第11章
「すみません、アイラ」
小さく呟き、静かに寝息を立てているアイラの額にキスをする。
彼女の細い指に、青く輝く指輪を見付けて、自分の左手にも嵌めてある青い指輪を見る。無くさないようにしなければと、しっかりと嵌め直した。
毛布を掛け直してやると、フェッセンデンは音を立てないように部屋を出た。
彼女は朝起きて自分がいないのを知ったら怒るだろうか。
フェッセンデンは胸が痛んだ。機械仕掛けの胸が締め付けられるように痛かった。
まだ夜中だ。
青白い満月の光が窓から入ってくる。
屋敷は静まり返っている。凍るように寒い廊下で動くものといえばフェッセンデンの影と、灯りの揺らめきのみだ。
途中、同じ階にあるグロウラー博士の部屋の前で立ち止まる。少しだけ開いたドアからは光りが漏れている。机に向かう、グロウラー博士の後ろ姿が見えた。
フェッセンデンは声を掛けず、その後ろ姿に無言で頭を下げると階段を降りた。
真っ直ぐ玄関に向かい、ドアに手を掛けた。
「あら、行くの?」
見ると、広間からデルザー卿が顔を出した。
フェッセンデンは軽く会釈をする。
デルザー卿はマントを羽織るとにっこりと微笑んだ。
「送って行くわよ」
「今夜は一段と冷えるわねぇ」
デルザー卿の白い息が、夜の冷たい空気に溶ける。
二人乗りの馬車で、フェッセンデンはデルザー卿の隣に座っていた。
「アタシね、王都ではグロウラーの代わりにドールのメンテナンスをやっているの。だから、何かあったらいらっしゃいね」
手綱を操りながら、前を向いたままで言う。
「はい」
フェッセンデンは短くうなずいた。
「あの子、アイラは小さいころから変に大人びていたのよ。ぜんぜん表情が変わらないし。何て言うのかしら、寂しいんでしょうけど、そう思う事さえ拒絶しているって感じかしら。科学者仲間からは『氷の少女科学者』なんて言われようだったみたいだし」
デルザー卿はそこで、いったん口を閉ざす。
昔を思い出しているのだろう。
「最初は可愛くない子供だと思ってたけど、だんだん打ち解けてくるとね、笑うのよ。可愛くてね。アタシ、自分の妹のように可愛がって来たのよ」
言ってフェッセンデンを見る。
「だから、無事に帰ってきなさいな……アイラを、泣かさないよう」
最後にフェッセンデンの目を見て言った。
「もちろん、そのつもりです」
フェッセンデンは空を見上げて応えた。
冬の澄んだ空気の中、星々が瞬いている。
馬車は森の中を走る。
「ここをね、少し歩くと王都よ」
街を二つ越え、また森を抜けた所で、馬車は止まった。
空は明るみ始め、紫色に染まり始めている。
高台になったそこからは王都全体が見えた。
『機械じかけの王国』という名に反して、王都は古き良き時代の佇まいを残していた。
昔ながらの煉瓦作りの建物が多い。
機械と古い時代の建物が調和する街、それが王都だ。
街の中心部には城と、その隣に銀色に輝く尖塔が見えた。その塔が、目指すマザーコンピュータのある塔だ。
「これ以上ついて行ってあげる事が出来なくて、悪いわね」
すまなさそうにする。
「でもね」
デルザー伯爵は言ってフェッセンデンに銀色に光る鍵を渡す。
「鍵……?」
「餞別よ。無事に帰ってくるように祈っているわ」
微笑み、ウインクをした。
「……ありがとうございます。マスターをよろしくお願いします」
もう一度礼をして、歩き出す。
デルザー卿はその後ろ姿が小さくなるまで見ていた。
その瞳は悲しげだ。
「人のエゴね……。ごめんなさいね、フェッセンデン君」
王都は音一つしなかった。
フェッセンデンは足を踏み入れる。
自分の足音以外は風の音と鳥達の声が響くばかり。
機械と、古き良き時代の建築物が見事に調和した町。
王の、景観を害するものは排除するという政策のもと、他の国々では当たり前に使われる自動車なども無い。
