第8章

 

「蜘蛛が暴れだした、ですって?」
「はい」
 フェッセンデンの言葉に、アイラは眉をひそめる。

 アイラはフェッセンデンに、シェラザードのプログラムを改竄した犯人の割り出しをさせていた。
 アイラを殺そうとしたシェラザードは、プログラムを改竄されていた。
 外部から『悪魔の爪』と総称されるプログラムの挿入を行われていた。悪魔の爪は安全なファイルを装って侵入し、破壊活動、情報漏洩などのスパイ行為を行うようなソフトウェアである。
「変更部分が気付かれないように自己点検プログラムを真っ先に制圧したみたいね。凄腕だわ。私でも解析に苦労したとなると、普通の人に発見するのは無理ね」
 既存の悪魔の爪ならば発見は容易である。だがそれではドールのプロテクトを破る事は出来ない。つまり、シェラザードに潜りこんだ悪魔の爪は、ドール専門に開発された新種という事になる。アイラの腕をもってしてここまで解析が遅れたのも、悪魔の爪の存在に気が付く事が出来なかった事に起因する。
 結果、シェラザードの電子頭脳は高度な知識を持った相手に壊されたと言える。
「一体、誰が……?」
 アイラは一人ごちる。
「シェラザードの主は無事です。彼女の捜索願を出していました」
 フェッセンデンの報告に、アイラは息を吐くと椅子にもたれ掛かる。
「そう。シェラが私以外に誰も狙わなかった事が救いだわ」
 自嘲してアイラは目を閉じる。
 彼女はもう壊れてしまった。シェラザードの主には何と言ったら良いのだろう。そしてどんなに悲しむだろうか。
 自分で解決しなくてはならない。シェラザードの事も。
 しばらく考えを巡らせていたアイラは、身体を起こすとフェッセンデンに尋ねた。
「さっきの蜘蛛が暴れだした、というのは何?」
「はい。ハッカーのネットワーク通信局『海賊の砦』で騒がれていた噂です」
 フェッセンデンは資料を手渡しながら答える。
「蜘蛛、ね。もう少し、調べておいて」
 アイラは資料に目を通す。
「はい、マスター」
 フェッセンデンは微笑んで頭を下げた。
 蜘蛛、虫の名前。
 その言葉のみでは見当もつかない。
「それじゃよろしくね、フェッセンデン。私は父さまの所に行ってくるから」
 アイラは立ち上がると、フェッセンデンの背に声を掛け部屋を出ようとした。が、
「待って下さい、マスター!」
 フェッセンデンが声を掛け、それを止めた。
 彼の座っていた椅子が音を立てて倒れた。
「どうしたの、フェッセンデン?」
 アイラは驚いて振り返る。
「マスター、最後にホストコンピュータを点検したのはいつですか?」
 フェッセンデンの顔からは笑みが消えていた。
 アイラは顎に手を当てる。
「一ヶ月まえかしら? 怪我をして動けない間は全然触ってなかったから」
 フェッセンデンはアイラの手を引くと、ディスプレイの前に立たせた。
「これを見て下さい」
 管理情報がずらり並んだ画面を見せる。それを目で追っていたアイラの顔から血の気が失せた。
「……!」
 キーボードをもどかしげに打ち、新しい画面を立ち上げる。
「何、これ」
 アイラは苛立たしげに呟きながら、また新しい画面を立ち上げた。
 普段では有り得ない大量のデータ送信の跡が見受けられた。日付はアイラが怪我で臥せっていた日を指している。
 おかしい。
「この日、外部にこれほど大量のデータの送信を行った覚えはありません」
 フェッセンデンの言葉に相槌を打つ余裕もなく、アイラはディスプレイを睨んだ。
「ハッキングを受けた可能性があります」
 フェッセンデンが告げる。
「父さまを呼んで来て!」
 アイラは声を荒らげて叫ぶ。

