火の山の竜
終章 第4話
〜 騎士、真実を語る者 〜

 

「頭を上げてください。……あなたは?」
 リラが恐るおそる声をかけると、少しの間のあと女性はすっと顔を上げた。女性のしんの強そうな眉と、まっすぐな瞳がリラを見上げていた。闇の中だというのに、それははっきりと見えた。
 女性の長い髪がさらりと音を立てた。一つに結えたその髪は銀色だ。まとった鎧もそれと同じ色をしていた。雪明りに輝いている。まるで月のように淡く。
 凛としてなにより身のこなしが美しかった。リラは目の前にいる女性に見ほれている自分に気づく。
「わたしはアーティアと申します。この王国の、王妃つきの騎士です」
 リラには女性の顔がとても苦しげに見えた。なにか途方もない責め苦に絶えているかのようだ。
「もっとも、その王妃も今は……」
 アーティアは立ち上がり鍵を懐から取り出すと、手早く錠を外した。鉄の扉の空くきしんだ音が辺りに小さく響く。
「さあ、ここから出てください。貴女のようなお方がここにいるべきではありません。皇女……」
 アーティアは、リラの冷たくなった手をとると、牢を出るようにうながした。


 廊下では誰もかもが床に倒れ伏していた。皆、微動だにしない。
 どうしたというのか、死んでいるのだろうか。リラが慌て戸惑っていると、
「牢屋の門番や、兵士たちは眠らせているだけですから、ご安心を」
 女性は小さく微笑んだ。
 銀の女性はうす暗い廊下をまっすぐに進む。リラはそのあとをついて歩いた。
「いいんですか、あの……」
 リラは遠慮がちに問うた。牢から助け出してくれたことには感謝している。だが、この女騎士が城の人間ならば、それは自分の同胞を敵にする行為だ。
「ええ。もう……」
 女性はそれしか口にしなかった。
 こうする以外にほかに方法がなかったと、思いつめた横顔が語る。
 リラはそれ以上なにも言えない。

 リラは一つの部屋に通された。
 部屋は簡素で整理が手入れが行き届いていた。彼女の自室だという。
 小さな暖炉が弱々しく燃えている。アーティアは部屋の隅につまれた薪をその中に静かに入れた。明かりはそれだけだ。
 暖炉の火がはぜる音を聞きながら、リラは所在なくそれを見ていた。炎はゆらゆらと形を変えながら、少しずつ大きくなっていく。
「香草茶です。身体が温まりますよ」
 アーティアに差し出された木の杯をリラは受け取った。湯気の立つ杯はよい香りがして暖かかった。
 飲んでよいものかと杯をじっと見ていると、アーティアが表情を緩ませた。
「毒など入っていないですよ」
 優しい笑みだった。
 そのひとことでリラは安心して杯に口をつける。
「あたたかい」
 かじかんだ指に感覚が戻ってくる。身体の芯まで染み渡っていくようだ。
 だが不安は消えない。はたして自分に実行できるだろうか。ロウを救う、それが成し遂げられるのだろうかと。胸の奥のわだかまりは消えてくれそうもない。じわじわと広がっていくようだ。リラはそれを消すかのように、香草茶をぐいと飲みほす。

 窓の外は暗く闇が広がり、見えるものといえば雪だけだ。城の中はなんの音もしない。町からもなんの音も聞こえてこなかった。まるで全てが動くことをやめてしまったようだ。リラのがいる場所だけが動いている。この広い世界でたった一人きりになってしまったようだった。
 リラは胸に手をあてる。
 ロウに会うまでは感じたことがなかった感情だった。
(今まで一人でいることなんて寂しいなんて思ったことなかった。なのにロウがいないと不安でたまらない。あの子がいないと、もうあたしは……あたしじゃないんだ)
 いまさらになって思い知らされる。
 ふと胸にあてた手が冷たく硬いものに触れた。きらりと光るそれはマントを留めるブローチだ。ロウが残していったものだ。お守りの代わりに持ってきたものだった。
(ねえ、あたしはまたロウに会えるかな。また二人でいられる日がくるのかな?)
 ブローチは答えてはくれない。ただ、細かな装飾が暖炉の明かりにきらきらと輝くばかりだ。
 答えは自分で見つけにいくしかないのだ。

