W主人公制がもたらしたもの
FFシリーズでラブストーリーが描かれたのは
FF8が最初というわけではない。
- FF4では主人公とヒロインとライバルの三角関係があった
- FF6のセリスとロックのエピソードもかなり濃ゆい
- 他のRPGでもラブストーリーそのものは決して特異なものじゃない
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にも関わらず、
FF8のストーリーはシリーズのほかの作品に比べて明らかに浮いている。それは何故だろう?
FF8は
スコール編とラグナ編の2部構成になっている。
スコール編 | 未成年の若者たちの物語 |
ラグナ編 | もう家庭を持ち家族を養っていてもおかしくない大人たちの物語 |
制作スタッフは
スコール編とラグナ編の対比を強く意識しながら作ったようで、ゲーム発売前のインタビュー記事では、
「ラグナのほうのパーティキャラは、3人とも二十代で、いい仲間たちという感じ。戦場でずっと一緒にいたんで、気ごころの知れた戦友という感じなのかなあ。それに対して、スコールというのは、まだ青くさいというか、若いというか、仲間の大事さとか、まだよくわかってないんですよね。ラグナサイドとスコールサイド、すごく対照的になってます」
<small>Vジャンプ増刊 p.60より野村哲也氏の発言を引用</small>
こんな発言をしている。
FF8のシナリオを書いた野島氏も
アルティマニアで興味深い発言をしている。
───野島さん、今回のテーマは愛、ということですが。
野島 僕はいま35歳で、スyコールとかリノアが17歳。僕がいまだに「愛って何?」という感じだから、彼らも今回のストーリーの先に愛があるんだろうけど、本当の愛にいたるまでの3分の1ぐらい進んだってところでしょうね。
<small>アルティマニア p.355のインタビュー記事より引用</small>
面白いことに、シナリオを書いた当の本人が、
FF8のテーマは愛だけど主人公とヒロインはまだ本当の愛には辿り着いていないと断言している。
スコールと
リノアのラブロマンスは、17歳なりのラブロマンスといったところか。日本でいうと高校生。しかも
スコールのほうは生まれて初めての恋人。あの極端な盲目ぶりもいちゃつきぶりもとにかくエネルギッシュなのも、なんとなく分かる。
FF8のストーリーがシリーズのほかの作品に比べて浮いているのは、ラブストーリーを前面に押し出したからではなく、
- スコール編とラグナ編で描写を分けた
- スコール編ではまだまだ未熟な若者たちの姿を描く
- ラグナ編ではスコール編では描けないことを描く
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こういうことをしたからではないだろうか。
- スコール編ではまだ若くて自分の感情をコントロールできない未成年の若者を描く
- ラグナ編では社会に出て何年も経ち人生経験をそれなりに積んできた大人を描く
- まだ社会に出たことのないスコールたちとあと数年で30歳になるラグナたちの差
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たとえば、
スコールとラグナには10歳の年齢差がある。その10年分の経験の差が2人の物事の考えかたに大きな影響を与えているんじゃないかな。
FF8は、
- スコールたちは17〜18歳
- まだ大人ではない
- かといって子供とも言えない微妙な年頃
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そういう不安定な年頃の若者たちを題材に、
- 未熟な若者たちの成長する姿を描く
- ただし成長物語といっても短時間で別人のように変わるわけではなくて…
- “大人になるきっかけになった出来事”を描いた
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スコール編って迷走しているキャラクターが多い。主人公とヒロインはもちろんのこと、ライバルである
サイファー、教師である
キスティス、さらには
アーヴァインも。ただ、彼らはみな劇中で成長するための“きっかけ”を得ている。
アーヴァインは
魔女暗殺作戦で
スコールに励まされたお陰で友情の素晴らしさに目覚めたし、
リノアは自分も守る立場に回ることを決意した。
スコールと
サイファーは他人の前で素直に笑えるようになった。
要するに
FF8は
若者たちの成長物語。NHKの中学生日記みたいなもので、主人公たちがぐだぐだと迷走する部分こそ
物語として個性であり価値でもあるんじゃないかな。