FF8の真実(心情編)
ゲーム序盤、
サイファーは
スコールにこんなことを言う。
サイファー「お前、本物の戦場ははじめてだろ? 怖いか?」
スコール「…わからない。でも、考えると怖くなりそうだ」
(Disc1序盤-SeeD実地試験中の会話より引用)
ところが、はじめての戦場とは思えないほどの勢いで
スコールは
ガルバディア軍を蹴散らしていく。その後も
スコールたちの活躍は続き、ついには世界を救う。
この
スコールたちの信じられない活躍の裏にあるものは
G.F.だ。
魔法を集めるだけで、人間の限界を超えた
力が手に入ってしまう
G.F.。
スコールたちの強さはその
G.F.に依存したものであり、自らもそのことを自覚している。
スコール「戦い続けるかぎり、G.F.が与えてくれる力は必要だ。その代わりに何かを差し出せというなら、俺は構わない」
スコールたちは
自身の力だけで戦っているわけではない。それが
FF8の
物語の大きなポイントになっている。
スコールたちは17〜18歳。もう子供ではないが、かといって大人とも言えない微妙な年頃。
FF8には彼らの年齢と境遇を意識した発言が幾つも出てくる。
イデア「助けを求めることは恥ではありません。お前はただの少年なのだから」
サイファー「俺は…俺を少年と言うな」
イデア「もう少年ではいたくない?」
サイファー「俺は少年じゃない!」
スコール「…たしかに子供のころは自分1人でなんて無理だったさ。 (中略) 今は1人で大丈夫。生きていく手段も身に着けている。もう子供じゃないから、なんでも知ってる…」
もう自分は一人前なんだ、誰の手も借りずに立派にやれるんだ、と意気込む若者たち。
しかし現実は…。
リノア「サイファー!やめなさいよ! もう気が済んだでしょ! あなたホントはそんな人じゃない!」
サイファー「もう戻れねぇんだよ! どこにも行けねぇんだよ!」
スコール「もう子供じゃないから、なんでも知ってる…。ウソだ。俺は何も知らなくて混乱してる。誰にも頼らず生きていきたい。それにはどうしたらいいんだ?教えてくれ…誰か教えてくれ」
過酷な現実に追いつけず、ついにはギブアップしてしまう。
スコールたちは、
- 幼い頃から訓練を積んでいる
- G.F.のお陰で身体能力が大幅に強化されている
|
だから戦闘や任務の技術だけならベテラン兵にも負けない。しかし、
- ガーデンの授業で学んでない状況や事態に陥ったとき
- G.F.では強化できない判断力やストレスへの耐性が要求されたとき
|
こういう場面に遭遇すると途端に未熟ぶりを曝け出してしまう。
要するに彼らは
まだまだ半人前なのだ。
スコールたちはまだまだ未熟。はっきり言えば、
魔女との戦いは荷が重い。だが、
サイファー「反魔女軍のSeeDを育てている罪でバラム・ガーデンは破壊される」
サイファー「ガーデン破壊後はSeeD狩りが始まる」
邪悪な
魔女の目的の1つが
SeeDの根絶にある以上、彼らは戦わねばならない。
スコール「リノア…。俺たちの方法って、こうなんだ。戦うことでしか、自分も仲間も守れないんだ」
逃げ回っていれば、いつか誰かが
魔女を倒してくれるという保証はどこにもなかった。
未熟な彼らには荷の重すぎる
魔女との戦い。
スコールたちがその戦いを乗り越えることができたのは、
G.F.と
仲間という2つの要素に恵まれたからだ。
スコール「アーヴァイン・キニアス。おちつけ。みんながお前を待っている。外してもいいから撃て。先のことは俺たちに任せればいい。ただの合図だと思えばいい」
リノア「なんでもいいの! そう、なんでもいいの。なんでもいいから、もっと私たちに話してってこと。私たちで役に立てることがあったら頼ってね、相談してねってこと」
スコール「リノア…。俺たちの方法って、こうなんだ。戦うことでしか、自分も仲間も守れないんだ。それでもよければ、俺たちと一緒にいてくれ」
ときには
仲間を励まし、
アーヴァイン「さ、行こう! 助けに。悩むなよっ!! リノア、死んじゃうぞ!」
キスティス「宇宙まで行ってリノアを助けたのは、なんのためだったの? もう会えなくなるかもしれないのに、エスタに引き渡すため? 違うでしょ? リノアと一緒にいたいからじゃなかったの? バカ」
ときには
仲間を叱咤する。
スコールたちの
仲間描写は、ちょうど
風紀委員3人と対になっている。
ゼル「仲間だったら…。サイファーのバカなこと、やめさせろよ!」
雷神「俺ちゃそんな、ケチくさい仲間じゃないもんよ! そんなペラペラな仲間じゃないから、サイファーのこと全部認めてやるもんよ!」
仲間が間違ったら容赦なく「バカ」と言えた
スコールたちに対し、
風神や
雷神は相手を無闇に批判しない関係こそ理想的な絆だと考えていた。
最終的に
風神は考えかたを変え、
