火の山の竜
終章 終話
〜 終わる夜、再会 〜

 

「……ざれごとを」
 ロウレンスは、のどの奥で笑う。
「無理な相談だというものだ。これは返すことはできない」
 玉座にもたれたままロウレンスはひらりと手を振り、剣の精霊クルスナに目で合図をした。
 クルスナは微笑して、玉座のうしろへと回り、薄い生地でできた幕を引いた。
「…………」
 そこには灰色の石像が寝台に寝かされていた。女性をかたどったものだ。それには胸の部位に短剣が突き刺されている。
 どうしてそのようなものが寝台におかれているのか、すぐには分からなかった。だが目を凝らして像を見やり、リラははっとした。
「王妃……さま?」
「そうだよ」
 ロウレンスは無表情に答える。
 ロウの母親だ。それは石化の魔法をかけられたという王妃だった。
 剣の精クルスナは、アリアカンテの目玉を両手ですくうようにして手に取ると寝台へと移動した。
「なにを、なにをしようというの?」
「生き返らせるのさ」
「そんな……」
 即答された。
「死者を蘇らせる? それって……」
 許されるわけがない。
 反魂の魔法は禁忌だ。今だかつて地に生れ落ちたものにそれが許されたことはない。例外はただ一つとしてありえたことがない。
「君も竜の巫女なら知っているだろう? 竜の目玉には人を生き返らせるほどの力があることを」
「だって、そんな、……そんなことを」
「禁忌だとでも?」
 少年は薄く笑う。今さらなにを、と。
「神さまが許してくれないわ」
「そんなものがどこにいるというんだ。もし……、いたとしたら、どうしてこんなことになるというんだ?」
 低い声はリラを責めるように言う。
 リラはなにも返せない。
「奇跡は、自分の手で人から奪ってでも起こすものだよ」
 こちらを見もしないでいうと、ロウレンスは寝台の横に立った。

 クルスナの持つ目玉に向かってロウレンスは聞き取ることのできない言葉でなにかをつぶやき始めた。呪文だ。
「だめよ、ロウレンス! そんなこと!」
 リラは叫んだ。
 だが少年は詠唱をやめない。
 つむがれていく魔法は織り上げられ、王妃の身体を淡い光となってつつんでいく。
「いけないわ、そんな……そんなことをしたって!」
 リラとて魔法使いのはしくれだ。知っていた。反魂の術が禁忌と呼ばれるゆえんを。
 王妃の、灰色の石の身体が、見るまに人のものへと戻っていく。着衣についたどす黒く変わった血さえもが鮮やかに色を取り戻し、時間を逆戻りさせたかのように胸の傷へと返っていく。

 まばゆい光が消えると同時に、からんと乾いた音を立てて短剣が床に落ちた。
「成功しましたわ」
 クルスナの両手にはすでに竜の目玉はない。風に溶けるように消えていた。
「母上……」
 ロウレンスは母親の片手をそっと取り、ひざをついた。
 少年はほっと胸をなでおろすように息をつくと微笑んだ。この場所にきて初めて見せるロウレンスの笑顔だった。
「母上」
 少年はもう一度、母親を呼んだ。
 硬く閉じられていた王妃の瞳がうっすらと開かれる。けぶるようなまつげが微かに揺れた。
「ロウレンス、あなたは……」
 王妃は自分の顔をのぞきこむ息子の瞳を見て、目を見開いた。
 ロウレンスはとっさに目を伏せる。血の色の瞳を見られたくないとでもいうように。

