FFシリーズ愛の系譜
FF8までの
一覧。
FF3 | 主人公とサラ姫 | ギャグっぽく描かれている。少年漫画チック。 |
FF4 | セシルとローザ | カインとの三角関係。本編に愛が絡まってきた。 |
FF6 | ティナと孤児 ロックとセリス | 二重構造になっている。ティナの話は秀逸。 |
FF8 | スコールとリノア 大人と子供たち ラグナと女性陣 | ついにテーマが“愛”に。 |
こうして表にして並べてみると、作品を重ねるごとにシナリオ内における“愛”の役割が膨らんでいったのがよく分かる。
FF8のテーマ“愛”は唐突に生まれたものではなく、今までのシリーズの積み重ねの上に存在するものだと思っていい。
FFシリーズの愛の描写を
歴史分けすると、FF4以前とFF6以降で区切ることができる。FF4以前はテーマと呼べるような大それたものではなく、
物語に刺激を与えるエッセンスとして、男女の関係が描かれている。
愛といっても大したことはない。
- エンディングでサラ姫が主人公のことが好きだと明らかに。
- エンディングで主人公にキスしようとした踊り子をサラ姫が妨害。
|
昔ながらの
少年漫画チックな描かれかたをしている。FF4以降とは完全に別物。
FF4では、
- セシルとローザとカインの三角関係
- リディアとエッジのラブコメ描写
|
こういったエピソードが描かれており、そのものずばり「愛のテーマ」なんて曲まで存在する。
ストーリーと殆ど関係のなかったFF3と異なり、
- ローザがセシルの仲間に加わる動機
- カインがゴルベーザに心の隙を突かれた理由
|
こういった部分で本編にも絡んでくるけど、まだ“よくある三角関係”
レベルで留まっている。
『愛』の描写が飛躍的に向上したのはFF6以降のことだ。FF6はFF4までにはなかった視点で“愛”を描き、FF6で描かれた愛はそのまま
FF8にも継承されている。
ここでは、FF6と
FF8の愛の描写を同時に紹介していこう。
FF6では、帝国vs反帝国の抗争と同時進行で、人間の感情が分からないというティナが人間らしい感情に目覚めるまでのドラマが描かれている。
ティナ「なぜ私によくしてくれるの?」
エドガー「まず君の美しさが心をとらえたからさ。第2に君の好きなタイプが気にかかる…」
ティナ「…? どうしたの?」
エドガー「私の口説きのテクニックも錆びついたかな?」
ティナ「そうなのね…。普通の女の人なら、その言葉に何かの感情をもつのね。でも私は…」
ティナ「幻獣と人間が愛し合えるのなら…その子である私と人間とは…愛し合えるのかしら?」
レオ「もちろんだとも」
ティナ「でも…私はまだ愛という感情を知らない」
レオ「お前はまだ若い。いずれわかるようになる。きっと…」
ここまでの流れから、ティナはやがて愛に目覚めるんだろうなと推測することは容易だけど、
ティナ「あの子たちがなぜ私を必要としているかは分からない。私があの子たちを守らなくてはならない理由なんてない。でも、なにか変な感じなの。この感情が私に芽生えたとき、私から戦う力がなくなってしまった…」
孤児「ママ…ママでしょ…」
ティナ「えっ? ママ?」
ティナ「私…戦う! なんとなく…分かりかけたの…。私の中に芽生えてたのはきっと…『愛する』ということ…。今ある命だけじゃなく、これから生まれてくる命もたくさんある。それを守るためにも!」
愛は愛でも、一般的な
RPGにありがちな異性に対する愛情ではなく、
親が子供に対して抱くような穏やかな愛情に目覚めた、という展開でプレイヤーを不意打ちした。
FF6のティナで描かれた大人の子供に対する愛情は、
FF8では、
- 孤児たちを守るために自らの意志で魔女の力を継承したイデア
- リノアを守るため自宅を封鎖したり収容所に圧力を掛けた等あらゆる手段を行使したカーウェイ
- 血の繋がっていないゼルを本当の子供のように育てたディン母さん
- エルオーネを救うために遥々エスタに乗り込んだラグナ
|
様々な大人たちの姿を通して描かれている。ただ、
- FF6では愛情を注ぐ側のティナが話の中心
- FF8では愛情を注いでもらった側の孤児たちが話の中心
|
視点が違うので、意外と気づかない。
FF6のロックは、
- レイチェルを失ったトラウマから、女性が危機に陥ると見捨てておけない性格になっている。
- ゲーム序盤、ロックがティナを守りセリスを救ったのも、好意よりトラウマに拠るところが大きい。
