火の山の竜
第2章 第1話
〜崩壊、崩れゆくもの〜

 

「助けて、神様。助けて……」
 リラは空を仰ぐ。空は黒い雲に覆われ、稲光が走っている。まるで真夜中のようだった。
 低い地響きの音が聞こえた。火の山の方角からだった。もう獣の鳴き声は聞こえなかった。
「神様……」
 リラは、帝都の大通りを走った。
 走りながら城が目のはしに入った。城をぐるりと取り囲む石壁の上には兵たちがいた。兵たちは一点をじっと見ていた。それは火の山の方角だ。
 白いものが空から降ってきて、リラは天を仰いだ。雪かと思われたそれは、灰だ。風に乗って灰は舞い、人々の住む瓦屋根の上に白く薄く積もっていく。一歩足を踏み出すたびに、石だたみの道に積もった灰は舞い上がる。
 どうなってしまうのだろう、ロウは無事でいるのだろうか、心細い思いをしているのではないか、そう考えると泣きそうになった。だが、泣いているひまなどなかった。
 火の粉が舞い、道なりに植えられた木々のいくつかに火がついていた。それを避けるようにして走った。
 どこをどう走ったかなど憶えていない。途中、大通りに出ようとする人々と何度もぶつかった。そのたびによろめいて転びそうになったが、足を止めなかった。
 スカッシュの家は大通りを外れた細い路地にある。少し登り坂になった石だたみの道をリラは肩で息をしながら走った。
 神様、そう呟いてみたけれど、今まで生きてきて一度だって目の前に現れたことはない。
 奇跡は起こらない。そうが現実だ。
「自分で、――あたしがどうにかするしかないんだわ」
 リラは唇を噛む。
 火の粉散る帝都をひた走った。
 もう神には祈らなかった。
 
「……あっ!」
 家の扉を開けると、目の前にいきなり壁が現れた。リラはその壁にぶつかり、派手にしりもちをついた。
「今までどこにいってたんだ、心配したんだぜ」
 扉を開けてすぐに壁ができたのかと思ったが、その正体はスカッシュだった。彼は腰に手をあて、大げさにため息をついている。
「あたし、急いで帰ってきたのよ。だって、火の山が……」
 スカッシュの顔を見て安心したリラは、緊張がゆるむ。リラは、目のはしに涙がにじむのが自分でも分かった。それをぬぐいもせずにスカッシュを見上げた。
「分かってる。ほら、つかまれ」
 金色の瞳が心配そうにリラを見下ろしていた。
 差し出された手につかまり、リラはのろのろと立ち上がる。
「どうしよう、ロウ……一人で困ってるかもしれない。ここに帰ってこられずに、うんと寂しい思いをしてるかもしれないわ」
 リラはどうしたらよいか分からなかった。
「そんな顔すんな。なんとかしてやるから」
 スカッシュはリラの頭をぽんぽんと叩くと、窓の外を見やった。なんとかする、そうは言ったものの、彼もどうしてよいか分からないようすだった。
 窓からは、人々の逃げ惑う喧騒が聞こえた。
 火の山は明るく、ときおり爆発するような音が重く響いた。岩肌は赤く、火そのものだった。
 空はまだ真っ暗で、流れ星のように火の粉が空を舞っていた。それは現実のできごとには思えなかった。ある意味、夢のように美しい光景で、リラはそれが恐ろしかった。
「リラくん、帰っていたのですね」
 奥の階段から声が聞こえ、リラは振り向いた。ソウだ。いつもの穏やかな笑みを浮かべ、ゆったりと階段を降りてくる。
「貴女がなかなか帰ってこないので、スカッシュはそうしてずっと玄関の扉の前に立っていたのですよ」
 少し笑うと、ソウは卓に腰かける。
「オヤジ、一言多い」
 スカッシュがむっとしたようすで言って、そっぽを向いた。
「ソウちゃん、火の山が燃えてるの。山から獣の鳴き声がしたの。もしかしたら……ロウは火の山に行ったのかもしれない」
 ソウは、表情の読めない目でリラを見返した。
「どうして、彼が火の山に行ったと思うのです? もしかしたら故郷に帰ったかもしれないでしょう?」
「ううん、ロウは絶対に故郷に帰ったりしない。だってロウはずっと火の山に行きたいって言ってた。まるでそれしか見えないみたいに、いつも火の山の竜に会うんだ、って言ってた」
 ロウの行きそうなところ、それは火の山しか思いつかなかった。
 思い返せば、ロウは火の山の竜に会わなくてはらならいといつも言っていた。リラは、彼が火の山の竜に会うために旅をしているのだと、初めて話してくれたときのことを思い出した。それはとても思い詰めた表情だった。他のことはどうでもいい、そんな表情をしていたのだ。
 ソウは黙って話を聞いていたが、リラの顔をまじまじと見たあと、少し考えこむよな素振りをみせた。
「ふうむ。……ボクは確かめたいことがあるので、これから出かけてきます」
 ソウは答えると立ちあがり、壁にかけてあったマントをはおる。
 それから、ローブのポケットから小さな袋を取り出した。
「これはですね、魔法陣を描くのに使う儀式用のものです。空間を渡るの魔法を使うには魔法陣が必要ですから」
 袋には白い粉が入っていた。ソウはそれを床にまき、人ひとり入れるほどの円を描いた。
「ソウちゃん、どこに行くの? ソウちゃん、あなたの魔法なら……」
 呪文を唱えようとしたソウの袖を引く。
 リラは焦っていた。
 自分には使えない色々な魔法をソウは知っている。それならばロウを探すことだってできるはずと思ったのだ。
 ソウは困ったようにリラを見下ろした。
「……申し訳ありません、リラくん。無理なのです。彼には遠見の魔法封じがかけてあるようなのです。だからボクの遠見の魔法では彼は探せない」
 ソウはすまなさそうに頭を下げた。リラの言おうとしていることが分かったのだ。
「おそらくロウくんは、自分がどこにいるか気づかれたくない。探されたくないのでしょう」
 ソウは言いにくそうに目を伏せる。
「そんな……」
 リラは、それだけ言うのがやっとだった。
 それが本当ならば、ロウは自分から進んでリラの前から姿を消したことになる。迷子でも人さらいに連れていかれたでもない、自分の意思でいなくなったのだ。うすうすは気がついていたが、リラにとってそれは認めたくないことだった。
「だからって、諦めるわけじゃないだろ? お前、あの小僧のこと探したいんだろ?」
 リラの頭にぽんと手が置かれる。スカッシュの手だ。
 リラは無言でうなずく。
「だったら、そんな顔するな」
 スカッシュは言って、リラのほおを軽くつまんだ。
「返事は?」
 リラはほおをつままれたままで、もう一度こくりとうなずいた。
 だが、スカッシュの手は離れない。リラはぶんと手を振るった。
「スカッシュってば、やめてよ」
「おお、恐い」
 スカッシュはさっと避けると、おおげさに恐がってみせた。
 それから優しげな笑顔をリラに向けて、リラの頭をガシガシと撫でた。
「よし、その意気だ。お前はどんなときだって笑ってろ。あんまりしょんぼりしてると、運だって逃げてくぞ」
 
