第9章

 

 アイラがコンピュータの前から離れなくなってから三週間が過ぎた。
 ディスプレイの前で独り言を呟いてはキーボードをカタカタと打っている。
 フェッセンデンはそんなアイラの様子をしばし見ていた。彼女は心なしか痩せたように思えた。
 彼には心配している事が一つあった。
「マスター、傷を見せて下さいますか?」
 フェッセンデンは、主人の背に遠慮がちに言葉を掛ける。
「……傷?」
 アイラは訝しげに振り返った。
「撃たれた痕です。心配なのです、私には見せて下さらないから」
 フェッセンデンは真摯な目でアイラを見つめる。
「……銃傷の事、ね」
 言われてアイラは合点がいった。
 シェラザードに銃で撃たれた個所だ。銃傷の事を言われたのだ。 
 確かにどんなに心配されても今まで傷痕をフェッセンデンには見せなかった。肌を見せるのは抵抗があったし、傷痕など自分でも見たくなかったからだ。赤く引き攣れた銃傷は醜く、白い肌に傷痕として残った。
 アイラは言葉を詰まらせる。
「い、嫌よ。心配する事はないわ。平気よ」
 傷を見せる事は、肌を見せるという事だ。それには躊躇いがった。
「…………」
 フェッセンデンは、それを拒絶と受け取ったようだ。むっとした表情を一瞬見せると、アイラの細い手首を取る。
「マスター。少しよろしいですか」
 答えを待たずにアイラを自分の方に向かせ、身体に触れた。
「う、わわわ」
 慌てるアイラを無視して、上着のボタンに手を掛ける。
 何が起こっているのか分からないらしいアイラはフェッセンデンを見上げた。
 射竦められた小動物のように身体を強張らせている。
 フェッセンデンは一つ、二つと上から順にボタンを外して行く。
「だ、だめ」
 アイラはフェッセンデンを止めようと手を掴む。
 少女の力で止められる訳もない。抵抗は無駄に終わり全てのボタンを外された。下着と白い肌が露になり、はらりと上着が床に落ちる。
「アイラはこうでもしないと、見せてくれないでしょう?」
 微笑んで、アイラの細い肩を指でなぞる。
「フェッセンデン、な、何をするの?」
 精一杯の虚勢を張ろうと声を荒上げる。
 フェッセンデンの指がつっと、移動する。下着の上から鎖骨をなぞって行く。
「ふぇ……」
 アイラは泣きそうな表情をして、目を背けた。
 フェッセンデンは鳩尾に触れ、そのあと下腹に手を伸ばす。
 アイラはどうしたら良いか分からず、されるがままになっている。指が身体をなぞる度に身体が震えた。
「傷が、残りましたね」
 下着の上から透けて見える赤く引き攣れた傷痕で指を止める。
「……ええ」
 フェッセンデンの方へ顔を向けると、悲しげな表情が目には入った。長い睫毛は伏せられている。
 服を着ていれば分からない場所。鎖骨の下と下腹に傷痕があった。
「私がついていながら、貴女を危険に晒してしまった」
 フェッセンデンの形の良い眉が歪む。
 今までずっと悔いて来たのだろう。
 振り絞るようにフェッセンデンは吐露した。
 その彼の頬に、アイラはそっと手を添える。
「もう気にしないで、大丈夫だから。これは私が背負うものだから。残る傷なら勲章よ」
 そう言ってアイラは笑って見せた。
 アイラの笑みを見て、フェッセンデンは少しだけ表情を和らげた。
「まるで戦乙女のような事を仰る」
 フェッセンデンは苦笑して、アイラの手を引き寄せ抱きしめた。
 その時、ノックとともに扉が開く。
「あの、アイラお嬢さま。お夕食の仕度が……」
 入って来たのはラズだった。
 二人を交互に見やり、はっとした顔をした。
「あ、すみません!」
 ラズはアイラとフェッセンデンを見て、顔を赤らめて慌てて出て行ってしまった。
「……フェッセンデン、ラズが誤解したわよ」
「そうですね」
 フェッセンデンは身体を離し、アイラの膝に頭を乗せた。
「誤解を解くのが面倒だわ」
 アイラは足もとに落ちた上着を拾う。
「良いのではないのですか。解かなくとも」
 フェッセンデンはこの状況を面白がっているようだ。
「まぁ、キミは主人が困ってもいいと言うのね」
 アイラは上着を着終わると腰に手を当て、頬を膨らます。
「そんな事はありませんよ」
 フェッセンデンは苦笑しながらアイラの頭を撫でる。
「さあ、お夕食に行ってらっしゃい。私はここで待っていますから」
 子供のように怒るアイラを研究室から送り出す。
 実際、十五歳になったばかりの子供だ。今まで大人びた顔をしていたが、この頃は年相応になって来ている。
 心を許せる相手が出来たからであろう。

