火の山の竜
終章 第2話
〜雪の中、牢獄の外〜
ふと隣のテーブルに座る者の声が聞こえてきた。
「まさかあのお優しいロウレンス様が……ラスネル卿を処刑するなどと……」
「ロウレンス様、あれでは別人じゃないか……」
「どうやら王妃を殺したのは王子ではなかったらしいぞ。ラスネル卿だったらしい」
「それは他のヤツから聞いたさ。ラスネル卿は王位継承権を持っていたからな」
ぼそぼそと聞き取りにくいが、その声は城の内情について触れていた。
酒場の中は始終その話題でもちきりだった。
嫌でも耳に入る。
次の日の昼、リラたちは酒場にいた。外は冷たい風が吹いていて、窓をがたがたと揺らしていた。
空にはどんよりとした雲が重たく垂れ込めていて今にも雪が降り出しそうだった。
大通りを通る民たちは皆、服の襟を立て早足で歩き去っていく。誰もかれもが言葉少なくささくれ立ったようなとげとげしい表情だ。
昼間だというのに扉を閉めている店も少なくない。町の中はどことなく閑散として寂しげに見える。
「……町中がいらだっているといった感じじゃのう」
ユリアが椅子の背もたれに寄りかかりながら、小さな声で言った。
「そう……ですね」
ラルクがあいずちを打ち、湯気の立つお茶に口をつける。
ギステネア王国をぐるりと覆う高い石塀をくぐると、灰色の石畳の大通りが中央をまっすぐに通っていた。家々も同じ色の石を積み重ねて造った壁でできていた。西の大陸の建物は概して木造が多い。そのため王国の建造物はリラには目新しく映った。
「なんだか……」
言いかけてリラは口をつぐむ。
ロウの故郷であるギステネア王国の町並みは冷たい雰囲気がある。それは灰色のせいだけではなかった。
リラたちは無事にギステネア王国に入ることができた。あっけないほど簡単なものだった。
「あなたが以前にここに来たときも、同じようなものだったの?」
リラは正面に座るスカッシュに問うた。
「まあ、同じようなものだったかな。でも……」
「でも?」
「今みたいに、これほど町の中がピリピリしてなかったけどな」
スカッシュは言って杯に注がれた熱い酒をあおる。
「どうしてかしら?」
リラは首をかしげる。
「そりゃ、いきなり王が変わったとあっちゃ民だって穏やかじゃいられないだろうよ。先王が亡くなったと公言したのと同じだろ。……ラスネル卿も失脚させただけでなく処刑されたっていうじゃないか」
横目でちらりと窓の外を見た。
どこか張り詰めたような空気が漂っている。
「そうね」
リラは目を伏せた。
(あれはロウじゃない。ロウがやったんじゃない。だけど……)
ロウの同じ顔で、同じ声で処刑を命じたのだ。
リラはぎゅっと目をつぶり首を横に振った。考えたくないできごとだった。
「どうした、リラ」
スカッシュがリラを見下ろしてきた。金色の瞳がもの問いたげにリラを見ている。
「ううん、なんでもないわ」
心配ないと笑顔を作る。
「それで、だ。……城に入るための作戦をどうするかなんだが」
スカッシュが低く小さな声で言う。
「真正面から乗り込む」
リラは両こぶしを握り、間をおかずに言葉を返す。
「ばか」
あきれた顔のスカッシュに一喝された。
「お心がはやられるのは分かります。ですがすぐに乗り込むというのは得策ではありません」
「そうじゃな、一度、城の周りをぐるりと見てからでも遅くないぞ」
ラルクとユリアにもたしなめられる。
「分かってるわ。けど……」
リラは唇を噛み、テーブルに置かれた杯に視線を落とす。
「落ち着いて行きましょうね。リラ……」
リラの隣に座るラルクが、リラの手をぎゅっと握った。リラを心配する、優しい手だった。
「ええ。ありがとう」
と、そのときだった。リラの椅子の背にとまっていたククルゥが鋭く鳴いて、翼を羽ばたかせた。
「どうしたのククルゥ。今まで大人しくしていたのに、……びっくりしたじゃないの」
リラはいきなりのことに身体をびくりと震わせ、ククルゥを見た。
「……あれ、なにかしら?」
通りがやにわに騒がしくなった。
