火の山の竜
第3章 第9話
〜再会、少年と少女〜

 

 リラは息を飲む。
 遥か前方に土色の高い壁が見えた。世界の果てかと思われたそれは長く南北に伸びている。それはギステネア王国の城壁だった。
 それにしてもなんと大きいのだろう。リラは目を見張らずにはいられなかった。以前にロウは農業を中心にした王国だと言っていたが、とてもではないがそうは思えなかった。まるで戦いをするための砦だ。全てを拒絶するかのようにそびえる城壁は見るものを威圧した。
 リラが城壁というものを見たのは二度目だ。一度目は竜帝国で、二度目はこの西の果てで、だ。両者は似ているようでまるで違っていた。少なくともリラにはそう思えた。このギステネアの城壁は人を寄せつけようとしない。冷たい色をしていた。圧倒される。

 一行を乗せたじゅうたんは川づたいに進み、ギステネア王国の目と鼻の先のところまでやってきた。
「と、ここのあたりでいいか」
 アジャンは独りごちた。
 じゅうたんは空中を二度旋回するとゆっくりと高度を下げ、じゅうたんはふわりと川原に舞い降りる。
 アジャンは城壁をあおぐ。
「ギステネアか、懐かしい。お前と組んで城の宝を盗りにいったこともあったね。あのときは、アタシら若かったから失敗したけど、今のあんたなら朝飯前だろうね」
 女盗賊の言葉に、青年は肩をすくめて「さあどうだか」と答えた。
「それじゃあ、またな。……スカッシュ、帰ってきたら付き合えよ!」
 アジャンはじゅうたんに座ったままで青年に声をかけた。
「付き合えって……、オレたち……」
 スカッシュは面を食らっている。なにを言い出すのかと慌てたようすだ。
「違うよ。酒に付き合えっていってるんだ。なんだい、またよりをもどしたいのかい?」
 呆れたようすでアジャンは言い直し、燃えるような赤い髪をなびかせ、さっそうと空へと舞い上がり東へと飛び去ってしまった。
「いや、別にアジャンのこと嫌いじゃないし。よりを戻せるならもどしたいんだけどさ、オレは……」
 彼女の去ったあと、スカッシュは空を見上げ呟いた。

 冬の川原は寒々しく、土手の雑草も今は枯れてかさかさと鳴るばかりだ。
 空の色は薄く、千切れたような雲がかすかにたなびいている。

「すぐじゃな、リラよ。ここまできたらあとには引けぬぞ」
「引かないわよ」
 ユリアの言葉に、強い意志を持った瞳でリラはうなずく。
「そうじゃ……。リラ、一緒にきてくれんか?」
 遠慮がちにマントのすそをぎゅっと掴んできた。
「どうしたの?」
 リラはひざをかがめてユリアと視線を合わせた。
「話があるのじゃ。なに、言い忘れていたことがな」
 フードを少し上げて、リラを見上げてきた。緑色の瞳がリラを見つめる。
 なんだろうか。リラは考えを巡らせたが思いつかない。
「ここじゃダメなの?」
「そうじゃ、あちらへ行って話そう」
 ユリアは土手を指差した。
 他の者には聞かれたくないらしい。リラは悟る。
「分かったわ。……ちょっと待っててね、スカッシュ、ラルクちゃん!」
 リラは二人に声をかけると、ユリアの手を取って歩き出した。
 ザザも白い尾を揺らしながら、小走りにユリアのあとを追おうとする。
「ザザは待っておれ」
 ついてきたのをさっして、少女はぴしゃりと言い放つ。
「ユリア、なぜだね。ワシがついていくことに何の不服がある?」
 黒目がちな目でザザは少女に問うた。小首をかしげるさまが可愛らしい。
 いつも一緒にいるのが当たり前の二人だ。拒絶されたと分かり、ザザは多少なりとも思うところがあるらしい。
「ぬしには聞かせられぬ話じゃ。待っていてくれ、すぐに戻る」
 少し微笑んで、ザザの頭を愛しげに撫でた。

