火の山の竜
第2章 第7話
〜誓い、優しい月の夜〜
少しの間のあと、女帝トゥーランドットの閉じたままの目が薄く見開かれた。
「リ……ラディア」
リラは急いで駆け寄り、母親の手をぎゅっと握った。その手は血の気がなく氷のようだった。
「お母さん……、よかった」
死んではいない、そのことに安堵してリラは息をつく。
トゥーランドットは額から血を流している。腹部を怪我したのだろう、身にまとった衣も血だらけだった。動く気力もないのか、ぐったりと横たわったまま、リラを見上げた。
「大丈夫です……、母はこれきしのことでは……死にませんよ。ようやく……あなたと会えたというのに」
言って、トゥーランドットは握った手を解き、リラのほおに触れた。
「ああ……」
リラは涙を流していた。
たった一人の、やっと見つけた肉親をなくすところだった。そのことに気がつき、あとから恐ろしさが込み上げてくる。
ふと、背後で兵士たちの悲鳴が上がった。見ればアリアカンテの姿に驚いているようだった。
丞相は声を上げ、竜に間違っても剣を向けるのではないと兵士たちに諭している。
「巫女よ」
言いながらアリアカンテはごつごつとした背に首を回す。それからなにやら口にくわえたものをリラに差し出した。
薄く赤い花びらのようなものだった。それはきらきらと不思議な色に光り輝いている。
「これは、……あなたのウロコ?」
リラはそれを両手で受け取ると、驚いてアリアカンテを見上げた。
竜は閉じた両目をリラに向け、ぐるぐるとのどを鳴らした。
「ワシの巫女たちの危機を、だまって見過ごすわけにもいくまい。それを使うがよい」
火の粉の息を吐くと、アリアカンテはリラのほおをぺろりと舐めた。手加減はしたのだろうが竜の力はあまりに強いかったので、リラは少しよろけた。
「ワシの目玉や生き胆だけではない、うろこも強い力があるのは知っておろう。煎じて使うのじゃ。そのケガもたちどころに治るじゃろう」
言ってアリアカンテはもう一度のどを鳴らした。
「あの、これ……アリアカンテが使うといいって。お母さんのケガに効くって言ってるわ」
リラは竜のうろこを丞相に見せて言った。
「なんと……、リラディア様は竜の言葉が分かるのか……」
丞相はそれを受け取ると、信じられないといったふうにリラを見た。
「薬師を呼べ、早く!」
丞相が叫ぶが、混乱した城内では薬師がどこにいるのか分からないのだろう。いっこうに薬師は現われるようすがない。
リラが不安げに辺りを見回したそのとき、ソウが名乗りを上げた。
「ボクがやりますよ、丞相閣下。こういうのは得意ですから」
ソウはリラに向き直ると、優しい笑みを見せた。
「大丈夫ですよ、リラくん。さあ、ここは寒いし危険だ。陛下を安全なところへお連れしましょう」
壊れずにすんだ城の敷地内にある兵士の寄宿舎。
寝台に移動させられたトゥーランドットは静かに寝息を立てていた。
簡素な作りの部屋だが、寒さをしのぐにはじゅうぶんだった。
「お母さん……」
リラは寝台の隣に丸椅子を持ってくるとそこに腰かけ、母親のそばにつきっきりになっていた。
トゥーランドットに今や目立った傷は見受けられない。全快とまではいかないがほとんどの傷はふさがっていた。
全て竜のうろこのおかげだった。
リラは手もとに視線を戻し、残ったうろこを見ながら竜とは不思議な生き物だとあらためて思った。
竜の身体のありとあらゆるものが薬になるという。ときには魔法の品を作るさいに重要になるともいう。
それは竜自体が魔法がかった生き物だからだ。
窓の外を見れば、アリアカンテの姿が見える。彼は城門の前におとなしく座り、兵士たちを興味深げに見て――正確には兵士の存在を感じとって――いた。兵士たちは彼を守るためだろう、彼を取り囲むように立っていた。ときおり彼にちょっかいを出され、兵士たちはびくびくとしている。
(ロウは……)
ロウはどうして竜の目を持っていったりしたのだろうか。
リラは考えを巡らせたが、明確な答えは思い浮かばない。
いつも一緒にいたのに、自分はなに一つ少年のことを理解していなかったのだ。そう思うと自然と顔がゆがんだ。
「リラディア様も休んでください」
声がして振り返ると、丞相が扉の前に立っていた。
よほど疲れているのだろうか、老人の顔にも濃い疲労がにじんでいた。目の下にはくまがでいている。
「はい……」
リラは返事はしたものの、トゥーランドットのことが気がかりだった。ちらちらと寝台に横たわる母親を見た。
「大丈夫です、ここには薬師も兵士もおります」
丞相はリラの言わんとしていることが分かったのか、リラを安心させるかのように優しい笑みを見せた。
「丞相様……」
「ハクマールでけっこうですよ」
白ひげをあごにたくわえた老人は言った。
ハクマール、それが彼の名なのだろう。
「もう、二度と陛下を危険な目にはあわせません。ご安心くだされ」
そう吐き出すように言った老人の表情を見れば、それが子どもの自分を安心させるための言葉のあやではないことは容易に理解できた。
老人の顔は優しかった。
この人なら安心してまかせられる、リラはそう思った。
リラが廊下に出たのと入れ替わりに薬師と官司が部屋へ入っていった。
廊下の窓から見える空は相変わらず暗かったが、それは魔法がかった暗雲のせいではない。すでに雲は消え、空には星々がまたたいている。夜がきていたのだ。
明日は晴れるだろう。
「明けない夜なんてない」
自分に言い聞かせるように呟く。
「ロウ、あたしは……」
リラは雲の切れ目から見えた月を見た。優しい色の月だった。
今や自分とロウを繋ぐものは、なにもなくなってしまった。あるとしたらこの空の月くらいだと思うと、なんてあやふやなのだろうと泣けてきた。全てが涙にけぶって見える。
だが、目をしばたかせるともう一度月を見上げ、誓いのように言った。
「あたしは必ずあなたを取り戻してみせるわ……」
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