火の山の竜
終章 第5話
〜 歪んだ王国、灰色の城 〜

 

 赤目の少年が全ての元凶というわけではないならば、『二人』を救わねばならない。
 呪われた血と、禍々しい剣の犠牲から。

 ずっと少年の悩みに気づいてやれなかった。後悔して自分を責めてきた。だが気づくことができた今ならなにをすべきが分かる。

「ここです」
 アーティアが突き当たりで立ち止まった。
「ここが王の広間です」
 漆黒の扉が目の前にあった。
「ここに……、ロウが」
 我知らず呟く。
 巨大な扉は威圧するようにリラを見下ろしていた。まるで一度も開いたことがないかのようだ。動きそうもない。そう思えた。
 もうなににもおくさない。ここまできたのだから。あの遠いとおい東の果てから、彼に会うためだけに。

 力がほしい。強い力が。
 あの子を救える力が。

 リラは強く願った。すべてを打ち砕く、現状を打破する力がほしいと、心の底から強く願った。

(必ず、助けるんだ)

 意を決して手をのばすと、触れようとするより先に扉が動いた。ぎい、ときしんだ音は地の底から響いてくるかのように聞こえた。
 ここから先はどうなるか自分ですら分からない。取り戻せるか、決裂か。
「…………」
 リラはごくりとのどを鳴らす。
 中はよどんだ沼のように暗く、リラのいる位置からは奥はよくは見えない。灯りは等間隔に置かれたろうそくのみだ。それは全てを照らしきることができず、所在なげに小さく揺らめいている。
 広間のおよその奥行きさえも測りきることはできない。入らなければ分からないのだ。
(リラ、足を踏み入れるのよ)
 自分に言い聞かせるようにして、すうと息を吸い込んだ。その空気は肺の奥まで凍りつくかのように冷たい。まるで雪そのものを飲み込んでいるようだった。
 その闇の中に足を一歩踏み入れた。冷たい空気が足にまとわりつく。それは絡みつき、リラを放さずに奥へおくへと連れて行くかのようだ。闇が手招きしている。リラはそう思った。冷たい、どろりとした闇だ。足先から氷になっていくようだった。寒い、とても寒いところだった。
 石畳の床に、カツンとリラの足音だけが響く。響く足音は闇の中へと遠く消えていく。それを聞いて、この広間がどれだけの広さを持つのかが、おぼろげながら理解した。
 この闇の中には自分しかいない。まるでそう思われた。手が震えそうになるのを必死でこらえる。
 だがこの先にロウがいる。彼はこの広間の奥にいるのだ。
 また一歩、足を踏み出す。彼のもとへ行くために。取り戻すために。もう後悔などしたくない。後悔するくらいなら壊すだけだ。この現状を。
 
 ふと、後ろを振り返ると、スカッシュや女騎士たちの姿がない。黒の扉も初めから開いてなどいないかのようにすっかり閉まっていた。いつのまに閉じてしまっていたのか。

 自分だけ。ここに招待されたのはあたしだけなのだ。
 リラは悟る。

「待っていたよ、リラディア皇女」
 リラははじかれたように振り向いた。
 闇の奥から聞こえた。
 久しぶりに聞く気がする。いつもそばで何度も聞いてきた、懐かしいロウの声だ。染み入るような低く響く声。だが、リラのよく見知ったロウのものではない別の者の声。
 頭が混乱しそうになる。リラはそれを必死に抑えようとした。そして、もう一度深く息を吸い込んだ。凍った空気はリラの頭に冷静さを取り戻させてくれた。焦ってはいけない。
 そうだ。ここまできたのだから。なんのためにここにいるのか思い出せ。そう自分に言い聞かせる。
 あたりは水底のように暗い。揺らめくろうそくの明かりを頼りに前へ進むと、そこには闇の中、玉座にゆったりと座るロウレンスの姿があった。血の色の、深い赤の瞳をした少年の姿が。

「…………」
 リラは動けない。なにか言おうとしたが、のどがかすかに引き攣れた音を出しただけだった。少年の冷めた目を見ると、今まで言おうと思っていたいろいろな感情がないまぜになって、なにも言えなくなっていた。ただそこに立ちすくむことしかできずにいた。

 ロウレンスのとなりには黒き剣を抱える剣の精霊クルスナがいた。感情の読めぬ魔性の目でリラを見ている。赤い唇を弓なりにして笑顔を作っている。微笑んでいるのではないことくらいリラにも分かる。あざ笑っているのだ。
 あれが災いの元凶なのだ。あの黒き剣の精霊が。あれはまがまがしいものだ。目を合わせてはならない。自身の本能がそれを知らせた。
 リラはそれから視線を外すとまっすぐに少年だけを見た。
 明かりは彼の隣にある燭台のみ。それは少年のごく身近な範囲を照らし出すにすぎなかった。

