第7章

 

 暦の上では立春を過ぎたが、王国の北に位置するこの森では冬の真っ只中だった。森は雪に閉ざされ、冬の間は町に出掛ける事も出来ない。その為この屋敷では、必要な食料や日用品は買い溜めて地下の倉庫に保存していた。

 傷も癒えて来たある日。
 アイラとラズは、日中は部屋から出て過ごすようになった。テラスにテーブルを持ち出して、そこでチェスをやる為だ。
 研究にはまだ復帰出来なくとも、広く寒い屋敷の中の暖かい場所を見付けてチェスなどのゲームをして過ごすのは楽しかった。
 アイラは駒を持つ手をふと止める。
「あのね、ラズ、お話があるの……」
 アイラは口篭もりながらも、それでもしっかりとラズを見据える。
 ラズに言っておかなければならない事がある。自分はフェッセンデンが好きだと。取らないで欲しいと。
「どうしたんですか、アイラお嬢さま?」
 ラズはいつものように屈託なく微笑む。
アイラはその笑みに多少尻ごみしつつも口を開く。
「フェッセンデンの事なんだけど」
 その言葉にラズの顔が明るくなる。
「何か新しい情報でも教えて下さるんですか?」
 ラズはアイラがフェッセンデンについて何か教えてくれるとでも思ったのだろう。身を乗り出してくる。
「フェッセンデン様はお菓子とかお食べになるでしょうか? あたし、クッキー焼いたんですけど。もちろんお嬢さまの分もありますよ」
 ラズは可愛くラッピングされた小さな包みを見せる。
「う……ん、フェッセンデンは食べられない事はないけど」
 フェッセンデンは人に限りなく似せて作られていた。食事をする事は出来るが、味覚と嗅覚はないから感想は期待する事が出来ないという事はラズを気遣い言わないでおいた。
「よかったぁ。昨日、徹夜で作ったんです」
 ラズはほっとしたように胸を撫で下ろす。
 アイラは俯き、チェス盤の隣にある自分の手を見ていた。固く握られた拳は緊張で微かに震えている。
「ラズ、違うの。あのね、私……、」
 アイラは顔を上げ、思いきって本題を切り出す。
「私もフェッセンデンを好きだから」
 ラズはその言葉に一瞬時が止まったかのように固まる。
 アイラは続ける。今言わなかったら二度と自分の本当の気持ちを言えなくなると思った。
「私は今までフェッセンデンの事を家族のように思ってた……でも、誰かにフェッセンデンを取られるのが嫌だと思う自分に気付いたの」
 尚も続くアイラの言葉を、ラズは黙って聞いていた。
「好きなのは家族としてじゃなくて、一人の男性としてだったの。今まで近くにいすぎて、私がどれだけフェッセンデンを好きなのか気付けずにいたのよ」
 胸の内を語る彼女は、きゅ、と服の裾を掴んだ。
「だから、だから……フェッセンデンを取らないで欲しいの……!」
 アイラは素直に自分の気持ちを口にする。
 それを聞いていたラズはしばらく表情もなく黙っていたが、ふっと微笑んだ。
「おめでとうございます。それじゃ、両思いなのですね」
「え……?」
 ラズの意外な反応にアイラは戸惑う好きではないと言ったではないか、そんな文句の一つも言われると思ったからだ。
「フェッセンデン様のお嬢さまを見る目はとてもお優しかった。私に笑い掛けるのと、お嬢さまに笑い掛けるとでは違いがある事に気付いていました。お嬢さまを愛しそうに見ていらしたのにも本当は気付いていたのです。フェッセンデン様はお嬢さまがお好きですよ、主人としてではなく一人の女性として」
 ラズはアイラにウインクをして見せる。
「そ、そうかしら」
 アイラはもごもごと言って、顔を朱に染める。
 フェッセンデンが誰にでも同じように笑い掛けると思ったのは間違いだったのだ。自分が特別だという事をアイラは知った。
 そして、ラズが祝福してくれて良かったと思った。
「それじゃ、チェスの続きをいたしましょう。……はい、チェックメイト」
 ラズは微笑んだ。
「ああ!」
 アイラは早々に王手を取られ頭を抱える。
 考え事をしながらのゲームだったので、手を誤ったのだ。
「もう一回しましょう。次は負けないわ」
 アイラは悔しそうに言った。
「言いですよ。幾らでも受けてたちます」
 ラズはおどけたように笑った。
ゲームをしている間、もともと明るかったラズがいつもより明るく見えた。
アイラはそれに気付いていたが、それは自分達を祝福してくれているからだと勝手にそう解釈していた。 
 ゲームを終え、アイラを部屋まで送り届けたラズは廊下で立ち止まりこっそり泣いた。
 自分がフェッセンデンを好きだった気持ちは嘘ではなかった。勝てないと分かっていても好きだった。人でないと分かっていても、手の届かぬ人だと分かっていても好きだったのだ。
 ラズは大きく深呼吸をする。
 胸はまだ痛むけど、思いっきり泣いたらアイラを応援する事が出来る。そう思った。

