火の山の竜
第3章 第1話
〜闇の妖精、人喰いの魔物〜

 

 晩秋の薄い色の空は高く、かすれたちぎれ雲は遥か高いところを流れていた。背後から照らす朝日がリラとスカッシュの影を長く伸ばした。
 二人は黄金色に染まる大草原の入り口に立ち、ただ無言で地平線を見ていた。大草原を吹き抜けて行く風が枯れた草たちを揺らした。それは二人を手招きしているかのように見えた。
 レザリア大草原、別名『帰らずの原』にリラとスカッシュはきていた。
 二人のはく息は白い。西の大陸のほうがわずかだが緯度が高く寒いのだ。北から吹く風は冷たく、肌を切るようだった。
「どうしてレザリア大草原を越えた先で降ろしてもらわなかったんだよ」
 スカッシュが不満げにリラを見る。
「だってアリアカンテはお年寄りだし、長くは飛ぶことができないわ。それに大草原を越えたらアリアカンテが朝までに竜帝国に帰れないもの。あたしたちのためにこっそり竜帝国を抜け出してくれたのよ。仕方がないでしょう」
 リラは口を尖らして言い返す。
「でもなあ、なにもレザリア大草原の入り口で降ろすこたぁないだろうよ……」
 スカッシュは遠い目をして、肩をすくませた。
 このレザリア大草原には人を食らう巨大な魔物が住んでいるのだ。魔物は夜になると現われる。運悪く遭遇すれば命はない。
「ソウちゃんにもきてほしかったな。ソウちゃんがいれば心強いのに」
「悪かったな、頼りなくて」
 ぼそっと呟いたリラに、スカッシュはすかさず切り返した。

 アリアカンテは夜のあいだずっと飛び続け、西の大陸に辿りつくと、レザリア大草原の入り口に二人を降ろしてくれた。そして休む間もなく竜帝国へと飛び去った。
 旅の仲間はリラのほかにはスカッシュだけだ。ソウは行けないと言ってついてこなかったのだ。リラは心細いと思ったが、本人がこれないというのなら仕方がないとしぶしぶあきらめた。

 リラは顔を上げ、大草原を見やる。
 まだロウが一緒だったころ、二人でこの道なき道を通った。目をつぶらずともあのときのことは鮮明に甦る。彼のことをもっと知りたいと初めて思ったのもこの地だ。
 そして、『人喰い』と呼ばれる魔物マンティコアに出くわし身も凍る恐怖を味わった地。
 リラは身震いする。
「ここを通る以外に、ロウへは辿りつけないのね」
 リラは呟く。
「ま、そういうことだな」
 頭の後ろで手を組み、スカッシュが言った。

 どこまでも草原が広がるばかりの地を二人は足早に歩いた。
 太陽は西の果てに沈もうとしていた。あかあかとした夕日が二人の顔を照らし出す。夜は迫ってきていた。
 「まずいな……」
 スカッシュが言った。その顔にはあせりの色が浮かんでいる。
 隣を歩くリラは無言だ。
 朝からずっと歩き通しで足が痛んで泣きたかった。だが止まるわけにはいかない。できるだけ先に進んでおかなければならない。
 今度マンティコアに会ったらおしまいだ。マンティコアがいつも満腹でいるとは限らないからだ。

 とうとう夕日が沈んだ。
 夜になってから空は雲におおわれ、星は見えない。できるだけ先に進んでおきたかったが、星がなければ方向が分からない。二人は仕方なしに立ち止まり、今日はそこで夜を明かすことにしてた。
 二人は火をおこし、焚き火を囲んだ。もう初冬だ。火を焚かねば凍え死んでしまう。リラはしっかりとマントにくるまっていたものの、火を前にしてもまだ寒いくらいだった。 
 大草原はどこまでも暗く、果ては見えない。マンティコアがいつどこから襲いかかってくるか知れず、気が少しも休まらなかった。
「こんなだだっぴろいところで火をおこしてたら、食べてくださいってのろしを上げてるようなものだよな」
 スカッシュが小枝を炎の中に放りこみながら言った。
「ええ……」
 リラはうなずき、あかあかとした炎を見つめた。
 その炎もしだいに小さくなってきている。火にくべる小枝があたりにはもうないのだ。
「燃やすもの探してくる」
 スカッシュが言って立ち上がる。
「ちょっと、それじゃあたしが一人きりになっちゃうじゃないの」
 リラは慌てて青年を引き止める。
 いつマンティコアが現われるか分からないというのに一人きりになるのは嫌だった。
「このレザリア大草原は昼と夜の温度差が激しいんだ。それじゃなくても今までいた竜帝国より西の大陸のほうが寒いんだから、燃やすものがなくちゃ風邪引くんだよ」
「言われなくても、そのくらい分かってるわよ」
 強い口調で言われ、リラはむっとして言い返す。
「じゃあ、そこで大人しく待ってるんだな」
 今度は返す言葉もなく、リラは留守番をすることになった。
(たしかに、スカッシュの言う通りだわ。こんなところで凍え死んでいられない。必ずロウに会うんだから……!)
 リラは心細さにくじけそうになる心を奮い立たせた。
 