「ロウレンス、反魂の術はダメなの。誰も成功したことなんてないの。……死者は生き返ったりしない。かりそめの生命を与えられたにすぎないの。死者は死者なの」
 リラはわななく。リラの小さな声は静かな広間の中で、少年や王妃の耳に届くにはじゅうぶんだった。
 不完全な死者として動いているにすぎない。
「…………」
 ロウレンスはなにも言わない。なにも言えなかったのだ。
 知らずにいたのだろう。だが、知っていても彼は実行しただろう。自分のいないあいだに殺された母親ともう一度だけでも話がしたいと思った。自分を見てもう一度、微笑んでほしかった。ただそれだけだったに違いない。
「わたくしは……」
 王妃は確かめるように胸に手をあてた。心臓は動いてないはずだ。
 その肌は石ではなくなった。だが生きた人間のものではなかった。血の気のない青白い死者のものだ。
 ロウレンスの握る母親の手とて冷たいままだろう。
「母上、わたしはあなたを救いたかった。死なせたくなかった」
 苦しげに吐き出すように少年は言った。握った手を離さないままに。
「ロウレンス、こちらを向いて」
 王妃は胸に添えていた手を息子のほおにそっとあてた。
 瞳の色を見られたくないと抵抗するように少年は目をあわせようとはしない。
「その気持ちだけで母はじゅうぶんでした。母は、最期にこうしてあなたと話すことができて嬉しいです。あなただけに呪いを背負わせた母を許さなくてもかまわない。どうか幸せになって」
 王妃は微笑んだ。優しい笑みだった。
「母上!」
 まるで別れの言葉のような王妃の科白に、ロウレンスは驚いたように目を合わせた。
「やっとこちらを向いてくれましたね。母は、あなたの幸せをこれからもずっと願っています」
「…………」
 ほおに添えられた手に、ロウレンスは自分の手をあてる。
 ロウレンスとてこれからどうしなければいけないか理解しているはずだ。
 死者は土に返さなくてはならないことを。
 少年の隣に立つクルスナは表情の読めない笑みを浮かべたままなにもしようとはしない。ただ、だまってそれを見ているだけだ。面白いとでもいうように。

「ロウレンス、お母さんを……帰してあげなくちゃ」
「…………」
 やりきれないだろう。
 だが、このままにしておけば王妃は生きる屍と変わらない存在となる。

 リラはごそごそと胸もとから竜のくびかざりを取り出した。それは暗い広間の中できらきらと赤く輝いている。
「これも竜の――アリアカンテの――角で作られたものなの。これがあればあたしにもお母さんを眠らせる魔法を唱えることができる」
 リラはおずおずと言った。
「お前には、それができるというのか」
 少年の声は固い。
 自ら生き返らせ、また殺す。それも母親を。
「できる。これが力を貸してくれるから」
 リラは少年の目をしっかりと見て答える。
「…………」
 それは無言の承諾だった。
 つらい選択に違いない。自分のわがままで生き返らせた。そしてまた死なせるというのだから。

 死者に眠りを与える呪文を唱えるのは初めてだった。祖母と暮らしているときに一度だけ呪文書を盗み見て覚えたにすぎない。成功するか不安だった。
 だが、首飾りが手助けをしてくれた。首飾りを握る手から頭へ呪文が次から次へと流れ込んでくる。竜の巫女であるリラを助けるように。
 広間にリラの声が小さく響いた。それは死者を安らかな眠りへと導く歌のようだった。詠唱が終わると同時に、目玉どうように竜の首飾りは砕けて砂のように消えた。

「ロウレンス、そしてあなたにも、礼をいいます。ありがとう……」
 目を閉じる最後に王妃はリラを見た。その顔は安らかな表情をしていた。
「ロウ……レンス……、さ、よう……なら……」
 静かに、少年のほおにあてていた手がゆっくりと落ちる。
「…………」
 ロウレンスはなにも言わず、母親をただ抱きしめていた。その顔は見えない。肩が震えているのが見える。
 リラはなにも言うことができなかった。
 だが、その悲しみは痛いほど伝わってくる。息苦しくなるほどに。

「借りを作った覚えはないからな」
 どれだけ時がすぎたころだろうか、動かなくなった王妃を寝台に寝かせたロウレンスが口を開いたのは。
「あたしもそんなつもりはないわ」
 リラはただそれだけ言った。
「あたしが本当にやらなくちゃいけないことは残っているんですもの」
 そう続けて、黒き剣の精霊を見た。まがまがしいものを。

 リラはカバンから両手に納まるくらいの小さな杖を取り出した。赤い炎の色の杖だった。アリアカンテからもらった火の山の竜の宝のひとつ。力ある最後の竜アリアカンテの爪で作られたものだった。竜の首飾りも目玉もなくなった今、自分の手に残されたのはこの赤い杖だけだ。いくら竜がくれた品とはいえ、杖は杖だ。魔法は魔法を使う者の魔力に影響される。媒体がいくらよいとはいえど、それはあまり意味をなさない。大切なのは想いだ。本当にほしいなら、彼を取り戻したいのなら打ち砕くまでだ。この現状を。
 