 この屋敷のコンピュータは強固なファイアウォールを備えており、そう易々と侵入する事は不可能だった。
 事実、今まで不正侵入を許した事は無かった。

 震える指でキーボードを叩く。何度も間違えては舌打ちをしてやっとの事で目当てのディレクトリを開いた。
「無い」
 アイラは一言それだけ呟いた。
「何が無いんだね?」
 グロウラー博士は身を乗り出して尋ね返す。
「ドール製作関連ファイルが全て」
 蒼白な顔で父親を見返す。
「コピーされた上に、全て削除されてある」
 アイラは自分の顔を両手で覆う。
 大量のデータ送信はドール関連ファイルの送信の跡、つまり盗まれた事を指していた。
「どうしよう」
 アイラは、激しくかぶりを振る。
 その横で、グロウラー博士は「ほぉ」と感心した様な素振りを見せた。あの強固なファイアウォールを破った者がいるのかと。
 ファイルが見事に全て消されていた。
「クラックされたな」
 侵入した痕跡が一切残されていない。
 鮮やかな手口だ。
「アイラ、ファイルはきちんとバックアップを取ってある。大丈夫だ」
 グロウラー博士は娘の肩に手を乗せる。アイラの肩は細かく震えている。
「ファイルは〇と一の機械語だ。それに、逆アセンブルして人が読めるようにするにしても一億ステップ以上あるプログラム全体を解析するのは不可能に近い」
「でも、でもそれが出来てしまったら?」
「出来ないように祈るしかないな」
 その言葉は気休めでしかない。
 グロウラー博士は心の中で、解析は時間の問題だろうが、と呟く。
「フェッセンデン、侵入者のパケット情報を調べておくれ。どんな手口を持っているか分からん。侵入者を充分に泳がせよ」

 アイラはその日以来、研究室から離れなくなった。いつ侵入者が侵入してくるか分からないからだ。
 寝食も研究室で取るようになった。
「今日はコーヒーの方がいいわ」
 フェッセンデンが持って来たマシュマロ入りのココアを断わる。
「はい、マスター」
 アイラがコーヒーは苦手なの事を知っていた。たが、逆らう事は出来なかった。疲労が色濃く残りながら、なお必死な彼女の横顔をみると、何も言えなくなってしまったのだ。
 だが、
「アイラ」
 フェッセンデンは主人の名を呼ぶ。
 びくりとアイラの身体が震える。
「……名前で呼ばれたから、驚いたわ」
 照れたように視線を外したまま、振り向いた。
「あまり無理をなさらないで下さい。幾らでも私が代わりますから」
 フェッセンデンはアイラを背後から抱きしめる。
 アイラが身体を固くしたのが分かった。
「え、ええ」
 ふと、ふわりと良い香りをアイラは嗅いだ。
 肌が触れ合うほど近くにいると、フェッセンデンからは良い香りがする事にアイラは気付く。胸が高鳴るのを感じた。
「アイラはいつも一人で全てを抱え込んで無理をするから、私は心配なのです」
「き、気をつけるわ。あ、ありがとう、フェッセンデン」
 声を上ずらせながらたどたどしく答える。恥ずかしさに目を伏せた。どう反応して良いのか分からない。
「アイラ、こちらを向いて」
 振り向くと、額にキスをされた。
「あ……」
 アイラは顔を朱に染めた。身体の力が抜けて行く。
「アイラが無理をし過ぎないように、おまじないです」
 優しく微笑むともう一度アイラを抱きしめた。
 フェッセンデンが研究室から出て行くと、アイラは息を吐く。
 彼と一緒にいると胸が苦しくなり、それでも傍にいたいという感情に捕らわれる。
 深呼吸をした後、アイラは再びディスプレイに向かう。だが、なかなか思うようには作業に集中が出来ない。
 触れられた額が熱い。
 コツンとディスプレイに頭を付ける。無機質の冷たい感触が今は心地良い。こんな時に不謹慎だと思いながらも、頭を巡るのはフェッセンデンの事ばかりだった。

 二週間の間、コンピュータの中に蓄えられている一万にも上がるファイルに異常・実害が無いかを徹底的に調べ上げた。
 その結果、被害があったのはドール製作に関するファイルのみであった。
「よりによって、ドール製作に関するファイルを盗み出されるなんて」
 極秘中の極秘のファイルだ。
 幾ら機械語で作られていて人の目で読む事が出来ないファイルだとしても、高度な知識の持つ者ならば人が読めるように逆アセンブルが出来るかもしれない。
 アイラは唇を噛む。
 これは自分の失態だった。オンラインに繋がるコンピュータにファイルを置いた自分が悪いのだ。
 研究者にとってコンピュータはオープンな使いやすさが主眼であり、文具の一部の様な物だ。人によっては原稿用紙の代替であり、人によっては手紙の代わりほどの物であり、人によっては電卓の大きいほどの物としか思っていない。大切なファイルの入っている金庫という概念が無いのだ。
 それはアイラも例外ではなかった。
 どんなに強固なファイアウォールがあろうとも、その考え方が仇となり弱点となったのだ。

