火の山の竜
第1章 第9話
〜決戦 海の上の戦い〜 

 

「王国を離れたから、封印が壊れ消えかかっている? でも、この程度ならまだ抑えられる……」
 ロウは独り呟き、淡く黒く浮き出た額のあざを押さえる。
 明滅する意識を保っているのがやっとだったが、今は目の前の敵に集中せねばならない。
 ふらりとぐらつく足に力を入れる。深呼吸をする。
「まだ、ヤツにこの身体は渡さない……」

 遥か高みでは風が強いのか、薄い雲が流されていく。しだいに満天の星々はその雲に隠されていった。
 船員たちに事情を聞きに行っていたスカッシュが戻ってきた。
「だめだ、オレたち以外に戦えるヤツはいないってさ」
 スカッシュは首を横に振ると肩をすくめる。
「こんな危ない海域を通るのに? 普通、護衛くらいつけますよね」
 ロウはふに落ちないとでも言いたそうな顔で、スカッシュを見上げた。
「ここ何年か出ていなかったんだとよ。だから油断していたらしい」
 青年はため息をついて座りこんだ。
「ついてねえ……。でも、やるしかないか、何もしないで死ぬよりはマシだからな」
 突如、海面がさざなみ立ち、二人は慌てて音のしたほうに目をやる。
「何かが、来る」
 ロウはショートソードを構えた。だが、揺れる船の上は足場が悪く、思うようには立っていられない。
 二人は海の中に、途方もなく大きな黒い影を見つけた。その影は踊っている。一体、何だというのだろう。
 揺れていた海面が静まり次の瞬間、それはいきなり海面へ顔を出してきた。
 おぼろ月を背景に現われたそれは。
「タコかよ!」
 スカッシュがどこか呆れたように叫ぶ。
 ロウも呆気に取られている。
 それは、クラーケンだった。八本の足に、軟体動物を模した身体を持ち、船を沈め人を喰らう海の巨大な魔物。
「タコどころじゃないですよ、スカッシュさん。これ、船を沈めて人を食べるって本で読んだことがありますよ?」
 ロウは、クラーケンを指差す。
 だが、現状はそんなのんびりと語らっている場合ではない。海の真ん中で船から放り出されたらたまったものではない。
 船が軋んだ音を立てた。気づかぬうちに、この大型帆船にクラーケンの足が絡みつき始めている。
「やばいな、このままだと沈められるぞ。だがな、オレは戦闘は回避する主義だぜ!」
 スカッシュは拳を握ると、声高に叫んだ。
「でも、この状況じゃそれもムリですよね」
 ロウは船にからみつくクラーケンの足を指差す。
 クラーケンのにび色の目が、近場にいたロウをとらえる。
 ロウは息を呑み、ショートソードを構え直した。
 クラーケンは、巨大な体躯に見合わず素早い動きで足を振るってきた。
 ロウも剣を振るうが、船より巨大なクラーケンに剣一本で敵うはずもなく攻撃が弾き返される。柔らかそうに見えるクラーケンの足は実際には鋼鉄の固さをもっていた。
「……くっ!」
 痺れる手をそのままに、ロウはクラーケンの二度目の攻撃に備える。
 だが次の瞬間、素早い殴打がクラーケンから繰り出された。手首を下から叩き上げられ少年のショートソードは宙を飛う。おぼろ月の光を反射して、剣は夜の暗い海の中に落ちていった。
 そのすきを突き、クラーケンの三度目の殴打が繰り出される。
 丸腰では身を守ることさえできない。ロウはとっさに目をつぶってしまった。
「小僧、少し下がれ!」
 スカッシュの声が背後から聞こえ、ロウはこわごわ目を開けた。目の前まで迫っていたクラーケンの足に、ナイフが深々と刺さっていた。スカッシュが投げたものだ。
「はい」
 表情固く、ロウはうなずく。青年は間違いなく自分より戦闘ができる。そう悟ったようだった。

