火の山の竜
第2章 第11話
〜重ねた手、真夜中の訪問者〜
その夜、人の気配を感じてリラは目を覚ました。スカッシュがまた訪ねてきたのだろうか、そう思い身体を起こす。
まだ真夜中だ。部屋の中は墨を流したように暗い。
窓から差し込む青白い月の光が、寝台の側に立つ人影を浮かび上がらせていた。
「まさか、そんな……」
リラはその人影を見て我が目を疑った。
「ロウ……」
そこには、ずっと探していた少年が立っていた。
濡れ羽根色の髪を短く切り揃えた、深い闇色の瞳の少年。優しく、遠慮がちに微笑むその顔はまぎれもなくロウだった。
赤目の、もう一人のロウではない。目の前にいる少年の瞳はおだやかな黒色をしている。
なぜ、とリラの頭を疑問が埋め尽くす。
ロウは消えてしまったのではないか、どうしてここにいるのか。
「リラさん、会いたかった」
聞き慣れた声が暗がりに響く。懐かしい声だった。
「ロウ」
リラはもう一度、少年の名を呼んだ。震える手を伸ばし、おそるおそるロウの頬に触れる。
暖かい感触。生きた人間の、柔らかさが指に伝わる。その指に少年の手が重なる。優しい手だ。確かに、それはロウの手だった。
リラは少年に抱きついた。
「あたしも、会いたかった。ずっと会いたかった!」
夢ではない。
(ああ、ロウの匂いだ……)
鼻孔をくすぐる香りは確かに少年のものだ。
目頭が熱くなり、自然と涙があふれた。
訊ねたいことは山ほどあった。だが、彼の顔を見たとたん、何一つ言葉として口にすることができなかった。ただ名を呼ぶことしかできなかった。
離したくなかった。今度この手を離したら彼は消えてしまう。そんな気がした。
少年はリラを安心させるように優しく手を握り指を絡め、頬に流れる涙を指で拭った。
リラは目をしばたかせてロウを見つめた。少年の黒い瞳に自分の顔が映る。こんなに近くで顔を見たのは何日ぶりだろうか。もう永遠に会えないような気がしていた。その彼が目の前にいるのだ。夢のようだった。
「もうどこにも行かないで。ずっとそばにいて! あたし、ロウがいなくなって辛かった。ロウがいてくれないと嫌なの!」
リラは少年の顔を見つめる。離れていたあいだのことが思い出されて再び涙が零れ、ほおを伝って落ちる。
ロウはあいまいに微笑む。悲しげなあきらめたような笑みだった。
「リラさん……ごめんね。僕はずっとここにいることはできない。封印が解けてしまって、もう僕は彼を止められないから。だから最後にお別れを言いにきたんだ」
「お別……れって、なに……」
聞き返す。
耳を疑う言葉だった。理解することができない。少年が何と言ったのか、分からなかった。
「お別れも言えずに去ってしまったこと、ずっと後悔してた。僕のことはもう忘れて。君はここにいて幸せになって」
「嫌よ……、嫌。そんな……」
リラは熱にうかされたようにかぶりを振る。見苦しいと思われても構わなかった。必死だった。
「どうしてそんなことを言うの……? あたし、あなたがいなくなって初めて自分の気持ちに気がついたの。ロウが好き。あなたが好きなの」
まっすぐにロウを見つめる。一度は離してしまった少年の手。その手を強くぎゅっと握り顔を見上げた。
離れていたあいだに、彼の顔は少し見上げる高さになっていた。
「リラさん、僕も君が好きだよ。……君を、愛してる。大切に思ってる。だからなおさらだ。さよならをしなくちゃいけない」
「分からない。分からないわよ、ロウ……」
リラはうわ言のように呟いた。
ロウはうつむき、視線を落とす。
「僕は彼が意識を手放しているあいだしか自由に動くことができないんだ。例えば今みたいに。でも彼が目を覚ませば僕は消えてしまう。今、君といる僕は幻影みたいなものなんだよ」
言ってロウは繋いだ己の手を見つめる。他人のものでも見るように。
「僕は失敗しちゃったけど、リラさんは幸せになって」
「嫌。あたしはロウがいないと幸せになんてなれないわ。ロウがいないんじゃ、あたしなんて意味がないわよ」
間をおかずに強い口調で言葉を返し、ぽろぽろと涙を流しながらロウを睨めつける。
「それにね、一度の失敗で何を言ってるのよ。あきらめるのは早いわよ」
「リラさん……」
ロウは当惑したようにリラを見た。
「あたしはあなたを探し出してみせる。止めたってむだよ。必ず、今度こそあなたの手を離さない」
ほおを流れる涙を拭いもせずにリラは少年の瞳を見つめる。決意を込めた眼差しだった。
ロウは何も言わない。ただ、黙ってリラを見ていた。
だが、少しの間のあとリラの唇に己の薄い唇を重ねた。
リラは驚き目を見開くが、少しの間のあと、以前のように抵抗はせず静かに目を閉じた。
「なら、忘れないように……」
息を継ぎ、唇を触れあわせたままで言って、ロウはリラをきつく抱きしめた。
「跡を残していくよ」
朝、リラは勢いよく飛び起きた。
部屋を見回す。昨日の晩、横になったときと何ら変わったようすもない。
「……夢?」
だが、確かに昨夜の感触が身体に残っている。肌に触れられた感覚が鮮明に思い出された。
リラははだしのまま寝台を下りるとふかふかとした敷物の上を小走りに駆け、卓の上に置かれた水おけを覗いた。
薄い寝間着の前をはだけさせ、胸もとをあらわにした。朝の冷たい外気に肌がさらされる。
揺らめく水面に、肌に残された跡が映った。赤く焼けたように残る小さな跡はギステネアの古代語、守護の印。
「これ……」
そっと指先で跡に触れる。
「夢じゃなかった」
口を引き結ぶと視線を上げた。
――……君を守るように僕の最後の力で守護の印を、
――……その印が君を守るから。
ロウの声が耳に鮮明に甦る。
「ロウは確かにいた。会いにきたんだ……」
リラは呟いて窓から西の空を見やる。揺るぎない強い意思を表わす眉で空を見上げた。
「あなたの気持ち、もらったわ。今度はあたしが会いに行くばんね。あなたを必ず救い出してみせるわ、必ず……!」
薄くたなびく雲は空の高いところを流れている。もうすぐ冬がくるのだ。
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