 アイラは侵入者の発信元を洗う事も忘れなかった。
 侵入者が残して行った唯一の手がかり、パケット情報を調べている最中だった。
 パケット情報とは、データの断片である『パケット』がどのような経路を辿って発信者から到達したかという痕跡の情報である。
 現時点での推測では、侵入者はメカニカルネットから侵入して来たと考えられた。
 この屋敷のコンピュータに侵入するルートは、メカニカルネットのみなのだ。
 メカニカルネットとは、王国防衛機構、王立研究所、各種研究施設そして、アイラの住む屋敷など最先端研究機関を結ぶコンピュータネットワークである。
 研究を行う上でネットワークにコンピュータを繋いでおく事は不可欠だった。
 共同研究開発を行う目的で構築されているメカニカルネットは、互いに研究者がコンピュータ上で開発状況を確認したり、意見を交換したりする為、いろいろ情報が詰め込まれているファイルを出来るだけ関連ユーザーはオープンに見られる仕組みになっていた。
 その為、メカニカルネットがハッカーに狙われ易いのは事実だった。
「絶対、見付けてやるわ」
 正体の掴めない、見えない敵を睨むかのようにディスプレイを睨む。
 その日はそれ以上の事は分からなった。
 侵入者は未だ次の不正侵入をして来ない。

 次の日、ラズが研究室を訪ねて来た。
 書類が散乱して足の踏み場も無い研究室を見てぎょっとしている。
 つま先立ちでアイラの所まで歩いてくると、空いている椅子に腰掛けた。
 手にはティーポットと手作りらしいクッキーを持っている。
 やはり書類がうずたかく積み重なる机に無理矢理スペースを作り、差し入れの紅茶とクッキーを並べた。
「アイラお嬢さま、少し息抜きをした方がいいですよ」
 目の下に隈を作っているアイラを見て、顔をしかめる。
「そうしたいのはやまやまだけど、そうもいかないのよ」
 クッキーを一口かじると、アイラはぐったりとした声で答えた。
 アイラは椅子に座ったまま伸びをした。肩が引き攣ったように痛んだ。
「ねえラズ、蜘蛛と聞いて何を連想する?」
 ふと、フェッセンデンが言っていた『蜘蛛が暴れだした』の謎を思い出し、思い付いたように尋ねてみた。
「そうです、ねぇ。糸、罠を張るとか、網とか、ネットとかでしょうか」
 顎に人差し指を添えて、ラズは答える。
 特に考えたものではなく、頭に思い付くままにさらりと言ったのだろう。
 だが、アイラはその答えを聞いて黙りこむ。
 難しく考えすぎて熱くなった頭に、冷水を掛けられた様な気分だった。
 何かが頭の隅に引っかかった。
 網、ネット。
 何かがちらりと見え隠れする。だが、まだ分からない。
「お嬢さま? あたし、変な事言っちゃいましたか?」
 フワフワとした茶色のおさげ髪を揺らして、首を傾げている。
 黙ってしまったアイラに、ラズは困ってしまったようだ。
「いいえ、ありがとう。助かったわ」
 アイラは心配いらないと微笑んで見せた。

「マスター、起きて下さい」
 肩を揺すられる。
 アイラは目を擦りながら、声の方向へ顔を向けた。
 いつの間にか寝てしまっていたらしい。
 夜中だというのにこうこうと灯りの付けられた部屋で、コンピュータが何十台と静かな機械音を響かせている。
「どうしたの?」
 フェッセンデンを見上げる。
 彼の顔にいつもの笑みはない。苦痛に耐えるかのように、俯いている。
「侵入者について、マスターの代わりに調べておりました。パケット情報の解析が終わりました。重大な事が分かりました」
 アイラは身体が強張るのを感じた。神託を聴くかのように、黙り生唾を飲んだ。
「マスター、この屋敷のコンピュータに入り込むにはメカニカルネットを使うしか方法はありませんね?」
 フェッセンデンは言おうか言うまいか悩むようにそこで息を吐く。
「ですが、あの日のパケット情報を調べてもメカニカルネットからのアクセスは一つもありませんでした」
 フェッセンデンは目を逸らす。
「それじゃ、一体どこから侵入者は入って来たというの?」
「マスター、この屋敷のコンピュータに正規のルートでアクセス出来るのはメカニカルネットと、もう一つありましたね?」
 フェッセンデンは顔を上げてアイラに問う。
 どのコンピュータへも無条件で入り込む事が出来るルートと人物。
 それは、
「マザーコンピュータが? まさか、そんな訳……」
 この『機械じかけの王国』を統べるマザーコンピュータだ。
 アイラは笑おうとする。だがフェッセンデンの真剣な表情は崩れない。
「ファイルがクラックされた日時にあうアクセスは一つのみです。それは王国、王都の中心部『銀の塔』からのアクセスでした」
 アイラはフェッセンデンの言おうとしている事が分からず、彼の顔を見つめた。その表情は読み取る事が出来ない。
 フェッセンデンは口を閉ざしたままだ。
 何秒かというほんの少しの間が、アイラには何時間にも感じられた。手のひらに汗がじっとりと滲む。
 フェッセンデンは、アイラの肩に手を置き、目線を合わせて来た。
 覚悟を決めたかのように、口を開く。
「マザーコンピュータに侵入された可能性があります」

 

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