火の山の竜
第2章 第5話
〜血で染まる大地、火の山の竜〜

 

 少年の細い腕に似つかわしくない大剣だ。柄もつばも黒い。刀身さえも黒いのだ。
 一緒にいたときは、そのような大剣は持っていなかったはずだ。リラが初めて見るものだった。
 少年のすぐ目の前には赤く巨大な岩山があった。人の背丈をゆうに越し、腕を広げた大人が十人はいないと取り囲めないほどの大きさだ。
「岩……じゃない。あれ、かすかに動いてるぜ」
 スカッシュが息を飲む。
 見れば、岩と思われた物体はゆっくりだが上下を繰り返している。
「生きてる……、あれは竜だわ」
 リラは指を差した。
 竜はうつ伏せている。頭を上げない。
 身体は傷だらけだ。先ほど死んだ兵士と同じ、鋭い刃物で切られた傷だ。赤い岩肌のような皮膚からは血がたれ流れている。
 地面を流れるおびただしいほどの血は竜のものだったのだ。
「火の山の竜は石化していたはずじゃないの?」
 リラは誰に言うともなく呟く。
 前方にいるのは、石像ではない。血の通う生きた竜だ。
 世界で最後の、火の山の竜。
「火の山に落ちた黒い光の柱は、竜の石化を解くものだったんだろう」
 スカッシュが言った。
 ロウは、リラたちに気づいたようだ。何を言うわけでもなくリラたちを見ている。
 だが、ようすがおかしい。
 彼の瞳は、いつかの深く赤い色をしていた。その顔には表情はない。
 その隣にはやはり黒髪の大人びた少女が立っている。長くゆるやかな髪を背にたらした、リラとそう歳の変わらぬ少女だ。少女は大剣の鞘を腕に抱えていた。
「リラくん、彼のようすがどうもおかしいです」
 後ろに立つソウが、リラに耳打ちした。
 だが、リラはかまわず叫んだ。ずっと探していたロウが目の前にいるのだ。じっとなどしていられなかった。
「ロウ、……あなたロウなんでしょう? ね、返事をして」
 少年が反応を示した。リラを見て、うすら笑いを浮かべた。
「ロウ? それはわたしの綽名だが、もう一人のわたしのことを指すなら……彼は消えたよ」
 背筋が寒くなる冷たい笑みだった。 
「なにを言って……、ロウは……ロウを……」
 リラは上手くしゃべることができない。のどが乾いて、舌がもつれた。
 あの赤目のロウは今までに二度見たことがあった。一度目は洞窟でオークとの戦闘中に、二度目はソウの家で。
 あれはロウではない。ロウと同じ顔、同じ声をしていても違う人間だ。
「来るのが遅すぎたな」
 少年はそれだけ言うと、きびすを返してリラに背を向ける。
「待って! ロウ、あたしの声が聞こえるんでしょう?」
 言葉がせきをきって止まらない。
 嘘だと、少年の言葉はでたらめだと。心が悲鳴を上げた。
 ソウが肩をつかんで押えつけようとするのをはねのけ、リラは叫ぶ。
「ロウ、帰ってらっしゃいよ。どうしたっていうのよ、どうしてあたしの前から姿を消したの!?」
 少年は答えず、間近まで駆け寄ったリラに黒き剣の切っ先を向けた。
「うるさい、近づくな」
 大剣はぎらぎらと危うげに輝いている。見れば、刀身には赤黒い血がこびりついていた。
 彼が、人を、竜を、切ったというのだろうか。リラは一度わいた疑問を頭の中で否定する。
(ロウは、そんなことしない。絶対にしない……!)