 リラが手にしたとたん、魔法がかった光を帯び始めた。淡く、それでいて力強い光だった。杖は竜の巫女の血を受け継ぐリラに反応したのだ。

「なにを……」
 ロウレンスがつぶやくそばからそれは姿を変えていく。
 リラの手のひらの上で、竜の爪で作られた小さな杖は淡く赤々と光り、じょじょに長く伸びかたちを変えていく。魔法使いが持つにふさわしい、リラの身の丈ほどもあるすらりとした赤い杖だった。それは、おそらく誰も見たこともないであろう赤だった。それほどに強く赤い、朱の杖だった。

 すんなりと手になじむ。まるで今までずっと使ってきたもののようだ。
 リラは赤い杖に見惚れるようにため息を小さくついた。
 先端で床を小さく叩くと、澄んだ音がした。鉱石ような、それでいて木でてきたものであるような、不思議な音で鳴ったのだ。
「アリアカンテがすごく近くに感じる」
 誰に言うでもなく独りごちると、ロウレンスに向き直った。
 まっすぐに、はしばみ色の瞳を少年に向ける。
 笑顔で。

「何のつもりだ」
「あたしね、あんたのことが一番悪いんだと思ってた。あんたを消せばすべてが丸く収まるんだって」
「…………」
「でも、本当はぜんぜん違ったのよ」
 勘違いしていた、と言ってリラは苦笑いする。
「あのね、あたし、あんたも助けるから。あの子と一緒に、あんたも助けるわ」
 リラは杖を持つ手にぎゅっと力を込める。
 これは相手を傷つけるための武器ではない。救うためのものだ。リラはそう考えて、火の山で、竜から爪を譲り受けたのだ。
 赤い杖を目の前にかがけた。

 この狂った呪いの連鎖から彼を解き放ちたい。そしてあの黒き剣の精霊から。ロウともう一人のロウを。
 それだけだった。ただ、それだけを思った。

 やり直せないだなんてことはない。そのようなことは絶対にない。やり直そうと思えばそれがいつだろうがやり直せるのだ。リラは彼と旅していたころを思いだしていた。まぶたの裏に浮かぶのは、少年の笑顔だ。暗くかげりのある表情の中で、本当の笑顔を見たのはほんの数回。だがはっきりと思い出せる。
『僕は、リラさんと会えて嬉しかったな。とても楽しかった』
 自分だって、同じだ。ロウに会うことができたのは人生最大の幸運だと胸を張って言える。
 あの言葉がうそでないなら、彼の言葉を過去形にしてしまったのは自分の罪だ。これからも続くのだと言ってやればよかった。
 だが、その後悔も今日で終わる。終わらせてみせる。今その罪をあがなうのだ。

「助けるからね」
 リラはもう一度つぶやいた。
 解放してみせる。

 そのとき、いままで静かにロウレンスの横に立っていただけの黒き剣の精霊が、すっと一歩前へ進み出た。
 それは初め、ぶれたかのように見えた。身体が二重に、そして霞のように。リラは、自分の見間違いかと、何度か目をしばたかせた。
 そのまばたきのあいだに、黒き剣の精霊クルスナは人の姿を捨てていた。黒い大きな四つ足の獣へと姿を変え、低い地響きのようなうなり声をあげていた。

 それにしてもなんと大きいのだろう。魔物マンティコアにひけをとりはしない大きさであった。優雅でしなやかに階段を下りてくる。音も立てずに。狩をする捕食動物のように。
 リラは動けない。
 実戦の経験はあまりない。どう動けばよいのか分からないのだ。背筋に冷たいものが走る。
 これほど大きな獣と対峙することなど片手で数えるほどしか経験がないのだ。
 自分で自分を励まし、杖を強く握った。手のひらが汗でじっとりと濡れるのが分かる。

