第6章

 

 シェラザードが完成した日の事をアイラは思い出す。これまで作って来たものの中でもひときわ美しいドールだった。淡い蜂蜜色の髪と透ける様な白い肌をした華奢な容姿をしていた。
目を閉じると、遠慮がちに微笑む物静かな彼女の姿が瞼の裏に浮かぶ。新しい主人の下ヘ買われて行く日、幸せになるのよと言うとお日様のように明るく笑ってうなずいたのを昨日の事のように思い出す。
「シェラザード……」
 ドールが人を殺す事は決してない。
「なのに、シェラザードは私を殺そうとした」
 考えても謎は深まるばかりで一向に解けない。
「彼女は主人との間に何かあったのかしら。それと、彼女の主人が今どうしているか調べる必要があるわね」
アイラは一人ごちて、窓の外を見やった。
今はフェッセンデンに任せてある電子頭脳の解析を待つしか方法はなかった。

アイラにはシェラザードの事の他にも悩み事があった。ラズの事だ。ラズがフェッセンデンを好きだと聞いてからここ数日間、イライラとしていた。
「どうしてイライラするの、私……?」
 心に巣食うモヤモヤとした感情にアイラは戸惑う。

 ラズは毎日のように無邪気にはしゃぎながら、フェッセンデンの事をアイラに話して聞かせた。挨拶を交わした事、目が合った事、色々な事を何かある度にアイラに報告した。
「アイラお嬢さま、フェッセンデン様はとてもお優しいのですね。あたしが荷物を運んでいたら、代わりに運んで下さったんですよ」
 頬を桜色に染めて嬉しそうに微笑む。それは恋する少女の顔だった。
アイラは他の誰かがフェッセンデンを好きになるなんて思ってもみなかった。自分の作ったドールが人に気に入られて嬉しいはずなのに、なぜか素直に賛同してあげられなかった。
「そう」
 無理に笑って見せようとしたがそれも出来ず、ラズの話の聞き役に回る事しか出来なかった。
 まるで自分の恋人の事を誇るかのように語るラズを見る度に、アイラは心の中にある負の感情がじわじわと大きくなって行くのを感じた。それはラズに対する感情だった。それの正体はまだアイラには分からない。
「フェッセンデン様の目はとても綺麗な色ですね。吸い込まれてしまいそうな色をしていますよね。見た事ないですけど、海ってああいう色をしているそうですね。優しくて、素敵で、大好きです、あたし」
 ラズは嬉々としてお喋りを続ける。恋する相手の事を想うかのように目を宙に漂わせると、うっとりと溜め息を吐いた。
 対してアイラは相槌さえ打てずに、硬い表情をして膝の上に握り締めた両拳を見つめていた。
 そんなアイラの様子にも気付かず、ラズはお喋りに夢中になっている。
(私……)
 アイラは負の感情の正体がだんだんと分かって来た。
(私、ラズが嫌い……? 憎いの?)
 どうしてそう思うのかは分からなかった。だが、ラズがフェッセンデンの事を好きだと言ってから嫌いだと思い始めた事だけは分かった。
(フェッセンデンを好きだというだけで、どうして私はラズを嫌いだと思うの?) 

 ラズが部屋を出て行くとアイラは何をする訳でもなく窓の外をぼうっと眺めていた。
その時、ドアを静かにノックする音がした。
「どうぞ」
「マスター、お飲み物をお入れしました」
ノックの主の正体はフェッセンデンだった。
 フェッセンデンは主人の大好きなマシュマロ入りのココアを差し出した。
「……ありがとう」
 受け取りながら、フェッセンデンと目が合う。
 青く澄んだ色の優しい目。
 アイラは胸が高鳴り、顔が熱くなるのを感じた。アイラは今まで感じた事もない感覚に驚く。
 その事に意識を取られタイミングが狂い、マグカップを受け取り損ね床に落としてしまった。
「あ!」
 マグカップは音を立てて転がり、中のココアが流れ落ち絨毯に染みを作る。
「マスター、大丈夫ですか?」
 フェッセンデンは慌ててタオルを差し出す。
「平気よ。ごめんね、フェッセンデン。せっかく入れてくれたのに」
 アイラはしょんぼりと俯いた。
「マスター、先ほどからどこかおかしいです。顔が赤いですし……、熱がおありになるのではないでしょうか?」
 フェッセンデンは心配そうにアイラの額に手をあてる。
(男の人の大きな手だ)
 アイラは脈が早くなるのを感じた。
「熱はないようですが、大人しく横になっていて下さい」
「ええ……」
 アイラは俯いたままうなずく。
 意識してしまい、まともにフェッセンデンの顔が見られなかった。