喧騒はやむことがなくしだいに大きくなり、酒場に近づいてきているようだ。その音の中にはガシャガシャという金属音が混ざっている。鎧を着た者が歩くそれだ。
そして、窓からたくさんの人影が見えたかと思うと、足音は酒場の前で止まった。
「城の兵隊さんだよ、ありゃ。こんなところに、いったいどうしたっていうんだろうね?」
他のテーブルに座る中年の女性が驚いたように声を上げた。
「めずらしいことなの?」
「そりゃあ、……めったにないねぇ」
リラが思わず声をかけると、中年の女性は肩をすくめた。
場違いな客人というわけだ。
挨拶もなく入ってきた兵士たちはリラたちの座るテーブルの前までくると、筒状に丸められた羊皮紙を広げ、掲げた。
「間違いない」
リラと羊皮紙を交互に見て、兵士はうなずいた。
「リラ・バーバリアン、我々と一緒に来てもらおうか。王の命令だ」
「な……」
リラは言葉が出ない。二の句が接げないで兵士を見上げるばかりだ。
少しの間のあと、リラは立ち上がり声を荒らげた。
「いきなり、なんだっていうの。ふざけないで! あの子が、ロウが命令したの? 誰があんたたちなんかと一緒に……」
言いかけたところで言葉が続かなくなる。
視界が明滅した。
「少し黙っていてもらおうか」
鎧の兵士がなになにやら呟いたのは、そのあとすぐだった。その手に握られていたのは剣ではなく杖だ。
「……え」
頭に霧がかかったようにもうろうとしていく。がくりと膝が床につき、身体から力が抜けていった。
リラは状況を理解できなかった。
「ま……ほう……」
それだけ言うのがやっとだった。
身体がかしいだ。倒れていく身体をどうすることもできない。閉じていく目に、スカッシュやユリアも床に倒れるのが見えた。
リラはほおに冷たく硬い感触を覚え目を開けた。
「…………」
初めに見えたのは、灰色の石材でできた床だった。しめった石の匂いがした。
真っ暗だった。明かりが一つもない。
リラはどこからか吹きつける風に身体を震わせながらのろのろと起き上がる。手がかじかんだ。
「……ここ、一体?」
見上げると、高い位置に小さな窓があった。その向こうは白いものがちらちらと降っているのが見えた。
「雪……」
冬がきてから初めて降った雪だ。歯がかちかちと鳴る。リラは肩をすくませ、マントをかき寄せた。
頭がずきずきと痛む。どのくらい気を失っていたのか、窓の外は暗く、雪以外はなにも見えない。どうやら夜がきているようだ。
「確か、鎧を着た人が」
魔法を使ったのだ。眠りの呪文だったのだろう。
鎧を着ている兵士ならば剣を使うものだという思い込みがあった。とっさのこととはいえ、杖を構えることさえできなかった。リラは悔しげに唇を噛む。
手探りで床を調べたが荷物の入ったカバンがない。杖もなかった。これでは丸裸も同然だ。
「どうしよう。そうだ、みんな……どこに?」
しだいに闇に目が慣れてきて辺りを見回すと、雪明りの中でぼんやりと周囲が見えてきた。リラは小さな部屋――そうは歩き回れない広さだ。壁も床と同じ灰色の石材でできていた――にいた。側には誰もいない。なんの音もしない。
「誰も、いないの」
「いるよ。リラディア皇女……」
すぐそばで声がしてリラは弾かれたように振り向く。
その声は、聞き慣れた少年の声だった。リラは身体を硬くする。
それは、その声は、捜し求めてきたロウの声だ。
目の前がいきなり明るくなる。
「……眩しい」
リラは目を細める。
それはランプの明かりだった。
「ロウ……レンス」
リラは熱に浮かされたように呟く。白い息が闇に溶けた。
黒い艶やかな髪と、深い赤色の瞳を持つ少年が立っていた。ほの暗い中でも少年の顔と細い首すじだけはよく見えた。
「なかなかこないから迎えを出してやったんだよ」
少年は、小さく喉の奥で笑った。
「ようこそ、ギステネア城へ」
薄明かりに鉄格子が姿を現し、その向こうにギステネア国王であるロウレンスが立っていた。
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