火の山の竜
第2章 第6話
〜帰還、竜の舞う空〜
リラは呆然と立ち尽くした。
眼下では、高い石作りの塀に囲まれた朱塗りの建物が焼け崩れていく。それは、竜帝国の要、女帝の住まう城だ。建物が倒壊していく轟音が聞こえた。遠目からでも土煙と火の粉が舞うのが見える。
「――……リラ、リラ!」
スカッシュに肩を揺さぶられ、半ば気を失いかけていたリラは正気を取り戻す。
「どうし……よう、お母さんが……、お母さんが……」
血の気の引いた白い顔で青年の腕にしがみつく。
「お母さん、お母さん……!!」
スカッシュはリラを抱きしめる。
リラは声を上げて泣いた。うそだと、かぶりを振った。
「なんだって、こんな……」
スカッシュは山すそを見やり、顔をゆがめた。
見上げれば、グリフォンの姿はもう見えない。空が暗く視界が悪いのだ。だが、去っていった方角は、西。それはギステネア王国の方角だ。
「落ちつけ! ……すぐに山を下りるぞ」
青年が言って、リラの手を引いたそのときだ。背後でくぐもったうなり声がした。
「巫女よ、ワシが下まで連れていってやろう」
火の山の竜の声だ。
重たげに首を上げ、起き上がろうとする。
「だって、あなたそんなに怪我をしているじゃないの」
リラは驚いて竜に向き直る。
竜が起き上がろうとすると、身体の傷から血があふれ出した。
「だめよ! アリアカンテ、立ち上がっちゃだめ」
リラは慌てて駆け寄り、竜の身体の傷を手で押さえた。だが、押さえた手のあいだから血が流れ出る。開いた傷口は深く血が止まらない。竜の身体から流れ出る血は地面を赤く染めていく。
「ああ……!」
服に生臭い血がしみるのもかまわずに、必死で傷を押さえる。なんのためらいもなく。
竜は炎の混ざった息を吐き、折れた皮翼を広げ羽ばたこうとした。
「ワシは平気じゃよ。なに、このくらい……」
前足を一歩出し、身体を起こす。
「やめて、アリアカンテ。せっかく会えたのに、これ以上動いたら……あなた死んじゃうわ」
リラは竜の固いうろこの身体に触れ、頭を横に振った。どうしたらよいか分からなかった。
ほおを涙が伝う。
その涙が、竜の身体にしたたり落ちた。
「おお……」
竜が声を上げる。
竜の身体が淡い光に包まれ、みるみるうちに傷がふさがっていくのだ。
「なつかしい、巫女の力か。血は途絶えんかったのじゃな……」
燐光の中、竜は喜びの声を上げる。
「な……」
リラは信じられないと、竜を見る。
「なにを驚く必要がある。巫女は力の使い方も忘れたのかね?」
不思議そうに竜は首をかしげた。
「違うの。私、こんな……力とか、知らないわ」
リラは自分の両手を見た。
「巫女の想う力が奇跡を起こすのじゃよ」
竜は言った。
「想う力?」
「そうじゃ、それこそが生きるうえで一番大切なものじゃろう?」
リラは、ロウの顔を思い浮かべた。彼を想う力で救い出せるのだろうか。
竜はクツクツと笑って、皮翼を羽ばたかせた。だいぶ傷は癒えたようだが、竜の両目は閉ざされたままだ。
「アリアカンテ、目が……。ごめんね」
リラは竜に向かって謝り、そのまぶたにそっと触れる。身体の傷は癒えてもその目は痛々しく映った。
「なぜ、巫女が謝る必要がある?」
解せないと、竜はため息のかわりに火の粉を吐く。
リラは苦しげな顔をした。
「あの子、あたしの友だちなの。ずっと探してた大切な友だち」
それきり押し黙ってしまったリラを見て、竜はぐるぐるとのどを鳴らして、大きな頭をすり寄らせた。
「話は後で聞こう、巫女よ。今はすそ野へ向かうのが先ではないか」
真っ暗闇の空を、風を切るようにして竜は飛んだ。
風が顔にまともにぶつかり、リラは息をするのが辛かった。目を開けているのもやっとだ。ごつごつとした竜の背にしがみつくようにつかまり、少しだけ首を伸ばして遥か下方を見た。とても高いところを飛んでいるのだ。竜帝国に住む人たちの家々が小さく目に入った。
「すごいな……。まさか伝説の竜に乗って空を飛ぶ日がくるとはな」
スカッシュの声が背に聞こえた。
「空が暗いじゃろう。これは魔法がかった雲じゃ。あの坊主らが呼んだ雲じゃな」
リラは驚いた。竜は両目を失っているというのに、空のようすが分かるのようだ。
「アリアカンテ、あなた、目が見えないんじゃ……」
「ワシは目が見えなくても、分かるんじゃよ。風がみんな教えてくれる」
愉快そうに竜は声を上げて笑った。
竜は、少しの間のあと、誰に話すともなくぽつりぽつりと語り始めた。
「ワシらの仲間は、ずっと昔はたくさんいたのじゃよ。この空にはもっとたくさんの仲間が飛んでおった。もうずっと昔じゃがね」
風がびゅうびゅうと吹き抜けていく音に混ざって、竜の声は静かで歌うようだった。
「ワシらは竜同士で戦い、みんな死んでしまった。ワシらの武器はブレス。歌声じゃ。……戦いの歌がやみ、最後に残ったのはワシだけじゃった」
