第3章
「失礼します、マスター」
朝、フェッセンデンはいつものようにアイラの自室を訪れた。
アイラの様子がおかしい。
「マスター、どうしたのですか?」
返事が無い。目は閉じられたままだった。顔はほんのりと赤く、呼吸が早い。
フェッセンデンはアイラの額に触れた。
熱い。
「熱がある……」
彼は早足に部屋を出ていった。
「……?」
熱い額が冷やされて行く感覚に、アイラは薄く目を開けた。
冷たいタオルが額に乗せてある。気持ちが良い。
ベッドの脇のテーブルには水の入った洗面器が置いてあった。
「フェッセンデン、私……」
身体の節々が痛む。
「寝ていて下さい、熱があります。たぶん、風邪でしょう。今日は一日安静にしていて下さい、マスター」
フェッセンデンはアイラに毛布を掛け直しながら優しく言う。
「だめよ、今日が何の日か忘れたの? 寝てなんていられないわ」
アイラは起き上がろうとする。
「いけません、マスター」
フェッセンデンは慌ててアイラを止めようとした。
今日はこの屋敷で、アイラの父であるグロウラー博士と親しい学者仲間を呼んで開かれる、パーティーの日だったのだ。
アイラとグロウラー博士は皆に会えるこの日を楽しみにしていた。
パーティーは毎年行われ、この日ばかりは人嫌いのグロウラー博士も気心が知れた仲間の為に、屋敷の門を開いた。
庭の雪は取り払われ、美しく飾り付けがされる。伸び放題の木々達も綺麗に刈られる。
「楽しみにしていたのに……。よりにもよってこんな日に風邪を引くなんて」
アイラは悔しそうに、窓の外に目をやった。
風邪を引いた原因は分かっていた。昨日、使用人と一緒になって庭の雪かきをしたせいだ。
おかげで庭は久しぶりに土が覗いていたが。
使用人達は、アイラが手伝う事に「お嬢さまにやらせる訳にはいかない」と猛反対した。だが、アイラはそれを押し切って、いわば無理矢理に手伝いを始めてしまったのだ。よほどパーティーが楽しみだったのだろう。
「昨日、無理をなされたせいです。マスターは普段、部屋にばかりいらっしゃるから体力が無いのですよ」
フェッセンデンはからかうように笑う。
「し、仕方ないでしょう。もう、フェッセンデンったら!」
アイラはフェッセンデンを睨む。
「とにかく、私はパーティーには絶対に出席するわ。キミもよ、フェッセンデン」
「私も……ですか?」
フェッセンデンは驚いた顔をした。
「もちろんよ。去年のパーティーにはキミはメンテナンスで出られなかったでしょ? だから、今年はキミのお披露目パーティーなのよ。出ない訳にはいかないのよ」
アイラは熱で苦しいはずなのに、にっこりと笑う。
「マスター」
フェッセンデンは嬉しかった。
自分の為のパーティー。
そして、アイラが自分の為にこれほど躍起になってくれる事が。
「パーティーの途中で辛くなったら言って下さい。私がずっと傍にいますから」
フェッセンデンはアイラに向かって微笑んで見せた。
「ありがとう、フェッセンデン!」
パーティーの準備は滞りなく進んでいた。
アイラは前々からこれだと決めていたドレスを着るのに大忙しだった。
幾重にも布の重ねられた白いドレスだった。
「フェッセンデン、後ろのホック止めて」
背中に一生懸命に手を伸ばして悪戦苦闘していたアイラは、諦めてフェッセンデンを呼んだ。
「はい、マスター」
フェッセンデンはホックを止め終えると、曲がっていたリボンも直し整えた。
「終わりましたよ、マスター」
アイラはくるっと一回転して見せる。
ふわりとドレスが舞う。
アイラはすそを持ち上げて、ぺこりとお辞儀をした。
「どう、フェッセンデン?」
「綺麗ですよ。まるで妖精のようです」
まるで満開の白薔薇のようだ、とフェッセンデンは思った。
「フェッセンデンは、お世辞が上手ね」
アイラはふふっと笑う。
「本当にそう思ったのですよ、マスター」
フェッセンデンはお世辞を言った訳ではなかった。ただ、素直に思った事を告げただけだった。
――私の大切なお姫様。
騒ぎながらもやっと仕度が終わった時だった。使用人が二人を呼びに来た。
「お嬢様、フェッセンデン様、パーティーが始まりますよ」
「分かったわ、すぐに行く!」
アイラは振り返ると、元気良くうなずいた。
