製作スタッフの発言によると
FF8のテーマは『愛』だという。
※
実際
FF8の後半で
スコールは1つの大きな決意をする。
スコール(リノア…。世界中を敵に回しても大丈夫。俺が…。俺は…そう、○○の○○)
リノア「私が○○○○○○○に操られて暴れたら…。SeeDは、私を倒しに来るでしょ? SeeDの○○○○はスコール…。そして…。そしてスコールの剣が私の胸を…。でも、スコールならいいかな。スコール以外ならやだな。ね、スコール、もし、そうなった時は…」
スコール「やめろ! 俺はそんなことしない。俺が倒す○○はリノアじゃない。リノアを怯えさせる○○○○○○○○○だ」
そう。
スコールは世界の平和を守るために○○の○○と戦ったわけでも、
SeeDとしての使命感から最終決戦を挑んだわけでもない。ただ愛する人を守りたい失いたくないという一心で○○○○○○○に立ち向かっただけだ。
主人公が正義のヒーローではなく
世界を救うつもりが全くないという点で
FF8のストーリーはシリーズの中でも異彩を放っている。
でも“愛”は恋愛感情だけを指す言葉ではない。たとえば大人が子供に注ぐ愛情、それだって“愛”には違いない。
FF8にはそういう意味合いの愛もたくさん描かれている。
○○○「私は、その○○○○を自分の意志で、受け継ぎました。その○○は、私の小さな子供たちに恐怖を与える存在でした。だから放っておくわけにはいきませんでした」
○○○「私がその○○○○を引き受けましょう。子供たちを○○にしたくありません」
○○○は大事な子供たちを守るために自らの意志で○○○○を○○し、
スコール「○○○○○が○○○に誘拐されて、あんたは旅に出た。○○○○○を取り戻すためだ」
ラグナ「オレは○○○○○を取り戻せればそれで良かったんだけど、やっぱり、それだけじゃすまなかった。なんと言っても、○○○○○が支配して、天才だが人でなしの○○○○がいる国だ。おまけに、その頃の2人の興味はちっちゃい○○○○○にあったしな。んじゃ、サヨナラってわけにはいかなかった」
ラグナは実の娘のように可愛がっていた○○○○○を救うため、臆することなく○○○へと向かう。○○○○○の偉業の裏にあったのは実の娘のように愛しい○○○○○の存在だった。そのうえ、
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FF8の世界では、人類が○○○に反旗を翻した動機も子供たちに対する愛情だったと語り継がれている。
要するに、
FF8は単なる恋愛ドラマじゃない。
FF8で描かれているのは
強大な○○○○に怯むことなく愛する者を守ろうとした人々の姿だ。
FF8は、各キャラクターの世代に合わせて“愛”を割り当てている。
○○○やカーウェイなど | 大人の子供に対する暖かい愛情を担当している |
スコールやアーヴァインなど | 若者の異性に対する恋愛感情を担当している |
ではラグナは?
- ラグナはちょうどスコールたち若者と○○○たち大人の架け橋的な存在
- 最初のうちはジュリアやレインへの恋愛感情を担当している
- ウィンヒルを境に大人の子供に対する暖かい愛情も担当するようになる
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FF8は、人間の営みを子供、若者、大人の3つのパートに分けて、
子供 | 大人に守られる立場の子供 |
若者 | 子供と大人の中間に位置する若者 |
大人 | 配偶者や子供など自分の愛する人を守る大人 |
子供から若者への移行期を
スコール編で、若者から大人への移行期をラグナ編で描こうとしている。
劇中ではっきりしている○○の敗因をまとめてみよう。
- ○○の始祖○○○は子供たちを守ろうとする人々に敗れた
- ○○○○○は○○○○○を助けに訪れたラグナに敗れた
- ○○○○○○○○○はリノアを守るために戦うスコールに敗れた
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○○は○○○の後継者。○○○○はもともと○○○が持っていた
力であり、とても人間が勝てる相手ではない……はずなのに、始祖○○○もその後継者の○○も、愛する者を守るために立ち上がった人間たちに悉く敗れている。
FF8は
神の力すら愛の絆にはかなわないという面白い
世界観を採用している。
かつて守られる立場だった子供たちは、やがて誰かを守る立場へと成長する。最初は異性への好意という形で現れる愛情はやがて次の世代の子供たちにも注がれることになる。
- FF8の世界では神話の○○以降2つの力が○○されてきた
- 1つは○○○○○が絶やすことなく○○してきた○○○○
- そしてもう1つは人類が絶やすことなく○○してきた愛の力
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親から子へ、子から孫へ、孫から曾孫へ。もし1世代でも親が子を守ろうとしなかったら人類はその段階で滅んでいたわけで。
愛される側の子供から愛される側の大人に成長する過程で好きな人ができるっていうのは、まあ人として当然のことだよね。
FF8で描かれている愛は、愛は愛でも単なる恋愛感情ではなく、より広い意味で、自分を犠牲にしてでも他人を守ろうとする感情や原動
力としての“愛”。
人は思春期になると好きな人ができて、好きな人と一緒にいたい、好きな人を失いたくない、好きな人を守りたいと思うようになる。最初のうちはぎこちなく、暴走や暴発に繋がってしまうこともままあるけど、少しずつ人を愛することに慣れていく。それは子供たちを愛し守る親になるための訓練や予行練習と言ってもいい。
FF8は
スコールと
リノアのエピソードだけだったら大したことない話だけど、主演2人のエピソード以外でも様々な愛を描くことで、作品全体として“愛”というテーマを描いている。
スコールや
リノアが好きな人は
FF8を恋愛ドラマとして見ればいいし、それだけじゃあ飽き足らない人はもっと広い意味での愛の
物語として見ればいい。
FF8には色々な見方ができるだけのエピソードが詰まっている。
FFシリーズは
戦いの物語だ。しかし、命を賭けて
戦う動機は作品ごとに違う。
- 復讐心が帝国と戦う原動力になっているFF2
- 父や祖父の遺志が大きなモチベーションになっているFF5
- 1人1人が異なる戦う目的を抱いていたFF6
- …etc
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FFシリーズでは今まで色々な『
戦う動機』が描かれてきたけど、それが
FF8では“愛”、全てを犠牲にしてでも愛する者を守りたいと願う強い意志だったわけだ。
スコールたちの
戦う目的に注目してみよう。
彼らが傭兵としての活躍が描かれているのは
Disc1の間だけだ。それ以降は、自分の親が心配だとか、お世話になった○○○○を助けたいとか、愛する人を守りたいという
風に、個人的な動機から
戦うようになっている。つまり、
- 最初のうちは『仕事だから』『任務だから』戦う
- やがて『大事な人や場所を守るために』戦うようになる
- スコールたちの傭兵という設定はその変化のための前振りにすぎない
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という訳だ。
ちなみに、ラグナの軍人という設定も、
スコールの傭兵という設定と同じような位置付けにあるものだと思っていい。
- ガルバディア兵○○のラグナはティンバーに向かわないでジュリアとよろしくやってるような不真面目な男だった
- そんな男が遥々○○○に向かい○○○○○を倒したのは○○○○○を救いたかったからだ
- ラグナの元軍人という設定もスコールの傭兵という設定同様『大事な人を守るために戦う』の変化のための前振りだろう
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FF8を彩る幾つかのキーワードのうち、『愛』と『軍隊』という接点のまるでない2つの要素に関しては、『愛>軍隊』だと言いきることができる。