 船の軋みがさらに激しくなっていく。大型の帆船だというのに、クラーケンの前では小船同然だ。
 ロウたちを攻撃している足は、ほんの一本。人を襲うなど一本で充分だと思っているのだろう。あとの七本の足は船体に絡みついている。
「……そういえば思い出すなぁ。うちのオヤジが昔、巨大ガニを倒して食べたっけ」
 緊迫した状況だというのに、スカッシュはどこか明後日のほうを向きながら懐かしげに呟く。
「スカッシュさん、それどころじゃないですよ」
 なにしろこちらには剣を持たない見習い戦士と、盗賊しかいないのだ。
 それに加えて、海水で濡れた甲板は足場が悪い。
「ん、ああ、そうだったな」
 スカッシュの金色の目がロウに向けられる。真夜中だというのに彼の瞳孔は縦に細く、獣の瞳のようだ。人のものには見えないのだ。
「あの、スカッシュさんって、もしかして……まさか……」
 おずおずと言いかけたロウに、青年が何か物を差し出した。
「んじゃ、これを使え」
 渡されたものは彼がいつも腰に下げている剣だ。ショートソードほどの長さの鞘は、ずっしりと重い。
 驚いたようにロウは剣とスカッシュを交互に見る。
「あの……」
「抜いてみろよ」
 青年は意味ありげに、口の端を引き上げた。
 鞘は特別変わったものではない。よくある革製のものだ。だが、柄からつばにかけて、見事な装飾がなされているのが夜目にも分かる。
 ロウは恐るおそる剣を引き抜いた。
 暗闇の中、青白い光を走らせた刀身が姿を現した。
「な……、これって」
 ロウは驚きの表情を浮かべる。
「それ、魔法剣ね。前に遺跡を発掘して見つけたんだよ。雷の属性を持ってる。それで戦え」
 スカッシュは、ニッと笑った。
 
 ロウは両手で剣を持ち、あごを引き中段に構える。そして甲板のへりに頭を乗せているクラーケンを睨めつけた。
 再び足を振るってくるクラーケンの足を魔法剣で薙ぐ。使い慣れていない上に重い剣だが、ほんのかすった程度でクラーケンの足に火花が散る。見れば触れた部分が焼けただれている。切れ味も相当なものだ。
「すごいや……」
 ロウは剣を見た。
 魔法剣は暗闇の中で、ほのかに光っていた。青白い光明に、ロウの顔が照らし出される。
「それ、オレじゃ使いこなせないのよ。だから飾りなんだよね」
 スカッシュは言う。
「これなら、いけるかもしれない……」
 ロウは小さく呟いて再び剣を構えた。
 そのときだ、バタバタと足音を立ててリラが甲板へ上がってきた。
 甲板の端にへばりついている巨大なクラーケンの頭を見て、ぎょっとしたようだ。だが、
「そこの巨大タコ! あんたなんか、朝食のおかずにしちゃうわよ!」
 すぐにいつも調子で仁王立ちになり、杖をビシッとクラーケンへ向け勝利宣言をした。その自信はどこからくるのやら、不敵な笑みさえ浮かべている。しかし暗記がまだなのか、手には呪文書が握られていた。
「リラさん、呪文は暗記したほうが効率いいよ」
 ロウはすかさず突っ込みを入れた。
 リラはそれを聞かぬふりをして、数枚の呪文書を見比べている。
「どの呪文がよいかしら」
「そりゃあ決まってるだろ。雷の魔法にしろよ、嬢ちゃん」
 スカッシュが横から口を出した。
「その魔法剣シビシビに雷の魔法をかけて、ロウに討たせろ。運よく暗雲が立ち込めちゃってるから、大気に関渉しやすいだろ」
 続けて言って頭上を指差す。風が強くなってきているため、今や星々は完全に雲に覆い隠されてしまっていた。
「っていうか、そのシビシビって何?」
 リラは胡散臭そうにスカッシュを見る。
「小僧に貸してやった魔法剣の名前ね。触るとしびれちゃうから、シビシビ」
 さも当たり前のように言葉を返す青年に、リラは呆れた顔をする。
「……名前をつけるセンス、なさすぎるわね」
「ほら、嬢ちゃん。早くしろ」
 スカッシュは、リラの言葉を無視して急き立てた。
「オレらはおとりになるから。小僧、お前は上だ。急げ」
 スカッシュは少年にも指示を出した。