ひどく寂しげな声だ。リラはどう声をかけたらよいか分からない。だが竜は、すぐに声の調子を戻すと、翼を傾け降下しだした。
「さあ、城が見えてきた。降りるぞ」
リラは、崩れ落ちた城を見下ろす。あれほど美しかった城が見る影もなく形を変え、がれきと化している。血の気が引くのが分かった。
(お母さん、どうか無事でいて……)
火がはぜる音が聞こえた。
周囲には煙と砂ぼこりが立ちこめ、すすけた匂いが漂っている。
初めて東の大陸にきたときに見た、あの美しい朱塗りの城は今はもうどこにもなかった。
それは暗い空の下、リラの目には地獄のように映った。
竜が降り立ったところは城の中庭にあたる場所だった。手入れの行き届いていた庭も崩れた城の石壁に埋もれ、今や荒れ果てている。
リラは言葉も出ない。
敷地内は殺気立った兵士や官司が声を上げ走りまわっていた。
少し離れた城の内門の――今はもう崩れてしまっている――付近で、指揮をとる人物がいた。上質な紺色の生地の衣を身にまとった老人だ。だが衣はところどころが破け、みすぼらしいありさまだった。怪我をしたのだろう、頭には包帯を巻いている。
「丞相閣下」
ソウが口を開く。
老人は、ソウの姿を見ると足早に駆け寄ってきた。
「ソウではないか。無事だったのだな!」
すすだらけの顔で、やあよかったとソウの両手を取った。
「丞相閣下、無事だったのですね」
ソウは老人に労わりの声をかけた。
「ああ、ワシは無事だが……」
老人は言葉をにごす。
だが、彼らの後ろに座っていた竜に気づくと大きく目を見開き、固まってしまった。
「な、な……」
やっとのことでそれだけ言ったようだった。
「火の山の竜ですよ」
ソウがこともなげに答える。
火の山と同じ赤いうろこの竜は、まるで挨拶でもするようにぐるぐるとのどを鳴らし目を細めた。
竜はあまりにも巨大で、老人は萎縮するばかりのようだった。竜帝国のあがめる火の山の竜だと分かっていても、だ。
この老人なら母親の安否も知っているはずだ。リラそう思うと、いても立ってもいられなくなった。
「あ、あの、お母さんは!? お母さんは、無事ですか!?」
食いかかるようにして訊ねる。心臓が早鐘のように脈打った。
「お母さん? 君は、おや……。君の母君は、城の人間かね?」
老人は困ったようすで聞き返す。
「いえ、彼女はトゥーランドット様のご令嬢ですよ、丞相閣下」
ソウが後ろからかわりに答えて、リラの肩に手をおく。
「リラくん、首飾りを」
ソウはリラに竜の飾りのついた首飾りを見せるようにうながした。
普段は服の下につけているそれを、リラは取り出す。
赤く輝く珠を抱えた竜の首飾りは、暗い空の下できらきらと光を放っていた。
それを見た老人は口をぱくぱくと動かし、首飾りとリラを交互に見やった。おそるおそるリラから首飾りを受け取り、底面に彫られた文字を読む。
「リラ……ディア……カナン、エル……ドラド……」
老人は顔を真っ赤にして、興奮したようすでリラを穴が開くほど見つめた。
「この珠は、竜の巫女の一族の血にのみ反応するもの。この世界で、トゥーランドット様とリラディア様のみに反応する首飾りではないか」
老人は誰に言うでもなく呟き、その場でひざを折るとひれ伏した。
「おお……、リラディア様、よくぞ帰られた。よくぞ……」
それきり頭を上げようとしない老人に、今度はリラが困ってしまう番だった。
「おじいさん、やめて。それより、お母さんは無事なの?」
老人は少し顔を上げると眉を曇らせる。力なさげに立ち上がると、視線をそらしうつむいた。
「……ついていらっしゃい」
それだけ言って先に歩き出す。
訊ねたいことはいくらでもあった。だが、今は老人のあとを追うのが先だった。
崩れずにすんだ城の外門の下に、兵士や官司たちが集まっている。すすり泣く声が聞こえ、そこにいる誰もがうなだれている。
彼らはリラが歩いてくるのを見るといぶかしげな顔をしたが、老人を見るなり慌てて道をあけた。
リラの手は汗ばみ震えた。指先が緊張で冷たくなっていくのが自分でも分かる。
彼らに守られるように囲われ横たわっていたのは、赤い衣をまとったトゥーランドットだ。だがおかしい。別れぎわは白い衣を着ていたはず。
「……あ、ああ……!!」
リラはかぶりを振り、口もとを手でおおう。
それは、赤い色の衣などではない。血だ。血に染まっていたのだ。
トゥーランドットの顔は人形のように白い顔をしていた。雪のように白い顔だった。
「おか……さ……」
リラは熱にうかされたように母親を呼ぶ。
しかし、いつまで待ってもトゥーランドットの返事が返ってくることはなかった。
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