第10章
青の帽を被った人間が、幾人かの臣下を引き連れてアイラの研究室に入って来た。王国において上から二つ目の階級を意味するその帽子は、残念ながら白の混じった頭を隠す以外の役には立っておらず、苛立たしげに上等のマントを翻した。
「大臣、奇遇ですわね」
デルザー卿が大臣に向かって皮肉を言う。
大臣は彼の姿を見ると、喉の奥でくぐもった声を漏らした。
「これはデルザー伯爵、こんな所でお会いするとは……」
それだけやっと口にしたようだった。
だが、すぐにグロウラー博士とアイラの方に向き直る。
「この森まで来たのは他でもない。王国にある全ての機械が人間の管轄を離れた」
大臣は苛立ちを隠さない。落ちつかない様子で舌打ちをした後、再び口を開く。
「王都の科学者達に出来る事は全てやったが、まるで歯が立たん」
「どうなされたというのですかな?」
グロウラー博士が静かな口調で尋ね返す。
「あれが……マザーコンピュータが王都全体を爆破する爆弾を仕掛けたと言うのだ。王都から人を消すと。いつ爆発するとも分からん。民は全員避難した」
大臣の顔は悔しげだ。
「王も避難なされた」
聞き取れないほどの小さい声で、そう付け加えた。
研究室にいた人間が全員、言葉を失う。
その時。
背後の何十というコンピュータの電源が一斉に入った。
研究室に低い電子音が響く。
「なっ!」
アイラは振り返り驚愕する。
何十というディスプレイに、文字が独りでに浮かび上がったのだ。
<ハジメマシテ、アイラ博士>
アイラが名指しされる。
「わ、私?」
<ドールノ 設計ファイル アリガトウ。アレダケノ AIヲ ヨク 作リ出シマシタネ>
文字は次々に消えては浮かび、浮かんでは消えて行く。
「マザーコンピュータ、ね」
デルザー卿が忌々しげに呟く。
<ソシテ グロウラー博士ニモ 感謝シマス。良イ戦闘機械ガ 作レマシタ。人ヲ消スニ相応シイ>
それを見て、アイラは首を振る。
「私、そんな事の為にドールを作ったんじゃない!」
叫んで、己の身体をかき抱く。
「ドールは、人と一緒に生きて行く為に、人の友達になれるように作ったのに!」
隣にいたフェッセンデンがアイラの身体を支えるようにして抱きしめる。
<近イウチニ コノ国ヲ 本当ノ意味デノ 機械ジカケノ王国ニ シテミセマショウ>
それが最後だった。
ディスプレイの電源は落ち、研究室はまた静かになった。
デルザー卿とグロウラー博士がコンピュータに早足で駆け寄る。
しばらくして溜め息をつく。
「全部イカれちゃったみたいだわ。うんともすんとも言わない。人のうちのコンピュータ壊して帰ったみたいね」
お手上げだと伯爵は肩をすくめて見せる。
「……詳しく説明する手間が省けたな。これと同じような予告が王宮を始めとして各主要機関にも届いている」
「時間が無いのだったら、もっとはっきり仰って下さいな」
「――マザーを止めて欲しい。もうあなた方以外に、頼める相手がいないのだ」
大臣は青の帽を頭から取り、頭を深く下げた。
高慢な態度を崩さなかった大臣の見せる、精一杯の誠意だった。
「大臣、顔を上げて下さい。こちらも国どころか世界が消えては困りますから、出来うる事はいたしましょう」
グロウラー博士は大臣の前に進み出る。
「詳しく教えて下さい」
大臣はうなずいて、王都の様子を語り始めた。
「王都には今は誰もいない、無人だ。いるのはマザーコンピュータと機械のみだ。監視の機械がありすぎて、とても人では行けん」
研究室を見渡しながら大臣は続ける。
「ここにはコンピュータに詳しいロボット工学の第一人者がニ人もいる。藁をも掴む思いでここまで来た」
大臣の後ろに立っていた臣下が耳打ちをする。