 土手座り込むと闇の妖精族の少女はぽつりぽつりと小さな声で語りだした。
 うつむく視線の先は、枯れ葉ばかりだ。
「わらわは先の魔導大戦の後遺症で魔力がのうなったのは知っているな。……わらわの父は闇の妖精族にいた十五人の魔導王のうちの一人じゃ。第一魔導王じゃよ。大戦が始まってすぐに、魔導王たちの親族、わらわと他の数名の女子供は西の大陸に避難させられた。じゃから生き残った。他の者は島ごと全滅じゃ」
 ユリアは息をつく。そして、ここではないどこかを見るような目をした。緑色の瞳がうつろに揺らめいた。昔のことを思い出しているのだろうか。
 リラは黙って聞いていた。どうして少女が過去を話す気になったのか、今はまだ分からない。
「それからはひどかったぞ。人間たちはわらわたちを捕まえ犯しおった。奴ら、犯しつくしてもまだ足りぬ。わらわたちを旅の見世物小屋に入れおった。魔力もなく、魔導も使えぬ。抗うことはゆるされんかった。逆らえば容赦なく鞭を打たれた。人間の言葉を覚えるのも必死じゃったよ。毎夜、伽を強要されてな。そのうち、他の仲間は自害しおった。……そしてこれは外れんかった」
 少女はマントを取ると、ちらりと首もとを見せた。首には鉄色ににぶく光る首輪がはめられていた。それには自由を表す翼に、斜めに二重の線が入っている。奴隷の証の印だ。この大陸でその印を持つものは奴隷という枷から抜け出すことはできないのだ。
 リラは言葉を失う。
 これほど小さな、人間でいえば十歳にもならない少女にそれほどむごいことをした人間がいたというのか。リラは動揺を隠しえない。手が震えた。
「何年かたったときじゃったか、旅でレザリア大草原を通ることになった。逃げることも逆らうことも全てあきらめておったときのことじゃ。……そのときな、わらわを救い出してくれたのが人喰いじゃよ。ザザがわらわを地獄から救いだしてくれたのじゃ」
 暗に、マンティコアが見世物小屋の人間を食べたと言っているのだ。
「ザザがわらわを食わんかったのは、わらわが人間ではなかったから、ただそれだけやもしれん。じゃが、ただそれだけの理由だったとしても、わらわにとってはザザが特別な存在になるにはじゅうぶんじゃった。わらわを、永遠に終わらぬ苦しみから救いだしてくれたのじゃ。もう一度、生きる喜びを教えてくれた」
 ユリアは薄く笑った。それは口の端を上げるだけの笑みだった。
「万物の精霊や魔物が人間の生き血をすするものならば、人間のほうが異質になる。じゃから、わらわは人間とは相容れん。一緒にはおれん。許せるわけがない」
 リラはなんと言葉をかけてよいか分からなかった。この闇の妖精族の少女の苦しみをさっすれば、人間である自分が許されるわけがない。
 ユリアはリラを見上げた。緑色の瞳がリラをまっすぐにとらえる。
「じゃがな、ぬしを見ていたらもう一度だけ人間を信じてみようと思ったのじゃ。ぬしは小さなころのわらわと似ている。一人で震えていたころのわらわとな。ぬしがかの少年ともう一度会い救えるのならば、人間に相手を思いやる心があるのだと証明してくれるなら、人間を許せると思うのじゃ。……じゃから、わらわはぬしについてきた」
 ユリアは微笑んだ。いつもリラに見せる人懐こい笑みだった。
「ユリア……。ええ、あたしはロウを探し出すわ。探し出して必ず救い出す。あなたにも約束するわ」
 リラはそれだけ言うのがやっとだった。誓いのように胸に手をあてた。
「昔のできごとを打ち明けたのはぬしだけじゃ。ぬしは特別じゃ」
 ユリアはリラのその手に自分の小さな手を重ねた。