 アイラはフェッセンデンを探して庭を歩いていた。
 雪が降り積もっていたが歩けないというほどではない。
「どこにいるのかしら……」
 耳をすましても聞こえてくるのは森に住む小鳥の声ばかり。
 ふと胸に手をやったアイラは、ぬるりとした感覚に弾かれたように身体を見やる。
 べっとりとついた血。
「あ、ああ……」
 暖かい鮮血がとめどもなく胸から流れ出している。
 膝をつき胸をきつく押さえる。それでも指の間から心臓が脈打つのに合わせて血が流れ出した。
「嫌、また……ごほっ」
 口の中に鉄の味が広がる。
 血の気を失った顔を上げると、目の前に一人の女性が立っていた。
 蜂蜜色の髪の小柄なその女性はシェラザードだった。
 手にはライフルを持っている。その銃で自分を撃ったのだろう。
「シェラ……?」
 シェラザードは何も答えない。氷のように冷たい瞳で自分を見下ろすばかりだ。
 カチャリとトリガーを引く音がした。銃口が自分に向けられる。
「嫌、嫌ぁ! 助けて、フェッセンデンっ!」
 頭を振りながら叫んだ次の瞬間、目の前が真っ暗になった。
 アイラは一瞬自分が死後の世界にいるのかと思い、辺りを見回す。
 自分の部屋だった。
 ほの暗い月の光を頼りに時計を見ると短針は二時を指している。まだ真夜中だ。
「マスター!」
 声がして、いきなり眼前が明るくなる。
 眩しくて目が開けられずにいると苦しいくらい抱きしめられた。
「……フェッセンデン?」
「大丈夫です、もう誰にも貴女を傷付けさせたりしません。大丈夫です」
 呪文のように囁く声と抱きしめるその腕にアイラは身を委ねていた。
「また、夢を見たのですね」
 フェッセンデンはアイラの髪を優しく撫でる。
「ええ。シェラの夢。今日は胸を撃たれたわ」
 アイラは言って、苦笑する。
「もう大丈夫です。私もいます。警護の者ももっと増やしましょう」
 アイラはその言葉に小さくうなずいた。
 シェラザードの事件以来、彼女は悪夢に悩まされ続けていたのだ。
 昼間はどんなに平気に振る舞っていても、自分に何度も大丈夫だと言い聞かせても夜になると毎日のように夢を見るのだ。シェラザードに撃たれる夢を。
「……早く、解決するといいわね」
「そう、ですね……」
 アイラの言葉にフェッセンデンは重くうなずいた。