人がいない事に酷く違和感を覚える。
生活していた跡を残して、街が置き去りにされている。
よほど急いで避難したのだろう。扉が開いたままの店。家々では食事が途中のままになっている。
その時、重く鈍い金属の音が響いて来た。
近づいてくる。
フェッセンデンは建物の影に隠れた。
道の角から姿を表したものは、鉄の部品を剥き出しにした機械だった。見回り用のロボットだろう。人型ではなく、装甲車の形をしている。道の中心をゆっくりと走るそれは、フェッセンデンには気が付かず通り過ぎて行く。
彼はそれを見送ると先を急いだ。
フェッセンデンはこの王都に来るのは初めてだった。
だが、迷う事はない。
道はどれも真っ直ぐに都の中心へと伸びている。
銀の塔へ。
「フェッセンデンが出て行ったよ」
「本当に王都に行かれたというのですか!」
ラズはグロウラー博士の言葉に声を荒らげる。
朝、ラズは起きてすぐにグロウラー博士の部屋へと呼び出されていた。
「それじゃ、アイラお嬢さまは……」
グロウラー博士はパイプを燻らせながらうなずく。
その顔は悲痛に歪んでいる。
「ああ、かなり混乱している。今はついていてやってくれるかね」
「はい」
どんな顔をしてアイラに会えば良いのか。
ラズは手を握り締め、俯く。
<イラッシャイ 早ク。我ガ同胞ヨ。機械デアリナガラ 人ノ側ニ立ツモノヨ>
銀色に輝く尖塔の奥深く、人よりも大きなコンピュータが静かに電子音を上げている。
彼女の手は長い。
王国全土に張り巡らされた彼女の網は、獲物の動きを知り尽くしている。
<サア オ前ト オ前ノ主人ヲ消シテ 私ノ世界ヲ 完成サセマショウ>
笑うように電子音がさざめく。
己の牙で獲物を喰い殺す事を思い描いて。
蜘蛛の名を冠するマザーコンピュータ『アトラク=ナクア』の饗宴の始まりである。
塔には一見して入り口が無い。
だが一角だけ見張りらしきロボットが多い区域があった。
良く監視すると、何度も二体のロボットが往復を繰り返している。ドールほど人には似せられていないが、人型のものだ。
フェッセンデンはゆっくりと正面から近づいて行く。
ロボット二体が持っていた銃を構えた。
だが、それにはかまわず目の前までくると、フェッセンデンはそのまま通り過ぎようとする。
火花が散る。
次の瞬間、フェッセンデンの両腕が一体ずつロボットの胸部を貫通していた。
その両手には一つずつ、ロボットのコアが掴まれている。動力炉を失った二体は、そのまま音を立てて倒れた。
フェッセンデンは動かなくなったロボット二体を一瞥すると、壁に向かって手を翳す。
壁に、垂直の線が走っている。
入り口だ。
なんの凹凸も変化もない入り口に、良く目を凝らして見れば小さな鍵穴がある。
「この鍵か」
フェッセンデンは、デルザー卿から貰った銀色に光る鍵を取り出す。
鍵穴に差し込むと、カチリと小さな音が聞こえた。
入り口が音もなく開く。
フェッセンデンは躊躇う事なく塔の中に入って行った。
「朝になったら一緒に考えようって言ったのに、どうしてフェッセンデンは王都に行ってしまったりしたの?」
アイラは震える声で呟く。
「昨日ね、暖かくなったら一緒に海を見に行きましょうって約束したの。フェッセンデンの瞳の色と同じだから。なのに」
「フェッセンデン様は帰ってくると言っていらっしゃったんでしょう? 大丈夫ですよ」
ラズは懸命にアイラをなだめようとする。
だがアイラは首を横に振る。
「銀の塔は敵の侵入に対抗する為、あらゆる罠が仕掛けられているのよ」
アイラは続ける。
「マザーコンピュータは王国の要だから、乗っ取られたり壊されたりすれば自爆するように出来ているの」
その細い肩は震えている。
噛んだ唇からは血が滲んだ。
「そ、……んな」
ラズは言葉にならない声を漏らす。
それがどういう事か、ラズは理解した。
塔の中は静まり返っている。
