火の山の竜
第3章 第3話
〜邂逅、迷いの森〜

 

 まだ昼をすぎたばかりだというのに、森の中はひどく暗い。枝葉は重なり合い、厚く層を作り出している。
森の空気は重く生暖かい。どこからだろうか、沼の匂いがする。
 ふとリラはあたりを見まわす。苔むした木々の一本に、矢が刺さっていた。折れて朽ちかけた矢だ。誰かがここで狩りでもしたのだろうか。そんなことを思いつつリラは歩をゆるめた。
 それにしても、どの木を見ても幹が節くれ、曲がりくねっている。
「気味が悪い……」
 リラは木を見上げると眉根を寄せた。
「どうしたのじゃ、リラ。おいてゆくぞ!」
 名前を呼ばれ振り返ると、先頭を歩くスカッシュたちからずいぶんと離れてしまっていたことに気づく。
 リラはぬかるむ道を慌てて駆け出した。

 森に入り、ずいぶん時間がたった。
 リラはおかしなことに気がつき、立ち止まった。
「あれ、ここ、さっきも歩いたような気がする……」
 誰に言うともなく呟き、きょろきょろと視線を巡らせた。 
 道のわきに木々の中に、見覚えのある木を見つけたのだ。あの、折れた矢のささった木だ。見間違えではない、確かに、あの矢だった。
 マンティコアはいつものようにゆったりと足を止めたが、目だけは鋭くあたりを見まわした。
「ワシもそう思っていた。確かに同じところを何度も回っているようだな。まっすぐの道を歩いてきたというのに」
 景色が数時間前とまったく変わらないのだ。
 時間がたっていないわけではない。その証拠にずいぶん歩いてリラの足は痛み、くたくただった。
「どういうことなのかしら。もしかして、あたしたち……迷ってるの?」
 リラは眉をひそめ、自分のすぐ後ろを歩いていたスカッシュに意見をあおぐ。
「ああ。確実に迷ってる。だってここは……」
 スカッシュは途中で言葉を区切った。緊張した面持ちで、なぜだか言おうかいうまいか悩んでいるようすだ。
「それにさ……囲まれてるぜ」
 道の先を見やり、口のはしを歪める。
 森の中は、生臭い、沼の匂いが漂っている。

 四つ足の獣がやっと立ちあがったような図体をしていた。身長はさほど変わらずとも、弓を持つ腕は丸太のようだ。比べるなら、リラの腕など小枝同然だ。
「ゴブリン……」
 リラは我知らず呟く。それはかすれて言葉にはならなかった。
 