 黒い獣の向こう、ロウレンスはそのようすをただ眺めているようだった。自分がどう動いてよいか分からずにいるらしい。

 リラはごくりとつばを飲む。

 なにか、呪文を。こんなときに使う、とっておきの魔法を。
 混乱しかける頭ですばやく考えをめぐらせる。
 いかづちは呼べない。ここは室内だ。空が見えないところでは使えない。それなら炎はどうだろうか。室内で使うべき魔法ではないが、この広間ならいかづちよりはリスクが低い。まだやれる。

 口の中で小さく詠唱を唱え、
「火線!」
 杖の先より炎の魔法を生み出した。唱えたと同時に閃光が発し、それは――火の塊――はきゅんと音を立てて、矢のようにまっすぐ突き進んだ。その炎の魔法は普段のものより威力があるように思われた。
 当たり前だ。魔法を唱えるさいの媒体が火の山の竜アリアカンテからもらった杖なのだから。
 ひらりとかわされる。風に揺れる草でもよけるように。つややかな黒い獣はなんでもないと余裕の表情を浮かべリラを見下ろしている。しなやかな動きで階段を一歩おりた。

 かまわない。今のは様子見だ。
 その場から動かずリラは次の詠唱を開始していた。
 リラは後ろに飛びすさる。飛び掛られるのは避けねばならない。
(間合いを取らねば……!)

 この、黒い獣はまがまがしい。長い間かけて人が生み出した恨みと呪いを吸い込んで、瘴気をはらんでいる。人が生み出したものは人へ向かう。
 リラは小さく咳き込んだ。だたよう瘴気にのどの奥が苦しくなる。不快だ。

(あたしは、こんなところでやられている場合じゃない)
 口元を手で覆った。そうしながらも呪文の詠唱を続ける。

 ゆらりと、黒い獣は短い階段を下りきり、大きく雄たけびを上げた。地の底から、深淵からとどろく腹に響く恐ろしい声だった。原始の叫びはリラの身体を緊張から硬くさせこそすれ、詠唱を止めることまではできなかった。
 竜の杖が赤くまばゆい光を放つ。

「永劫の深き眠りより解き放たれり。開け地獄の門、来れ灼熱の業火!」

 石だたみの床から、天井まで火柱が立ち上がった。ごうっと音を立て、それは黒い獣を巻き込んだ。熱風が広間を包み、部屋の中を真っ赤に浮かび上がらせた。炎のうねりは獣の姿をかき消そうと、逆巻く。
 石の床が沸騰する。立ち上がる炎は高く闇に消えていた天井を照らし出し、突き抜ける。天井を見れば、今の魔法でひびが入ったのか、小さな破片が上から落ちてきてリラの頭にぱらぱらと降りかかる。
 ごうと音を立てて魔法の炎は黒い獣を蒸発させようとねぶるようにまとわりついた。
 黒い獣は悲鳴ともつかぬおたけびをあげた。
 
 それは禁忌の魔法だった。竜帝国に伝わる、火の山の竜が作り出して人に与えたといわれる海さえも消し去る炎の魔法だ。東の大陸のみに伝わる禁断の呪文。
「このとっときの魔法が通じないなら、打つ手なし、ね」
 吹き荒れる熱風にリラは髪をあおられながら片腕で顔をおおう。
 
「コノ程度デ……コノワタシガ、倒セルトデモ、思ッタカ」
 魔法の炎の中、劫火の中で黒い獣の叫ぶ声が聞こえた。

「……な、そんな」
 それは信じられない光景だった。
 皮膚を焼かれ、血肉からもうもうと蒸気を発しながら、黒い獣は低い大勢を取り、襲いかかろうと歩を進めてくるではないか。
「馬鹿ナ人間ダ」
 今のが最後の呪文だった。リラにこれ以上の魔法を使う力は残っていない。限りのある力の中で、とっておきの魔法を使ったのだ。
 ほおに冷たい汗が流れるのが分かった。この蒸し釜のような広間の中で。
 