 リラはぎゅっとこぶしをにぎりしめる。
 冷静になれ、うろたえるな。そう自分に言い聞かせながら、この広間に入ってから最初の言葉を口にした。
「あなたを止めにきたわ。ロウ」
 白い息が闇に溶ける。
「人を渾名で呼ぶとは……何度言ったら分かるんだい? わたしはロウレンス・ラスト・ギステネア。この王国の新王だよ」
「民に嫌われている王様だなんて、こっけいね。ここはあなた一人だけの灰色の王国だわ」
 リラはきっぱりと切り返す。
「わたしを殺すのかい?」
 その言葉にロウレンスは愉快そうに目を細めてくつくつと笑う。
「違う! あなたの呪いを解くのよ」
「……なにを、言っているのやら」
 聞く耳持たないとあきれたようすだ。リラがなにを言い出すのかと、おかしくてたまらないようすだった。
「そんなぶっそうな剣なんて、捨ててしまいなさいよ。ロウ、あなたには似合わないわ」
「は……」
 世迷言をと一笑された。
「分かっているのか? 私を否定するということは、お前の言う『ロウ』を否定するということなのだぞ。どちらも同じロウレンスだよ」
 その一瞬だけ、真顔で言って赤い目を伏せた。黒くけぶるまつげが血の色の瞳を隠した。
「お前には分かるまい……なにも」
 彼がそうかすかに呟くのをリラは聞きとった。
 その呟きはのどの奥からしぼりだすような、苦しげなものだった。
 少年とリラのあいだには壁がある。見えない壁があることが分かる。数歩の距離にいるというのに、ただ単に歩を進めるだけでは取り去ることのできないへだたりがある。
「そうやって一人で抱えこもうとして、誰にも話さないのね。そういうところ、あたしの知ってるロウにそっくり」
 答えを期待されてはないと分かってはいたが言わずにはいられなかった。
 気づかせたかった。仲間になりうる可能性を持つ者がここにいると。そばにいたいと思う者が目の前にいることを。もう一人のロウに。
「なにも知りもしないで、どうして関わろうとする? 他人であるわたしと、もう一人のわたしに。お前になんの得があるわけでもあるまい」
 以前にも、同じことを言われた。なぜ関わろうとするのだと。
「知らなくったって、これから知ればいいもの。これからたくさん思い出を作ればいいじゃない。それに、あたしはあんたのことを他人だなんて思わない」
 そして、以前にも同じ答えを返した。
 懐かしいやりとりだ。同じだ。今も、以前も。
 だが、リラに返ってきたのは、たんたんとした言葉だった。
「なにを期待している。どんな見返りが欲しいというのだ?」
 よくようのない冷たい声が頭から浴びせかけられた。
 見返りなど期待したことなど一度もない。
「そんなもの! そんなもの、なんにもいらない。ただ、あんたのそばにいたいと思うだけよ」
 気づいたときには、我知らずそう答えていた。それはリラの本心だった。
 深い赤色の瞳の少年は目を丸くする。だが、それはほんの一瞬だけ。

 少年は、かたわらに立つ黒き剣の精クルスナに無言で手を上げて合図をした。
 とたん、薄暗い広間のすみの壁に、小さなろうそくの灯りがともった。
(なに? 暗くてよく見えない……)
 そこにはテーブルがあった。小さな、丸い卓だ。清潔で上等そうな白いクロスがかけられている。その上には、皿が二つあった。銀色のフォークとスプーンもきちんとそろえられていた。
 その皿の上に乗せられているものが、もぞもぞと動いていた。
(動いている? なにが……?)
 いぶかしげにリラは目を向ける。
「わたしは、この魔導師めは、ラスネル卿にそそのかされたのです」
「なにをいう、お前がワシをたぶらかしたのだ」
 暗がりから聞こえる二つの声は、中年の男と初老の男のものだ。皿の上で会話は続く。
「結果的に、わたしは王妃に短剣でとどめを刺しましたが、それは、すべてはラスネル卿が仕組んだのです。首謀者はラスネル卿です」
「確かにワシは事を仕組んだが、あのいまいましい王妃を殺したのはワシではない。お前だ。ワシではない。断じて、断じてな」
 それは生首だった。白い大皿に乗せられた二つの首は言い争いをしていた。血の気のない顔は青白く、この世のものではないことがひと目で分かる。
「石化の魔法をかけたのも貴様ではないか。短剣を心臓に突き立てとどめを刺したのも!」
「その計画を立て命令したのはあなたです、ラスネル卿」
 リラは驚き、その異形を目の前にして言葉もでない。
「……っ」
 目の前で起きていることが飲み込めない。なぜ、このようなことが。
「ワシは王になるべき人間なのだよ。兄王は行方不明、そして残るは頼りない王子と王妃。これは必然なのだ。誰が見てもそう思うだろう」
 首はいまだ言い争いを続けている。自分がいかに正直か、いかに正当なことをしたのか、そして自分ではない裏切り者は誰だったのか、それを見せようとやっきになっている。すべてが裏目に出ていることも知らずに。
「ほらこのとおり」
 にやりと笑い、ロウレンスは手をひらりと振る。証拠はこれだと言って。
「ほら、本当のことを言った。早く約束どおりワシを生き返らせておくれ。ワシはお前の血のつながった叔父さんなのだよ。大切な肉親を助けておくれ」
「王国でわたしより優秀な魔術師はおりませんよ、ロウレンスさま。きっとお役にたちます。わたしをどうか……」
 生き返らせてくれと哀願する首。
 それはこっけいであわれな情景だった。
 自嘲気味に笑うロウレンス。
「我が王国は歪んでいる。同族殺しの呪いが封印されようと、同族殺しが公然と行われている。呪われたわたしが手をくだすまでもなく」
 肩をくすませ笑う。

