おまけの後日
「ねえ、フェッセンデン。海よ!」
アイラは靴を脱ぐとスカートの裾を持ち、水に足を浸した。
三歩進んだ後、そこで固まる。
「冷たいでしょう。無理をしないで戻っていらっしゃい」
波打ち際から声をかける。
フェッセンデンはなおも固まったままのアイラを見てくすくすと笑った。
二人は王都に程近い海岸に来ていた。
いくら春といえど、まだ水は凍るように冷たい。
アイラは震えながら砂浜に戻ってくると、目を細める。
海岸では一人の少女が、波を追いかけ無邪気に走りまわっている。シェラザードだ。
彼女は本物の人間のようだった。
「シェラは、心があるようには作られていないのに、まるで心があるようね。生きてるみたいだわ」
波に足を取られ転ぶと、シェラザードはびしょ濡れになったとアイラに向かって叫んだ。
「はるか遠い東の島国では……」
ふいにフェッセンデンが口を開く。
「人と触れ合うことによって、人形には魂が宿ると言われているそうです。命こそないけれど、物には魂が宿ると」
アイラは、フェッセンデンの横顔を見ていた。
それなら、フェッセンデンもそうなのではないのかと。
自分は感情のあるロボットを作り出したと思っていたけれど、本当は人と長く暮してきたことにより心を持ったのではないかと。
「私たちドールも、自分の手で触れ、目で見たデータを蓄積していくということは、人間と同じ『生きる』ということだと思うのです」
アイラは、それを黙って聞いていたが、真剣な顔をして「ええ」と頷いた。
「シェラは、それじゃ心があるのかもしれないわね」
自分の名前が呼ばれたことに気づいたのか、蜂蜜色の髪をした少女が駆けてきた。
「呼んだ、アイラ? シェラね、早くマスターのところに帰りたい」
アイラの前まで来ると、小首をかしげる。
綿菓子のような髪を揺らしてシェラザードは屈託なく笑った。
「ええ、わかったわ」
でもせっかく海に来たのにと未練がましそうに、寄せては帰る波を見つめる。
「また、夏に来ればよろしいでしょう?」
フェッセンデンはアイラの頭をぽんぽんと撫でた。
アイラは観念してしぶしぶ頷いた。
二人はシェラザードの主人の住む王都へ向かう途中だった。
王都が海に近いため、少し回り道をして海岸に寄ったのだ。
彼女の電子頭脳は無傷だった。
そのため、記憶回路以外のシステムを初期化した後、ボディを修復されたのだ。
「でも、これで約束は果たせましたね」
フェッセンデンは言ってにっこりと笑う。
アイラは海を見つめたまま頷いた。
「海って本当にフェッセンデンの目と同じ色をしていたのね」
海はどこまでも青く澄んでいて、彼の瞳の色を映したようだった。
二人はしばし静かな波音に耳を傾けた。
「アイラ」
名前を呼ばれてアイラはフェッセンデンの顔を見上げる。
「なあに?」
「これを」
アイラの左手をとると、彼女の薬指に青く光る石のついた指輪を嵌めた。
アイラは驚いて自分の指と、フェッセンデンの顔を何度も交互に見つめた。
「壊れてしまったと言っていたでしょう? 作ってみたのです。良かった、調度良いですね。私も自分のぶんを作ったのですよ」
ほら、と、フェッセンデンは自分の左手の薬指を見せた。そろいのものだった。
「嬉しい」
アイラはフェッセンデンにぎゅっと抱きつくと、はにかみながら微笑んだ。
新しい指輪は春の陽射しを受けてキラキラと輝いた。
「指輪は、持ち主の不幸を防ぐといいます。不幸を吸いとって壊れるそうです」
アイラは抱きついたままでクスクスと笑う。
「フェッセンデンは、迷信を信じるのね」
「おかしいですか」
フェッセンデンは困ったような表情をする。
「いいえ。私もその通りだと思うわ」
アイラは顔を上げた。
「私では人のようには幸せをあげることは出来ないかもしれませんが、……愛しています、アイラ」
言ってフェッセンデンはアイラを抱きしめる。
アイラの顔が朱に染まる。
「幸せって言うのはね、その人が幸せだって思ったら、それがその人の『幸せ』なの」
アイラは柔らかく微笑んだ。
「私は、キミといて幸せよ」
心からの笑みだった。
「でも、いつか私はしわくちゃのおばあちゃんになっちゃうわね」
アイラはそう言って苦笑する。
だが、フェッセンデンは静かに微笑んで首を横に振る。
「アイラならきっと可愛いおばあちゃんになりますよ」
アイラはその言葉に照れ笑った。
「アイラとフェッセンデン、仲良いね」
いきなり声をかけられ、二人は驚き横を見ると、シェラザードがすぐ隣でじっと二人を見ていた。
アイラとフェッセンデンは気まずそうに顔を赤くした。
「邪魔してごめんね。でも、シェラ、早く帰りたい」
シェラザードは二人の腕を引っ張る。
二人は顔を見あわせると、苦笑して砂浜を歩き出した。
焦ることはない。
まだ時間は有り余るほどにあるのだから。
ゆっくりと、お互いを知っていけばいい。
人と機械は別のもの。
お互いを完璧にわかりあうことは恐らくないだろうが、それでも手探りでいいからわかりあおうと努力をしていけば良いのだ。
その姿勢こそが絆そのものなのだから。
「シェラザードを送り届けるついでに、デルザーおじさまのお屋敷に寄っていきましょうよ」
アイラはフェッセンデンの手を握る。
「そうですね。元気でしょうか、伯爵は」
フェッセンデンはアイラの手を優しく握り返した。
「ラズや父さまにお土産も買って帰ろうね」
暖かい春の日の光が二人を照らしていた。
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