「私の可愛いお姫さま……」
 フェッセンデンはアイラの座っていた椅子に腰掛けると呟く。
 
 もしかして、自分はとんでもない所に出くわしてしまったのではないか。
 憶測がぐるぐると頭を回る。
 ラズが小走りに廊下を歩いていた時だ。
「きゃ」
 いきなり目の前が真っ暗になった。軽い衝撃を受け、ラズは尻餅をついた。
 目に星が飛ぶとはこの事か。目じりに涙がうっすらと浮かぶ。
「おや、大丈夫かね?」
 顔を上げるとグロウラー博士が立っていた。
 グロウラー博士は少し屈んで手を差し出した。差し出された手に掴まりラズは立ち上がる。
 夕食の時間だ。広間に向かう途中なのだろう。
「すみません、ぼうっとしてました」
「こっちこそすまなかったね」
 グロウラー博士は、ラズに笑顔を向けた。多少ぎこちない笑顔。人付き合いが苦手な博士の精一杯の笑みだろう。
 ラズは博士を嫌いではなかった。口数の少ない人だとは思ったが、目は優しかった。
「ちょうど良かった、君に用事を頼もうと思ってね。今日、急ぎで客人が来る。一部屋、用意しておいてくれるかな? 人手が足りなくてね」
「この季節にお客さまですか?」
 外は雪で一面覆われたこの寒い時期に誰が来るというのだろう。森から街へ通じる一本道は両端に寄せられた雪が人の背よりも高く積み上げられているというのに。
「ん、ああ。この前のパーティーにも来ていたのだがね。君はまだこの屋敷に来ていなかったから知らなくても当然だね。私の古い知人だよ」

 広間のシャンデリアの明かりが瞬いている。
 アイラは食事を取る手を休めて天上を見上げた。
「この頃、電気の調子がおかしいのね」
 水の入ったグラスを持って来たラズにアイラは尋ねる。
「あら、お気付きじゃなかったんですね。ちょっと前から電気の供給の調子がおかしくて、自家発電に切り替えたんですよ」
「……、そうなの」
 電気の供給を司るのはもちろんマザーコンピュータだ。生活までもがだんだんと危うくなって行くというのか。マザーコンピュータがおかしくなって来ていたのは認めざる得ない事実なのか。
 ラズが立ち去った後もアイラの手はなかなか動かなかった。

