火の山の竜
第2章 第4話
〜黒き大剣、目覚める刃〜

 

「竜が呼んでる。助けを求めてる……!」
 リラは揺れて転びそうになりながらも、火の山に面した窓ぎわまで行くと外を見やった。再び山の頂上は赤く燃え上がっている。
 爆発音に混ざって聞こえたのは確かに竜の声だった。
 再び衝撃が身体を襲う。
 火の山に黒き光の柱が落ちたのだ。続けざまに二回。
 間をおかずに振動が伝わってきた。
「ああ……!」
 リラは己の身体をかき抱き、赤く火の粉を散らす山を見ていた。
 消え入りそうな竜の悲鳴は細く長く帝国中に響き渡った。

「陛下、大丈夫ですか! お怪我は!?」
 地響きの続く中、扉がはね開けられ二人の兵士が部屋へ駆け入ってきた。
「大丈夫です、ありがとう」
 女帝トゥーランドットは答えて、兵士を部屋の入り口に下がらせた。
「竜が鳴いて……いいえ、呼んでいます」
 トゥーランドットはリラの背後に立ち、火の山を見やった。
「わたくしは行かなくてはなりません。火の山の竜が、アリアカンテが呼んでいます」
 トゥーランドットはリラを見下ろし、静かに言った。
「リラディア、あなたはここに残って待っていなさい。母にはしなくてはならぬことがあります」
 その声は厳しかったが、目は慈愛に満ちて優しかった。
(お母さんの目だ、この人はあたしのお母さん……)
 白く細い肩と腕、少しやつれて見える頬、疲れているのだろうに、それをみじんも感じさせない、強い光を宿した瞳。この人は長いあいだ、人の上に立ってきたのだ。自分の母親であると同時に、一国の頂点に立つ者なのだ。リラは目の前に立つ母親に対して尊敬の念を抱かずにはいられなかった。
 だが、リラは首を横に振る。
「お母さん、あたしが行きます。いいえ、行かせてください」
 リラは母親の目をしっかりと見すえて言った。
 トゥーランドットは驚いた表情をした。目が大きく見開かれる。
「なにを言っているのです、あそこは危険なのですよ。子どものあなたが行く場所ではないのです」
 小さな子どもに言い聞かせるようにひざを床につき、トゥーランドットはリラに目線を合わせてきた。子どもを心配する、母親の顔だった。その声はあくまで静かに優しい。
「火の山にいるのは、きっとあたしの友だちなんです。だから、あたしは行かなくちゃならないんです」
「友だち?」
 聞き返されてリラはうなずき、まっすぐにトゥーランドットの目を見る。その瞳には自分の思い詰めた顔が映った。
「西の大陸からずっと一緒に旅してきた大切な友だちです。ロウは、あの子はあそこにいるはずなんです!」
 しばし無言の時が流れる。
 始めにその沈黙を破ったのはトゥーランドットだった。
「そのお友だちは大切な人ですか?」
 リラは無言でうなずく。
「そのお友だちは守りたい人ですか?」
 リラは再びうなずいた。
「お母さん、あたし……ロウを放っておけないんです。あの子、放っておいたらきっと壊れてしまいそうで。あの子の笑顔が好きなんです。もう一度笑ってほしいんです」
 言いながらリラは胸の前で両こぶしをぎゅっと握った。ロウのことを思い出すと胸が苦しかった。優しかった笑顔、綺麗な瞳、しなやかな腕、それは今はリラのもとにはない。消えてしまったものだ。失ってどれだけ大切か、リラは思い知らされた。どうしても取り戻したい。ロウの側にいたい、そう思うと胸が押し潰されそうになった。
 トゥーランドットは静かにリラの話を聞いていたが、リラがすっかり話し終えると、笑顔を見せた。
「わたくしのもとにいたのが二年間、離れて行方不明になってから十三年間。そのあいだに、あなたは自分にとってかけがえのないものを見つけたのですね」
 慈しみの色を込めて、ゆっくりとリラを見つめた。
 それから立ち上がると、今度はソウとスカッシュに向き直った。
「ソウ、……リラディアを頼みましたよ。代償は必ず払いましょう」
 ソウは微笑で応えた。
「代償はもうじゅうぶんに受けとっていますよ、お気になさらずにお任せください、陛下」
 言って優雅にお辞儀をして両手を合わせ、片ひざを折った。竜帝国の正式な礼だ。
「あなたがそばにいてくれるのなら安心ですから」
 二人を交互に見てようやく状況が飲み込めたのか、リラは弾かれたように顔を上げる。
「……それじゃあ」
「条件がありますよ、リラディア。どうか、母のもとに戻ってきてください。二度もあなたを失うのは嫌なのです」
 振り返ってトゥーランドットはリラを見つめた。
 本当は手放したくないに決まっている。だが、あえて自分を行かせてくれるのは自分のことを信用した上でのことなのだ。リラにはそれが痛いほど分かった。リラとて、やっと会えた母親と離れたくはない。
「はい、お母さん」
 リラはしっかりとうなずく。
「リラは、……リラディアは必ず戻ってきます、お母さん」
「リラディア……」
 トゥーランドットは、リラを引き寄せ抱きしめた。
「リラディア、わたくしはあなたが母と呼んでくれて嬉しく思っております。言葉もあまり話せぬころに見たきりのあなたが、こんなに大きくなって無事でいてくれて、母はこれ以上望むものがないと思うほど幸せですよ」
 不思議と安心できるのは、母親の腕だからだろうか。優しく静かな声音はリラの心に染み入った。
「お母さん……」
 リラは呟いて、もうその言葉が他人のもののような、よそよそしいものでないことに気づく。しっくりとなじむ、暖かいものだった。
 この人は本当に自分の母親なのだ、リラはそれを深く感じた。