風神「仲間だから、あんたの力になりたいよ。それであんたの夢がかなうなら、なんだってしてやりたいよ。でもね! サイファー、あんた操られてるだけだ。もう自分の夢もなんもなくして、へんなものの言いなりになってるだけだ。だから、元に戻ってもらいたいんだよ!」
だが時すでに遅く…。
サイファー「もう戻れねぇんだよ! どこにも行けねぇんだよ!」
もしここで
サイファーが死んでいたら、本当に何の意味もない
犬死になっていただろうね。生きててよかった。
製作スタッフの発言によると
FF8のテーマは『愛』だという。
- FFの前提であるバトル中心主義
- FF8のテーマである『愛』
|
一見すると
水と油なこの2つの要素を
FF8は“
愛おしい者を守るために戦う”という王道路線でまとめている。
スコール(リノア…。世界中を敵に回しても大丈夫。俺が…。俺は…そう、魔女の騎士)
リノア「私がアルティミシアに操られて暴れたら…。SeeDは、私を倒しに来るでしょ? SeeDのリーダーはスコール…。そして…。そしてスコールの剣が私の胸を…。でも、スコールならいいかな。スコール以外ならやだな。ね、スコール、もし、そうなった時は…」
スコール「やめろ! 俺はそんなことしない。俺が倒す魔女はリノアじゃない。リノアを怯えさせる魔女アルティミシアだ」
スコールは世界の平和のために
アルティミシアを倒そうとしたわけではない。
リノアを守るたいから
アルティミシアと戦ったのだ。
ただ、この“愛おしい人を守る”という構図は、
スコールと
リノア特有のものではない。直接的なバトルをしたわけではないが、
イデア「私は、その魔女の力を自分の意志で、受け継ぎました。その魔女は、私の小さな子供たちに恐怖を与える存在でした。だから放っておくわけにはいきませんでした」
イデア「私がその魔女の力を引き受けましょう。子供たちを魔女にしたくありません」
イデアは大事な子供たちを守るために自らの意志で
魔女の
力を継承した。
また、
18年前の
エスタは
魔女アデルに支配された恐怖の国だったが、
スコール「エルオーネがエスタに誘拐されて、あんたは旅に出た。エルオーネを取り戻すためだ」
ラグナは実の娘のように愛しい
エルオーネを救うため、臆することなく
エスタへと向かう。
ラグナ「オレはエルオーネを取り戻せればそれで良かったんだけど、やっぱり、それだけじゃすまなかった。なんと言っても、魔女アデルが支配して、天才だが人でなしのオダインがいる国だ。おまけに、その頃の2人の興味はちっちゃいエルオーネにあったしな。んじゃ、サヨナラってわけにはいかなかった」
彼が
エルオーネを助けたあと
ウィンヒルに戻らず、
アデルを倒す作戦に参加したのは、
エスタの人々を見捨てておけないという義侠心と、
エルオーネを再び誘拐されないようにという2つの気持
ちからだった。
さらに、ゲームの進めかたによっては、
※
アーヴァインのこんな台詞を読むこともできる。
要するに
FF8で描かれている『愛』は
スコールと
リノアのエピソードに留まらない。
FF8で描かれているのは、愛おしい者を守るため、恐怖に臆することなく強大な
魔女に立ち向かった人々の姿だ。
幼い頃の
リノアは甘えん坊だった。
(より引用)
だが、
(より引用)
母親は死に、父親とは喧嘩中。それでも普段は元気でやっていた彼女だが、
(より引用)
シュメルケに襲われた
リノアは恐怖のあまり激しく気が動転してしまう。彼女が今まで平然と戦えたのは、
(より引用)
戦闘のプロが近くにいるという安心感と
G.F.による戦闘
力の強化のお陰であり、一人では
シュメルケのような下等な魔物にすら満足に立ち向かえないことを、
リノアは直接体験したのである。
そんな
リノアに、
スコールが声を掛ける。
(より引用)
スコールは傭兵としての責任感からそのような発言をしただけだ。そのことは当然
リノアも分かっている。だが、それでも
リノアは嬉しかった。
スコールが一緒にいれば魔物なんて怖くない。
(より引用)
その後、紆余曲折を経て
スコールと
リノアの仲はどんどん近くなっていく。
(より引用)
リノアは
スコールの容姿に惚れたわけじゃない。彼の容姿に好感を抱いていたのは確かだが、決定打になったのは、
スコールと一緒にいてくれれば不安や心配に耐えることができるということだ。
リノアが
スコールに抱いている特別な感情がそのまま
魔女の騎士の定義にぴったり当てはまるわけだ。
スコールの存在が
リノアの勇気の源、と表現するとかっこいいかもしれない。
幼い頃の
スコールは
リノア同様、甘えん坊だった。
(より引用)
だが、
(より引用)
親代わりだった
エルオーネの突然の失踪で
スコールは変わってしまう。
(より引用)
一人で生きたいと願う