庭にはほとんどの客人達が集まっていた。
冬の静かだった庭は、明るい笑い声に包まれている。
アイラ達が大広間のバルコニーから庭に降りて行くと、一人の客人がそれに気が付いた。
「おや、アイラちゃんじゃないか。久しぶりだね、背が伸びたんじゃないかい」
ニコニコと笑顔で客人はアイラの頭を撫でる。
「お久しぶりです、ブランチ博士。お元気そうで何よりです」
アイラもそれに笑顔で挨拶を返す。
「おや?」
ブランチ博士は、アイラの後ろに控えていたフェッセンデンに気付いた。
「そちらは、……アイラちゃんの彼氏かい?」
小声で訊ねるブランチ博士。
「紹介しますわ。これが、私が父と共同開発した最初の自律型ロボット『ドール』、フェッセンデンです」
アイラに紹介されると、フェッセンデンは一歩前に進み出て、優雅にお辞儀をした。
「始めまして、ブランチ博士。フェッセンデンと申します」
フェッセンデンは微笑んで見せる。
「ほお、これがあの……。最初の自律型ロボット『ドール』には、今の汎用型ドールには無い機能が組まれているというが……」
ブランチ博士はしげしげとフェッセンデンを眺める。
「ええ、フェッセンデンには感情と心があります。現在のドールには無い機能です。市場に出す際に、やはり政府から不確かな物は危ないからと止められまして。感情と心があるドールは、このフェッセンデンのみです」
アイラは「残念ですけど」と苦笑いした。
アイラは政府の言葉を思い出す。
不確かな物は危ない。
政府はドールに対し、そう言った。
それならば、その不確かな感情と心を持つ人間が一番危ないのではないか。
アイラは自嘲した。
そして、不確かな物を作り出した私は何なのだろうかと。
だが、それを良い方向にもって行けたら――そう思っていた。
パーティーは順調に進んでいた。
フェッセンデンを初めて見た客人は、感嘆の眼差しで彼を見た。
美しい、世界で最初の『ドール』を目にする事が出来たのだから。
そして、市場に出回る他のロボットとは違う、彼の人間のような優しさと気遣いに驚きを隠し得なかった。
パーティーの中でアイラは気丈にも平静を装っていたが、見る者が見れば辛いであろう事が分かった。
それでもアイラは辛いとは一言も言わなかった。大事なパーティーだったのだ、彼女にとって。
自分の持ち得る全ての技術を費やして作り上げた、大切なフェッセンデン。
彼の主人として、パーティーを立派に完遂させる。その役目を果たしたかったのだ。
その思いだけがアイラを動かしていた。
「マスター!」
身体を支えられる。
「あ、フェッセンデン……?」
どうやらよろけてしまったらしい。
頭痛も酷くなる一方だ。
「熱が上がっています。これ以上は……」
額に手を当てられる。フェッセンデンの手は冷たく、ひんやりとして気持ちが良かった。
「大丈夫よ。最後まで出ていられるわ」
アイラは笑って見せる。
「まだ、お客様に全員挨拶が終わっていないの。だから」
ふらふらする身体をなんとか自力で支えながら、アイラはフェッセンデンの制止を振り切ると、小走りに走り出した。
その時だった。
アイラは転んでしまった。
熱のせいだろうか。
自分でも何も無い所で転ぶなんて、苦笑しながら起き上がろうとした。
しかし、起き上がる事が出来ない。
見ると、白いドレスが赤く染まっている。
「?」
肩に、腹部に、血が溢れ出していた。
触れてみる。
手にべっとりとついた自分の血を見ながら、一体どうしたのだろうとアイラは不思議に思った。て
痛みより先に熱の塊が身体の芯を駆け上がって来た。
突き刺さる痛み。
「ッ……!」
傷口を抱えるように、身体を折る。
ざわりと当たり一面、騒がしくなった。
「銃声だ! あっちからだ!」
「アイラお嬢様が撃たれた!」
近くで叫ぶ声が、なんだか遠くに聞こえた。
目の前が、ぼんやりと暗くなって行く。
ふと振り返ると、フェッセンデンがこちらに走ってくるのが見えた。
普段、見る事のない必死の形相がアイラは可笑しいと思った。
いつも、優しく微笑んでいるだけなのに、あんな必死な顔もするのね。
「フェッセンデン……」
優しい青年の名をうわ言のように呟きながら、アイラの意識は深く沈んでいった。