 道のわきの林から、異形の生物たちが顔を出す。一匹ではない、数えれば十二、十三匹はいる。魔物、ゴブリンだ。赤褐色の肌に、醜悪な顔をしている。手にはめいめい弓や斧を握っていた。この森に住む魔物か。
 彼らはリラとその後ろにいるユリアを見て、にやにやといやらしい笑みを浮かべた。そして、人のものではない言語でなにやら言葉を交わしている。解せずとも、よい内容ではないことは分かる。
「なんじゃ、こやつら。気持ちの悪い目でわらわを見おって」
 ユリアがリラの後ろに隠れた。
 リラは魔物を目にしたのは久しぶりだった。戦闘となるのか、そう思うと自然に杖を握る手に力が入る。じっとりと手のひらが汗ばんだ。
 スカッシュが懐から短剣を取り出した。
「あいつら、ただのゴブリンじゃないぜ。ホブゴブリンだ。普通のゴブリンよりでかいし、強い。迷い森の……『五つ野』の住人だ。気をつけろ」
 スカッシュが警戒して低い声で言った。
「五つ野じゃと!? なら、ここが『五層の冥府』じゃとでもいうのか!」
 ユリアが声を荒らげた。
「ああ、それもいちばん下の、最下層だ」
 彼は言葉を一句一句くぎるように、真面目な声で答えた。
 リラは青年の顔を見た。
 冗談を言っている顔ではない。真顔だ。
「どうして? さっきまで普通にレザリア大草原を抜けて、それで、村が見えて……森に、入って……」
 訊ねて、うろたえた。どうして、ここが魔族が住まう世界『五層の冥府』だというのだろう。いつのまに、五層の冥府に迷いこんだというのか。
 だが、確かにこの森の地理はおかしい。それに太陽すら見えない。いや、空がないのだ。
 リラは口もとを押さえ、咳をする。空気がよどんでいて、息を吸うのも辛い。この生臭い沼の匂いの正体は、瘴気だ。人間の身体には害がある。
「たまに、なにかのはずみで上と繋がっちまうんだとよ。一時的なものさ」
 スカッシュはさらりと答えて、弓に矢をつがえた一匹のホブゴブリンに短剣を投げつけた。それは適確に腕に命中する。
 くぐもった悲鳴を上げて、そのホブゴブリンは矢を取り落とし、森の奥へと逃げていった。
「こう数が多いと、やっかいだな」
 残りのホブゴブリンたちが、武器を手に足を踏み出し、にじり寄ってくる。 
「スカッシュも半分魔族なんでしょう? 同じ冥府の住人なら、どうにかならないの?」
「無理言うなよ。いくらオヤジが生粋の魔族だってさ、オレ自身は、育ちも生まれも竜帝国だぜ?」
 リラたちは、互いの背を守るように、ひとかたまりになった。
「ユリア、あなたたちエルフは魔導を使うんでしょう? 魔導で一発、バーンとやっつけちゃってよ」
 リラは隣に立つユリアに言った。
 その言葉にユリアはかぶりを振った。
「わらわたち妖精族は確かに魔導を使う。じゃがな、わらわは先の大戦の後遺症で魔力がのうなった。魔導はいっさい使えん」
 そして、闇の妖精族の少女は腰に下げた鞘から重々しい剣を抜く。幅広の刃の、両手剣だ。
 リラは、彼女がいままで腰に下げていた剣は飾りていどかと思っていたのでひどく驚いた。
「エ、エルフなのに剣を振るうの?」
「仕方がなかろう。身を守るためにはな」
 ユリアは前を見すえたままで、きっぱりと言葉を返し、両手剣を構える。
「ワシに武器を向けようというのか、この雑魚どもが! ユリアはさがれ、こんな雑魚はワシだけでじゅうぶんだ」
 マンティコアが咆哮を上げた。
 ホブゴブリンたちは一瞬ひるんだが、多勢に無勢だ。歩を止めることはない。
「待って、ザザ。あたしがやるわ! ザザは、みんなを守ってて」
 リラが、声を張り上げた。
「何言ってるんだよ、お前、森を燃やす気か?」
 スカッシュの制止に、リラは首を横に振る。
「あたし、火と雷以外の魔法も使えるの。本当に困ったときに、使おうかと、思ってた、とっときの魔法なん……だけど」
 リラは、瘴気の息苦しさにあえぎながら、杖をかまえ、前に出す。せいいっぱいに威厳を見せようと胸をはり、コケや葉で埋もれた地面を踏みしめる。
「おい、リラ。無茶はやめろ!」
 リラは聞かない。戦うことを専門としない盗賊や、自分よりも小さな子どもを戦わせるわけにはいかない。リラは必死だった。ごくりとつばを飲み、呪文の詠唱に入った。この魔法を使うのは、ほんの二度目だ。
 それは小さなころ、祖母の部屋で見つけた呪文書に載っていた魔法だった。詩のような呪文が気に入って、何度も見ているうちに暗記していたものだ。成功させるには代償が必要だと書いてあり、安易に口にすれば危険だということは承知していた。そのため声に出して唱えたことはなかったのだが。身を守る魔法なのだと、呪文書には書いてあった。
「五つ野より……来れ。深淵の迷いの森に住む主よ……」
 リラの目の前に魔法陣が編み上げられていく。森の中の空気がさらによどみ始めた。よどみの正体は、濃い瘴気だ。
 リラは苦しげに顔を歪め口もとを押さえる。だが、とぎれがちながらも呪文の詠唱を続けた。
「迷いの森の主よ……来れ」
 その呪文を聞いて、スカッシュがはっとした表情を見せた。
 信じられないといったようすだ。
「リラ、だめだ! それは……その魔法は……」
 スカッシュが何か言いかけたが、詠唱はやまない。
 リラの目の前に完成した魔法陣は古代語ともう一つ、魔族語が書かれていた。
 完成しつつある呪文は召喚魔法だ。
「来れ、五つ野に住まいし、迷いの森の主よ!」
 魔法陣に描かれた文字の輝きが、純白から墨色に変わる。
 蒸気のようなもやが魔法陣を包み、冷たい空気が森を満たした。

