竜帝国へ帰ってからのこと

 

「ボクの本当の名前を教えておこうと思いましてね」
 ふふ、と笑いソウは小首を傾げてみせた。金色の髪が肩からさらさらとこぼれ落ちる。
「本当の名前?」
 リラは驚いて声をあげた。
 本当の名前とはどういうことだろうか。ソウにはソウという名前がある。他に名前があったというのか。
「ええ、以前にもお話しましたよね」
 ソウは初めて会ったときにと付け加えた。
 言われてリラは思い出す。そういえばそのようなことを言っていた気もする。魔族は本当の名前を隠し、通り名を使うと。本当の名前を教えた相手には永遠に従属しなければならないのだと。
「え、ええ」
 彼の真意が分からずリラは眉をしかめた。

 リラは今、竜帝国に戻ってきていた。母親の墓前に立つためだ。そして帰りがけに世話になったスカッシュの父であるソウの家に立ち寄った。開口一番に言われた言葉がそれだった。

 コトリと、木の卓の上に湯気の立つお茶をおかれた。
「どうぞ、リラくん」
 竜帝国にいたころはいつもいれてくれた香草茶だ。なつかしい。
 この東の大陸にいたのはついこの前のことだというのに。
 杯に口をつけながらリラは思い返す。

「それで、どうしますか」
 ソウは問うた。
 本当の名前、どういう名前なのだろうか。単純に興味はある。
 だが、自分が聞いてよいのだろうか。その権利があるようにはリラは思えなかった。
「どうしてあたしなの?」
 逆に聞き返す。
 自分に教えたところでソウに得があるようには思えずしゃく然としない。
「リラくんだからですよ」
 にっこりと微笑み、ソウはリラの向かいの椅子に腰かけた。
「…………」
 あたしだから。
 それではさらに分からない。
「分かりませんか? もしかして、……気がついていませんでしたか?」
 意味ありげな視線をリラに投げかける。金色の瞳がほんの一瞬、真剣な眼差しに変わったのをリラは気づいた。
 知らなくてもいいことなのかもしれない。けれど自分に関係することなのかもしれない。
 のらりくらりと真意を避けてなかなか答えないソウは微笑んではいたが、本当に心の底から笑ってなどいない。いつもそうだったが。
 瞳を見たときにわざと遠回りしてでもリラに答えを当てさせようとしていることに気づいた。

「たいせつなこと?」
 なおも訊ねて食い下がる。
 ソウはもったいぶったようすで答えようとしない。
 もしかしたら、間違っているかもしれない。でもなんとなくは、と頭の片すみでは考えていた。
 リラは言葉を選ぶように続けた。
「それは、ソウちゃんがあたしのお母さんに本当の名前を教えていたから?」
 それを口にしたとき、ソウの表情が変わった。
「ええ。正解です」
 と満面の笑みでパチパチと拍手をした。
「ボクは長いあいだ、陛下をジャストークとともに丞相や四王から守護しておりました」
 ソウは一呼吸おいて、言葉を続けた。
「……あの方も亡くなった今、ボクがこの地にいる必要もなくなりました。ならば、あの方のたった一人の子どもであるリラくんにいつでも会えたらな、と思ったのです」
 ソウの瞳が少しだけ陰りを見せた。
「ここにいる必要はなくなりました。ですがこの人の世界にまだ未練があります。だからリラくんに契約してほしいのです。いつでも会えるように。今のボクは誰とも契約を交わしていない。人の世界で暇にしているのなら冥府にいる父に後を継げと呼び戻されるのは時間の問題です。ボクは冥府に帰りたくないのです。まだもう少しリラくんたちのこれからを見守っていきたい」

 自分の知らないことが次々に明かされるのを聞いてリラは頭が混乱しそうになった。
 推理は当たっていた。ソウは母を守っていてくれた。契約をより深くするために本当の名前を教えてまで、ずっと守っていてくれた。祖母テレジアが自分を守っていてくれたように、ソウも、母の行く末を案じていてくれたのだ。
 母は立場上さぞかし辛い思いをしてきただろう。だが、側にいて親身になってくれる者がいた。それを知ってリラは胸の奥が暖かくなるのを感じた。
「ありがとう、ソウちゃん。お母さんをずっと守っていてくれて」
「たった一人の愛娘が生きていたと知ったときの陛下の喜ぶ顔をボクは今でも覚えていますよ」
 ソウは微笑んだ。それは彼の本当の心からの笑みだとリラは気づいた。
 
 あ、と声をあげ、リラは手をぱんと打つ。
「でも、契約しなくても、本当の名前を教えなくても召還することはできるでしょう? 呪文さえ分かれば」
 契約、本当の名前、その言葉が引っかかりリラは問うた。事実、ラルクを呼び出すとき契約をしていなくとも召還は可能だった。ラルクの本当の名前も実のところ知らない。
「ボクの名前を知るということは、冥府の五大貴族をも操ると同じことですよ。最下層の主は闇の女神の神殿の門を守る最高位にいるのですから」
 理解できない単語が出てきたが、とにかく得だということを主張していることはなんとなくリラにも分かった。
「う……ん、でも……うーん」

 なおも渋っていると、ふいにぐいと手を引かれ、リラは木の卓の上に突っ伏した。
「い、いたた。ソウちゃん、なにす……」
「ボクの本当の名前はラルーム・ファレルといいます。呼び出すさいの呪文はこれ。はい」
 起き上がろうとした瞬間、ソウが耳元でささやいた。そして手に羊皮紙の巻き物を握らされる。
「な……ななな……」
 リラは一瞬のことで状況が飲み込めずわなないた。
 名前を強制的に教えられた。
「はい、ボクはこれでめでたく永久にリラくんにかしずくことと相成りました。今後ともよろしくお願いしますね、ご主人様……どこまでもお供しますよ。あ、契約はのちのちでかまいません。ゆっくりでも、時間はいくらでもありますし」
 にっと不敵に笑って、ソウはリラの両手を取るとぶんぶんと握手をしてきた。
「まあ本当の名前を教えるのって、契約したのも同然なんですけどね」
「な……こんな……」
 わざとだ。断っても教えるつもりだったに違いない。リラはまんまとはめられたというわけだ。
「さあ、ご主人様。まずは西の大陸へと、ギステネア王国へおつれしましょうか?」
 リラのあっけにとられた表情を面白そうに笑って、ソウは丁寧におじぎをしてみせた。

 リラはこれを西の大陸に帰ったら二人のロウにどう説明したものだろうかと頭を抱えるしかなかった。

 

 

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