第一話 秘密基地、ロッカーの向こう
「部費が、出ない!」
化学部副部長、二年の海老根翔子は机に勢いよく手をつき、うなだれた。
肩のところで切りそろえた黒髪に海老根の顔が隠れた。眼鏡の奥の瞳が暗い。
県立北高校の一階、化学室。
放課後の化学室は薄暗い。
そこで三人の白衣を着た少女たちが途方にくれていた。
「なぜですの?」
つややかな黒髪を長くのばした少女が、悲痛な声を上げた。
三年生の小林佳子だ。
「にゃははーん。美香ちゃん分かりまーす、生徒会のメンバーが途中からかわったからだと思いまーっす!」
ふわふわとした髪を二つに結わえた小柄な少女が、元気よく手を上げた。
海老根と同じく二年の吉崎美香だ。ニコニコと微笑んでいる。
そのときだ。化学室のドアが勢いよく開いた。
白衣の少女たち三人は弾かれたように振り向く。
「吉崎の言う通りだ、化学部の諸君。生徒会が何者かに乗っ取られた。今年度は部費が出ない」
化学部顧問の神久教諭だった。
「何者かって……、一体どういうことですの、先生?」
佳子は神久に食ってかかった。
「俺にも詳しいことはさっぱり分からん。ただ、今年の春から暗黒生徒会執行部と名乗る生徒たちに、生徒会が乗っ取られたらしい」
神久は低くうなった。
くしゃくしゃの白衣のポケットに手を突っ込んでいる。始終かけているサングラスに夕日が鈍く反射した。
「暗黒生徒会執行部……?」
海老根は眉をひそめる。
一体なんなのだろうか。教諭さえも正体をつかめない存在、暗黒生徒会執行部。
外では桜が静かに舞っている。校庭は夕日を受けてほのかに薄紅色だ。
確かに二年に進級して、海老根が化学部の副部長になってからというもの、生徒会長は姿を見せたことがない。
何度か、不在の部長の代わりに海老根が部長会議に出席をしたが、そのときも生徒会執行部は姿を見せなかった。
言われてみればおかしい。
普通はその手の大きな会議には、生徒会執行部は顔を見せるものなのだ。
「謎ですわね……」
佳子が低い声音で言った。
「部費が出ないと、研究ができない。研究ができないということは、部活動ができないということだ」
海老根はくやしげに両手を握る。手の平に赤いあとが残る。
「屈辱ですわね」
佳子が海老根の気持ちを代弁した。
「部費が出ないと、美香ちゃんも化学部も困るー」
美香も悲しげな、今にも泣き出しそうな顔をした。
化学部は部員が六人。そのうち二人が幽霊部員。ほとんど同好会の人数だが、学校創立以来、長く存続する部ということで一応『部』を名乗らせてもらっていた。
今年は新入部員が二人だけ仮入部したが、そのうち一人は仮入部一週間ですでに幽霊部員と化していた。実は部長も幽霊部員である。そのため、海老根たちは化学部存続のために気苦労が耐えない。
「ただでさえ、人数で苦労しているのに、部費が出ないなんていう横暴がまかり通っていいと思うのか!?」
海老根の肩が震える。怒りでだ。
「直談判したほうがいいと思いまーす!」
美香がにっと笑って腕まくりをする。
ケンカでもするつもりだろうか。
「他の部はどうなっているのかしら?」
「うちの部だけだ、部費が出ていないのは」
佳子の問いに、海老根がうなだれたまま小さく答える。
「……信じられないですわね。伝統ある化学部をバカにするにもほどがありますわ」
佳子が絶句する。
白衣の少女たちは押し黙ってしまった。
どうしてよいか分からずにいるのだ。
化学室はしんと静まり返る。
部費が出ないと、薬液も買えない。今年こそ買い換えようと思っていた欠けた三角フラスコも買えない。
非情にも授業で使う分と、化学部で使う分はきっちりわけられているのだ。
「ビーカーだって足りてないのに……。貧乏って、嫌だな」
海老根は肩を落としたまま呟く。眼鏡の奥の瞳が曇る。
「弱小部では直談判、無理ですわよね。ほとんど同好会ですし。今まで部費が出ていたことさえ奇跡ですもの」
佳子も海老根と同じくうつむき、唇をかむ。
「えー。直談判しようよー」
美香はほおをふくらませてむくれている。
「いや、直談判はいい案だと思うぞ。今こそ、我ら化学部の力を見せるときがきたのだ。さあ、行くぞ、我らが秘密基地へ」
神久はここぞとばかりに口を開くと、つかつかと部屋のすみのロッカーまで歩み寄り、勢いよく扉を開けた。
「な……」
海老根はわなないた。
「か、階段!?」
佳子も目を見開く。
「わあ……!」
美香も驚きの声を上げる。
なんと、ロッカーの扉の向こうには、地下へと続く暗い階段がのびていたのだった。
次回予告。
ロッカーの向こうにあった世界とは一体!?
行け、白衣の少女たちよ。化学の使者よ! 来週もチャンネル合せるのを忘れるな!
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