火の山の竜
第2章 第9話
〜継承、目に見えぬ暗き場所〜

 

 朝、扉をノックする音で目が覚めた。
 空は明るく、太陽が出ていた。もうすっかり黒雲はなくなっている。日にちにすれば、たった一日のあいだのことだったというのにずいぶん太陽を見ていなかったような気がした。ばぶしさに目をしばたかせる。
 リラは目をこすりながら起き上がると、扉のほうを見た。
 ノックはまだ続いている。
 寝起きは機嫌が悪いことが多いリラだったが、見なれぬ部屋にいることに気がつき自分が宿屋にいるのではないことを思い出した。そう、ここは城の敷地内に立てられた兵士の寄宿舎の一室なのだ。いつまでも機嫌が悪いままぼうっとしているわけにもいかない。
「今、開けるわ。待ってて」
 扉の向こうにいる相手にではなく扉自体を相手にするかのように呟くと、寝台から降りて靴をはき、小走りに扉の前に駆け寄った。
「誰?」
 扉を開けないままで訊ねる。
「丞相ハクマール様がお呼びです。ご案内いたします」
 扉の向こうから聞こえる声は、聞いたことのある声だった。
 それは。
「ジャストークさん!」
 リラは安堵の笑みを浮かべ扉を勢いよく開けた。
 そこには赤茶の髪を短く刈り上げた精悍な顔立ちの青年が立っていた。竜のギルドの長、ジャストークだ。以前、竜について詳しく教えてくれた人物だ。
 ジャストークはいつもの竜帝国の前開きの衣ではなく、鎧を身につけていた。それも普通の鎧ではない、見事な装飾のほどこされた銀色の甲冑だった。背には豪奢な朱のマントをなびかせている。
 彼がなぜここにいるのだろうか。それになぜこんな格好をしているのだろう。疑問が次から次へとわいてくる。
「ジャストークさん、どうしたのその格好? なんでここにいるの?」
 リラはジャストークの顔を見るなり質問攻めにした。
 彼はリラを見て、にっこりと微笑んだ。
「こんにちは、リラちゃん。お久しぶりだね。私の副業は竜のギルドの長だけど、本業はお城につとめる騎士なんだよ。言わなかったかな?」
 青年はそう言ったあと、皇女様に対して敬語を使い忘れてしまったとうなった。
 リラはそのようすを見て、クスクスと笑った。彼がおどけた調子で言ったからだ。
「知らなかったわ。だってジャストークさんってばいつも竜のことしか喋らないんですもの」
 リラは廊下に出るとジャストークに笑顔を向ける。見知った者に会えて心強く思った。
 彼も日に焼けた顔をほころばせた。
「無事でよかった。さっきスカッシュとソウさんにも会ったよ。とにかく、竜が復活したり城が壊れたりで町中は大混乱さ」
 青年は肩をすくめると、言葉を続けた。
「私としては竜をよく観察したいのだけどね、職務をまっとうしなくてはならないから、急いで城にかけつけたってわけさ。……さあ、世間話はこのくらいにして丞相閣下のところに急ごう」
 会話の後半、ジャストークの声の調子は固かった。
 だがリラはそれには気がつかない。青年にうながされるままに廊下を歩き出した。