「小娘、クビリコロシテヤロウゾ」
 獣の声で唸った。炎に身を焼かれながら。
 それはぞっとする光景だった。
 打つ手がない。飛びかかれる間合いまで迫られる。
 息を吸うことも忘れてリラは動けずにいた。今までここまで顕著に命の危機を感じたことはなかった。数秒後に死体になっているのは自分のほうだ。間違いなく。
 自分がひ弱な人間だと思い知らされる。この黒き獣を前にすると、そのまがまがしい目を見ると、身体がすくんでひざが震えた。目を合わせている時間の長さの分だけ、まやかしにかけられたように動けなくなっていく。
 
 そのときだった。城に低い歌声が響きわたった。どこまでも澄んで通る不思議な旋律の歌だった。
「この声……!」
 リラは天井に隠され見えない空を見上げる。
 
 次の瞬間、地響きが城を包み込む。
 黒い獣さえもそのときばかりは上を仰ぎ見た。
 ガラガラと音を立てて壁の一部が崩れ落ち、むきだしになったところから冷たい吹雪が舞い込む。
「久しぶりじゃな、巫女よ」
 しわがれた竜の声が広間に響く。
「アリアカンテ!」
 そこには、火の山の竜が壁に足をかけ皮翼を大きく広げていた。
「なんとまあずいぶんとまがまがしいものがいるものじゃ」
 両目は見えなくとも竜は気配で分かるらしい。あきれたようすで言って、首を黒い獣へと向けた。

「巫女よ、竜帝国のもう一人の巫女が死んだ」
「母様が……」
 リラは言葉を失う。
 予期はしてきた。だがショックは隠しきれない。
「じゃから、ワシはもう一人の巫女であるお前さんのところにきたのさ」
 小さく炎の息を吐く。
「お前を助けてくれと、お前の母から頼まれた」
「イマイマシイ、最後ノ竜ノ生キ残リガキタワ」
 クルスナは獣の顔をゆがめる。こぼれる声はうなりだ。
「ナラバネ、コチラハ」
 クルスナは黒い双頭竜へと姿を変えた。その口からは黒い闇色の瘴気をはらんだ炎がもれる。両首が火の山の竜を睨みつけている。
「なにがいまいましいじゃ。それはぬしじゃろうが」
 おかしくてたまらないとアリアカンテはのどを鳴らした。
「まがいものが。竜のかたちをとるか。このワシの前で!」
「死ニゾコナイノ竜、オ前ガ最後ノ一匹ダ。仲間ノモトニオクッテヤロウ。嬉シイダロウ?」
 アリアカンテはみなまで言わせなかった。
「浄化してくれようぞ」
 牙をむきだし、かっと口を開けた。次の瞬間、真っ白い光が一直線にクルスナを貫いた。竜の武器――ブレス――だ。それはまさに歌だった。葬送歌だった。リラにはそう聞こえた。
 まさに一瞬だった。黒い双頭竜は断末魔をあげる時間すら与えられず、その場にどっと倒れふした。それきり動かなくなった。
 リラは驚いて動けない。ロウレンスもそれは同じようだった。
 クルスナは、黒き剣の精霊は白いもやとなって霧散した。そこにはなんの跡も残らなかった。ただ、ロウレンスの後ろで黒き剣にひびが入る音が聞こえた。
「それはもうただの剣じゃな。無害じゃ」
 のどを鳴らして火の山の竜は言った。
「おっと、もろいのう」
 アリアカンテが乗っていた崩れた壁の一部が砕けた。
 羽ばたき、座り直してリラたちを見えぬ目で見下ろしている。
「アリアカンテ、ありがとう。あたし、もう少しで死ぬところだった」
 リラは見上げて竜に礼をのべた。
「なに、お安い御用じゃ。我が巫女を助けるのは当然のこと」
 口から小さな火を吐いて、アリアカンテは答えた。