 フェッセンデンが部屋を出て行くと、アイラは息を吐いた。今まで一緒に部屋にいても意識する事は無かった。
 なのに、今日は違う。傍にいるだけで、心がざわめいた。胸が締め付けられるように苦しかった。
「これは一体どういう事なのかしら?」
 自分だけの、自分の為だけに存在するフェッセンデン。それが当たり前過ぎて、アイラは今まで気付かなかった。
 自分の気持ちに。
「だって、フェッセンデンは人間じゃないのに。機械なのに。私……」
 誰にも渡したくないと思った。
「こんな気持ち、初めてだわ」

 身体が快復してくると、アイラは何もしないでベッドの中にいる事に退屈を感じるようになった。
 寝室にはコンピュータの類は持ち込んでいなかった。それは日ごろプライベートと研究は別けておきたいと思っていたからだ。けじめをきっちりとつけるようにしていた。
 もうずいぶん長い間、コンピュータには触れていない。
アイラは途中になっていたプログラムの構築を思い出した。それに自分でシェラザードの事を調べておきたい。ネットに繋げれば何か情報が手に入るかもしれない。
 少しくらいならコンピュータを触っていてもいいかしら。
 アイラはそう思い、ベッドから降りて車椅子に座ると寝室を出た。携帯型の小型コンピュータを持ってこようと思ったのだ。そうすれば少しは退屈せずにすむ。
 冷えびえとする廊下に出てからアイラは後悔した。
「寒い。フェッセンデンかラズに取って来てもらえば良かった」
 かじかんだ手に息を当て、車椅子を自分で動かし、廊下の途中まで来た時だった。
 ふと廊下の角に目をやるとフェッセンデンの姿が目に入った。
「フェッセ……」
 呼び掛けて途中で止める。
 死角になっていた所にラズがいた。
 二人は楽しそうに喋っている。何を話しているのだろうか。この距離からでは会話は聞こえて来ない。
 ラズを見下ろすフェッセンデンは笑顔だった。普段は自分に向けられているはずのそれが他人に向けられている。自分以外の人間に。
 アイラは目の前がぐらぐらと揺れるのを感じた。二人が話しているのをもう見ていたくはなかった。
「フェッセンデン!」
 アイラは我知らず叫んでいた。
「マスター?」
 アイラの姿を見付けて、フェッセンデンが駆け寄ってくる。
「どうなさいました?」
 フェッセンデンは微笑んだ。
 同じ笑顔。ラズに見せた笑顔と同じだった。誰にでも同じように笑顔を向ける。微笑んでみせる。アイラの前だけでなく、誰にでも。
(そうプログラムしたのは私だわ)
 アイラはそう考えると気持ちが沈んだ。
 ふとフェッセンデンの後ろを見ると、ラズがニコリと笑って会釈をして場を離れて行くのが見えた。
 廊下にはアイラとフェッセンデンだけが残った。
 しばらくの沈黙の後、フェッセンデンが先に口を開いた。
「マスター、今日はどこかおかしいです。具合が悪いのではないですか。私は医療用ではありませんので詳しくは分かりません。ドクターに来て頂きましょうか?」
 フェッセンデンは心配そうにアイラの顔を覗き込む。
 アイラは心を見透かされたような気がして、下を向いたまま、顔を上げられなかった。
ラズとフェッセンデンが仲良さそうに話している所を見た時、アイラはラズが憎いと思った。自分の心の中にある負の感情に戸惑いながらも、それは消す事が出来ず心の中でくすぶっていた。初めて、他人を憎いと思ったのだ。自分では本当の理由も分からずに。
「私……、私……」
 何か言おうと口を開いても、言葉が続かなかった。口の中が乾いた感じがして、上手く喋れない。
「ともかく、お部屋に戻りましょう」
 フェッセンデンはまた微笑むと、アイラの乗る車椅子を押しはじめた。