 スカッシュの姿が見えなくなって、どれほどたっただろうか。
 リラは弱々しい焚き火のそばに座り、じっと青年の帰りを待っていた。
 夜の大草原は静かで、不気味だ。ときおり吹き抜けていく風の音がうめき声に聞こえ、リラはそのたびに肝を冷した。
 この地でマンティコアに食われ死んでいった者は数えきれないという。無念な思いを残して死んだものたちが、土の中から這い出してくるのでは、と馬鹿げた妄想にとらわれる。
 リラは身震いをした。
「必ず遭遇するとは限らないわ、大丈夫よ」
 リラは自分を勇気づけるように独りごちた。
 いくら魔法が使えるといえど、呪文の詠唱中に襲われたらおしまいだ。なんといってもマンティコアは素早く、そして巨大なのだ。
「誰に遭遇するというのだね?」
 いきなり、しわがれた声が耳に聞こえた。
 弾かれたように顔を上げると、そこには、大草原の主マンティコアが悠然と立っていた。
 リラの心臓が凍りつく。
「あ……ああ……」
 恐怖に目を見開き、リラはあえいだ。身体ががくがくと震えて、呪文を唱えるどころか、立ち上がることすらできなかった。
 マンティコアはゆったりと足を踏み出し、近づいてきた。
「今宵はよい夜だな」
 老人の顔でマンティコアがにたりと笑い、無数の針がついた尾を揺らした。
 また一歩、近づく。
「このところ、大草原を通る人間が減って、腹を空かしていたところよ」
 リラは目をそらすこともできずにマンティコアを見つめた。
 マンティコアは威厳に満ちた表情でリラを見返した。
 それにしてもなんと巨大なのだろう。体長は人間の大人の二回りもほどもあろうか。初めて見たときは深紅の毛皮だったというのに、今は豪奢な黄金色をしていた。もともとはこの色なのだ。あのときは血で真っ赤に染まっていたのだと、リラは気づいた。
 老人の顔に、獅子の身体。蝙蝠の羽に、毒針の尾を持つ巨大な魔物。熟練の冒険者が束になってかかったとしてもおそらく勝つことはできないだろう。人間など脅威の対象ではない、そう言いたげにどっしりと構えている。
 とうとう目の前までやってきたマンティコアは、三列にがっちりと噛み合った鋭い歯をむき出した。
「……あ……あ」
 リラはマンティコアを見上げる。初冬だというのに、額には汗が浮かんだ。
「おや、いつぞやに見逃した娘か。二度と会うことはないと思うたが、奇遇だな」
 リラは答えることができない。震えたまま、目と鼻の先にいるマンティコアを凝視するのみだ。
「リラ!」
 叫び声がして、見れば、スカッシュがこちらに向かって走ってきていた。だが、遠い。いくら速く走ったとしても間に合わない。
「ほう、まだ人間がいたか。……いや違う。魔族の匂いするぞ。半魔族か」
 目だけでスカッシュを見て、マンティコアは舌なめずりをした。
「だが、まずは娘を食ってからだ。ゆっくり殺して引き裂いて、半魔族も一飲みにしてやろう」
 愉快そうに言って、マンティコアは再びリラに向き直る。
 顔が近づいてくる。生暖かい息が顔にかかった。
「ひ……」
 リラは小さく悲鳴を上げた。
 杖に手を伸ばすも、いまさら魔法の呪文を唱えたところで間に合わない。呪文でも唱えようものなら、その瞬間に頭ごと噛み千切られるだろう。
 ここで、全てが終わってしまうのかと思った。
 そのときだ。
「やめよ、ザザ」
 暗い草陰から声が聞こえた。子どもの声だ。空耳ではない。リラは確かに聞いた。
 マンティコアは顔をしかめて振り返る。
 草陰や揺れる。
「わらわのいる前で食事はせぬと言ったのはぬしであろう?」
 草を掻き分け近づいてきたのは、八、九歳くらいの小さな女の子だった。
 リラはあっけにとられ、少女をぼうぜんと見つめる。
 人に似てはいるが、人とは異なる生き物。褐色の肌に小柄な体つき、黒髪に、とがった耳。
 少女はひきずるように長いマントを羽織っている。ちらりと腰に剣の鞘が見えた。
「闇の妖精族……ダークエルフ、そんな……」
 リラはうわごとのように呟く。
「だが、ワシとて食事をしなければ飢えて死ぬ。ワシに死ねというのか?」
 不服そうにマンティコアは闇の妖精族の少女に向かって言った。
「そうではない。とにかくダメじゃ。その人間の娘、まだほんの小さな女の子ではないか」
 闇の妖精族の少女は首を横に振り、きっぱりと言い返しマンティコアを睨みつけた。マンティコアは、少しのあいだ、少女と睨み合ったあとため息をついた。
「分かった。だが、今度だけだ。ワシとて食事をせねば生きてはいけんのだからな」
 言って、急におとなしくその場に座りこんだ。
 息を切らせて走ってきたスカッシュは、おとなしく座るマンティコアと闇の妖精族の少女を見てぎょっとしたようすをみせた。