 リラはロウレンスに向き直る。
 少年は表情なくただ玉座の前に立っていた。
「あたしがなんのためにはるばる西の果てにきたか分かる? どうしてか分かる? あなたが大切だからよ」
 リラは続けた。
「そんな分かりきったことを口にさせないで。いらっしゃい、帰ろう」
 手を伸ばし、まっすぐに少年を見つめる。
「さあ! 帰りたくないの、どっちなの?」
 手を伸ばしたままで言う。
 血の色の瞳をした少年は驚いた表情でリラを見つめかえしていた。
 リラは辛抱強く待った。
 呼び戻すのだ、必ず。
「ロウ、いらっしゃい」
 表情が読めない。だたじっとリラの瞳を覗き込んでくるだけだ。
 もどかしい時間がすぎる。
「……うう、う」
 ロウレンスは額を押さえてうめいた。くぐもった声。
 ゆらりと足がふらつき、うつむく。
「リラさん」
 そう呼ばれた。懐かしい呼ばれ方。そう自分を呼ぶのはたった一人しかいない。
「リラさん、僕は君のいるところに帰りたい!」
 一瞬、ロウレンスの瞳が赤から黒へと戻る。
「ロウ……!」
 我知らず少年の名を呼ぶ。見知った、呼びなれた名前。
「……こしゃくな。もう……消えたと思っていたのに」
 吐き捨てるように言う。
 まばたきのあと、再びその瞳は血の色へとなる。
 その表情はくやしげだ。にくにくしげに自分の手のひらを見つめている。
 まるで、そこにもう一人の自分が見えるとでもいうように。

 と、そのとき床の一部が崩れた。リラの使った禁忌の魔法の影響だろう。城の壁も床ももろくなってしまったのだ。
「わたしはお前など必要としていない」
 少年はリラを見て言った。赤い瞳を向けて。
 だがその声は震えていた。まるで自分に言い聞かせるかのようだ。

 大きな音を立てて、広間が崩れ始めた。砂煙がもうもうとあがる。
 だが二人はにらみ合ったままだ。
「お前などいらない」
 一心拍の間のあと、ロウレンスは言い放つ。
 リラは手を伸ばしたままだ。じっと待っている。
「お前が私の邪魔をする唯一の存在ならば、お前を殺すまでよ」
 ひびの入った黒き剣を構え、リラに突きかかる。

 剣先が目の前にきてもリラは動かなかった。
 ただ、一言だけ、少年の名を呼んだ。
「ロウ!」
 そのとき、床がとうとう崩れ落ちリラたちは暗闇に落ちていった。

「リラさん!」
 ロウの瞳がもとの宵闇の色に戻った。黒色の瞳に。
 ロウはリラの腕をつかむ。
 崩れゆく城の中、ロウはもう一度叫んだ。
「リラさん、僕は君と一緒にいたい!」
 はっきりと言って、意思を持った瞳でリラを見つめた。

「……ロウ!」
 リラの目に涙があふれる。
「あたしも、あなたといたい。ずっと、いつも一緒にいたい!」
 そのとき、ひときわ大きいがれきが二人の頭上に降り注いだ。
 城は、ギステネア城は完全に崩れ落ちた。歪んだ王国が崩壊した瞬間だった。

 いつからここにいたのか。
 身体のあちこちが痛む。
 手を動かすと折り重なるようにして倒れた少年の身体に触れた。ロウだ。
「ロウ……! あなた大丈夫?」
「ん、……」
 目を開けた少年の目は赤だ。 
 二人はがれきの中にできた空洞の中にいた。
「お前か、一緒に落ちたな」
 ため息をつく。
 体勢を直すことすらできない。
「これでは剣をかまえることすらできないな」
「どうにかして出なくちゃよ。あたしたちがいるこの隙間だって、長くは持ちそうにないわよ」
 見れば、パラパラと乾いた音を立てて小さながれきの破片が落ちてきている。このままでは、二人がいる場所が埋まってしまうのも時間の問題だ。
「……最後に、この剣に一仕事してもらうか」
 少年はリラにいうでもなく独りごちて、剣を持つ手を少しだけ動かす。その手が動かせないことを知ると、あいているほうの手で、リラを抱くと、
「砕けろ」
 一言つぶやいた。
 
