火の山の竜
第3章 第2話
〜回り道、まっすぐな心〜
大草原に朝がやってきた。
まばらに生えた木に鳥たちが羽を休め、さかんに歌をさえずっている。
初冬の朝は空気が澄み、空の色も薄かった。日を浴び、朝露に濡れた大草原は黄金色に輝いていた。
その大草原を南北に二分する細く白い道すじは、リラの目指す場所へと通じているのだ。遥か彼方、ギステネア王国へ。
リラは毛織のマントにくるまり、浅い眠りにまどろんでいた。
手にふかふかとしたものがあたる。柔らかで暖かな感触だ。それは上等な毛布のように感じた。いつか泊まった旅館の毛布よりも質がよいように思える。すり寄ると、それはとても暖かかく、息を吸いこむと干草に似た安心できる匂いがした。
「まだ寝ておるのか。よく寝る娘じゃな」
近くで声が聞こえた。
「こいつの特技はどこでも眠れることなんだよ。まあ、オレも人のことは言えないけどな」
スカッシュと聞き慣れない子どもの声だ。誰の声だろうとリラは思考を巡らせる。
(ああ、ユリアの声だ……)
昨日出会った闇の妖精族の少女の声だと気づく。
「ワシを毛布かなにかと勘違いしているようだな……」
あきれたようすのしわがれた声が間近で聞こえた。
冷水をかけられたように背すじが凍りつく。リラはその声をよく知っていた。そして、自分が毛布のようだと思い密着していたのは巨大な人を食らう魔物、レザリア大草原の主マンティコアだったのだ。
リラは少しだけ身体を起こすと薄目で辺りをうかがった。そして、目の前にマンティコアの顔があるのに気がつき、ぎょっとして目を見開いた。
「やっと起きたか……。人間の娘というのは、日がこれだけ高く上がっても起きぬものなのか? のんきな生き物だな」
マンティコアは顔を歪めて嫌味を言うと、背を向けた。
さすがにリラも、今のひとことにはむっときたらしい。
「そんな言い方はないでしょう? 少し寝過ごしちゃっただけよ。……毛布と間違えたのは悪かったけど」
立ちあがるとマンティコアを睨みつけ、歩き出したその背に向かって怒鳴り返す。
彼は立ちどまる。
「恐がることしか能のない人間の娘かと思ったが、少しは言うな」
ゆっくりと振り返り、にやりと笑った。
あとさき構わず口を開いてしまったが、後の祭だ。リラはマンティコアの威圧感に負けぬようにと強く歯を噛み締める。
マンティコアはそれ以上はなにも言わなかった。リラをじっと見たあと、背の高い茂みに消えて行った。
しばらくして、辺りはなにごともなかったかのように静まり返る。
リラは息をはいた。今になって恐怖がわいてきて、額に冷たい汗が流れた。
「大丈夫か?」
スカッシュが心配そうに顔を覗きこんできた。肩に手をおかれる。
リラは顔を上げてなんともないと、笑って見せた。
「ぬしのことを見直した。人間はザザを見れば逃げ出すだけじゃった。だが今のように意見したのはぬしが初めてじゃ」
ユリアが大人びた表情を浮かべてリラを見た。
誉められて悪い気分ではない。
リラは照れたように、だが少しだけ自慢げにはにかんだ。
とたん、いきなり大きな手に頭をくしゃくしゃと撫でられる。スカッシュの手だ。
「違うって。こいつは勇気があるんじゃなくて、むこうみずなだけだぜ」
茶々を入れられる。リラは青年を見上げて睨んだ。
「失礼ね、それじゃあたしが何も考えてないみたいじゃない」
「まったくその通りじゃないか」
スカッシュはニヤリと笑う。
「さて、そろそろここを出るか。のんびりとできる旅ではないのじゃろう?」
ユリアが西を見やり、腰に鞘の帯を巻いた。
その空は青く澄んでいるというのに、リラの目にはどこかよどんで暗く思えた。そこに、ロウはいるのだ。行かねばならない。なんとしてもだ。
太陽が真上に上がるころ、大草原を抜けた。大草原を抜けるとすぐに小さな村に行きあたる。リラたちは少し高くなった丘の上からその村を見下ろしていた。
リラは、その村に一度だけ立ち寄ったことがあった。ロウとともに東の大陸を目指していたころのことだ。
(ここはロウと通った道だ。あのころはまだ一緒だった。何も知らず、ただ……楽しかった)
リラは心の中で呟き、自然と胸に手をあてる。懐かしく思った。
だが同時に胸にぽっかりと穴があき、身を引き裂かれる思いをした。まるで半身をむりやりもぎ取られたようだ。
その半身を――ロウ――を、あのころを取り戻したい。今のリラの望みの全てはそれだけだった。
丘をくだり、少しばかり歩いた。道の両わきにはしだいに木々が増え、それは林へとかわった。村は目と鼻の先だ。