「そのロボットに行かせれば良いのではないですか?」
大臣の顔が少しだけ晴れる。
「ああ、それもそうだな。人ではないのなら安心だ。犠牲がゼロに押さえられるという訳だ」
大臣は向き直るとグロウラー博士に言った。
「そのロボットを王都に行かせてくれないか? 壊れても他のものを作る金くらいは出そう」
その言葉にアイラが声を荒上げる。
「だめよ、だめ! だって、フェッセンデンには心があるのよ? 人と、同じだわ!」
アイラは必死だ。
「彼は嬉しければ笑うし、嫌な事があれば傷付く心を持ってるわ!」
フェッセンデンを守ろうと、必死になって訴える。
「所詮はプログラムされたものなんだろう? そのフェッセンデンとやらの心も」
大臣はこともなしにさらりと言う。
「違う! フェッセンデンは、違うの!」
「ラズ、アイラを部屋に連れて行きなさい」
グロウラー博士はラズに命令をした。
ラズは無言でうなずく。
「お嬢さま、こっちに……」
ラズに手を引かれても、アイラは激しく抵抗した。
しばらく、廊下に揉め合う声が響いていたがやがてそれも静かになる。
「すまないね、フェッセンデン。もう君以外に人の側に立つ機械はいない」
グロウラー博士は真っ直ぐにフェッセンデンを見る。博士の表情は何かに耐えるかのように苦痛に満ちている。
「やってくれるかね?」
博士だけではない。伯爵、大臣、侍従達、この部屋にいる全ての人間の視線が自分に集中するのをフェッセンデンは感じた。
フェッセンデンはその場でゆっくり踵を返し一同に背を向ける。非礼であるとは知りながら、そうせずにはいられなかった。
向きを変えた先にある窓は、奇しくも王都の方角に面している。森の木立を通して、その彼方にある王都の街並を、我知らず思い浮かべていた。
広場を中心とした街路に沿って軒を並べる家々。その一つひとつに、暖かい灯とベッドと食卓がある、いや、あった。そこで人は健やかにはぐくまれ、また自らも子を育てるのだろう。
だが、その取り戻すべきもののほんとうの尊さは、工房で成人として生を享けた自分にはついに理解する事が出来ない事柄かと思うと、自嘲に唇が歪むのが分かる。
しかし、ほんの一拍のあと、フェッセンデンは背筋を伸ばし、踵を鳴らして一同に向き直った。
「はい。私はマスターを守る為に生まれましたので。マザーコンピュータがマスターの世界を壊すと言うのなら」
宣言したあと、静かに呟いた。
「あくまで、マスターを守る為に」
誓いのように、胸に握った手を当てる。
研究室の扉がけたたましい音を立てて開く。
ラズだ。
「アイラお嬢様が外に! 申し訳ありません、お部屋へご案内差し上げる途中に手を振り切られました……!」
慌てふためいた様子で話す。
外は雪が降り始めていた。音もなく降り続いている。比較的高地にあるこの森は天気が変わりやすい。
吹雪になる可能性もある。
「マスター……!」
呟いて、フェッセンデンは走り出す。
一階に降り、玄関を出る。
案の定、吹雪き始めていた。風が強い。
消えかかった小さな足跡が屋敷の門を出て森に続いている。
目元に腕を翳す。吹き荒れ始めた雪に視界が悪い。
アイラがいつも行く場所。それはいつもエサをあげている野ウサギのいる、森を入ってすぐの大きな針葉樹のある所だ。
フェッセンデンは走った。
どうかそこにいますようとに願う。
「アイラ!」
果たして、アイラはそこにいた。コートも着ずに薄着のまま、木の下に座り込んでいる。
アイラは振り返らない。
「何のつもりです、こんな雪の中、死ぬ気ですか!」
フェッセンデンはアイラを抱え立たせる。
「帰りましょう」
アイラは首を横に振る。
「だって、フェッセンデンは死ぬ気なんでしょう? 王都になんて行かないで。死んじゃうわ!」
