思い出す。
「気をつけろって、何を気をつけろというの?」
ロウのあの変わりようは何だったというのだろう。
独りごちて、リラは少年の額を撫でる。その寝顔からは今は恐怖など微塵も感じられない。
ふいに少年が目を覚ました。
自分のいる場所が分からないようだ。天井を見上げ視線をさまよわせた後、はっとしたように起き上がる。
「リラさん……」
自分の着ている服が違うことに気づいたようだ。そして部屋の隅に立てかけてある自分の剣の鞘を見て、ロウは凍りついたように身体を固くする。鞘が赤黒い血の色に染まっているのだ。
「僕、何やった? 僕……。リラさんは何を見た?」
ひどく不安げに問うてくる。
リラは答えることができない。何も覚えていないと語る少年に、本当のことを話してよいのか分からなかった。
リラとて、ロウのことが怖くないと言えば嘘になる。あんな残虐な表情は、数日といえど旅をともにしてきた中で、一度たりとも見せたことがなかったのだから。
だが、今の子どものように怯えるロウを放っておけなかった。
「ロウ……」
少年の手を引き、優しく抱きしめる。
ロウは驚いたように目を見開いたが、抵抗はしなかった。
「大丈夫。何もなかったから。たとえもし何があったとしても、あなたはあたしの弟であることに変わりないでしょ?」
思ったより細いロウの肩を抱き、呪文のように呟いた。少しでも安心させようと頭を撫でてやり、短く切り揃えられた黒髪を手で梳いた。
ロウはされるがままになっている。
「だから、今は寝てなさい。疲れて倒れちゃっただけよ、あなたは。あたしがここにいてあげるから安心して寝なさい」
「……うん」
ロウを横にさせると毛布をかけてやり、もう一度頭を撫でた。
しばらくそうしているうちに、少年は再び目を閉じた。
壁を軽く叩く音がしてリラは振り返る。
「嬢ちゃん。ちょっと来な」
スカッシュがいつの間にやら戻ってきていた。部屋の入り口で手招きしている。
部屋に入ってきて話せばよいのにと思いながらも、スカッシュのところまで歩み寄る。
「あの小僧、何者だ? あの額のあざは『王国』の古代語魔術の『封印』だぞ」
青年は責めるようにリラを見る。
だがリラは、何のことだか分からなかった。
「知らないわ。王国ってギステネア王国のこと?」
驚いて聞き返す。ロウの故郷の話が出るとは思わなかった。
「知らないって……。お前ら姉弟なんだろ?」
反対に聞き返されて、首を横に振る。
「いいえ。ロウとは旅の途中で出会ったの。あたしのほうが年上だからお姉さんなの」
少女の答えに、スカッシュは拍子抜けしたような表情をした。リラとロウが本当の姉弟だと思っていたのだろう。
「何だそれ、まぁいい。それじゃ、小僧はあの王国の出身なのか?」
リラはうなずく。
「そう言っていたわ。何か問題でもあるの? ロウの故郷は農業が中心だって言っていたけど?」
「それは表向きの話だ。王国は、本当は危険な国なんだよ」
「なんでスカッシュがそんなこと知ってるのよ?」
先ほどからロウのことを悪く言われているようで、リラは頭にきたようだ。半ばむきになって訊ねると、スカッシュは腰に手をあてる。
「オレはトレジャーハンターだぜ? 雑学が豊富でないとやっていけないの」
言ってスカッシュは、リラの額を小突く。その後、声をさらに低くして言った。
「小僧が王国の『封印』を持つ人間だとすると、事が大きくなる。危険なんだ」
少女が部屋を出ていくとロウは目を開けて、両手で顔を覆う。
「封印が、解けかけて…………いる? 奴が……出て……」
震える声で呟き、深いため息を吐いた。
「もうすぐ、僕が僕でなくなってしまう」
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