「小さな子どもがこんなところをあるいては危ないであろうが」
 闇の妖精族の少女はマンティコアにもたれかかり座ると、リラとスカッシュに対して叱る口調で言った。
 三人と一匹は炎を囲み座っている。それはいっしゅ異様な光景であった。
「子どもって……」
 あなたのほうが小さい子どもでしょう、と言いかけてリラは口をつぐむ。
 妖精族が長命だということを思い出したのだ。八、九歳に見えても、実際の歳など見た目では分からないのだ。
「お前、本当に闇の妖精族なのか? 確か、闇の妖精族は島ごと滅びたはずじゃ……」
 スカッシュが信じられないといった感じで闇の妖精族の少女を見る。
「めずらしいか?」
 闇の妖精族の少女は自嘲するかのように口のはしを引き上げる。
 遠い昔、百五十年ほど前のこと。妖精族は光と闇に別れ、魔導を武器に大戦をおこした。戦いは月が七度巡るあいだ行われた。
 闇側は負け、闇の妖精族は本陣である島ごと消し飛び全滅したのだ。そのため、この世界には光の妖精族しか残っていない。闇の妖精族などいないはずなのだ。
「……わらわはあのとき島にはおらんかったからな」
 目をそらし、思い出すように言った。
 月も星もない暗い空の下、闇の妖精族の少女は足を抱え目を伏せると黙ってしまった。
 リラは、目の前の少女が急に小さく見えた。なんと声をかけてよいのか分からない。
 大草原を渡る風の音が遠く地平線のほうから聞こえる。それは子どもの泣き声のようにも聞こえた。
「まあ、昔のことなどどうでもよい。人間の子らよ、どうしてこのような危険な地を渡ろうとした? 我が友であるザザは人を食う魔物じゃぞ」
 闇の妖精族の少女は顔を上げると、腕を組みをして二人を交互に見た。
「あたしは、どうしても西の果てにあるギステネア王国にいかなければならないの。あたしの大切な子を、救わなければならないの」
 リラは口を開く。
「あの子と、約束したから」
 ぽつりぽつりと話すリラの話を、少女は黙って聞いていた。
 リラがいままでのことをすっかり話し終えると、闇の妖精族の少女は何度もうなずいてみせた。
「なるほどな。面白い。わらわはこの大草原にいるのもあきてきたところじゃ。わらわとザザもついていこうかの」
「え……!?」
 リラとスカッシュが同時に驚きの声を上げた。スカッシュなど二の句がつげず、目を丸くしている。
「なにかと力になると思うぞ。そうじゃろう、ザザよ」
 ユリアは自分がもたれかかっていたマンティコアに同意を求める。
 マンティコアは不満げに低くうなったが、それ以上は何も言わずため息をついただけだった。
「我が名はユリアじゃ。相棒の名はザザ。よろしく頼む、人間たちよ」
 ユリアは二人の答えを待たずそう言って、にっこりと笑った。

 かくして、新しい旅の仲間に一人と一匹が加わることとなる。
 

 

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