 もやが薄くなると、魔法陣の上には深緑色のローブを身にまとった小柄な人物が、リラと向かい合う形で立っていた。
「お呼びくださり、ありがとうございます。迷いの森の主代理です」
 鈴を転がしたような、可愛らしい声が響く。少女の声だ。
 フードを目深に被った少女は身長からしてリラとたいして年が違わないだろう。フードの間からこぼれる髪は金色。ソウやスカッシュと同じ色だ。少女は、魔族だ。リラは魔族を召喚したのだ。
「ラルクちゃん!」
 リラは顔をほころばす。
 ラルクと呼ばれた魔族の少女は、フードを取ると人懐こい笑顔を見せた。やや目じりの釣り上った金色の瞳がリラを見つめた。その瞳孔は獣のように縦に長い。
「少しだけ、久しぶりね」
「そうですね」
 リラとラルクはあいさつを交わす。
「ぬしは召喚魔法も使えたのか」
 ユリアとマンティコアはただただ驚いたようすで、どうしたものかと成り行きを見守っている。スカッシュはというと、なぜかこわばった表情だ。口を真一文字に閉じて、あごを引き、身体を固くしている。
 ラルクはスカッシュの姿を見つけると顔色を変える。スカッシュもまた目を見開いた。だが、それはほんの一瞬のこと。リラはそれに気がつかなかった。
 おや、とリラは、ラルクの手を指差した。
「どうしたの、それ?」
 見れば、なぜかラルクは手に透明な液体の入った杯を持っていた。
「ええ、ちょうど、食事中だったのもので。慌てて……そのまま持ってきてしまいました」
 魔族の少女は、恥ずかしげに顔を赤らめた。その口もとには可愛らしい八重歯が見え隠れした。
 ラルクは辺りを見回して、ホブゴブリンの群れをついと見た。
「こちらはね、あたしが仮契約している魔族のラル……」
 リラは皆に少女を紹介しようとする。しかし、ラルク自身がそれをさえぎった。
「あいさつは後回しにしましょう。……ここは、うちの敷地内ですね。どうなさいました、リラ? 迷いましたか?」
「ホブゴブリンが、それに、ここ、いきなり五層の冥府だって……しかも、いちばん下の階層だって……どうして」
 リラは、あえぐように言った。上手く説明ができない。自分でも状況をよく把握していないのだ。
「助けてほしいのですね。リラとはまだ仮契約で、本契約がまだでしたが、まあ、それはあとにしましょう。あとで、ね」
 ラルクはちらりといたずらっぽく笑って、ホブゴブリンの前に進み出た。
「我が庭に巣食う寄生虫が」
 金の瞳で睨み、はき捨てるように言う。冷たい瞳だ。
 ホブゴブリンは逃げるようすもなく、さらににじり寄ってくる。小娘ひとりだ、なんてことはないと思っているのだろう。
「水よ、守りの水よ……」
 ラルクが呟きだした呪文は魔族のものではなく、なんと、人間の使う四大元素魔法だった。
 それは水の魔法だ。詠唱は続く。まるで歌のようだった。
 ゆっくりと腕を上げる。その指には不思議な色をした指輪が輝いている。指輪を媒体にして魔法を使うらしい。
 彼女が手にした杯の水が揺れた。共鳴しているのだ。
 一匹のホブゴブリンが矢を放つ。それを合図に、ほかのホブゴブリンたちもいっせいに矢をつがえた。
「水障壁!」
 声とともに、ラルクの手にしていた杯の水があふれ、一瞬にして守りの盾となる。リラたち四人と一匹は、透明な硬度を持った水の壁に包まれた。水は澄んだ高い音を立て、矢をつぎつぎとはね返す。 
 ラルクの深緑色のローブが、巻き起こる瘴気の渦にはためいた。
「流れる水よ」
 呪文は続く。再び水の呪文だ。
「生命の源よ……」