「こ、こんなの上すぎるよ……」
 ロウは膝が震えるのを我慢しつつマストにしがみついていた。ロウのいる場所は三階建ての建物の高さほどもあろうか、かなりの高所だ。下を見れば、クラーケンのぬめる足が船全体に幾重にも絡みついているのが目に入る。ぞっとする光景だ。
 クラーケンは下の甲板に立つスカッシュとリラを警戒しているのか、手だしをためらっているようだ。
 だが、そのあいだにも他の足に船は締め上げられ、いっそう軋んだ悲鳴を上げる。すでに後尾はクラーケンの足によって砕かれている場所もある。船底に穴でも空けられたら、終わりだ。
「ロウー? 準備はいい?」
 下の甲板からリラのうわずった声が響いた。
「う、うん。リラさん、いいよー」
 ロウは、下を見ないようにして返事をする。高いところは苦手なようだ。

「嬢ちゃん、ガンバ!」
 リラの隣でスカッシュは無責任な応援をしている。
 目の前のクラーケンに注意を払いつつ、リラは苦虫を噛み潰したような顔でしぶしぶうなずいた。
「分かったわよ。でも、こんなことするの初めてなんだから、失敗しても知らないわよ」
 リラは、杖を持った手を掲げる。呪文の詠唱が始まった。
「イルク……ルスレ……トビ……ト」
 を黙って呪文を聞いていたスカッシュがはっとしたように顔を上げる。
「おい、それって……」
 スカッシュが声をかけるが、呪文を唱える声は途切れることなく続く。少女を囲むように輝く魔法陣が描き出され、大気に満ちる不可視の存在、神とも精霊ともつかぬ存在に関渉が始まった。
 リラは忘我の状態、トランスに入る。
 トランスに入った魔法使いほど無防備なものはない。詠唱中の魔法使いは身も心もうつろになる。全ての防御を捨てて、呪文を唱えるのだ。
 やはり、クラーケンはただのタコではなかった。この瞬間を逃さず、槍のごとく足を伸ばしてきた。
「……っ、このやろ」
 スカッシュは、すかさず懐中からナイフを取り出しクラーケンの足に投げる。それはリラのほんの数歩手前で、鈍い音を立てて深々と刺さった。弾かれたように足が引き、再び攻撃が止んだ。だが、それは一時的なものだ。またすぐにでも攻撃は開始されるだろう。
「ナイフだけじゃさすがにクラーケンは倒せないっつーの。だから嬢ちゃん、頼むぜ。成功させろよ」
 祈るように言って、スカッシュは空を見上げた。
「ル……キ……ミト」
 空は轟き、風は雲を集めだす。
 織り上げられた呪文は、声とともに空に舞い上がった。
「我願う。汝、滅びんことを。来れ、黄金の神槍よ!!」
 暗闇の空が真昼のように明るくなる。とたん、目が焼きつくような光の柱が一直線に落ちてきた。
 大音声が鳴り響く。それはロウの立つ場所、マストだ。

「…………っ!」
 少年は、衝撃に耐えるのに必死だった。気を抜けば、剣を取り落としてしまう。ロウは目を開けることができなかった。その光の奔流は、直視すれば目が焼けるのは確実だ。
 雷火はロウの持つ魔法剣に渦を巻きながら吸い込まれていく。最後の一筋が消えいると、ロウはうっすらと目を開いた。
 魔法剣は雷光をらせん状に絡めとり、よりいっそう青白い光を強めていた。
「本当に魔法の剣なんだ、これ……」
 ロウは、うっとりと見入った。光輝く刀身は、至高の宝石のようだった。だが、今はぼうっとしている暇はない。そうこうしているうちに甲板からスカッシュの声が下から飛んできた。
「行ってこい、小僧!」
 その言葉にロウは冷や汗をたらす。
「そんな簡単に言わないでくださいよ、スカッシュさん……」
 遥か下方、クラーケンのいる位置を確かめる。見ればクラーケンは少しずつ身体をよじらせ甲板の上に登りだし、下の二人に今にも足を伸ばそうとしていた。
「もう、迷ってるヒマはないか」
 覚悟を決めたように独り呟き、マストから足を一歩踏み出す。そこはもう空中だ。
「高いところは、嫌いなのに」
 そのまま魔法剣を構えた。 