 ソウは魔法陣から姿を消した。
 どこへ行くかは言わなかった。
「大通りを歩いたりしたら、皆さん慌てていらっしゃるからボクなど踏まれてしまうかもしれません」
 大真面目な顔で言ったあと、魔族語で何やら呟いて行ってしまった。
 残されたリラとスカッシュは、ソウを待っているしかなかった。下手に家の外に出て、混乱している町の中を歩き怪我でもしたらたまったものではないからだ。
 スカッシュは水差しと木の杯を持ってくると、卓の上に置いた。
 二人は椅子に座り、何をするでもなく窓の外を見ていた。
 家の中はしんと静まり返っている。だが外は騒がしい。帝都の民の、叫び声、そして泣き声が聞こえた。
「オレにね、妹がいるのよ」
 ぽつりとスカッシュが呟いた。
 リラは聞いたことがあった。
 だが、今はもういないとも聞いていた。
 事実、ずいぶん滞在しているが、その妹とやらに家の中で会ったことがない。
「嬢ちゃんと同じくらいの年か、一つ二つ下くらいなんだけどさ」
 遠くを見るような、懐かしむような目でリラを見た。
 そして、最後に小さく付け加えた。
「だから、放っておけないんだよ」
 放っておけない、それが自分のことを言われているのだと気がついた。
 スカッシュは自分を妹に重ね合わせて見ているのだろう、リラはそう思った。
 そのときだ。二人の目の前にある卓の上に、いきなり足が現れた。
「ひゃあ」
 リラはおかしな声を上げて、椅子から転げ落ちた。
 スカッシュもさすがに驚いたようで、手にした木の杯を床に落した。
 霞をまとって現れたのは、ソウだ。二人を見下ろし、それから辺りを見まわした。
「おや、ボクとしたことが着地場所を間違えました。おぎょうぎが悪いですね、失礼」
 謝って、卓から降りる。
「ソ、ソウちゃんだったのね」
 リラは再びしりもちをついて、顔をしかめながら腰をさすった。
「すみません、驚かせて」
 ソウはリラの手を取ると立ち上がらせ、もう一度、頭を下げた。
「……どこいってたんだよ、オヤジ」
 父親の登場の仕方に呆れつつ、スカッシュは落した杯を拾う。
「ええ、リラくんを火の山に連れていってあげようと思いまして。空間を渡る魔法を使って連れていってもよいのですが、それだと帝国の兵士がいたら掴まって牢屋に入れられるのがオチでしょう。ですから正当法でいきましょう」
 ソウは答えて、片目をつぶった。
「正当法……オヤジに一番似合わない言葉だな」
「どうするの、ソウちゃん?」
 リラは目を輝かせながら卓に身を乗りだした。
「貴女ですよ、リラくん」
「……?」
 間をおかずに切り返される。
 それも名指だ。リラはきょとんとする。
 ソウは、ふふと笑い、もったいぶるように答えた。
「全ての鍵は貴女が握っているのですよ。さあ、城に行きましょう。城へ行けば扉は開かれる。堂々と火の山へ向かうことができるのです」

 

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