 事件の夜から一ヶ月ほど過ぎた朝の事だ。
 窓の外がキラキラと輝いている。凍った雪が風に舞っているのだ。
 雪深いこの森では見慣れたはずの光景だが、アイラは毎冬それを見るのが楽しみだった。宝石のように輝く雪の結晶。
 窓際でうっとりと見つめていると、いつもフェッセンデンに風邪を引くと注意されるのだった。
「マスター、王都が何やら騒がしいようですね」
 フェッセンデンは紅茶を差し出しながら言った。
「そうなの?」
 アイラはプログラムを組む手を休め、紅茶を受け取る。
 紅茶をすすりながら、片手でキーボードを叩く。ネットに接続して、王都にある新聞社にアクセスした。
 目に飛び込んできた記事にアイラは眉をひそめる。
「王都でコンピュータが暴走、機械が止まらず三人が死亡、七人が怪我。停止措置を全く受け付けず」
 フェッセンデンが後ろで記事を読み上げる。彼は続ける。
「軍のミサイル制御装置壊れる? 誤ってアリュール海に発射。ミリル島の島民五百人死亡」
「こんな事って」
 アイラは愕然とした。
 王都は全てを機械とコンピュータに頼っていた。生産、生活、政治、サービス、医療、軍事、全てだ。判断は全てコンピュータが下す。それに狂いはなかった。人々は安心して生きてこられた。自分の考えを放棄して。全てを任せて。コンピュータに管理された国。まさに『機械じかけの王国』だったのだ。
 王都の機械の全てを統べるのが王都の中心に位置するマザーコンピュータだった。
 国が持てる技術全てを費やして作り上げた世界最高のコンピュータ。
 そのマザーコンピュータが暴走したのだとすると、王都だけでなく、王国ごと壊滅する事になる。 

「まさかね……」
 アイラは嫌な予感を感じた。
「フェッセンデン、ここ一ヶ月に起こったコンピュータ関連の事故、全てを洗いざらい調べて」
 フェッセンデンに指示を下す。
「承知しました。マスター」
 フェッセンデンは主人に礼をした。

 調べて分かった。
 少しずつだか王国の機械がおかしくなっていた。
 何かが変だ。
 歯車が狂い始めていた。
「マスター、これは……」
 一ヶ月間で五〇〇件以上の機械による事故。王国の歴史の中、そんな事は一度だってなかった。マザーコンピュータの下す判断に狂いなどなかった。
 ――まさか、マザーコンピュータに異変が?
 しかし、そんな事が有り得るのだろうか。
「マスター」
 先ほどから黙り込んでいるアイラを心配してフェッセンデンが声を掛けて来た。
「これ、どう思う?」
 アイラは振り返ってフェッセンデンに問うた。
「信じられません。マザーコンピュータに狂いなど……。ですが、事実です、ありのままに受け止めるべきですね」
 フェッセンデンの表情も固い。
「そうね」
 アイラはディスプレイを眺めながら答える。
「アイラ、フェッセンデン、ちょっとこれを見ておくれ」
 扉を勢いよく開けて、アイラの父であるグロウラー博士が研究室に飛び込んで来た。
「シェラザードの電子頭脳にバグが発見されたのだよ」
 そう言って、二人の前に研究書の束を広げる。
「これは……、プログラムが書き換えられているの?」
 アイラは驚愕する。
「ドールのプログラムは書き換えられる事がないよう、五重のプロテクトで守られていた。それも最高級のやつだ。――けれども、何者かがそれを破って書き換えた……書き換えられた箇所が解らないような小細工までしてね」
 グロウラー博士はお手上げだと言う風に首を横に振る。
「これじゃ、調査を繰り返してもバグが発見出来ない訳ね。一体どういう事なの……?」
 アイラは悔しそうに爪を噛む。
「それも、書き換えてある内容の方が重要なのだよ」
 グロウラー博士は声のトーンを落とす。
「お前を殺すようにとプログラムされ換えているのだよ」
 アイラは声も出ない。
(私を殺すように……?)
「そんな、そんな事って!」
 それまで黙っていたフェッセンデンが机を両手で叩く。
「ドールは人間に危害を加えるようには作られていないはずです。それは第一条件です。なのにっ!」
 グロウラー博士はフェッセンデンの取り乱した姿を見て一瞬驚いた顔をしたが、静かに言った。
「事実なのだよ。原因を探らねばならない」

 

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