火の山の竜
第2章 第3話
〜女帝、暗闇の城〜

 

 スカッシュいきなりしゃがみこんだ。
 青年の真後ろを歩いていたリラは転びそうになり一歩手前で慌てて止まった。
「ど、どうしたのよ、スカッシュ。危ないじゃないの」
 リラは口を尖らせて文句を言う。
「いや……だってさ、嬢ちゃんみたいなのが皇女様って。……考えてたらおかしくってさ。世も末だよな」
 スカッシュは肩を震わせている。笑っていたのだ。
「あたしだって信じられないわよ。……スカッシュのバカ!」
 リラは青年の背中をどんと叩いた。

 彼らは城にいた。
 魔法陣の先はソウが以前に働いていたという研究室で、部屋には誰もいなかった。
 石壁作りの研究室は、香草や香木の匂いと、古い本の匂いがした。光取りの小さな窓が天上近くに等間隔についていて、そこから光が差しこむしくみになっている。だが、外は真っ暗でそれらは今は役目をはたしていないようだった。
 壁には星々が円を描いて周っているタペストリーが飾ってあり、リラが何かと問うと、ソウは天体図だと答えた。星々の動きで魔力の強さというのは変わるのだという。リラは初耳だった。
 部屋は使われなくなって久しいのだろう、薄く積もったほこりがそれを物語っている。
「つーかさ、オレがついていく意味あるわけ?」
 スカッシュは研究室の中を見渡した。
 狭い研究室は本だなと、古ぼけた長机に占拠されていて歩けば積み上げられた本や羊皮紙にぶつかった。
 青年はそれをいくぶん懐かしげに見た。子どものころに来たことがあるのだろうか。
「何よ、オレたち仲間だろってさっき自分で言ってたじゃない。男なら黙ってついてきなさいよ」
 リラは杖の先でスカッシュの背を突ついた。
「分かったよ、だから突つくなよ。火の山に行けるかもしれないって分かったとたん、いきなり元気になりやがって現金だな」
 スカッシュはわざと歩調を遅らせ少女を捕まえると、こめかみに両こぶしをあて挟み、ぐりぐりと動かした。
「ひゃあ、やめてったら」
「お前が初めにやってきたんだろ」
「さて、行きますよ。面会の約束は取ってあります」
 二人をたしなめるようにソウ言うと、古ぼけた木の扉に手を伸ばした。
 リラとスカッシュは、ほこりを立てないようにできるだけゆっくりと歩くとソウのあとに続いた。