 と、そのときだった。
 川原の、背の高い草むらの向こうでばざばさという音が聞こえてきた。なにか大きな生き物が羽ばたく音だ。なんだろうか。
「なにか、おるな」
 ユリアが目をこらし、手を腰に下げた剣にあてた。
「ええ」
 低い声でうなずき、リラも草むらを見つめた。杖を握る手に力が入る。
 二人は息をひそめて草むらへと近づいていく。自分の背丈ほどもある草を静かにかきわけ、リラとユリアはようすをうかがった。
「な……」
 リラは驚き、身を硬くする。そしてそれら・・・の正体に我が目を疑った。
「ロウ」
 やっとのことで口にしたのは、ずっと探し求めていた少年の姿だった。少年の肩にはククルゥが止まっている。
 まさか、このような場所で出会うとは思ってもみなかった。
 少年は鷲頭獅子、グリフォンとともにいた。羽ばたく音の正体はグリフォンだったのだ。冷たい冬の川の中、グリフォンは気持ちよさそうに水浴びをしていた。ときおり甘えた甘えた鳴き声を上げ、身体を震わせ少年にすりよった。
 リラのいる位置からは少年がよく見えない。もっと顔をよく見たい、そう思い踏み出した足がぱきりと枯れ枝を踏んだ。
「誰だ」
 鋭い声が飛んでくる。振り返った少年の瞳は深い赤だ。
「ロウ……」
「また、お前か。……誰が綽名で呼んでよいと言った?」
 リラの姿をとらえたのはほんの一瞬で、リラのことなどまるで興味がないといったようすですぐさまグリフォンに視線を戻した。口調はたんたんとしたものだ。
 リラは草むらからよろけるように抜け出した。なにをしたらよいのか分からなかった。実際に少年を前にすると、考えていたことは霧散してしまった。
「リラ、行くでない。ようすを見るのじゃ」
 ユリアの制止の声を振り切り、リラは進み出る。
「それじゃあなんて呼べばいいのよ」
 リラは泣きそうになる。泣かないようにと口を引き結ぶ。
「ロウレンスだ。わたしの名はロウレンス。ギステネアの王だよ」
 表情を変えずにロウレンスが言葉を返してくる。にべない冷たい声だった。
「なんでこんなところにいるのよ」
 自然とリラは責める口調になる。
 久しぶりに見た少年はまたもやロウではなかった。目の端が熱くなり、涙がにじむ。リラは素早くそれを拭った。この少年には、ロウレンスには、泣いているところなど見られたくなかった。同じ姿をしていてもロウとは違う知らない少年だ。
「ウォストが水浴びがしたいというからな。時間が空いたので連れてきた」
 グリフォンの耳の辺りをかいてやりながら、リラを見もせずに言う。
 ウォストとはグリフォンのことらしい。
「あの子は……クルスナは?」
 黒き剣の精の姿がない。
「クルスナは留守番だ。四六時中、そばにいるわけではないよ」
 なぜそんなことを聞くのかと、ロウレンスは不思議そうにリラを見た。
 その答えを聞き、リラはほっとした。仮にもロウと他の少女が一緒にいるところを見たくはなかった。

 リラは黙ってロウレンスを見ていた。
「……わたしに、なにか用か?」
 うんざりとしたようすでリラのほうを向く。お前などと話をしていたくはないと眉をひそめた表情が語る。
「あなたを消しにきたのよ。ロウを返してもらうの」
 リラも表情なく、よくようのない声で告げる。
 その言葉にロウレンスは反応し、目を見開いた。
「面白い。できるものならやってもらおう。お前、名前は?」
 少年は口角を上げ、冷ややかな笑みを作った。
「リラ……、リラ・バーバリアンよ」
 杖をぎゅっと握った。
 ロウと同じ顔が、同じ声が、自分を知らないと言った。胸がぎゅっと締めつけられるように痛む。
「それでは、リラよ。お前がギステネアに入り、無事に王城まで辿り着けたのなら、そのときまた合間見えよう」
 ロウレンスは身をひるがえし、グリフォンの背にまたがった。
 グリフォンはいななき、羽ばたく。
「ロウレンス、逃げるの!?」
 リラは叫ぶ。
「ばかなことを。もう一人のわたしの想い人よ、よく聞け。もう一人のわたしとは違い、わたしはお前のことなどなんとも思ってはいないよ。邪魔なら殺すまで。お前にふさわしい死に場所をギステネアに用意してやろう」
 おかしそうに笑い、リラを見下すとロウレンスは手綱を引いた。
「……っ!」
 リラはなにも言い返せない。
 そのとき、少年の肩に止まっていたククルゥが羽を広げ、リラのもとまで降りてきた。懐かしそうにリラを見やりその肩に止まる。私は味方だと言わんばかりにリラの指を甘噛みして、ほおをすり寄せ一声鳴いた。

 グリフォンは空をゆっくりと駈けて城壁の向こうへと消えていく。

第3章終わり

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