「一体、どうしたというのですか、マスター」
 フェッセンデンは部屋に着くと、アイラの目線に合わせるように床に膝をつき、彼女の心を解きほぐすように優しく微笑んだ。
「私ね……」
 俯いていたアイラがポツリと言葉を口にした。
「私ね、ラズが嫌い。だって、フェッセンデンと話すから」
 その言葉にフェッセンデンはびっくりしたように目を丸くした。
「ラズさんには屋敷の決まり事をお教えして頂けです。それだけで嫌うのですか?」
 フェッセンデンはいつものアイラらしくないと驚きつつ、優しく答えた。
「だめ。フェッセンデンは私以外と喋っちゃ、だめなの。それに他の人に笑い掛けても嫌よ」
 言うとアイラはフェッセンデンに抱き付いた。その身体は震えていた。
「お願いよ……」
 こんなアイラは初めてだった。子供のように駄々をこねる彼女など見た事なかった。あくまで感情よりも理性を優先し、正確なコンピュータのように冷静に行動していた彼女。十五才という年齢に似合わずいつも大人びた表情をしていたアイラが、今は年齢よりも幼く見えた。
 フェッセンデンにとってアイラは尊敬すべき完璧な存在だった。完璧であると思っていたが、目の前にいるアイラは子供のようなわがままを言って自分を困らせる、一人のどこにでもいる少女だった。そして自分が完璧な彼女の虚像を作り上げていた事を思い知る。
 彼は苦笑し、アイラの頭にそっと手を乗せて優しく撫でた。流れる絹糸のような銀髪を指で梳く。サラサラと砂の零れ落ちるような微かな音が響く。アイラはされるがままにしていた。
「音がする。機械の音だわ」
 フェッセンデンの胸に顔を埋めたまま、アイラは目を閉じて耳を澄ます。彼の身体から聞こえてくる機械の部品の触れ合う小さな音は、低く静かにアイラの身体にも響いて来た。
「人の心臓の鼓動とは違いますが」
 フェッセンデンは自嘲するかのように薄く微笑む。
「気持ちの良い音だわ。私は好きよ」
 アイラはフェッセンデンの胸に耳を当てたまま答えた。規則正しくリズムを刻むその音は人の心臓の鼓動と同じだと思った。
「そうでしょうか」
 フェッセンデンは自信なげに目を伏せた。
 アイラはフェッセンデンの背に手を回し、それに答えるように腕に力を込めた。
「フェッセンデン、私ね、本当はとてもドキドキしているのよ。こうしていると、心臓が苦しくて死んでしまうと思うくらい」
 フェッセンデンは驚いたように身体を離し、アイラを心配そうに見た。
「死ぬなんて言わないで下さい、マスター。もう、ニ度とあんな思いはしたくないです」
「嫌だわ、フェッセンデンったら、死ぬっていうのは言葉の文よ」
 フェッセンデンの必死な姿に、アイラは表情を和らげてクスクスと笑う。
 だが、フェッセンデンはその表情を崩さず、アイラを真剣な面持ちで見つめ、口を開いた。
「マスター、私は機械ですから、死の概念はありません。死について知識として記憶するに過ぎませんでした。ですが私は貴女が銃で撃たれた時、とても恐かった。貴女を失ってしまうのかと思うと。あの時、初めて死を理解しました。私は、貴女が死ぬのは嫌です」
 フェッセンデンの真摯な表情にアイラは笑うのを止めた。
「ありがとう、フェッセンデン。私は死なないわ」
 アイラの言葉にフェッセンデンはやっと安心したような表情を見せた。
「ねえ、私がどうしてドキドキしているか分かる?」
 アイラはベッドに座り直すと、足元に視線を落としたままポツリと口を開く。
「……? どうしてでしょうか、私には分かりません」
 フェッセンデンは少し黙り込んで考えたが分からず、首を横に振る。
 アイラは顔を上げると真面目な顔をして言った。
「キミといるからよ」
「私といるからですか?」
 フェッセンデンは驚いて聞き返す。
「ええ。キミといるとドキドキして苦しくなるの。好きだからよ。……私、フェッセンデンが一緒にいないと嫌だから。フェッセンデンは私だけのものだから」
 顔を真っ赤にしてまた俯いてしまったアイラに、フェッセンデンは優しく笑い掛け、抱きしめた。
「私は永遠に貴女のものです。永遠にお傍にいます。ご安心下さい」
「信じて、いいの……?」
 アイラは消え入りそうな微かな声で訊ねる。
「もちろんです。好きです、マスター」
「フェッセンデン、……好きよ」
 アイラは消え入りそうな微かな声で呟き、目を閉じた。

 

BACK 次へ