どこにマザーコンピュータがいるのか。こういう時にどこに行けば良いか、彼は知っていた。
「監視室へ」
呟くと、真っ直ぐ伸びる廊下の一番突き当たりの部屋へと歩を進めた。
扉を開けると中は無人だった。人の座る為の椅子が、監視カメラのパネルモニタの前に並んでいる。どの椅子も倒れたり、不規則に散らばったりしている。慌てて塔から離れて行ったのだろう。部屋の中は見張りのロボットさえいない。
罠か、それとも誘っているのか。
考えを巡らせながらも監視室の壁に掛かる大きな地図を見上げる。
「地下二階か」
マザーコンピュータのある位置だけ確認すると、彼は監視室を後にした。
地下へ続くエレベータの前に来ると、人型のロボットに出くわした。メッキされた金属のボディが関節と触れ合い音を立てている。見回り用のロボットだ。
フェッセンデンは、見回り用のロボットが武器を構えるより速く相手の首に手を当てる。
首の中を通る電子頭脳とボディを直結するコードを切るつもりだ。
フェッセンデンは指をめり込ませて行く。
ロボットのボディが痙攣する。
だが 先ほどの入り口にいたロボットよりも装甲が硬い。
「くっ」
フェッセンデン自身にも痛みが無い訳ではない。
彼には痛覚があった。人の痛みを知る事が出来るようにと、グロウラー博士が付けたのだ。
指先の人工皮膚が剥がれて行く。太い紐が千切れる異様な音がして、コードが切れた。
見回り用のロボットはそれきり動かなくなった。
地下一階を何の障害もなく通りすぎ、エレベータは地下二階で止まる。
ドアが開くと、ゆらりと人影が目に入った。
「ドール……」
フェッセンデンは我知らず呟く。
マザーコンピュータが盗み出したファイルから複製したドールだ。人の形をそっくり真似て見ても、虚ろな目が語る。それは人形だと。
フェッセンデンはドールと対峙した。
ぎりぎりと、目の前の虚ろな人形を睨む。
無数のナイフがフェッセンデンの動きを止めようと飛んで来る。その内の幾付かが避けきれず彼の腕に、胸に突き刺さる。
人の形をしたボディ。
戦うには不向きな。
『あなたのその瞳が好きよ』
主人の声が耳に甦る。この世で唯一愛した人。
愛しい人が好きだと言ってくれたこの姿。
「傷を、よくも」
突き刺さったナイフをそのままに駆ける。ドールの頭部を抑え、傷への怒りごと壁に叩きつけた。乾いた金属音と共にドールの頭部が潰れる。
手に力を入れ、頭部を完全に破壊する。ドールは火花を散らしながら痙攣を起こし、停止した。
『フェッセンデン、好きよ。愛してるわ』
笑顔で自分を見つめる主人の顔が脳裏をよぎる。
「もし戻る事が出来たなら、もう一度アイラと……」
まるで空を仰ぐかのように天井を見上げ呟くと、走り出す。
マザーコンピュータを止める為に。
愛しい人の元ヘ一秒でも早く戻る為に。
曲がり角からドールがニ体出て来た。
人の形をしているけれど、生気の無い目。機械仕掛けの人形の目。
「私は違う」
走り出す。
もともと戦う為に作られた訳ではない。
それでも、セキリュティーシステムに頼らなくとも、愛する人を、愛する人のいる世界を守りたかった。アイラのいるこの世界が大好きだった。
すれ違いざま、ドールの胸に腕をめり込ませる。
火花が散った。
音を立てて引き抜く手、掴まれたコアは人の心臓に似ている。脈打つように赤く明滅して。
「さよなら」
フェッセンデンは哀しげ呟いてコアを持つ手に力を込めた。
今、破壊したドールの後ろにも、もう一体ドールがいた。
そのドール目掛けて走ろうとしたその時、風を切る音と共に後ろから何かが飛んでくる。いつの間に後方に回り込んだのか他のドールの持つムチがフェッセンデンの腕を捕らえたのだ。
「……っ!」
人の力では有り得ない凄まじい力でムチを引かれ、フェッセンデンの腕が鈍い悲鳴にも似た音を立てる。