 はたと意識を取り戻したリラは、目と鼻の先に迫ったクラーケンを見て腰が抜けたように座りこむ。
 至近距離で見るクラーケンの口には牙が見え、ガチガチと音を鳴らしている。今にも二人を喰らおうと、歯噛みしているのだ。
「小僧、何してる」
 スカッシュが舌打ちをする。
「ロ、ロウ、助けて!!」
 リラが悲鳴を上げたのと、ロウがクラーケンの頭を突き刺したのは同時だった。
 小気味よい音を立てて、魔法剣がクラーケンの頭を突き抜け甲板に刺さった。刀身から火片と閃光がほとばしり、旋風が巻きおこる。ロウはその衝撃で、甲板に投げ出された。
 魔法剣は澄んだ金属音が響かせ、粉々に砕け散った。青白く燐光を発する欠片は、宝石のように光輝いて、消えた。
 それが、最後だった。
 クラーケンの足は船体から剥がれ、重みでずるずると海に沈んでいった。
 ロウは甲板に寝転がったまま、乾いた笑いを上げている。よほどマストから飛び降りるのが怖かったのだろう。
 少年の側に二人は駆け寄る。
「やあ、よかったよかった。上手くいくとはなぁ」
 スカッシュは、少年の頭をバシバシと叩いた。彼なりに誉めているらしい。
「ロウ、助けてくれてありがとう! やっぱりあなたはあたしの自慢の弟だわ!」
 リラは少年をかかえ起こして抱きしめた。

「あーあ。魔法剣、砕けちゃったわね」
 リラは柄だけ残った魔法剣を見る。柄だけではもはや使い物にはならない。
「……ああ、シビシビのことか。別にいいぜ。ま、あの雷の魔法に耐えきれなかったんだろ。どうせまた遺跡発掘して手に入れるから」
 スカッシュは、気にしていないと手をひらひらと振った。そして、思い出したように言葉を続ける。
「そういえば、あの雷の魔法の呪文書、どこで手に入れたんだ? あれはオレの親父が作った、東の大陸では禁忌にされている高位魔法だぜ?」
 スカッシュはいぶかしがるに言った。
「あら、スカッシュのお父さんって魔法使いなの? あれは、うちのおばあちゃんが持ってたのよ。それをちょっと拝借してきたってワケ」
 奇遇だわ、と少女は言ってきゃらきゃらと笑った。
 スカッシュは、唸りながら頭を抱えている。
「……わけ分からねえよ。どういうことなんだ?」
 次第に水平線が明るみ始め、曙光が差す。月は影を薄め、それとともにまたたく星々も消えていった。三人は、そのようすを甲板からじっと見ていた。
「なんだか、ほとんど寝てないね。僕たち」
 ロウが眩しげに目を細める。
「それに、クラーケン沈んじゃったわね。朝食にしようと思ったのに……」
「お腹、壊すよ。絶対……」
 悔しげに呟くリラに、ロウはぼそりと言った。
 徐々に朝日に照らし出され、遥か彼方に薄青くけぶる陸地が姿を現した。
「あ、あれって!」
 リラは声を上げた。
 手すりから身を乗りだして目を凝らす。
「東の大陸……」
 ロウは、前を見据えたままぼんやりと呟いた。
「懐かしいな。やっと帰ってこれたぜ」
 スカッシュは、安堵のため息をもらすと、頭の後ろで手を組んだ。

 港は、目前に迫っていた。
 そこは、東の大陸。火の山の竜の住む場所だ。
 

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