「旦那さま、用意が出来ましたよ。一体どなたがいらっしゃるんですか?」
 ラズは客室を整えると、グロウラー博士の部屋へ報告に来ていた。
「ああ。デルザーという男だよ。機械に詳しくてね、呼んである。王国の爵位を持っているが、ハッカーの権威でもあるから機導卿と仲間内には呼ばれているんだよ」
 ラズは驚いた様子だった。
「爵位を持っていらっしゃるんですか」
 ラズは訝しげに首を傾げる。
 ハッカーとは悪い事をする人の事を指すのではなかっただろうか。
 そんな人間が爵位を持っているのかと、疑問に思ったのだろう。
 グロウラー博士は愉快そうに目を細める。ラズの疑問に気付いたのだろう。
「ハッカーには良いハッカーと悪いハッカーがいてね。ハッカーは元々は技術を持つ者という意味なんだよ。破壊行為を行うものの方が有名になって悪い意味で取られる事が多いがね」
 ラズは真剣に耳を傾ける。
 グロウラー博士はラズにも分るように易しい言葉を選んで続ける。
「だから破壊行為を行うものをクラッカー、コンピュータに精通した技術者をハッカーと分けて呼ぶようにはなって来ているのだがね」
 ラズはうなずいた。
「その方は何時ごろいらっしゃるのですか?」
 そうラズがグロウラー博士に尋ねた時だった。
 後ろでドアをノックする音が聞こえ、扉が開いた。
「はぁい、お久しぶり。グロウラーは・か・せっ。雪道の中、馬車ぶっとばして来たわよ」
 部屋に入って来た男がバチッとウインクを二人に投げつけて来た。
「デルザー、よく来たね。大変だったろう?」
 グロウラー博士は友をねぎらった。
 その横で、ラズはじりじりと後ずさりをした。
「お、男の方ですよね?」
 小声でグロウラー博士に尋ねている。
「ああ、ちょっと変わった所もあるがね」
 その返事にラズはちょっとじゃないと心の中で叫んだ。
「あらあらあら!」
 デルザー卿はラズと目が合うと、小走りに駆け寄ってくる。
「可愛いわねェ、この前来たときはいなかった気がするんだけど、新しく入ったお手伝いさん?」
 いきなり頭を撫でられてラズは呆気にとられている。
 デルザー卿は三〇代の前半だろうか。白銀の柔らかな長い髪を一つに結え、くだけた口調とは裏腹に目には深い知性を湛えていた。
 貴族の服装らしい、下衿や袖に刺繍を施した豪奢な服を着ている。
「デルザーおじさま!」
 ドアが音を立てて勢いよく開き、アイラが駆け込んで来た。笑顔でそのままデルザー卿に抱き付く。
 その後ろには、むっとした表情のフェッセンデンが立っている。
「傷、良くなったのね。一時は心配したのよ」
 愛しそうにアイラの頭をデルザー卿は撫でた。
 アイラの後ろにいるフェッセンデンに気付き、デルザー卿は笑顔を投げ掛けた。
 だがフェッセンデンはそれに応えない。
「この前のパーティーでは話しそびれちゃったわね、フェッセンデン君。まあ、そんな顔をしないで。あなたのご主人さまを取ろうって訳じゃないんだから」
 デルザー卿は苦笑してアイラを離した。
「さあ、コンピュータのある研究室に案内して頂戴な。時間は無いわ」