「あ、あの、あたし……」
 リラがどう話を切り出そうかと悩んでいると、アーティアが首を横に振った。
「全て存じております。その鳥が、ククルゥが教えてくれました」
 そう言って静かに微笑んだ。
「ククルゥが?」
 リラは自分の肩にとまる大きな鳥を見た。
 目が合うと、ククルゥは小さく鳴いた。
「その鳥は私がロウレンス様にお譲りしたのです。シムルグという人語を解する鳥です」
「シムルグ」
 名前は聞いたことがあった。
 だが、まだ状況が飲み込めない。
「どうして、あたしを助けたのですか?」
 思い切って口を開く。
「ロウレンス様をお助けください。一緒にいるあの黒き剣の精霊はまがまがしいものです。あれは災いを呼ぶ呪われたものです」
 苦渋に満ちた顔でアーティアはリラを見返してきた。淡い緑色の瞳が悲しげに揺れている。
「もはや私ではもう一人のロウレンス様をお止めすることはかないません」
 吐き出すように言って、まっすぐにリラを見つめてくる。
「ですが、貴女ならロウレンス様をお救いすることができるはず。ロウレンス様の想い人である貴女なら――……!」
 その手はきつくこぶしを握り、震えてた。
 この女性もロウを本気で救おうとしているのだ。自分と同じ考えを持った者なのだとリラは理解する。それはとても心強いことだった。自分は一人きりではない。胸の奥が熱くなる。
「あたしはロウを助けたいです。いいえ、必ず救い出すわ。彼の闇から。いつも、いつも二人でいたいから」
 リラは強くうなずいた。
 少年と再び笑いあえる日がくるならば、これからどんな辛い目にあってもかまわない。必ず彼を救うのだ。それがリラの決意だった。
 
 そのときだ。いきなりアーティアが表情を硬くし、自分の唇に人差し指をあてた。静かにと小さな声で言った。
 どうしたというのだろうか。
「……?」
 リラはわけも分からず口を閉じた。
 アーティアが目でなにかがいると合図した。なにがいるというのだろうか。夜更けの、城の中だというのに。どこに?
 次の瞬間、天井の板が小さく音を立てて落ちるやいなや、黒い影が二人の前にひらりと下りてきた。
 アーティアが腰の剣をすばやく抜き、身構える。
 リラは影の正体を見ると、目を丸くした。
「あ、あなたは!」
 それはリラのよく見知った顔の人物だった。
「おっと、物騒だな。別になにをしようってわけじゃないんだ」
 天井からの来訪者はアーティアに剣を向けられ、慌てたようすで弁解した。
 すらりとした長身の青年は、盗賊スカッシュだ。
「スカッシュじゃないの! いったい、どうしてここに?」
 リラは驚き声を荒らげる。
 以前にこの城に忍び込んだことがあったと聞いたが、まさか天井から現れるとは思わなかった。
「そりゃ決まってるさ。お前を一人でほうっておけないだろう?」
 スカッシュは肩をすくめる。
「それにほら、これを持ってきてやったぞ」
 青年は片目をつぶってみせて、リラの杖とカバンを投げてよこした。
「杖がなくちゃ魔法だって使えないんだろ? あ、『小さくて赤いほう』はカバンの中ね」
 リラはそれを受け取ると、まじまじと青年を見上げた。まさか自分を探しにきてくれるとは思わなかった。この青年はおちゃらけて見えるが実際の利害にのみさとく、慎重な性格だったからだ。
「よくき……」
 よくきたわね、そう言いかけてリラはやめた。
 スカッシュが危険を冒して来てくれたのは、リラを思ってのことだと気づいたからだ。自分のために無理をしたのだ。
「ありがとう、スカッシュ」
 そう言い直した。
「礼にはおよばないって。今日はやけにしおらしいんじゃないか?」
 青年はちゃかしてみせた。
「皇女、こちらは?」
 事情がつかめていないようすのアーティアが少しいぶかしげな顔でリラに問うた。
「あたしの旅の仲間なんです」
 リラが青年を紹介した
「本当は正門から入ってこようとは思ったんだけどさ……。なあ、銀髪のねえちゃん……そろそろ剣を下ろしてくれないか?」
 スカッシュはばつが悪そうに頭をかく。
「おい、お前らも降りてこいよ」
 小さく音を立てて、舞い降りたのはラルク、そしてユリアにザザだった。
 天井裏から出てきた年端もいかない少女が二人と、不思議な羽の生えた小動物に、アーティアはあからさまにぎょっとした表情を見せた。青年を含め、少女たちが人間に見えなかったからというのもあっただろうが。
「あの小僧は……ロウは一体どうなってるんだ?」
 スカッシュはそれを気にするふうでもなく、目の前の女騎士に訊ねた。
「あたしも知りたいです。ロウのこと。アーティアさんなら知っているんでしょう?」
 リラも懇願するようにアーティアを見上げた。
 ロウのことならなんでも知っておきたかった。出会う前のこと、離れてしまってからのこと。ほとんど自分のことを話してくれることのなかった少年のこと全てを。
 銀の甲冑の女騎士は天井からの来訪者たちに戸惑っているようだったが、小さくため息をつき、ぽつりぽつりと話を始めた。
 
