終章
「どこに行かれるんですか、お嬢さま!」
玄関を出ようとしていたアイラを見付け、必死の形相でラズはアイラの手を掴む。
「ちょっと、そこまで」
アイラは追って来たラズに笑顔を向ける。
何をそんなに慌てているの、小首を傾げて訊き返されたラズは、アイラを掴む手の力を緩めた。
ラズは、それ以上何も言えなかった。
放っておいてくれと、拒絶されたのだ。
「……お夕食までには帰って来て下さいね」
扉を閉めるアイラの後ろ姿に、ラズは呟いた。
ラズは、ぎゅっと唇を噛む。自分の力の無さに腹が立つ。自分では、彼女の力になれないのだ。
アイラは、あれから他人に本心を見せなくなった。
以前のように笑顔を見せるようにはなったけれども、その姿はどこか不自然だ。悲しいと、辛いと思う事を、それ以前に心が受け付けていないのだ。
アイラは無理に明るく振る舞っている。
周囲にはそんな彼女の姿が余計に痛々しく見えていた。
アイラは一日の大半を森の外れの丘で過ごしていた。何をする訳でもなく、王都を見ているのだ。
一筋、アイラの頬を涙が流れ落ちる。
「私、涙もろくなった……?」
アイラは一人ごちて、服の袖で涙を拭う。
「もう、泣かないって決めていたのに」
「ああ、グロウラー? 元気そうで何よりだわ」
デルザー卿は自分の屋敷から窓の外を見やる。
従者が四頭引きの馬車の用意をしていた。今日は天気も良く、最高の遠出日よりだ。
「ええ、そうなのよ。電話回線も復旧したって訳。ネットはなくなっちゃったし、連絡取れなくてごめんなさいね。……そう、頭部の内部装甲が第三層までやられていたから、その辺りはこっちで交換しておいたから」
電話を持つ手を換える。
話さなくてはならない用件はまだある。
しかし、窓の外から何やら従者が叫んでいる。用意が出来たのだろう。
「パーツが色々不足していたのよ。修復が遅くなって悪かったわね。ええ、パーツを落として来たみたいなのよ、彼」
デルザー卿は苦笑する。
「うちの屋敷? そうね、半壊という所かしら。悪運だけには自信があるのよ」
窓の外から叫ぶ従者の声が一層と大きくなる。
「ああ、もう用意が出来たみたいだから行くわね。今日中に着かせるわ。それじゃ」
電話を置くと、デルザー卿は窓を開け従者に叫び返す。
「今、そっちに行くから、すぐに馬車を出せるようにしておいて頂戴」
その馬車にはカーテンが引かれ、中を窺う事は出来ない。
デルザー卿は馬車の中の人物にも声を掛ける。
「あんたもよ、忘れ物無いわね?」
「旦那さま、お嬢さまがまた……」
ラズはグロウラー博士の元に、アイラの事を相談しに来ていた。
「お食事もほとんど食べていませんし。あたし、心配で……」
自室で机に向かっていたグロウラー博士は、ラズの後ろを訝しげに見やる。
「あーらあらあら、ラズちゃん。お、ひ、さっ!」
「ひゃあ!」
いきなり大音声で響き渡った声と共に、頭をぐりぐりと撫でられ、ラズはおかしな声を上げる。
おっかなびっくり振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべたデルザー卿が立っていた。彼女と目が合うと、茶目っ気たっぷりにウインクを投げ掛けてくる。
「あらぁ、アイラはいないの? せっかくこのアタシがプレゼントを持って来たっていうのに」
デルザー卿はオーバーに肩をすくめる。
「あ、あ……!」
ラズはデルザー卿の後ろに立っている人物を見ると驚き、そして微笑んだ。
「――お久しぶりです」
アイラはまだ丘に立っていた。
そうしてしばらく泣いていただろうか。
空は夕闇に包まれて行く。
今は目に入るもの全てが悲しいだけだった。
アイラは、もうどうでも良いと、そう思った。
フェッセンデンがいない世界に生きていても仕方がないと思った。愛する人は消えてしまったのだから。
その時、後ろで草を踏む音が聞こえた。
屋敷からの迎えだろうと、アイラは察した。毎日こうして暗くなるまで丘にいると、ラズが迎えに来るのだ。
アイラは振り返らない。
泣きはらした顔を見られるのが恥ずかしかった。それに帰るつもりもなかった。
背後の人物がすぐ後ろまで来て座る気配がした。そっと手が肩に置かれる。
「慰めだったら、いらないわ」
背後の人物は答えない。
アイラは王都の方角を見つめたまま、続ける。
「私、フェッセンデンが好きだった。とても好きだったの。あの人がいればそれで幸せだったの。……私の、全てだったのよ」
夜風がアイラの髪を梳く。銀の髪が揺れた。
「あの人にもっと好きだって言えば良かったわ。あの人が言ってくれたのと、同じくらい」
「ええ、その気持ちは今も変わっていません」
聞き覚えのある声に、アイラははっとする。
聞き慣れた声。
優しく、心に染み入る声。
いつも隣で聞いていた、大好きな声。
「帰るのが遅くなり、申し訳ありません。ボディの修理に時間が掛かってしまったのです……お許し下さい」
「フェッセンデン……?」
アイラは恐る恐る振り返る。
すぐ目の前に優しい笑顔があった。それは紛れもなくフェッセンデンだった。
「あ、ああ……」
アイラは震える手でフェッセンデンに触れる。
「フェッセンデン!」
アイラはフェッセンデンに抱き付いた。
彼女の腕が、彼の意外に逞しい背に回される。
アイラは涙をいっぱいに溜めた瞳でフェッセンデンを見上げ、花のように美しく微笑んだ。
「おかえりなさい」
フェッセンデンは優しくアイラの頬に触れる。
そして、どちらともなく、唇を合わせた。
とうとう堰を切ったアイラの涙をそっと拭い、彼はもう一度、アイラにキスをした。
「――ただいま」
END
INDEX BACK メール
Copyright (C) 2001 chika ryuyu All
rights reserved