バキバキと音を立ててフェッセンデンの右腕が根元からもぎ取られる。
火花が散り、青白いスパークが切断部分を舐めるように絡み付く。ボディを流れる赤い色のオイルが大量に撒き散らされた。まるで、鮮血のように。
腕よりも、心が痛んだ。人が言う心と言われる所が。
『優しい手。フェッセンデンの手は私に触れる時いつも優しいのね』
アイラが好きだと言ってくれた手。
片腕のまま戻ったらあの人は泣くだろうか。
そんな事を思いながら走り出し、残った左手で目前のドールの頭部へ手刀を振り下ろす。ドールの機械の部品が砕ける音を聞きながらその手に力を込める。せめて、一息に破壊してあげようと。
「マザー!」
フェッセンデンは声を張り上げる。
「見ているのでしょう? あなたが作ったドールが破壊されて行く様を。自分の生み出したものが壊される悲しみをあなたは知らないのでしょうね」
アイラなら。
あの人ならきっと泣くだろう。自分の事のように、壊れたドールを思って泣くのだろう。
それが人と機械の違いか。
フェッセンデンは自分が心を、感情を持って生まれた訳に気付き始めた。
主人が自分に心を植え付けた訳を。
「私はあなたを許さない。マザーコンピュータ!」
フェッセンデンは天井に設置されている監視カメラを睨む。
後ろから自分を羽交い締めにしようとして来た最後に残ったドールに肘打ちを食らわせ足払いを掛ける。
倒れた所をドールの急所、左胸のコアを目掛けて突く。バチバチと火花を散らしてドールは動きを止めた。
フェッセンデンはそのまま立ち上がらなかった。
悲しげに顔を歪ませ自分が破壊したドール達を見ていた。
何も思わない訳がない。自分と同じ、兄弟とも言えるドール達。それを自らの手で破壊して来たのだ。
「すみません……許して、下さい……」
言って立ち上がり歩き出す。片腕が無いとバランスが取り辛い。それでも止まる訳にはいかなかった。
もう、どこにも敵の気配は無かった。
突き当たりには重々しい鉄の扉があった。
フェッセンデンには分かった。
ここがマザーコンピュータの部屋。王国を破壊に導き、主人にシェラザードをけしかけ殺そうとした張本人がいる部屋。
その時。
扉が、招くように独りでに開いた。
軋んだ音が響く。
誘われている、と直感した。
だが、ここで止まってはいられない。
フェッセンデンは、その部屋の中に足を踏み入れた。
「はじめまして、マザーコンピュータ」
フェッセンデンは目の前にある機械の建物郡に皮肉めいた挨拶をして見せる。
<ヨク来タ 我ガ 同胞>
部屋全体から冷たく無機質な声が響く。
そこは、高い天井へ届かんとするほどに聳え立つ巨大なコンピュータが連なる部屋だった。中央にあるひときわ大きい機械がマザーコンピュータか。
歩き出す。
「あなたを破壊しに来ました」
低く静かな音を立てて動いていたコンピュータ郡が、けたたましく電子音をあげる。
あざ笑うかのように。
<オ前ハ 巣ニ入リコンダ 獲物ソノモノヨ。 人ノ側ニ立ツモノヨ オ前ヲ破壊シテ オ前ノ主人モ 消シテヤロウゾ>
それでも躊躇う事なく歩き続ける。マザーコンピュータに向かい、真っ直ぐに。
<ヨクモマア セッカク作ッタ ドールヲ 壊シテクレタ。ダガ 牙ハ 最後マデ 隠シテ オクモノヨ>
とうとうマザーコンピュータの目の前までやって来た。
ゆらりと影のようにマザーコンピュータの後ろからドールが二体現れる。二体は両手に銀の槍を持っている。
俯きながら歩き出したそれが、顔を上げた。
フェッセンデンの身体に戦慄が走った。
「マスター……」
アイラだ。
その隣にはグロウラー博士。
創造主の顔をした二体のドールは無表情に銀の槍を構える。
高々と掲げた槍を持つその目は虚ろだ。
フェッセンデンは、
「ぐっ」
何も出来なかった。それが、ドールだと分かっていても。
二本の槍が胸に突き立てられた。
