火の山の竜
第3章 第6話
〜伝承、黒き定め〜
小柄だが、背すじのしゃんとした老女だった。
銀色の髪は一つに結わえ上げられ、肩にはショールをかけていた。
「おばあちゃん、あたし……」
リラは呟く。
話したいことが山ほどある。
だが、老女は静かに首を横に振った。
「いや、いい。みなまで言わんでも、ずっと見ておったよ」
これで、と、老女は水晶玉を撫でる。そして、顔を上げリラをまっすぐに見つめた。
「あの少年を追おうというのかい?」
「ええ、もちろんよ」
リラの言葉に、老女は目を伏せて再び首を横に振った。
「もう止めなさい、リラ。あの少年のことは忘れるんだ。これではお前を竜帝国の城から連れ出した意味がなくなってしまうよ」
「……連れ、出した?」
リラはわけが分からず聞き返す。
どういうことだろうか。
「おい、ばあさん、どういうことだよ?」
スカッシュもいぶかしげに訊ねた。
「ばあさんじゃないよ、わたしにはテレジアという名前がある。それに年上にたいする口調がそれかい?」
テレジアは眼光鋭くスカッシュを睨めつけた。
睨みつけられ、スカッシュは少したじろぐ。
「じゃ、テレジアさん、どうしてです、か?」
スカッシュが言い慣れない丁寧な口調で、たどたどしく言い直す。
それでやっとテレジアは表情を柔らげた。そしてリラのほうに向き直る。
「もう知っているだろうが、わたしは城でお前の乳母をやっていた。……わたしはね、お前が大切だったのさ。お前を竜の人柱とされる人生から救いたかった。一生、城の奥深くで竜のためだけに祈りを捧げるだけの日々。いつか、もしものために竜の生贄にされる。その人生から救いたかった」
言って、テレジアはリラをいとしげに見た。
「だから、城から連れ出した。魔法を使ってね。そして二歳のお前に竜帝国のことを思い出さないように記憶封じの魔法をかけた。物心ついていないとは分かっていたが、念には念を入れてね。……お前を竜帝国から切り離したかった」
テレジアは重々しい声で言った。
自分のやったことが悪いことだと承知しているのだろう。
「……それじゃやっぱり、乳母が連れ出したって本当だったのか」
スカッシュが責めるかのように低い声で言う。
テレジアはまだ口もきけない皇女であるリラを城から連れ出してさらったのだ。それは許されぬことだ。だがそれはリラの人生と身を案じるゆえである。リラ自身もそれはじゅうぶんに分かっていた。
両親がいないことで寂しくなかったと言えば嘘になる。だが、リラにとって祖母の存在はとても大きなものだった。祖母はたいへん可愛がり慈しみ育ててくれた。リラは大きくなるまで祖母と二人で暮らすことに何ら不都合も不便なこともはなかった。リラは事実を知ってなお祖母のことを好きだった。嫌いになれるはずなどない。
ふいにテレジアは呟く。
「その王子、西の果てより至り、東の帝国に破滅の刻をもたらさん。
その王子、同袍の手に落ち、同じ血を持つ者を失う刻、まがつものを呼び覚ます。
その王子、かくして王となりて、隠された地より黒き剣を得ん。
火の山の、竜の巫女、西の果てにて、王の手に落ち、命を落とさん。
ついには世界に黒き定めがおとずれん」
「それは?」
リラは問うた。
「竜帝国の城に古く伝わる伝承さ。これを思い出してとうとうそのときがきたと慌てたよ。……お前はこれ以上、先には進んではならん。もうおしまいにしなさい」
テレジアは水晶玉を撫でながら、語尾を強めて言った。
リラもまっすぐにテレジアを見つめる。はしばみ色の瞳は強い意思を持っていた。
「でもあたしはロウを追うことを止めないわ。ロウがいなくちゃ、あたしなんて意味がないもの。ここに残れというの? そんなことはできないわ」
リラもきっぱりと言い返す。
「リラ、まがつものにかかわれば、災いが降りかかるよ」
テレジアとリラは睨み合う。
「まがつものっていうのは、あの赤目のことか。確かに黒い大剣を持っていたな」
スカッシュがぽつりと言った。
テレジアは水晶玉をリラの前に出した。
そこに映るのは、玉座に座る黒髪の華奢な少年。ロウだ。
場所はギステネア王国の城の中か。
「ロウ!」
リラは思わず叫ぶ。
「違う、これは赤目のほうだ」
スカッシュが小さな声で言う。