スコール。
(より引用)
だが、数日前まで候補生にすぎなかった17歳の
少年には荷が重すぎた。藁にも縋りたい心境の
スコール。そんな、
精神的にダメダメになっていく
スコールに手を差し伸べる人間がいた。
(より引用)
でも、
スコールは
リノアの好意を素直に受け取れない。ここで他人に甘えれば楽になれる。でも、またいつか、
エルオーネのときのように、つらい別れを味合わなければならないのではないか。過去のトラウマが
スコールに二の足を踏ませた。
(より引用)
そんな
スコールの不安を取り除いたのが
アーヴァインだ。
(より引用)
アーヴァインは自分の
戦う動機を語ったにすぎない。だが、それは
スコールにとっても、とても参考になるものだった。
(より引用)
つらい別れが嫌だったら戦えばいい。いま手元にある
力を、一人で生きていくためではなく、
仲間を護るために使えばいい。だから、他人と親しくなることに不安を感じる必要はない。
アーヴァインの言葉がきっかけで、ようやく
スコールの中で他人の好意を受け入れる準備が整ったわけだ。
以降、
スコールにとって
リノアは大きな心の支えになる。
※宇宙で思ったこと
※エンディングで弱音を吐く
リノアにとって
スコールが勇気の源だったように、
スコールにとってもリノアは勇気の源だったわけだ。
FF8劇中の
スコールの
リノアに対するスタンスを整理すると、
- スコールはリノアの容貌や性格に惚れた訳じゃない(もしそうならDisc1から暴走しているだろう)。
- 一人では耐えきれない逆境に陥ったとき最初に手を差し伸べてくれたのがリノアだった。
- だからスコールにとってリノアは特別な人。恩人であり、心の支えであり、最大の味方であり。
|
要するに、若干17歳の
少年には
SeeDのリーダーという立場は荷が重すぎたということなんだろうね。主人公の
精神面での“弱さ”がFFシリーズとしては異色なストーリー展開の土台になっている。
一見似ても似つかぬ
スコールと
リノアは実は似た者同士だ。
- スコールは1人では重圧に耐えられない。
- リノアも1人では怖くて戦えない。
|
どちらも
1人で生きていけるほど強くない。
※あとで書く
スコールはひどい奴だ。
そんなチームリーダーの下で、どうやって
仲間意識が育まれたのだろう?
その疑問の手がかりは意外なことに
アーヴァインを観察していれば得られる。
※魔女狙撃の件
スコールは
仲間意識から
アーヴァインを励ましたわけではない。任務遂行のために
アーヴァインを励ましただけだ。だが、励まされた側の
アーヴァインは違う受け取りかたをした。
※バトル野郎の話
助けてもらったことが縁で
スコール支持に回ったのは
アーヴァインだけじゃない。
彼らはいつか
スコールに恩返ししたいと考えていた。
※コンサートイベント
最初は戸惑う
スコールだが、やがて、
※
彼はみんなの好意を受け入れる。つまり、
- スコールがチームリーダーとしてメンバーやクライアントの尻拭いや救援を頑張った
- 助けてもらったメンバーやクライアントが今度はスコールがピンチのときに彼を支えた
- スコールたちのあいだに信頼関係が生まれていった
|
スコールはカリスマ性や主人公特権といった曖昧なものではなく、『メンバーやクライアントの尻拭いや救援をしっかり勤めた』という明確な実績から
仲間の信頼を得ていったわけだ。
FF8の
物語の本質は、
- 子供と大人の狭間で揺れる微妙な年頃の若者たちを描く。
- 思春期にありがちな“青臭さ”が他のシリーズにないFF8の物語の特徴。
|
ちなみに、
スコール編で描けない“青臭くないヒーロー”の姿はラグナ編が担当している。
※あとでもっと詳しく書く
FF8には、
こういう様々な要素があるけど、そのどれもメインストーリーと密接に結びついている。
FF8のシナリオは意外なほど無駄のない構造になっている。ただ、それゆえの悲劇もあって、
- シナリオに無駄がない、ということは一見どうでもいいエピソードも実は重要で。
- まだ前半だし、さして重要じゃないだろうと適当に流してしまうとやばい。
- 後半の展開は前半の展開を踏まえたものなので、話の流れが理解できなくなる。
|
例えば
スコールの暴走って
Disc3で唐突に始まったように見えるけど、
Disc1で
サイファーが処刑されたと聞いて「俺は思い出にされたくない!」といきなり叫んでしまうとか、
Disc2で
セルフィと再会したときに思わず「お帰り」と言ってしまうとか、身近な人の生死に関わるような状況になると自分の感情がコントロールできなくなる
スコールの姿がしっかりと描かれている。そういうエピソードを受け流してしまうと
Disc32以降の展開を追うのがつらくなってしまうだろうね。