 返す言葉もない。
 目の前にある絶望は深すぎる。それは底が見えない。
 代を重ねるごとに濃くなる血とともに、憎しみも業も深くなっていったというのか。もう消すことはできないというのか。

 ロウは飲み込まれてしまった。生まれたときから背負い続けている運命に。
 
 どこかあきらめたようにリラを通り越した遠くを見やっている、そのような彼になんと声をかけることができようか。
 リラは少年を助けたい、その一心でここまできた。だというのに、本人を目の前にしてなにもできずにいた。混乱して、頭が働かなかった。
 放っておいてくれと拒絶されている。自分の生い立ちを見せて、自嘲している。
 それが胸に突き刺さる。自分の胸が苦しくてたまらなくなる。
 
(ロウ……、レンス……)
 赤い血の色の瞳をした少年はリラを突き放すように冷たい。なのに、なぜだかその瞳は悲しげに見えた。いつだか見たことがある。いつだったか。懐かしい、見たことがある。
 まばたきをするあいだにリラは昔の記憶へと考えをめぐらせる。いつだか、こんなふうに見つめられたことがあった。あれはいつだったか。
 誰だろうか、誰だったか。

(あ……)

 それがすぐに何者であったかを、本人を目の前にして気がつかないでいた。
 目の色が違うだけで。

(ロウだ)

 目の前の少年と、ロウとではよく似ていた。顔かたちだけにかぎったことではない。まったく別人かと思われていたその人物は、はっとするほどに性格までよく似ていたのだ。

 少し前からおぼろげに考えていたことだった。リラは理解する。目の前の少年も、ロウなのだと。
 ならば、もう無駄に難しいことを考える必要などない。 
(救わなくちゃ。彼を。だって、彼だってロウだもの)
 生まれてから十五年間、一人で孤独に耐えてきた少年。周囲は信用のおける大人も片手で数えるほどであったという。本当ならば安らげるはずの居城で緊張をしいられ、そして、呪いと闇の中に捕らわれてしまった。凍える深い闇に。
(あたしが救うんだ。あたしが、彼を、ロウを、もう一人のロウを、二人とも……!)
 リラは握ったこぶしの中で爪を手のひらに食いこませた。かじかむ手のひらに汗がにじむ。
 ふと少年のとなりにある小さな木の卓へ視線を移すと、美しい宝玉が目に入った。大きさは手のひらほどもあり、炎を混ぜたような力ある色をしている。
「アリアカンテの目。探してくれって言ってたもの。あれが……」
 ひと目で分かった。
 それは闇の中で赤々しく魔法がかった光をたたえていた。
「ロウレンス、アリアカンテの目を返しなさいよ」
 リラは叫ぶ。
「これか。嫌だといったら?」
「力ずくでも返してもらうわ」
 リラはにっと笑う。
「やるのか」
 ロウレンスは口の端を引き上げる。
「それを……アリアカンテの目を返してもらって、ついでにそこの剣の精霊もやっつけて、あんたのこともロウのこともきっちり救ってあげるわ!」
 きっぱりと言い放った。
「……ざれごとを」
 ロウレンスは、のどの奥で笑う。
「無理な相談だというものだ。これは返すことはできない」
 玉座にもたれたままロウレンスは剣の精霊クルスナに目で合図をした。

 

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