 だが、彼の額にはすでに封印の文字のあざはない。消えていた。封印が解けたのだ。

「下のほうで転がってるヤツらのように死にたくなければな」
 ひどく冷めた笑みを見せて、少年は切っ先をリラのほおに当てる。つっと、ほおに血が伝った。皮膚が切れたのだ。
 リラはそれでも目を背けなかった。きっ、と少年を見すえる。
「ほう。もしも悲鳴を上げれば、いっきに切り殺していたものを。声一つもらさないのか」
 少年は感心したように言う。
「やめなさい。女性相手に何をしているのです」
 ソウの声に気づき、少年は面白そうに口のはしを引き上げる。
「五層の冥府の住人を連れているのか」
 少年は手を止めない。笑いながら、さらに大剣を動かした。
「……っ!」
 リラのほおに、人差し指の長さほどの切り傷ができる。開いた傷から再び血が流れ出た。
「っざけんな、ロウ! 大事な友だちだろ? なにやってんだよ!!」
 リラの耳もとを、風を切る音が通りすぎた。
「……くっ」
 見ると、少年の右手の甲にナイフが深々と突き刺さっていた。
 スカッシュの投げたものだ。
「まだ続けるつもりなら、ロウ、お前……殺すぞ」
 低く声を殺して、言った。
 金色の目が、少年を射すくめる。
 だが、少年の深い赤色の瞳もまたスカッシュを興味深げに見ていた。
「面白い。魔族はまだ切ったことがないから、どんな切れ味か試してみたかったんだ」
 少年は手の甲に刺さったナイフを抜き、舌で舐め取った。大剣をリラから引くとスカッシュに向かって構えなおす。
 そのまま岩肌を蹴り、横薙ぎに構え、いっきに間合いを詰めにかかる。
「……ちっ」
 スカッシュは舌打ちをして懐からナイフを取り構えた。
 素早くソウが魔族語の呪文を唱える。
 だが、間に合わない。
 少年はニヤリと笑って、大剣を振るった。ソウとスカッシュ、二人とも切るつもりなのか。
「なに!?」
 声を上げたのは少年のほうだった。大剣は澄んだ金属音を立てて弾き返されてしまったのだ。
 すんでのところでソウが完成させた魔法は、障壁。見えない守りの壁だ。
「引きなさい」
 ソウは言った。
「障壁の魔法か。剣では手が出せない、か」
 少年はいまいましげに言って身をひるがえす。
「もうそれには用がない。帰るぞ、クルスナ」
「はい、ロウレンス様」
 隣に立つ黒髪の少女に声をかけ、黒き剣を渡す。
 クルスナと呼ばれた少女はうやうやしく大剣を受け取ると、丁寧にさやに収めた。
 彼女はリラと目が合うと、意味ありげに笑みを作ってロウに寄り添った。
「ロウ……レンス?」
 聞きなれぬ言葉。それがロウのことだと気づくのに少し時間がかかった。
 彼の後ろのきりたった崖、なにもないと思われた空中に羽ばたく巨大な獣が現れた。獅子の身体と後ろ足、鷲の前足と顔を持つ魔物、それはグリフォンだ。
「グリフォン!?」
 リラは呆然とする。
 人里では決して見ることのない、深い森に住むという鷲頭獅子。リラとて見るのは初めてだ。おとぎ話に出てくるだけの魔物だとばかり思っていたのだ。
 竜ほどではないとはいえ、体長はゆうに人の倍はあろう。鋭いくちばしを持つそれは少年に撫でられ気持ちがよさそうに目を細めすり寄った。
 少年は、黒髪の少女とともにグリフォンに飛び乗ると、手綱を引いた。
「ロウを返して!」
 リラはのどが張り裂けんばかりに少年の名を呼ぶ。
 少年は、首だけ動かして振り返りリラを一瞥した。冷たい目だった。
「人聞きの悪いことを。封印は、彼がみずから破ったのだよ」
 おかしそうに笑う。
「え……」
 突風が巻き起こり、リラはとっさに目を閉じる。
 大きな力強い羽音が聞こえた。グリフォンが羽ばたこうとしているのだ。
「待って」
 叫んだが、その声は風にかき消されてしまった。
 風がやみ、リラが顔を上げるとロウを乗せたグリフォンは空高く飛び立っていた。
「あ……」
 気づいたときにはすでに手の届かぬ場所まで舞い上がっていた。

『リラさん』
 いくども、 いくども、聞いた懐かしい声が耳に甦る。
 あの声は確かにロウの声。聞き慣れた声。
 だが、ロウではない者の声だ。
『ロウ? 彼はもう消えたよ。来るのが遅すぎた』
 彼はそう言った。
 確かに、すでに額から封印のあざは消え失せていた。それはロウも消えたことを意味している。
 ロウが消えた。封印のあざとともにこの世から消えたてしまったのだ。

 グリフォンは、そのうち暗闇の雲の中に姿を隠してしまった。
「ロウ……、ロウ!!」
 リラは目を瞑り、うずくまる。
 どうか、誰か、それは嘘だと言ってくれと心の中で呟きながら。

「嬢ちゃん、ワシの声が聞こえるかね」
 しわがれた老人の声が聞こえ、リラは弾かれたように顔を上げた。
 辺りを見回したが老人などどこにもいない。
「ここじゃよ」
 竜だ。竜が口をきいたのだ。
 竜は身体を動かす力が残っていないのか、首を上げないままだ。いまだ身体からは血が流れ出ている。うろこもぼろぼろだった。
「あ……、あなたはアリアカンテ? 火の山の竜……」
「そうじゃ、嬢ちゃんは……巫女だね。ワシが身動きできないあいだに何代かかわったのか」
 終わりは独り言のように言って、竜は炎を炎の混ざった息を吐いた。
 リラはがく然とする。竜が喋ったことにも驚いたが、何より竜は両目がなかったのだ。
「目が……」
 左目の傷は古いものと思えたが、右目の傷はまだ新しい。
 閉じられたまぶたは血がにじみ痛々しかった。
「あの坊主がワシを起こし、左目を奪っていった」
「ロウが!?」
 リラは聞き返す。
「坊主の名がロウだというのなら、そうじゃ」
 スカッシュが驚いたように、横から口を割った。
「……おい、リラ。竜と話しをしているのか? 竜の言ってることが分かるのか?」
 信じられないといったようすだ。
「スカッシュには聞こえないの?」
 リラは逆に驚いてしまった。自分にしか聞こえないというのか。
「さっきからこのでかい竜は、グルグルのどを鳴らしてるふうにしか見えないぜ」
 スカッシュは肩をすくめる。
 リラは首から下げていた首飾りを取り出した。
 トゥーランドットもソウも、自分のことを竜の巫女の娘だという。それは未だに信じがたいことであったが竜の巫女の血が、自分に竜の声を聞かせるのだろうか。リラは首飾りを見つめた。
「スカッシュ、ソウちゃん、竜が、アリアカンテがロウに片目を奪われたって」
 リラは彼らに向き直り告げた。
「あいつはどうして竜の目を……」
 スカッシュはあごに手を当て、考えるように唸った。
「巫女よ、あの坊主は黒き剣とその精をつれておったぞ。ヤツはまがまがしい。世界を破滅に導くものじゃ。ワシの片目を奪い返しておくれ」
 竜は言って、傷ついた首をもたげた。
「あの目はワシと千年の長きをともにして、世界を見てきたのじゃ。ワシの友じゃ」
 竜が話し終えたそのときだ。
 空をつんざく大声音が鳴り響く。黒き光の柱が落ちたときと同じ音だ。
 それは彼らの後方、竜帝国の中心、女帝の住まう城へと落ちた。
 リラが降り返るより早く、城は燃え崩れていた。

 

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