 研究室に着くなりデルザー卿はビシッと人差し指を立てる。
「手紙を読んでだいたいの事は知っているわ」
 皆がデルザー卿に注目した。
「単刀直入に言うわ。パケットに銀の塔からのアクセス記録が残っていたと言ったわね。あれは戦線布告よ、マザーコンピュータ『アトラク=ナクア』からのね。じゃないとあんな跡つけて行くものですか」
 銀の塔。それは王国中心部に位置し、マザーコンピュータのある塔。『機械じかけの王国』の象徴だ。
 この王国全てを管理する、事実上、王より位の高い存在。
「アトラク、ナクア?」
 ラズが疑問の声を上げる。
 デルザー卿は「良い質問ね」と微笑う。
「アトラク=ナクアっていうのはマザーコンピュータの名前よ。コード名ね。古い時代の神話の中に登場する蜘蛛の女王から取って付けたのよ」
 アイラがはっとしたようにフェッセンデンを見た。
「蜘蛛が暴れだしたって、この事だったのね」 
 フェッセンデンは無言でうなずいた。
「これがなんだか分かるかしら?」
 デルザー卿は紙束を取り出す。そしてにやりとアイラを見る。
「六日、今日は天気も良いので屋敷を抜け出して森で野ウサギにエサをあげた。フェッセンデンに見つかってとても怒られた」
 アイラの顔色が青く変わるが、デルザー卿は続ける。
「七日、今日は色々な事があった。ここには書けないような事ばかりだ」
 今度はアイラの顔が耳まで赤くなる。
「だ、だめ。おじさま!」
 アイラはデルザー卿の腕から紙束を取ろうと飛び跳ねる。
「そう、あなたのコンピュータに侵入して盗み出した日記。高度な技術をもつ者ならね、侵入した形跡を残さず盗む事だって出来るのよ」
 アイラはやっとの思いで日記の束を取り返し、俯いて赤くなっている。
「ごめんなさいね、ちょっと読んじゃったわ」
 アイラに向かってデルザー卿はウインクをする。
「うう」
 アイラの隣でフェッセンデンが意味有り気にクスクスと笑った。
「アイラ、あなたは唯一マザーコンピュータが恐れている存在でしょうね」
「私が?」
 アイラは顔を上げる。
「そうよ。マザーコンピュータの管轄下にいない機械を作り出したのだからね。自律型ロボット『ドール』は、機械でありながらマザーコンピュータの影響を受けない」
「あ、だから!」
 後ろでポンとラズが手を打った。
「お嬢さまのお作りになったドール関連資料を盗んだっていうのは、性能の良いロボットの仕組みを調べて、自分も作ってしまおうと思ったから、ですか?」
 その後、口出ししてしまった事を後悔するかのように小さく声を上げた。
「そうよ、ご名答」
 またもやデルザー卿はラズの頭を撫でる。
 ラズは顔を赤くした。
「一体一体のプログラムを改竄して行くより手っ取り早いでしょうね。見た所シェラザードはネットに接続中に『悪魔の爪』の侵入を受けたみたいだけど、全部のドールがネットに繋がれているとも思えないし」
 アイラはフェッセンデンの顔を心配そうに見る。
「キミ、ネットによく繋がっているわよね?」
 フェッセンデンは苦笑する。
「接続といっても私の場合は、自分の手でコンピュータを操作しているだけですから。シェラザードは首の後ろにある電子頭脳へのコネクタに直接、コンピュータのケーブルを繋げていたのでしょう。そちらの方が私達ドールには効率が良いですから」
「そう、良かったわ。キミに殺されるのは嫌ですもの」
 アイラは胸を撫で下ろした。
「ドールは複製されるわね」
 ふふと、デルザー卿は口の端を上げる。
「でも、感情理論のファイルは盗まれていないわ」
 アイラは反論するかのように声を上げる。
「マザーコンピュータは機械よ。機械の人形に感情なんて必要ないと思ったんでしょうね」
 続けて、失礼、とフェッセンデン向かって言った。
 フェッセンデンは何も言わない。
「私は……、私は感情がいらないなんて思わない」
 アイラは目を伏せて呟く。
 手が震えている。
「マスター、私はいいのです」
 そっと、その手をフェッセンデンの大きな手が包む。
 それでもアイラは悔しげに唇を噛む。
 心がいらないものなど、あるのだろうか。
 機械が、心を持ってはいけないのか。
 人だけの特権だというのだろうか。
「知っていて、アイラ? 王都は酷いものよ。機械とコンピュータの不動作で日常生活さえも困難になっているわ。沢山の人が王都を抜け出している。残っているのは地位を守ろうとする一部の階級貴族と、王族よ」
 その時、玄関の方が騒がしくなった。ドンドンと玄関の戸を叩く音が二階にある研究室にまで響いてくる。
 使用人達が対応に出ているようだが、一向に喧騒は収まらない。
「あたし、行って来ます」
 ラズは言って駆け出した。
 一階はまだ騒がしい。
「王都から、王宮からの使いの方が見えました。大臣です!」
 血相を変えてラズが戻って来た。肩で息をしている。
 ざわりと空気が揺れた。

 

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