 火の山。
 森林限界は非常に低く、赤銅色の岩肌がむき出しになった山だ。標高は高く、頂上は雲に届いた。
 いつもは薄く細くたなびく煙も、今は真っ白にけぶるほどあたり一面を覆っている。
「そこらじゅう、まっしろだわ」
 岩の陰からは水蒸気が噴出している。ひどい匂いだ。
「危ないから、近寄ってはいけませんよ。火傷ではすみませんから」
 ソウの忠告にリラは身震いをする。
 離れていても熱気はじゅうぶんに伝わってきており、肌を焼くようだった。
「すごい、匂い……」
 リラは口もとを袖で隠す。
「火の山は活火山なのですよ。この匂いは硫黄です」
 ソウは先を歩きながら答える。
 山の中腹まではソウの転移魔法できたものの、そこから先は歩きだった。
 火の山自体が魔法がかった場所であるため、魔法を使うのはできるだけ避けたいというのがソウの意見だった。もともと魔法がかった土地では、人間や魔族の使う魔法は制御がききにくくなるのだ。
 空は暗く、視界はあまりきかない。細い山道は急勾配で滑りやすく、足もとに注意しながら先を進んだ。
「どうしたんです、スカッシュくん。何か考えごとでも?」
 ソウは、一番後ろを続く息子がやけに静かなのに気づいたらしく、声をかけた。
「いや……。リラがまさか皇女様だなんてさ。まさに世も……。いや、ははは」
 スカッシュは振り返ったリラに睨まれ、途中で言葉を止めて乾いた笑いを浮かべた。
 岩ばかり転がる道なき道を三人は進んでいく。
「あ、あそこ、人が倒れてるわ!」
 少し登ったところで、兵士が数人倒れていた。鎧から見て、竜帝国の兵士だ。見れば身体に無数の刀傷が見うけられた。
 リラは駆け出し、倒れている兵士のうちの一人の側にしゃがみこんだ。
「どうしたの、大丈夫!?」
「う……」
 兵士はうめいて、血を吐いた。腹部の傷が深い。鎧ごと裂けた傷口からは鮮血がとめどもなくあふれ出している。鋭い刃物で切られたような鋭利な傷だ。
 目を見開いたかと思うと、兵士はリラの腕を痛いくらいに掴んだ。ごぼりとのどが鳴る。何か言おうとしているようだったが、血がのどに詰まったのか口を動かすだけだ。
「喋っちゃだめよ、今、人を呼んでくるわ」
 だが兵士は首を横に振る。もう一度せき込んで、血を吐いてやっとこのことで声を出す。
「黒き……剣が……」
 兵士は、それきり動かなくなってしまった。リラをつかんでいた腕は力が抜け、地面に落ちる。
「おじさん、大丈夫……? おじさん!」
 やっきになって叫ぶリラのもとへ、後からソウとスカッシュが追いついた。
「ちょっと、どいてみろ」
 スカッシュは少女の隣に座りこむと、兵士の首すじに手を当てる。
「……死んでるよ」
「…………」
 リラは言葉が出ない。人が目の前で死ぬところなど、生まれてこのかた見るのは初めてだった。身体が自然と震え出す。
「そ、そんな……」
 よろよろと立ち上がった。
 坂をあおげば、赤茶けた岩道は雨が降ったわけでもないのに濡れている。
 ぬるりと足もとが滑り、スカッシュに支えられた。
 リラは地面を見て、身体をすくませる。
「あ……あ……」
 それは血だ。おびただしい血で、岩肌がさらに赤く染まっているのだ。
 兵士の血だけではない。確かに倒れている兵士は数え切れぬほどいたが、足もとを濡らす血は尋常ではない。
 その先に、リラは見た。
 少年の姿を。
「ロウ……」
 熱にうかされたように呟いた。
 ロウだ。
 幻などではない、確かに、その少年はロウだった。
 血に濡れた岩肌に立つロウは、その手に黒い大剣を握っていた。

 

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