 瓦礫から抜け出した二人は肩を貸しあって歩く。二人とも砂ぼこりにまみれて、すりきずだらけだった。さいわい、大きな怪我は一つもしていない。
「言っておくが、わたしを消すことはできないぞ。わたしももう一人の少年もどちらもロウレンス・ラスト・ギステネアなのだよ」
「分かってるわ。今なら分かる。あんたのことも大切にしてあげる。安心しなさいよ」
「……面白い。お前は一緒にいてあきそうにない」
 赤目の少年はくつくつと笑う。
「あんたとロウ、同じことを言うのね。やっぱり同じなのね」
 リラは心底かんしんしたように言った。
「ともにいよう。リラ、お前とずっと一緒にいたい」
 ロウレンスの口にした言葉、それこそが禁じられた言葉、黒き剣の精霊との誓いを解くキーワードだった。もう、ロウも赤目の少年も、どちらかが消えることはない。
「疲れたからわたしは休む。あとは……もう一人のわたしに頼む」
 言いかけて、伏せかけた少年の目が赤から黒へと明度を落とす。そして、その閉じかけた瞳がリラをまっすぐにとらえた。
「リラさん……」
 ロウは微笑んだ。優しい、はにかむような笑いかた。ずっと見たいと思っていた笑み。それが目の前にあった。
 立ち止まり、見つめ合う。
 こうしてこんなに近くでロウを見るのはいく日ぶりだろうか。
 少年の腕に手をかけた。
(知らない間に、たくましくなっていたんだ)
 ぎゅっと抱きしめられる。苦しいくらいだ。
「ロウ……」
 リラはやおらその背に腕を回す。
 噛みしめるようにもう一度つぶやく。
「ロウ」
 彼がここに、自分の隣にいることを確認するように。
(ロウの匂いがする)
 そうしてしばらく抱き合っていた。離したくない。もうどこにも行かせたりなどしたくない。
 ロウはリラの気持ちをさっしたように、
「もう、どこにも行かないから。安心して。僕はずっとリラさんの隣にいる」
 困ったように言って、ロウは身体を離した。リラの手を取り指を絡める。あたたかい手。
「約束よ」
「うん」
 どちらともなく唇を合わせる。
 リラの手がロウの細い首すじにまわされる。優しく少年を抱きしめた。
「ごめんね、ずっと気づいてあげられなくて。ロウは一人じゃないんだよ」
 ロウが望んでいた言葉。リラはやっと気づいたのだ。
「あたし、あなたにずっと言いたかったの。あなたのことが好き。いつも一緒にいて苦しみも喜びも分け合いたい。今まではできなかった。でもこれからはそうしたい。ううん、そうする」
 じっとロウを見つめる。
 見つめ返され、いきなりぎゅっと抱きしめられた。息をするのも苦しいくらいに。
「僕こそ、リラさんをなんども悲しませてごめん。僕は、僕も君と一緒にいたい。リラさん、好きだよ。愛してる」
 二人の背後、東の空から太陽が昇る。

 見れば雪が全てを白く染め上げている。灰色の城も、町も、全てが白だった。

「お城は崩れちゃったけど、民はいる。僕は自分の罪をつぐなうためにもここに残らなくちゃいけない」
「うん、分かってるわ」
 リラはうなずく。
「あたしもお母さんのところに戻らなくちゃいけないわ。きちんと墓前に立ちたいから」
 二人のあいだに沈黙が流れる。

 先に口火を切ったのはロウだった。

「リラさん、ここに残ってよ。一度、東の大陸へ戻った後でいいから。僕と一緒に、この国に。僕は君にいてほしい」
 最後のほうは顔を赤くして、だが、はっきりと言った。リラをまっすぐに見て。
「ええ、もちろん。あなた一人をここに残していくのは心配だし、なによりあたしが寂しいもの」
 言って、リラは微笑み、ロウに抱きついた。
「僕は君といたほうが波乱万丈で楽しくていいんだ。リラさんは本当に破天荒だけどさ。一緒にいて疲れるけど、でもそんなところが好きだよ」
 呼ばれる声がして振り返ればスカッシュたちがこちらへ走ってくるところだった。アリアカンテの姿も見える。

 ロウがここにいる。それでリラはじゅうぶんだった。胸がいっぱいだった。ロウにかけられた同族殺しの呪いは解くことはできなかった。解けないのなら構わない。呪いとともに生きていけば良い。いつか赦される日がくるまでロウと、もう一人のロウとともに一緒に。
 明けない夜などない。
 曙光が二人を照らし出す。それは暖かい光だった。
「ずっと、ずっと一緒にいようね」
 手を握ったまま、二人はにっこりと微笑んだ。

 

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