「お呼びしたのは他でもない」
 丞相ハクマールは重々しい声で言った。
 ハクマールの目の下のくまはいよいよ酷くなり、かなり老け込んで見えた。あまり睡眠をとっていないのだろう。慣れぬところだからということもあるだろうが。城が全壊してしまった今、この丞相の名を冠する老人さえも兵の寄宿舎に備えつけられた粗末な寝台で寝起きするほかなかったのだ。
 部屋は寄宿舎の二階のつきあたりの部屋だった。他の部屋より一回り大きく、木製の長机と椅子だけの簡素な部屋だった。普段は集まりに使われていたのだろう。板目がむきだしになった壁には竜帝国の地図や、連絡ごと、規則の書かれた羊皮紙がところせましと貼られている。
 ハクマールの右わきには四人の人物が立っていた。上等な前開きの衣を着ていることからみて身分の高い者だろうか。四人とも無表情にリラを見ている。
 リラは自分が場違いなところにいるような居心地の悪さを感じた。
 リラの後ろに立っていたジャストークがすっと前に進み出で、前に並ぶ五人にならい立った。リラと向かい合うかたちとなる。
「ことは急を要する。四王、そして皇帝警護騎士団の団長ジャストーク殿にもお集まりいただいた」
 ハクマールはそこで言葉を区切る。
 四王、それの意味するところはリラには分からなかったので、たいした感慨も浮かばなかった。だがジャストークの肩書きを聞いて目を丸くした。騎士団長、それほどの人物だとは思いもしなかったのだ。西の大陸にも騎士団はある。遠い昔に消え去った光の女神に仕える聖女神騎士団や、北方からバイキングの侵入を防ぐシルヴィラ騎士団などだ。そのためリラにも彼の肩書きがいかに卓抜したものなのか分かったのだ。
「陛下の容態が落ちつき次第、南に位置する港町ロンシャオの離宮に移動をします。ここではなにもできないですからな。それと、リラディア様が戻ってきたことを国民にも知らせねばならない。リラディア様には早急に帝位を継いでもらうことになります」
 老人は深いため息をつくとリラを見すえる。
 リラは言葉が出ない。思いもよらない言葉に一瞬立ち尽くした。
「知っての通り、陛下はずいぶんお体が弱っていらっしゃった。そこへきてこのお怪我では執務をこなされるのはたいへん難しい」
 母が身体を弱らせていることは今回の事件が起こる前から分かっていた。だが、だからといって自分に務まるわけがない。第一、この竜帝国にきて日も浅いのだ。しきたりも風習もなにも知らない。それ以前に政治のことなど一つも分からないのだ。
「無理だわ。あたしにはできない。それにあたしには行くところがあるもの」
 リラはかぶりを振り、声を荒らげた。
「どこに行くというのです。ここが、この竜帝国があなたのもともとの居場所でしょう」
 ハクマールの声は静かだったが、有無を言わせない強さがあった。
 確かにそうだ。覚えはなくとも自分はこの東の大陸の竜帝国の生まれなのだ。そう言われると返す言葉もない。竜の巫女の一族に生れた以上、勤めを果たせと言われればその通りにも感じる。
 だが、リラは納得できない。竜の巫女とやらも自分では認めがたいものだった。実感がないのだ。
「とにかく、火の山の竜も目覚め、竜の巫女の血を引く皇女のあなたが戻ってこられた。これ以上、おかしなことが起きないうちにあなたは帝位を継がねばならない。竜の巫女の血を引くものは陛下のほかにあなたしかおらぬのです」
 老人が口をつぐむと部屋はしんと静まり返った。他の五人も口をきかなかった。
「話はそれだけです」

 リラはジャストークに連れられて部屋へと戻された。
 あてがわれた部屋へ引き返す途中、廊下を歩きながらリラは思った。
 なにかがおかしい。
 いくら自分が女帝トゥーランドットの娘だといっても、突然ひょっこりと現われた少女に帝位を継がせるものだろうか。竜帝国の内政のことなど右も左も何も分からぬ少女にだ。そのようなことがありえるのだろうか。この国には目に見えない隠された何かがあるのだろう。栄華を欲しいままにして平和という字そのものだった竜帝国の暗部が見え隠れする。
「リラちゃん、いや……リラディア皇女。彼らには気をつけたほうがいい。自分で自分の身を守るんだ。私は自由に動けないので助けることができない。だから自分で守るんだ。いいね……」
 廊下を歩く途中、ふいにジャストークが振り返り真顔で言った。
「彼ら……?」
 訊ねるが、青年は押し黙ってそれ以上なにも言わなかった。
 
 残された部屋から、声が響いた。
「今ごろ、のこのこ出てきて……」
 声は女性のもの声だ。いらいらとした調子だ。
「だが人柱は必要だ。案外われわれは運がついているのかもしれんですぞ」
 それを年老いた者のしわがれた声がなだめた。
「あの乳母は上手くやったと思っていただろうが、皇女が自分から戻ってくるとはな」
「あの小娘が最適だろう」
 低く笑う二つの声が聞こえる。
「ああ。何せ、われわれにとっては損にも害にもならん……おあつらえむきというわけだ」
 五つの声の談合はそのあとも暗い海のさざなみのようにやむことはなかった。
 
 そして、その日を境に部屋の出入りさえ自由にできぬ軟禁が始まった。



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