「あれ……?」
ふとリラは斜め後ろを歩くマンティコアが立ち止まったことに気づいた。マンティコアはそのまま林へ消えようとしている。どうしたというのだろうか。
「ユリア、マンティコアはどうしたのかしら?」
本人に聞くのはまだ気が引けて、隣を歩くユリアに問うた。
「ザザは人間を食う魔物じゃ。村には行けない。それでなくてもあの巨体じゃから目立ってしかたがない。あやつも馬鹿ではないから別の道から行くつもりであろう」
ユリアはとがった耳を隠すようにフードを目深にかぶった。とうの昔に絶滅した闇の種族である自分とて例外ではないということを知っているのだろう。
彼女の毛織りのマントは引きずるように長い。服装とて同じだ。それは肌の露出をおさえるためなのだとリラは悟る。この西の大陸には褐色の肌をした種族などいない。闇の妖精族は、魔族とともに人間にうとまれてきた種族だ。人間はよい者ばかりではない、悪い者もいる。もし正体を知られることがあれば、なにをされるか分からないのだ。
そして確かにマンティコアを連れて歩けば村に立ち寄るどころではない。彼は人間に害をなす魔物だ。
だが、それでユリアは平気なのだろうかと、リラは思う。
隣を歩く闇の妖精族の少女は、顔色を変えない。しかし、少女が自分に重なるのだ。少女にとってあの魔物は半身であるはずだ。
「でも、それじゃユリアが寂しいでしょう?」
訊ねられ、ユリアは顔を上げる。深い緑色の瞳でリラを見た。
強く風が吹き、ユリアの黒髪が揺れた。
「寂しい? ああ、だけど二度と会えなくなるわけではないじゃろう。少しのあいだ、側を離れるだけじゃ。なんともない」
ユリアはそう言うと視線を外してしまった。その横顔はどこか弱々しい。普段の大人びた表情は消え、外見相応の子どものようだ。寂しくないわけがないのだ。
リラは立ち止まって腰をかがめて、少女と視線を合わせる。
「あたしは、ロウがいなくなって身を切るように辛かったわ。ええ、本当にね。だから、あなただって自分に正直になって、寂しいって言えばいいのよ」
リラがそう言うと、ユリアは驚いたように目を丸くした。そして、瞳でリラを見た。
「ぬしも……ぬしは、かの少年と離ればなれになって寂しかったか?」
「そりゃ寂しいわ。今、言ったとおりよ」
当たり前だ、とリラは言葉を返す。
ユリアは間をおいてから、ぽつりと言った。
「わらわも嫌じゃな。例え離ればなれになったとしても、絶対にザザを探すと思うぞ。いままでずっと、なにがあっても、いつも側にいたのじゃから」
ユリアはマンティコアが消えようとしている林のほうを見つめる。そして、息を吸い込み林に向かって魔物の名を呼んだ。
「ザザ……!」
声に反応して、マンティコアが振り向いた。なにも言わず、じっとしたままだ。
闇の妖精族の少女は振り返ると、リラとスカッシュを見上げた。まっすぐな瞳だった。
「村を通らず西へ行く道がある。そちらを通ってもよいじゃろうか? ……わらわは、ザザと離れとうない」
その言葉を聞いて、リラはもちろんのことスカッシュもにっこりと笑った。
答えは決まっている。
「もちろん!」
村へ入る直前でわき道へとそれ、三人と一匹は森へと足を踏み入れた。
日の光は届かず、足もとの土はぬかるんでいる。道は細く、暗い森の奥へと続いていた。
リラはふと、先を歩く小さな闇の妖精族の少女と巨大な魔物がどのようにして出会ったのか興味がわいた。ぬかるむ地面に足をとられないよう気をつけながら小走りに二人にかけよった。
「ユリアとザザはいつ出会ったの?」
リラはわくわくとしながら問うた。
「もうずっと昔じゃ。わらわがもっと小さな子どものころ、ザザがわらわを救い出してくれたのじゃ」
「ふうん、そうなんだ」
どこから救い出したのか、そう聞きたかったがリラはやめた。ユリアの表情に一瞬だが陰りが見えたからだ。
まだ知り合って日が浅いせいもあるが、聞いてはならない気がしたのだ。
つたの絡む苔むした木々はわざと空を隠しているようにリラには思えた。不快だった。
「気味が悪いわね……」
リラが不安げに言った。
森は、なんの音もしない。虫の羽音も、鳥の鳴き声もすらも聞こえない。
「あれ、この辺にこんな森あったっけ? いや、それ以前に、この森……まさか……」
スカッシュが周辺を見回して低い声で呟いた。
彼らは知らない。深い木々のあいだから、茂みのあいだから覗く奇怪な目の存在を。
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