「ロウレンス様は、王国の呪いの印を持ってお生まれになった方です。……初代の王が多くの民を苦しめたことでその民にかけられた、『同族殺し』の呪いです」
 アーティアは目を伏せる。銀色の髪がさらりと肩から落ちた。
「王族同士で殺し合うその呪いはロウレンス様がお生まれになられてすぐに封印されました。王国の中には強い結界が張られておりますから普段は呪いの封印が解けることはありません。ですが……」
 アーティアはかたちのよい眉を歪めた。まるで痛みに耐えるかのように。
「ロウレンス様のお父上が南の大陸へ遠征後、行方が知れなくなってからというもの、王国は王妃派と最高顧問ラスネル卿派に分かれました。それから何年かたって……王妃が石化の呪いを受けたのです。強力な魔法でした。足先から徐々に石になり死に至るものです」
「それを解くために王子であるアイツが単身で火の山を目指したってわけか。竜の血肉はありとあらゆる病気と呪いに効く薬が作れるっていうからな」
 スカッシュが口をはさむ。
「ええ、そうです。ロウレンス様はご自身の呪いの封印が解けるかもしれないことを覚悟で一人でお出かけになりました。その後、王妃つきの魔導師ザブリックがラスネル卿へと寝返り、王妃を……殺害したのです」
 アーティアの声は震えていた。悔しげに唇を噛んでいる。
「短剣で胸を一突きでした。……わたしはすぐにロウレンス様のもとへシムルグを使って文を飛ばしました。ロウレンス様は数日でお帰りになりました。ですが、お帰りになったのは……赤い目の、もう一人のロウレンス様でした。王子は封印が解けていたのです」
 リラの脳裏に、血の色の瞳をした少年が思い浮かぶ。狂気の少年の姿が。
 魔物オークの返り血を浴びて笑ったときのこと、火の山でリラに剣を向けたときのこと、全てが鮮明に思い出される。
 あれはロウではない。リラは信じたくもないし、認めたくもなかった。
(だって、ロウはあんな怖い顔で笑ったりしない)
 リラはこぶしをにぎり締める。ぎゅっと握った手のひらには爪が食い込んだ。手から伝わる痛みはそのまま胸の痛みだった。苦しかった。
「町でうわさされていたことは本当なんですか? ロウが、ロウレンスがあんな……あんなことを、本当に?」
 リラは視線を落としたままで問うた。
「……ええ、うわさは本当のことです」
 アーティアは苦虫を噛み潰したような顔でうなずく。自分とて信じたくない。彼女の表情がそう語る。
「王子は……、魔導師ザブリックと叔父であるラスネル卿を王妃殺しの罪で糾弾し、処刑したのです。そして自らが王位を継承したのです」
 リラは息を飲む。うわさは本当だったのだ。
「そんな強行をやったら、いくらなんなんだって臣下や民だって黙っていないだろ。そのラスネル卿っていうオッサンが石化の呪いをかけたっていう確証はなかったんだろ」
 スカッシュの言葉にアーティアは重々しくうなずく。
「もちろんです。ですから皆はすでに不信感を抱いています。……ロウレンス様に」
 リラは初めてこの王国へきたときのことを思い出した。城下の町はどこかぎすぎすとした空気が流れていた。皆がみな不満を持ったような暗い表情をしていた。
「このままでは、ロウレンス様は……初代ギステネア王となんらかわらないものになってしまう……!」
 アーティアはのどの奥からしぼりだすような悲痛な声をあげた。

 と、ふいに部屋の空気が変わるのをリラは感じた。ねっとりと、密度のある闇がまとわりつくような感覚だ。我知らず身体を強ばらせる。
 誰かが自分を見ている。視線を感じるのだ。

 少女の声が部屋に響いた。

「まあ、だれの噂をしていらっしゃるのかしら?」
 その声とともに黒い霧が空中の一点に集まり、人のかたちを作り出す。それは少女は黒き剣の精、クルスナだった。
 空中で彼女はうっすらと笑みを浮かべ、ゆるやかな長い黒髪を片手でもてあそんでいる。
「王の間でロウレンス様がお待ちよ。早くおいでなさいな」
 クルスナはそれだけ言うと再び霧になって消えた。あとにはなにも残らない。
 部屋はしんと静まり返る。
 まさか黒き剣の精霊が自ら出向いてくるとは。
「余裕のお出ましね。全ては筒抜け、か」
 意を決したように、リラが一番初めに口を開いた。
「行きましょう!」
 今は前に進むことしかできない。止まることなどできない。
 
 外では雪がしんしんと降り続いていた。
「王の間はこちらです、皇女」
 兵士も女中も誰も通らない。先ほど倒れていたものたちも消えていた。ぶきみなほど静かな廊下をリラたちは走る。城の中で動くものといえばリラたちくらいだ。
「おかしいわね」
 湿った岩壁には、ろうそくの火が小さく揺れている。それは等間隔にまっすぐと廊下の奥へと続いていた。深く暗い闇の中へと。
「誘われているのかしら」
 白い息が空気に溶けていく。
「……そうかもしれません」
 アーティアが隣を走りながら低い声で答えた。

 リラは心のすみで考える。
「もう一人のロウを消せば全てがまるく収まると思っていたけれど、でも、あの子も――ロウレンス――も、……もしかしたら、被害者なんじゃないかしら?」
 声には出さず、口の中でそうつぶやいた。
 リラはずっともう一人のロウを、赤目の少年を消せば全てが丸くおさまると思っていた。だが違うのではないかと。そのことに気がついたのだ。心のどこかでうすうすは気づいていたことだった。

 

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