|
大事な人との別れと、それがトラウマになって極端な行動に走ってしまうという構図はマイナーチェンジされて
FF8の
スコールにも継承されている。
スコールがロックと違うのは、大事な人と別れたのが幼少期だったという点で、それが、
ロック | 大事な人を救えなかったという後悔の念 |
スコール | 大事な人がいなくなってしまうことに対する恐怖心 |
こういう反応の違いに繋がっている。
ロックのマイナーチェンジが
スコールだったら、セリスのマイナーチェンジは
リノア…と思わせておいて、実はセリスを継承しているのも
スコールだ。
- セリスは気の強い軍人を演じている。しかし、それは演技にすぎない。
- シドとの会話やオペラで準備するときの様子を通して、普段とは正反対のセリスが見えてくる。
- ゲーム前半のセリスは強がっているけど、どうしようもない絶望を前にして本性を現していく。
- ゲーム後半の、誰かに支えてもらわないと生きていけない“弱い”セリスが本当のセリス。
|
この構図はまんま
スコールに当てはまる。
- スコールはクールで精神的に強い傭兵を演じている。しかし、それは演技にすぎない。
- サイファー処刑の噂やセルフィ帰還などのシーンを通して、普段とは正反対のスコールが見えてくる。
- ゲーム前半のスコールは強がっているけど、どうしようもない絶望を前にして本性を現していく。
- ゲーム後半の、誰かに支えてもらわないと生きていけない“弱い”スコールが本当のスコール。
|
セリスは
シドを失って身投げしようとしたけど、
Disc3以降の
スコールも
リノアが死んだら発作的に自殺してしまいそうだ。
FF6発売当時「セリスの変化が急すぎて理解できない」とか「セリス前半と後半で別人じゃん」みたいなことを言われていたけど、
スコールでも全く同じことを言われているのが面白い。
FF6では、ティナ、セリス、ロックの3人のエピソードばかり膨らますと他のキャラクターとのバランスが悪いと思ったのか、2種類の愛を描くに留めている。それに対して
FF8は、作品全体のテーマを『愛』にすることで、FF6では描かなかった、より細かい部分まで描こうとしている。
スコール編の中心人物である
スコールと
リノアに注目してみよう。
まず、ヒロインの
リノアだが、
※両親に愛されていた頃を語る
※安らぎを与えてくれる人発言
彼女はかつて両親に抱いていた安心感のようなものを
スコールに対して感じている。ちょうど、父子喧嘩で供給が止まった“愛されたい”という想いを
スコールに満たしてもらっている。
スコールも
リノアと同様、
※エルオーネとの思い出を語る
※リノアがいないと何もできない発言
スコールには両親がいないので
エルオーネが親代わりの心の支えになっていた。
エルオーネ失踪から12年間の空白を経て、今度は
リノアという心の支えを見つけた。
スコールも
リノアも、
- まだまだ誰かに頼りたい甘えたいという気持ちが残っている
- 好きな人を支えたい守りたいという気持ちが芽生えはじめている
|
ちょうど、
- まだまだ不安定で大人と呼べるほどではいかない
- かといって子供というわけでもない
- ちょうど子供と大人の狭間、思春期
|
スコール編の本質は思春期の
少年少女の姿を描く青春ドラマ。17歳という微妙な年齢、学生や家出娘という境遇にぴったりと一致。
FF8発表当時“もう1人の主人公”として紹介されていたラグナ。ゲーム的にはちっとも主人公ではなかったけど、テーマ的には確かに裏主人公と呼んでもいいぐらい重要な役目を果たしている。
ラグナ編は数も量も大したことないけど、その少ないエピソードで、
スコール編 | 愛を注いでもらう立場から注ぐ立場に移行しつつある少年少女の姿を描く |
ラグナ編 | いい歳した大人が家庭を持ち子を守る親の立場になっていく過程を描く |
とか、
スコール | 17歳。勢いがありすぎて不安定で暴走しがち、見ているプレイヤーのほうがヒヤヒヤ |
ラグナ | 27歳。勢いはないけど暴走もない、プレイヤーが安心して眺めていられる安定性 |
スコール編と見事な対になっている。
FF8には、FF6のティナのエピソードから継承した、
守る親と守られる子という構図がまず最初にあって、
スコール編 | 愛を注いでもらう立場から注ぐ立場に移行しつつある少年少女の姿を描く |