 研究室から一歩出ると、長い廊下に出た。漆喰の塗られた壁が続いている。ただ白い壁とは反対に、天上には延々とみごとな装飾がなされている。その図柄は竜だ。一定の距離ごとに続くその装飾はもとは鮮やかな原色を使っていたのであろうが、今ではどこか色あせて落ちついた色になっていた。
 香を焚いているのだろうか、どこからかよい香りがただよってくる。リラが今までにかいだことのない、それでいてどこか懐かしい香りだった。
「ソウちゃん、なんだかよい香りがするの」
 前を歩くソウに訊ねる。
 ソウは、おだやかに微笑む。
「ああ、沈香ですよ。ここではたえることなく香を焚いているのですよ。覚えていませんか?」
 逆に問われてリラは首を横に振る。
 残念ながら、記憶にはなかった。記憶をたぐろうとすると、頭に靄がかかったようになるのだ。
 にぶく痛むこめかみを押さえ顔をしかめながら、リラは二人のあとを追う。
「あれ、ソウじゃないか。どうした、また陛下に呼ばれたのか?」
 じゅうたん敷きの長い廊下を歩いていると、巻き物をたくさんかかえた老人に行き会った。質のよい深い紺色の生地に、豪奢な刺繍が銀糸で施してある前開きの衣を着た老人だ。親しげなようすからみて、ソウの知り合いのようだ。
「いえ、今日は自分から会いに行くのですよ。陛下の具合はどうです?」
 老人は渋い顔をして、首を横に振る。
「……この状況だろう、祈りの間にこもりっきりだったが、体力がおいつかん。今は寝所で休んでおられるよ」
 そして、眉を曇らせ小声で何やらつけ加えた。それから、ソウの後ろにいたスカッシュとリラに気がつくと、おや、と声を上げた。
「そちらの青年はスカッシュだね。ずいぶん大きくなったな」
 スカッシュはぺこりと頭を下げる。
「して、そちらのお嬢ちゃんは? んん……どこかで会ったかな?」
 老人はリラをじっと見つめて、考え込むようにあごにたくわえた白ひげを撫でた。
 リラがなんと答えようかと考えあぐねていると、老人は首を横に振った。
「いや、答えないでよい。思い出すから……むむ、近衛隊長の娘さんだったか? いや、違うな……宮廷魔術師の……」
 老人はぶつぶつと独り言をいいながら、その場を行ったりきたりし始めてしまった。
「丞相閣下、じきに分かりますよ」
 ソウがやんわりと言った。意味ありげに微笑む彼に、老人はしかめ面をした。意味が分からないといったところだろう。
「……おっと、そうだった、急ぐのでまた」
 だが、老人は思い出したように自分の頭を叩くと、足早に行ってしまった。
「あの人は?」
 リラは問うた。
 老人は自分を見たことがあるとでもいう素振りを見せていた。
「ああ、丞相閣下ですよ」
 こともなげに答えて、ソウは歩き出す。
 丞相閣下、以前に聞いたことがあった言葉だ。
「女帝のかわりに政治を取り仕切ってるじいさんだよ。前に教えたことがあっただろ?」
 リラが考えこんだようすを見てだろう、スカッシュが言った。
 政治を取り仕切っている、ならばとても偉い人なのかとリラは思う。
 もし自分が子どものころに、ここにいたのならばあの老人とも面識があったのだろう。そう思うと、不思議な感じがした。
 小さなころ、気づけば小さな島に住んでいた。
 自分がここに住んでいたなど、どうしても信じがたい。
「さあ、行きますよ」
 うながされて、再び歩き出す。
 城の中は静まりかえっていた。
 外はあれだけ騒がしいのだから城の中も同じかと思いきや、先ほど通りかかった丞相以外の者とはまだ行き会っていなかった。
「静かだな……」
 スカッシュが歩きながらぼそりと呟いた。
「そうよね、なんだか静かすぎる」
 リラはきょろきょろと辺りを見回した。
「兵士のみなさんは火の山のほうへ行ってしまわれたみたいですよ」
 ソウは振り返らないまま答えると、突き当たりで止まった。
「ここです」
 リラは見上げる。
 真っ白な壁の行きついた先は、黒塗りの扉だった。重厚な扉に、リラはただただ圧倒された。
 両開きの扉のわきには衛兵が二人ついている。
 衛兵はソウを見ると会釈をした。
「さあ、どうぞ」
 ソウは、衛兵の横を通りすぎると扉に手をかけた。
 きしんだ音を立てて、扉は開かれていく。
 ふわりと香が鼻腔をくすぐった。
(ああ……)
 リラは、心の中で呟く。
(この香、いつだか遠い昔にかいだことがある)
 それは、いつと問われても答えることはできないが、確かに覚えのあるものだった。頭がずぎずきと痛む。
 薄暗いその部屋は、謁見の間ではない。寝所だ。部屋に入り、初めて気がついた。
 奥には御簾がかけられている。その御簾の中、人影が動くのが見えた。
「御簾ごしで、ごめんなさい」
 声がした。
「わたくしが、トゥーランドットです。トゥーランドット・メイファ・エルドラド」
 静かな、女性の声。
「あなたがリラディアですか」
 誰のことを言っているのか、それが自分を指すのだと気づくのに時間がかかった。
(……リラディア)
 口の中で小さく呟いてみる。しっくりこない。
 リラは返事をしてよいのかどうか分からず、隣に立つソウを見上げた。
 ソウは少し笑って、リラの背を押した。
 一歩前に出て、どうしたらよいのかとおろおろとしながら、御簾の前まで進んだ。
 御簾の奥で影が揺れた。
「竜の……首飾りを持っていますね」
 言われて、リラは服の下につけていた首飾りを外して手の平に乗せた。
 きらきらと輝く鎖についている飾りは竜を模したものだ。羽を広げた竜は、前足で珠を抱えている。深い紅い色の珠だ。
 リラは両手をおずおずと前に差し出した。
 衣擦れの音がして、御簾が開けられる。
 リラは身体を固くする。
 白の前開きの衣をまとった、蜂蜜色の髪を結い上げた女性が目の前に現われた。
 線の細い顔にはしわが刻まれている。その瞳は知性をたたえている。
 帝国の一番上の位を持つ女性、その人だった。
 女性はそれを自分の手に取ると、日の光にかざすようにかかげた。
「確かにリラディアのものですね」
 手を下ろし、裏に彫られた名を指でなぞる。
「わたしの持つ物と同じですよ、ほら……」
 女性は自分の首にかかった首飾りを外して、リラの手の平にそっと乗せた。
 確かにそれはリラの持つ物とそっくり同じものだった。
 羽を広げた二対の竜は、向かい合い無言で語り合うかのようだった。
 不思議だった。
 この世でたった一つしかないと思われた首飾りが目の前に二つあった。
 リラはきらきらと輝く二対の竜をじっと見つめた。
「竜帝国の帝位につく運命にある女性は、生まれたときにこれを持つのです。死ぬときも、決して離すことなく」
 女性は、そこで息をつく。
 その顔には疲労が色濃く出ている。
「首飾りの竜が紅く光る珠を持っているでしょう。それがリラディア・カナン・エルドラド、貴女である証ですよ」
「あか……し?」
 リラは寝台に座る女性を見上げた。
「竜の珠は、竜帝国の帝位を継ぐ者のみに反応するのですよ。貴女が貴女であるから、紅く光るのです。他の者が触れるとたちまちただの小石に変わるものです」
「あたしがあたしだから……?」
「そうです」
 言い終わらぬうちに女性はリラを抱きしめた。
「よく帰ってきましたね、……リラディア」
 暖かく優しい腕だった。
 記憶にないはずなのに、どこか懐かしい香りがした。
(ああ……)
 リラは抱きしめられたまま思った。
 覚えていた、と。
 この感覚だけは覚えていたと。
 母に抱きしめられた記憶。遠い記憶の彼方のできごと。
 物心つくかつかないかのころのこと。
 確かに、この腕の温かさと懐かしい香りは覚えたがある。母のものだ。
「リラディア……」
 女性の肩が震えている。泣いているのだ。
 リラの目から、我知らず大粒の涙がぽろぽろとこぼれる。
 目の前が涙でかすんで見えない。
 胸が熱く、苦しくなった。
(お母さんだ)
 懐かしい香りの中、きつく抱きしめられたままリラは涙を流した。
 そのときだ。
「……っ!!」
 爆発音が重く響き渡った。地鳴りがして床が揺れた。
 それは、火の山の方角からだ。

 

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