 基本的に魔法は二種類ある。人間の使う四大元素魔法と、魔族の使う闇魔法だ。前者は自らの魔力と古代語を駆使し、地水火風の四大元素に干渉するもので、物質的な魔法だ。そして後者は強大な魔力と魔族語で相手の精神に干渉し操ることを得意とする魔法である。
 リラが火風を使うのに対し、ラルクは水土を使うらしい。この組み合わせは対なすものなのだ。
 ラルクの最後の一声で、ホブゴブリンの身体が泡立つような音を立て始めた。
「水に帰れ」
「煙……!?」
 リラは驚きの声を上げる。
 それは蒸気だった。ホブゴブリンの体内の水分が蒸発しているのだ。彼らの目から耳から口から、白と赤の蒸気が上がる。皮膚は見る間にしわがれ蒸気を発し枯葉色に変色していった。ホブゴブリンの身体の中にある体液という体液全てが内側から沸騰し、蒸発していく。
 ホブゴブリンたちの絶叫が森にこだました。
 それは、目をおおいたくなる光景だった。
 彼らは絶命し、つぎつぎと立ち枯れた木々のように崩れ落ちてく。それらが倒れるとき、かさかさと、そんな音がリラの耳に聞こえた。
 あとには骨と皮のみとなった、完全に干からびた死体が転がるばかりだ。
 リラは目をそらせず、ぼうぜんとその場に立ち尽くす。
 それほど、威力の高い魔法だった。高位の水の魔法だったのだろう。
「やるではないか、ラルクとやら、魔族も」
 ユリアがぎこちなく言って両手剣をおろした。そしてマンティコアに寄りかかり、ふうと長いため息を吐く。
 なぜかスカッシュはあいかわらず固い表情のままだ。しかしラルクが気になるらしく、彼女をじっと見つめている。
 リラは我に返ると、魔族の少女を見た。ちらりと見えたその横顔は、ぞっとするほど冷たい。
 だが、リラの視線に気づくとラルクは優しく微笑み、振り返った。
「もう大丈夫ですよ、リラ。恐かったでしょう」
 親しみのこもった笑顔だ。彼女の高く結い上げた金色の髪が揺れる。
 先ほどホブゴブリンと戦っていたときに見せた、あの冷たい表情はいまはない。しかし、背筋がぞくりとするのだ。ラルクはどこか人を惹きつけるどこか人離れした危うい美しさを持っていた。この少女は確かに魔族なのだと、リラは思った。
「リラ、どうしたのですか?」
「え、ええ」
 リラがしどろもどろになり答えられずにいると、ラルクは再びにっこりと笑い、右手をさし出してきた。
「リラ、わたくしと契約をしましょう……本契約を。そうすれば、わたくしは、ここ『五つ野』から貴女を救い出すことができるのですよ」
 手を握られる。
 仲間を助けるために使った召喚魔法だった。無我夢中で使ってしまったが、小さなころに読んだ呪文書には代償が必要だと確かに書いてあった。召喚したからには、取り引きが必要だったのだ。そのことがすっかり頭から抜け落ちていた。
 不思議な金色の瞳が、リラを見つめる。冷たく見えて、それは、本当は、暖かな色だと思った。差し出されたラルクの右手は暖かく、優しかった。
 リラは、森の濃い瘴気に苦しげに肩で息をしつつ、呼吸を整えると、ラルクと同じく笑顔を作る。
「本契約するわ、仮契約だったものね。代償は……友だちになること。そして、あたしの願いはね……あなたがずっと一緒にいてくれること!」
 リラのその返事を聞くと、ラルクは目を丸くした。そして、その場にいた者たち全てがすっとんきょうな声を上げ、腰を抜かしたのだった。
 

 

前へ 火の山の竜メニュー トップ メール  次へ

Copyright (C) 2002- chika ryuyu All rights reserved.