十字の形に串刺しにされ、フェッセンデンは膝を付く。
青い海色の瞳にノイズが走る。暗く、視界が狭まって行く。
「あなたにも……仕える主人が……いたらよかったの……に」
全身傷付きながら、それでもマザーコンピュータを憐れむように見つめた。
<ダマレ>
細い雨のレーザーが天井から降り注ぐ。
フェッセンデンは動けなかった。
人口皮膚の焦げる匂いが辺り一面漂う。
「あなたをこのまま放っておく訳には……いかないのです」
ゆっくりと、震える手でマザーコンピュータに左手を伸ばす。
<コレ以上 近ヅクナ。モウ 消エルガイイ>
部屋中から響く電子声と共に、二体のドールは残ったもう一方の槍をフェッセンデンに突き刺した。
フェッセンデンの身体が痙攣した。服が赤黒いオイルに染まって行く。
フェッセンデンは自分のボディに突き刺さっている槍に触れた。力を振り絞り、身体に刺さった槍の四本のうち、一本を引き抜いた。
脈打つように赤いオイルが胸から溢れ出る。火花がフェッセンデンの身体を駆けた。
「次に、生まれてくる時は……良い主人と巡り合えると……いいですね」
フェッセンデンはマザーコンピュータにその槍を向ける。
もう、ボディのほとんどの回路がショートしている。
それでも。
マザーコンピュータの外装に槍を突き立てた。悲鳴を上げて動けないと警告するボディを無視して。
感覚のなくなって来た左手に最後の力を込める。
<ナニヲ スル!>
やっと手が入る穴を開けると、外装を素手でこじ開ける。
マザーコンピュータの電子頭脳を掴んだ。
<私ノ 電子頭脳ヲ 外シテ見ロ。コノ施設ガ 爆発スル仕組ニナッテイルゾ。オ前ハ二度ト 主人ノ元ニハ 戻レマイ。ソレデモイイノカ>
フェッセンデンはその言葉に薄く微笑む。
「主人を守るのが……私の役目ですから。元より私に死など存在しない」
躊躇いの無いように見えるその瞳の奥で、フェッセンデンは主人の事を思う。
アイラの未来の為に、自分が犠牲になる事くらい構わないと思っていた。
それなのにこうしてその時が来ると、愛しい人の姿が脳裏にちらついて離れない。
これが未練というものか。
(さようなら、アイラ。私の愛した人)
フェッセンデンは悲しげに微笑んだ。
(どうか、祈らせて下さい。あの人が一人で泣く夜がない事を)
その微笑みは誰に送られたものか。
<馬鹿メ。ヤメ……>
マザーコンピュータが全てを言い終わらぬうちに、フェッセンデンはマザーコンピュータの電子頭脳を引きずり出していた。耳障りな音を立てて配線が寸断されて行く。
最後の一本の配線が切れた時、フェッセンデンが、マザーコンピュータが、全てが光の弄流に飲み込まれていた。
大爆発だった。施設に幾つも配置されていた爆弾と、それと共に王都全体に仕掛けられた爆弾が同時に爆発を起こしたのだ。一瞬にして、王都の何もかもが光の中に消えた。
「フェッセンデン……?」
アイラは弾かれたように自分の左手を見る。突然、ピシと音がしたと思うと指輪の青い石にひびが入ったのだ。
いい知れぬ不安に襲われ立ち上がる。
屋敷からは王都は見えない。王国の辺境に位置するこの森から王都が見える訳がないのだ。
分かっていても窓から王都の方角を見やる。
「お願い、無事でいて」
アイラは祈るように両手を合わせる。
ふと空をみる。
王都の方角から白と黒の煙が上がっていた。
アイラは自分の両肩を抱き、小刻みに震える。
「あ……あ……。そんな……」
無人の王都で上がる煙。それが何を表しているか分からないはずがない。
アイラは意識を失い崩れ落ちる。
倒れる音を聞きつけてラズが部屋に飛び込んで来た。
ラズの叫ぶ声が、薄れかかる意識のなかで最後に耳に聞こえた。
それから幾日も過ぎてもフェッセンデンは戻って来なかった。
風の便りで王都がマザーコンピュータから解放された事をアイラは知った。マザーコンピュータは破壊されて王都に平和が戻ったと。
