FF8世界の住人はお喋りが大好きだ。例えば、
※引用
こんな他愛もないことを言うエキストラにもう1度話しかけてみよう。すると、
※引用
さっきとは別の発言をする。さらに話しかけると、
※引用
話の続きが聞ける。
FF8にはこのように、繰り返し尋ねると色々なことを喋ってくれるエキストラが意外にたくさん存在する。もし、エキストラとの会話を楽しみたければ、台詞が繰り返しになるまで同じエキストラに話しかけてみよう。
FF8の主人公は学生。
仲間たちも同世代。そのため、だから物事の考えかたや捉えかたに偏りが出てくる。主人公たちと立場や境遇の違う人間が自分たちの住む社会や一連の大事件をどのように受け止めているのか知りたければエキストラの言葉に耳を傾けるといい。
例えば、軍事関係に疎い一般人は
SeeDのことをどのように捉えているのだろう?
※老婆の発言
※あとで書く
※
スコールたち
SeeD候補以外の
バラムガーデン生徒の感覚
様々な人間の発言が
FF8の世界に厚みを与えてくれる。
よくFFシリーズは映画や小説に近い
RPGだと言われる。確かに映画を意識した演出手法が盛んに取り入れられているが、FFシリーズは決して映画ではない。
- RPGにあって映画にないもの。それはプレイヤーが自分の手で情報を集める過程。
- 昔のRPGでは、次の目的地や謎解きの答えを知るために情報収集は必須だった。
- 最近のFFには、それほど難しい謎解きはないし、次の目的地は話の流れで分かる。
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では最近のFFでは情報収集なんて必要ないのか? そんなことはない。例えば、下記の発言は情報収集しなければ得られない。
※カーウェイが語るティンバー併合の理由
※アーヴァインのバトル野郎発言
カーウェイはなぜデリングの覇権主義を支え続けたのか。
アーヴァインはドドンナ失脚後もどうして
スコールたちと旅を続けているのか。寄り道して情報収集に勤しめば各人の裏の事情や本音を知ることができる。
FF8は、
システム面 | 頑張って探し回ったプレイヤーにはレアな魔法やG.F.の御褒美。 |
シナリオ面 | 頑張って探し回ったプレイヤーには興味深い情報の御褒美。 |
システムとシナリオの両面において一貫した姿勢を採用しているわけだ。
- 育成や収集に興味がないプレイヤーは魔法やG.F.集めを頑張る必要はない
- 各人の行動の背景に興味がないプレイヤーは情報収集に力を入れる必要もない
- 気になるプレイヤーだけが探せばいいという自由方針
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こんな構成になっていると思えば分かり易いかも。
FF8のシナリオは、
こういう
二重構成になっており、
メイン | 本編でしっかり描かれる |
サブ | 本編以外の部分で描かれたり示唆されたりしている |
このように差別化されている。
例えば、
- スコールはアーヴァインが一緒に戦いの旅を続ける動機なんて興味ないので本編で描かれない。
- その代わり、スコールに代わって真実を知りたいプレイヤーのために隠しイベントが用意されている。
- 具体的にはF.H.のアーヴァイン単独行動時に“見たことある男”と話すと動機が判明する。
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或いは、
FF8がこのような構成を採用しているのは何故だろう? 手抜き? いやいや、メインストーリーのどこか1箇所で動機を説明させるのも、何箇所かに分けて手掛かりを分割配置するのも、労
力的にそう差があるとは思えない。
FF8って、システム面でも寄り道の旨味が大きいゲームだから、
システム | 寄り道すると魔法やアイテムなどが手に入る |
シナリオ | 寄り道すると意外な事実や背景が判明する |
システムとシナリオの双方で“寄り道”を意識した結果がああいう構成に繋がったんじゃないかな。
FFはよく映画に喩えられるけど、どんなに演出が強化されても、映画とゲームのシナリオには決定的な違いがある。
映画 | メインストーリーが全て |
ゲーム | メインストーリーだけでは完結せず情報収集の余地がある |
メインストーリーを追っていくだけでストーリーの全てが分かってしまう、そういうシナリオをやりたいのであれば、それこそ映画にしてしまえばいい。そうではない、メインストーリーだけでは分からない疑問や謎を情報収集によって補完していくというスタイルは、映画や小説では不可能なTVゲームの特性を活かしたものだ。
ただ、
FF8はそれを徹底的にやりすぎてしまった傾向が強いので、プレイヤーによって好みがはっきり分かれると思う。一気にエン
ディングまで行きたい人にはそういう工夫は邪魔に感じるだろうし、あれこれ探すのが好きな人には
FF8は遊び甲斐のあるゲームに感じるだろうね。