ラグナ編 | いい歳した大人が家庭を持ち子を守る親の立場になっていく過程を描く |
スコール編とラグナ編という2つのエピソードを使って、愛される立場の子が愛する立場の親になるまでの過程を描こうとしている。
子供 | 回想場面のスコール | エルオーネが心の拠り所だった |
思春期 | 現在のスコール | 思春期特有の不安定さ |
大人 | 前半のラグナ | ジュリアやレインとのいい関係 |
親 | 後半のラグナ | 実子のように可愛がったエルオーネを救う旅 |
ちょうど、
- 親からたっぷりと愛情を受けて育つ
- 親のもとから巣立ち同世代の異性と愛し愛されの関係を経験しはじめる
- 家庭をもちついに親の立場になる
- 世代交代して1に戻る
|
大人に守られていた子供が大人になって子供を守るようになって…という人類の不偏の営みが“愛”という切り口できれいにまとめられているわけだ。
大人に守られていた子供が大人になって子供を守るようになって…というループをどんどん遡ると、最終的には神話に行き着く。
※ハイン神話
この神話、実に興味深い。
そもそも
FF8の世界では、
※ハインの末裔
※ハインの後継者
※力の継承
魔女は
ハインの末裔あるいは後継者だと推測されているため、
魔女の力の系譜 | ハイン→初代魔女→2代目魔女→3代目魔女…etc |
人間の愛の系譜 | 親の世代→自分の世代→子の世代→孫の世代…etc |
FF8の世界には、遥か遠い神話の時代から文明の発達した現代に至るまで、
魔女の『
力』と人間の『愛』の2つが途切れることなく継承され続けたことになる。
長い
歴史の中で、
魔女の『
力』が人間の『愛』を脅かすことは何度もあったが、
勝者は常に『愛』だった。
FF8は、
- 人類の歴史はそのまま愛の継承の歴史といっていい
- たとえ創造主といえど人間の愛の絆を完全に壊すことはできない
|
傍から見ていて恥ずかしくなりそうなぐらい、ロ〜〜マンチックな
世界観と
歴史を採用している。
FF8の世界の
歴史の中では、
魔女の『
力』と人々の『愛』が激突することが多かったけど、『
力』はしょせん
力であって、それそのものに善悪があるわけじゃない。
FF8では強大な
力を行使して人々に危害を加えようとする
魔女のほかに、逆に強大な
力を使って愛する人を救った
魔女の姿も描かれている。
オープニングとエン
ディングに注目してみよう。
- 再会を約束した花畑でスコールを待つリノア。
- リノアを掴んだ花びらが一枚の羽に姿を変え、風に乗って宙を舞う。
- 力尽きたスコールのもとに一枚の羽が舞い降りる。
- 続いて羽に導かれるかようにリノアが登場。
|
白い羽は
リノアが持つ
魔女の
力の象徴。
リノアが自らの意志で
力を行使したのか、それとも無意識のうちに
力が発動したのかは分からないけど、あれほど忌み嫌っていた自身の
魔女の
力のお陰で
スコールのもとに救援に向かうことができた。
FF6にはたくさんのエピソードがあって、ティナやロックやセリスが担当している『愛』も数あるエピソードの中の1つにすぎない。その『愛』を作品全体のテーマに据えて描きなおしたのが
FF8だ。
どうやら、
- FF6でティナのエピソードを担当
- FF8でテーマ『愛』を立ち上げる
|
この2つを担ったのは
同一人物らしい。FF6と
FF8では『愛』に対する視点や発想が似ているのは、それが理由なのかもしれない。
ここまで見てきたように
FF8は、FF6で描かれた『愛』をもっと踏み込んだ部分まで描いた意欲作なんだけど、表面上は年頃の
少年少女のラブロマンスという構図でまとめてしまっている。
- ああいうラブロマンスが好きな人は別に深入りする必要はない
- ああいうラブロマンスだけでは満足できない、もっと突きつめたいという人はとことん深入りできる
|
『突きつめたい人だけが突きつめればいい』という構図は、シナリオとシステムの双方で貫かれている
FF8の基本設計で、
- 仲間の裏事情やエピソードを見たくなければ見なくてもいい
- 仲間の裏事情やエピソードを見たければ寄り道してサブエピソードを探せ
|
とか、
- 通常戦闘を突きつめたくない人はエンカウントなしでスルーしてもいい
- 通常戦闘を突きつめたい人のためにアイテムや魔法などの御褒美がたっぷり用意されてる
|
とか、
きりがないのでここで止めるけど、そういう構成が
FF8の長所にも短所にもなっている。