水晶玉は赤目の少年の隣に、大人びた黒髪の少女を映し出した。長くゆるやかな髪を背にたらした、リラとそう歳の変わらぬ少女だ。
「火の山で見た女の子だわ。確かクルスナって呼ばれてた」
少年に寄り添うようにして玉座の隣に立っているのは、いつしか火の山でロウと一緒にいた少女だった。
「火の山の竜アリアカンテが、あの子は黒き剣の精だって言ってた」
リラは独り言のように呟く。
いつもロウの隣には自分がいた。だが今は当たり前のようにクルスナという少女が側にいる。リラは胸がちりちりと焼けつくのを感じ、胸に手をあてた。苦しかった。
ふいに、少年とリラの視線が合った。リラのいる、『こちら』を見たのだ。
少年はかたわらに立つ少女になにか言った。水晶玉は声までは伝えない。なにを言っているかは分からない。
黒髪の少女もこちらに顔を向け、薄く笑った。冷たい笑みだった。少女はやおら空中に手をかざし、その手を下に降ろす。
とたんテレジアの持つ水晶玉は亀裂が入り、乾いた音を立てて真っ二つに割れてしまった。
「…………」
リラは驚いてなにも言えない。
水晶玉はもうなにも映さない。
その場にいたもの全てが押し黙ってしまった。
初めに沈黙を破ったのはテレジアだった。
「……もう止めなさい、リラ。あの少年は王となった。会いに行ってどうなるという? あの少年はお前のことなど、とうに忘れてしまっただろうよ。それ以前に、お前が本当に探している少年のほうは消えてしまったじゃないか」
テレジアは子どもを諭すように静かに言った。
だが、リラは顔を上げる。
「そんなこと、会ってみなくちゃ分からないわ。あたしはあの子と約束したのよ。必ずに助けるって」
リラは続ける。
「忘れられたって、思い出してもらえばいいだけのことよ。あたしは、あの子が大切なのよ」
一息に言って、テレジアを見る。
「伝承通りならお前は死ぬ。だからわたしはお前の運命を無理やりにでもねじまげて、お前を助けたい。それでなくても竜の巫女の一族は、一生を城の奥深くに拘束されてすごす。お前をあそこから救い出したかった。……お前がいとしいからだよ、リラ」
テレジアは慈愛に満ちた目でリラを見た。
リラは胸が詰まる。
「おばあちゃん……。あたし、それなら自分で運命を変えるわ。あたしは大丈夫よ。伝承通りに死んだたりなんてしない。ロウだって完全に消えてしまったりなどしていないわ」
リラは静かに言い返した。
テレジアが止めるのは、自分を心配してのことだ。分かっている。
言う通りに、長く住み慣れたこの土地に残れば自分は平穏に暮らせるだろう。
だが、ここで歩くのを止めてしまったら、ロウは戻ってこない。助け出すこともできない。身を引き裂かれた思いを味わい、このまま半身であるロウが戻らずに空虚な気持ちのまま生きることなど耐えられるはずがない。
「約束をしたの。あの子と。必ず助け出すって」
決意を込めた目で言って、リラはこぶしを握り、口を引き結ぶ。
テレジアはそのようすを見て、やれやれとため息を吐いた。
リラの意思の固さに気がついたのだろう。十五年間、乳母として祖母としてリラを育ててきたのだ。リラが生来、頑固者だということはもとより知っているのだ。
「行っておいで、リラ」
テレジアは根負けしたとでも言わんばかりに肩をすくめた。
「おばあちゃん……!」
にかわにリラの顔色が明るくなる。
「こんなわたしでも『おばあちゃん』と呼んでくれるのかい?」
「当たり前よ、あたしのたった一人のおばあちゃんですもの!」
リラは笑顔でテレジアに抱きついた。
「まあ、現金な子だよ、お前は」
テレジアは苦笑してリラの頭を撫でた。そして続ける。
「わたしはもうただの道しるべにすぎない、ずっとここでお前を見ているよ。さあ、わたしの話はこれでおしまいだよ。先を行くといい」
祖母に見送られ、リラたちはゼハナの村をあとにした。
テレジアは村の外れでまでついてきてくれて、リラたちが見えなくなるまで見送ってくれた。
「おばあちゃん、ありがとう……」
リラは途中でなんども振り返った。
血の繋がりがなくとも、祖母は祖母だ。リラは思った。
わがままを通すからにはやりとげなくてはならない。ロウを必ず助け出すのだ。
道は遥か西へと続いている。
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