必死に訴える。
「行かないで、フェッセンデン!」
嫌だと、幼子のように縋りついた。そこに全てがあるとでもいうように。
全霊をかけて説得しようと試みる。
「お願いよ、どこにも行かないで! 私の傍にだけいて!」
フェッセンデン以外はどうでも良いと、激しくかぶりを振った。
フェッセンデンは、何も言えなかった。
目の前の少女を、彼女は以前からこういう少女だったろうかと、記憶を探る。いつも大人びた表情をしていた。冷静に、理性で物事を判断していた。
その彼女が取り乱している。他人の事で、それも機械である自分の為に。
「アイラ」
名を呼んで、手を引いて抱きしめた。
吹雪の中、そこだけに暖かい体温があった。
「私は、貴女が大切です。ただ、貴女を守りたいだけなのです」
雪がかかる頭を撫でる。
アイラはされるがままにしていた。
「必ず帰って来ます」
ニ人黙ったまま、月明かりを頼りに森の中を歩いていた。
雪は止んでいた。
繋いだ手から暖かさが伝わってくる。
フェッセンデンは振り返らずに言った。
「もう、雪の中を飛び出してはだめですよ」
フェッセンデンの声は低く厳しい。
「とても心配したのですよ」
アイラは驚く。
フェッセンデンが怒っているのだ。
「……ごめんなさい」
アイラは素直に謝った。
屋敷に着くと、ラズが血相を変えて出迎えた。熱い紅茶を用意して、乾いたタオルでアイラの髪を拭く。そのまま、シャワーを浴びるようにとアイラを連れて行ってしまった。
「フェッセンデン」
グロウラー博士だ。
「すまないね。君の事は本当の息子のように思っていたよ」
グロウラー博士はフェッセンデンの頭を優しく撫でた。
博士とて辛くない訳がない。自分の家族同然に扱って来たのだ、フェッセンデンを。
博士は、フェッセンデンを完成させた日の事を思い出していた。
3年間ずっと家族同然に扱って来た。博士にとって、フェッセンデンはただのドールではない。子供と同等なのだ。
フェッセンデンは、グロウラー博士の目を見る。その目は優しさと悲しみに満ちている。自分を心配する目。それは父親の目だった。
「はい、博士」
フェッセンデンはうなずいた。そして心の中で呟く。
生まれて来て良かったです、と。
フェッセンデンはアイラの自室へと足を向ける。
部屋に入り、机の上に置かれた写真立てに目をやる。微笑むアイラと自分の写真が置かれている。幾つもある写真は全てアイラと自分のものだ。
この笑顔を消したくないと思った。何より愛する少女を傷つけるものは許せなかった。
しばらくそうして写真を見ていると、アイラが戻って来た。
呆然とした様子だ。
「必ず戻って来ますから」
「あれを止められると言うの、本当に?」
アイラは真っ直ぐにフェッセンデンを見る。
「ええ、止めて見せます」
フェッセンデンは目を離さぬまま答えた。
「貴女に危険が迫っているのです。私はそれを見過ごす訳には行きません」
アイラは聞きたくないと首を振る。
フェッセンデンは苦笑して、突っ立ったままのアイラの手を引く。
「一緒に寝ましょう」
言って微笑んだ。
アイラは目を丸くする。
「でも、父さまが一緒に寝るのは良くないって言ってた。フェッセンデンを人と同じように扱いなさいって。結婚してない男女が一緒に寝るのは変だろうって」
「今夜は特別です」
フェッセンデンは笑ってアイラを抱き寄せた。
「難しい事は明日考えましょう」
アイラの耳にフェッセンデンの言葉が呪文のように流れ込んで来る。
フェッセンデンの身体は温かかった。
「うん」
導かれるままにアイラは目を閉じた。
そして、明日も明後日もずっと今までの様な穏やかな世界が続きますようにと願った。