王都はコンピュータや機械に頼るのを止め、人の手で統制を執って行く事になった。『機械じかけの王国』はマザーコンピュータが破壊されたその日、事実上無くなったのだ。
『機械じかけの王国』の象徴でもあった、マザーコンピュータの置かれていた、銀に輝くあの塔はもう無かった。
そしてその跡地に新しく記念碑を建てた。犠牲になった人々の為、新しい王国の出発の為。
脅威が去り、全ての人々は明るく笑っていた。平和が戻ったと。
一人の少女を除いて。
アイラは爆炎の煙を見たあの日から一切の表情を表に出す事が無くなった。
グロウラー博士や、ラズがどんなに心を砕いてアイラを元気付けようとしても無駄だった。
「お嬢さま、大丈夫ですよ。必ず帰って来ますよ。絶対に!」
ラズは明るく笑って見せる。
無理矢理にも明るく振る舞おうとした。
お菓子を作ってみせたり、チェスをやろうと持ち掛けた。晴れた日は庭に出てみようとも。
だが、アイラは焦点の定まらぬ瞳で空を見つめるのみ。泣く事もなく、笑う事もなく。
何日もなんにちも過ぎ去ったある日、王都から使いの者がやって来た。
感謝状と勲章、そして小さな包みを持って。
「ご協力ありがとうございました。グロウラー博士、アイラ博士」
小さな箱を見て、今まで何の変化も無かったアイラの瞳が微かに揺れる。
「これは、こちらのロボットの部品でしょう。これしか見つかりませんでしたので」
箱を開けると、焼け焦げた小さな機械の部品と、ひびの入った指輪が入っていた。
「あ……あ……」
アイラは手を伸ばし、それを手に取った。動く事のない冷たい鉄の欠片を。青い石の付いた指輪を。
それはフェッセンデンの物だった。
優しかった手。優しかった笑顔。全てが消えてしまったのだ。この世から、もう、どこを探しても彼はいないのだ。
アイラは泣いた。生まれて初めて、声を上げて泣いた。
「フェッセ……デン。こん……な、ああ……」
彼女が初めて見せた涙だった。
「お嬢さま……」
グロウラー博士もラズも、どうやって声を掛けたら良いのか分からずにその場に立ち尽くすばかりだった。
アイラはいきなり立ち上がると、皆の制止を振り払い屋敷から飛び出した。久しぶりに出た外だった。日の光に目が眩む。だが走り出す。目指すのは森の外れの丘だ。そこからは晴れた日は王都が見えた。
走った事など今までほとんど無かったので、すぐに息が切れて苦しかった。それでも止まらなかった。森を抜ける途中、伸びた木々の枝が彼女の頬に傷を付けた。木の根に躓き転んでも立ち上がり走る。足も傷だらけになった。
なだらかな丘を走る速さを緩めず駆け上って行く。身体が悲鳴を上げて限界を知らせても止まらなかった。
一番上まで登りきると、アイラは肩で息をしながら王都の方角を見やる。薄青くけぶる遠い地平線に王都が見えた。小さい頃に見た銀色に光る塔はもう無かったが、そこが王都だとすぐに分かった。
手を伸ばしても届く事のない場所。そこでフェッセンデンがこの世から消えたのだ。
アイラは握り締めた手を開く。鈍色に光る機械の部品を手に、その場に座り込んだ。
風がアイラの頬を撫でる。風は暖かかった。見ると、どこにも雪は無い。地面は白から緑へと色を変え、風に草樹が揺れている。
春が来ていたのだ。
『春になったら、一緒に海を見に行きましょう』
フェッセンデンの言葉を思い出す。
「約束、そういえばしていたわね」
小さな部品を抱えるようにしてアイラはうずくまる。
頬を伝う涙が、銀色の機械の部品に落ちる。
「フェッセンデン……」
呟いて機械の部品に視線を落とす。
「一緒に、海を見に行こうね」
アイラは顔を上げた。
フェッセンデンの機械の一部を握り締めて。
優しい風に乗り、ふわりと良い香りがした。
花が辺り一面にほころび始めていた。